演技
数分後、客席が程々に埋まると、マンフレッドはもごもごと口を動かしながら幕をくぐり、観客の前に姿を現した。彼は物憂げに一礼した。そして、顔を上げたときには、彼はすでに役者になっていた。直前まで別のことに気を取られていたとは思えない、ほとんど音楽的な調子で語り出す。
「ようこそ、我々マグノリオ団の公演にお越しくださいました!紳士淑女の皆様、並びに小さなお子様や矍鑠としたご高齢の皆々様に、心から歓迎の意を申し上げます。もちろん、大きなお子様や、最後の歓心をお求めの皆様にもね。
さて、僭越ながら、手短に自己紹介をさせていただきましょう。マグノリオ団、団長を務めますは、私、マンフレッドにございます。趣味は絵を描くこと、そして料理の腕前はなかなかのものだと、いささか自負しております。いかがでしょう、淑女の皆様?お帰りの際にこっそりお声がけいただければ、このマンフレッド、喜んで腕を振るわせていただくのですが。団員には内緒ですよ。
それはさておいて……花には縁も所縁もない人生を歩んで参りました私ですが、前団長から受け継ぎましたこのマグノリオ団には、それはそれは長い歴史が―」
マンフレッドがそう言いかけたところで、幕の裏から双子の小道具である手玉が弾みをつけて飛んできて、彼の頭に命中した。彼が頭を片手で押さえて振り返ると、道化師ベッファが幕から飛び出し、団長も観客も眼中にないといった様子で転がっていく玉を追いかけ始めた。道化はあと一歩のところで玉を取り損なうというのを二度繰り返し、三度目には自分の足に躓いてつんのめり、抵抗もあえなく転倒した。つかみは上々だった。
ぽかんとした表情でその様子を見ていたマンフレッドは、観客に向かって大きく両手を広げ、首を振ってみせた。両手は上げたまま、道化のほうに顔を向ける。
「一体何をしているのだね、お前は?」
ベッファは声を出さずにぺこぺこと頭を下げている。マンフレッドはわざとらしく声の調子を高めた。
「まったく、お前はいつもそれだ!芸当の一つや二つを習得して、皆様を楽しませてみたらどうだね?関節外しでもやってみたまえ!」
ベッファは納得したように両手を打つと、マンフレッドに歩み寄り、その肩と腕に手を掛けた。マンフレッドは大袈裟な身振りで道化を引き剥がす。
「誰が私の関節を外せと言ったのだ!?もう良い、お前は下がりなさい。まったく、私の影武者として料理をしてくれるのでなければ、とっくに追い出していたところだ……」
その後の公演も滞りなく進んだ。器用に一輪車を乗りこなすアーウィンと、その上に平然と立ってみせるレオの手玉芸は安定の人気を誇る。
猛獣使いハーレイは見るからにやる気がない割に、寸分の狂いもなく輪を投げてみせ、彼によく懐いたマヨがその輪を空中で見事にくぐるので、観客は揃って童心に返り、手を叩いて喜ぶ。
続くキャットの出番では、彼女は両手に炎を纏って―アイニックが危険のないように細工を施している―踊り舞い、観客の興奮が最高潮に達する。そしてそのときこそが、アストリッドの出番であった。
キャットは確かに絶大な人気を得ているが、曲芸師としての腕前でアストリッドに敵う者などいなかった。言うなれば、前者は花であり、後者は星なのだ。照明を受けながら彼女が綱の上に現れたその瞬間から、見る者は皆、団員でさえ、他の何事にも注意を払えなくなった。彼女の妙技は魔法のように時間を溶かし、演技が終わったときには、天幕を吹き飛ばさん勢いで拍手喝采が起きるのだった。
“空を渡る曲芸師”と謳われた男、マンフレッドに教えを受けた彼女は、若くしてその異名までも受け継ごうとしていた。
公演が終わり、観客たちが帰っていくと、一同の意識はすぐに例の手紙へと舞い戻った。彼らには依頼を受けないという選択肢もあった。その場合、任務は失敗として扱われ、報酬は出ない。極端な話、何事もなかった、ということになるのである。アストリッドが任務に参加するようになってから、依頼を見送ったことはなかった。マンフレッドが言うには、それ以前も片手で数えるほどしかなかったとか。
「俺とアーウィンで行く。すぐに済むだろ」
レオが言った。しかしマンフレッドの表情は渋く、とても首を縦に振りそうには見えなかった。依頼にけちをつけるのはいつものこととはいえ、彼がここまでうんと言わないのは珍しいことだ。そしてその奇妙な態度は、彼自身を除く団員たちには理解の及ばないものであった。
最古参であるレオでさえ、マギーの一員になったのはたった五年前の出来事なのである。アストリッドは彼女がまだ幼かった頃からマンフレッドを知っていたが、やはりマギーのことを知らされたのは数年前のことで、彼の情熱を共有するには至っていなかった。
「フレッド、何がそんなに嫌なの?」
「これは明らかにマギーに対する冒涜だ……到底容認できん!」
マンフレッドは小刻みに杖を叩きながら、唸るように言った。
