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寡黙の外連に魅せられて  作者: 小娘
幻想の怪異
14/41

妖気

 逸るように公演を終わらせ、一同は後片づけもおざなりにアイニックの元に急いだ。そこには予想に反した、異様な光景が広がっていた。なんと、アイニックの膝の上で、クララが眠っていたのである。お世辞にも、博士には子どもの世話が似合うとは言えない。団員たちは笑い出し、マンフレッドまでもが口の端を持ち上げた。アイニックは渋い顔をした。


「何がおかしいのかね!まったく、君たちは……」


その騒ぎに、クララも目を覚ます。アイニックはゆっくりと首を振った。


「ああ、起こしてしまったではないか」


「あ……わたし、行かなきゃ」


はっとしたクララは早速アイニックの膝から降り、一同の足元をすり抜けて小屋を出て行こうとした。アイニックは座ったまま面倒くさそうに振り返った。


「待ちなさい、クララ。彼らにしっかりと説明をしなくてはならないのではないかね?」


「どういうこと、カッパーさん?」


「何、君らが曲芸を見せている間、少し彼女と話をしてね。何やら興味深いことを言っていたのだが、いやしかし、どこまで信じたものか……」


アイニックが言うと、クララはきっとして彼を振り返った。


「全部本当だもん」


博士は降参の証に両手を上げた。アストリッドは膝を床に突いた。


「私たちにも教えてくれないかな?」


クララは何かを見定めようとするかのようにじっと見つめてくる。信じてもらえるかどうか考えているのだろうか?ほんの一時、口をへの字に曲げると、彼女はおもむろに語り始めた。


「わたし、村を焼いたの。だから、皆が怖がられてる。わたしがいけないの。だから、助けに行かないと」


「……それって、例の言い伝えのことかしら?」


と、キャットは訝しげな顔をする。内容自体は、先日アイニックが暗唱してみせたあの伝承とぴたりと一致するように思える。問題は……


「でも、大昔のことなんでしょ?」


そう尋ねたアストリッドが表すのと同じだけの困惑を、クララはその顔に浮かべた。


「わたし、ずっとクララなの。何回生まれても、クララ」


「彼女は一体何を言っているのだ?」


マンフレッドは呆れた顔をしてアイニックに目をやった。彼の中で、この娘の世話役は博士で確定したようだ。アイニックは生真面目に頷いた。


「どうも、彼女にはいくつかの人生の記憶があるようだな。それが本当なのか、はたまた子どもの妙な勘違いなのか……ああ、わかっている、わかっているとも!本当なのだったな!」


クララに不服そうな顔をされ、彼は自棄になって言った。アストリッドにはこうした状況が、まるで夢に見ているように不可解で明晰さを欠いているように思われた。


「どちらにせよ、話くらいは聞いてあげたほうが良いよね。ただ追い返すわけにもいかないし」


「子どもに係わると良いことがないよ」


ハーレイが表情を固くして言うと、キャットは小馬鹿にするような笑みを浮かべて鼻を鳴らした。


「良くないことっていっても、食いしん坊の一人と一匹分の食費が嵩むとか、その程度のことじゃないかしら?私ならそのくらい我慢して、話を聞いてあげるわね」


「とにかく、俺の知ったことじゃないもん」


マヨが非難めいた鳴き声を上げた。彼らの仲間割れは珍しいことだ。


「ふむ!猫は良い勘を持っているものだ。一つ、事情を聞いてみるとしよう」


マンフレッドは跪き、やや芝居がかった調子でクララに尋ねる。


「君の仲間たちはどこにいるのかな?」


「……神秘の里」


いかにも、と言ってやりたくなる名前である。そして、聞いたこともない。アストリッドは訝りながら口を挟んだ。


「知らないや。どこにあるの?」


「レカンキチとキテスの狭間のキケ山。その奥深くにあると言われている湯屋だな。我輩も噂に聞いたことがある。何でも、妙な効能のある湯を提供しているとか……違うかね?」