「俺たち、そういうのわかんないけどね。団長とは世代が違うもん」
ハーレイがそっけなく言うと、他の面々は同意を示すように小さく呻いた。誰も面と向かってマンフレッドを否定したかったわけではない。皆、彼のマギーに対する並々ならぬ思い、敬意に近いそれのことはよくわかっているのである。
「とりあえず、この件は受けたら良いじゃない。誇りばっかりあっても、お金がなくちゃ箔がつかないわ」
キャットが言うと、アーウィンが大きく頷いた。
「そうだぜ、団長!五百万もありゃ、当分は良い暮らしができるじゃねえか!」
皆の金遣いが荒いせいで金に困ることになっているとは、彼は夢にも思っていないようだ。団が成り立っているのは、アストリッドとレオに金の使いどころが特にないおかげといっても過言ではない。
「我輩の研究費用も足りぬことだしな」
いつの間にか入り口の下に立っていたアイニックが口を挟んだ。アストリッドは背後から突然聞こえたその声に面食らったが、すぐに言う。
「いや……そう言う前に、働いてよね」
皆が同調してそれぞれ不平をぶつけてくるので、アイニックは呆れたように首を振り―呆れたいのはこちらのほうだ!―、さっさと天幕を出て行ってしまった。まだ揺れている、入り口に垂れた布を眺めながら、レオがため息をつく。
「あいつ、居候のくせして……」
「まあ、役に立つのは確かよね」
キャットは彼が用意してくれた炎の演出用の装備をまじまじと見つめながら言った。
「割には合ってないよ。マヨはこんなにお利口なのに。……カッパーさん、王様にお金をせびってきてくれないかなあ」
と、ハーレイは前足に顎を乗せてじっとしているマヨを撫でた。レオは食い入るように虎を見つめ―彼は猫をこよなく愛している―、若干上の空といった調子で言う。
「そろそろ建国祭だから、また陛下からたんまり金がもらえるだろうけどな」
「払いは良いものね、王様って」
キャットは小さく呟いた。アーウィンが興味津々に彼女に顔を向ける。
「じゃあ、何が駄目なんだ?」
「あら、駄目なところなんかないわよ。王子と上手くいかないくらい誇り高いところとか、本当素敵」
アーウィンはしきりに頷いて同調し、他の面々の失笑を誘った。話が逸れたのを好機と見て、アストリッドはすかさず口を開いた。
「それで、この件は受けるってことで良いんだよね?」
もちろん、マンフレッドがまだ認めていないのは承知の上だ。しかし、そういう流れにしてしまえば、彼が辟易して諦めてくれると踏んだのである。彼はじろりとアストリッドを見たが、案の定諦念を示す長々としたため息をついた。
「……やむを得んな。では、明晩を決行とする。言うまでもないことであるが、諸君が現場にいた痕跡を残してはならない。万一仲間が命を落とした場合は、その遺体の回収に努めよ。そして何よりも、捕縛されることがあってはならない。任務遂行の手段は諸君に委ねる。健闘を祈る」
そう告げると、マンフレッドは厳かに天幕を出て行った。その背中を見送り、アストリッドは一同の輪に視線を戻した。
「どうする?」
「俺たちだけで十分だ」
レオはアーウィンのほうに頭を傾げながら言った。アーウィンが兄に逆らうことは滅多になく―というか、自身でどうすべきか考えることがないだけなのだが―、今回も彼は従順に頷いた。
「兄貴の死体は俺が回収するぜ!」
「馬鹿言うな、馬鹿が」
レオは薄ら笑いを浮かべ、弟を小突いた。キャットは鼻を鳴らし、優雅に腕を組んだ。
「あなたたち、どうせひと暴れしたいだけでしょ?私も行くわ」
「何で?任せちゃおうよ、キャット」
ハーレイは床から愚鈍に彼女を見上げた。依頼や演技を含め、面倒事はできるだけ避けるべしというのが、彼の信条だった。キャットは彼に目線を返した。
「二人だけすっきりするのも癪じゃない」
彼女がつんと言って肩をすくめると、ハーレイは眉を上げて奇妙に顔を輝かせた。
「確かに。俺も行こうっと」
「じゃあ、いつも通りだね」
こうなることはとっくにわかっていたので、アストリッドは満足して言った。レオが肩を押さえて首を鳴らす。
「ったく……最近暴れ足りないのにな」
「馬鹿だね、レオ」
アストリッドはにやりと笑って彼を見た。自身に続く馬鹿の存在に喜んだアーウィンがからかうような表情を兄に向ける。
「馬鹿だってよ、兄貴」
「お前には敵わないけどな」
そう言い返された意味を、どういうわけか取り違え、アーウィンは得意げに笑った。
「それほどでも」
一体どんな脳の構造をしているのやら。レオが肩をすくめ、呆れた顔つきを向けてきたので、アストリッドは笑いを堪えながら彼に頷き返した。
……彼らは”葬儀屋”マギー。レカンキチ王家直属の諜報部門にして、子守から暗殺まであらゆる依頼をも受け付ける謎の精鋭部隊である。彼らに出会って良い夢を見た者はいない。あるいは、悪い夢を見た者もいないだろうか?
登場人物が多い?
ま か せ ろ