アイニックが言うと、クララは小さく頷いた。


「秘湯だよ。どんな病気も治してくれて、若返りまでするって。悪い人たちは、そう信じてる」


「怖いものなしだね。この突き指も治るかなあ」


と、暢気にハーレイ。マヨが不思議そうに彼を見上げた。彼が本気で言っているように見えたからか、キャットは思わず顔を引きつらせた。


「馬鹿言わないで。売り文句に決まってるじゃないの。……はあ、それで、そんなところで末裔たちは何をしてるのよ?」


「悪い人たちが秘湯をつくるために捕まえてるの」


「で、末裔たちが秘湯をつくってるってわけ?」


アストリッドが尋ねると、クララは元々青白い顔色をさらに暗くして首を振った。それから強く服の裾を掴みながら言う。


「急がないと。皆が危ないの。皆、死んじゃう」


すると、押し黙って話を聞いていたマンフレッドが大きく咳払いをした。


「ふむ、しかしだな、小さなお嬢さん。我々は利のない仕事はしないのだよ。どこでマギーのことを耳にしたのかは知らないが、報酬がなければこの会話の意味もない、ということだ。子どもにこのような話をするのはもちろん心苦しいが……」


そうは見えない。それに、突然そんなことを言い出すのも妙なことである。興味だけ満たして、あとはおさらばなのである。浪費癖が抜けない理由もわかるというものだ。しかし、クララのほうはきょとんとして、まるで予想に反したことを言い出した。


「わたし、マギーなんて人、知らない」


「……ならば、何故ここに?」


「気付いたらここにいたの」


少女はとても嘘を言っているようには見えない。調子が狂ったのか、マンフレッドは思い耽るように黙り込んでしまった。この男にこれ以上言っても無駄だと思ったのか、クララはアストリッドに目線を映した。その表情は、こうした展開に驚いているかのようにも見えた。


「一緒に来てくれないの?」


「どうかな……そりゃ、お金が入ってこないことに時間をかけたくはないけど」


アストリッドは目を泳がせた。この奇妙な少女が気になることは事実だが、団には関係のないことだと割り切るべきところであった。金が入らないのならなおさらだ。しかし、やはり何故か、クララに手を貸したいという気持ちが湧いてくる。必要なのは、感情的ではなく合理的な理由だった。マンフレッドが納得しないことには……


「あの湯屋は、相当儲かっているのではないかな……」


ふと、アイニックが小さく呟いた。キャットが素早く顔を上げ、いたずらっぽく笑う。


「あら、それを盗めってことかしら?案外大胆ね、博士ったら」


「そこまで言っては―」


ぱっと表情を明るくしたハーレイが、小さな音を立てて拍手し始める。


「天才だね、カッパーさん」


「それは否めぬが」


アイニックは澄まして肩をすくめた。金とは、最も合理性を保った存在である。アストリッドはこれならいけると踏んで、自信満々で団長に話しかけた。


「フレッド。湯屋の儲けを盗めるなら、この話、受けても良いんじゃない?」


「末裔を護衛する依頼が後を絶たなかったほうが、金は稼げそうなものだが」


マンフレッドは神経質に杖を鳴らした。アイニックは思い切り顔をしかめた。


「君も、よくそんなことを言えるものだな!」


団長は一同の顔を見回した。どうも、期待されていることは一つらしい。彼としては、由緒正しきマギーが賊風情の真似事をするのを容認したくはなかった。ただ、今更気にしても仕方のないことだ。彼はわざとらしく大きなため息をついた。


「……良いだろう。何にせよ、その怪しげな秘湯とやら……それが誤った流れならば、断たねばならんからな。では、すぐに発て、マギー。言うまでもないことであるが、諸君が現場にいた痕跡を残してはならない。万一仲間が命を落とした場合は、その遺体の回収に努めよ。そして何よりも、捕縛されることがあってはならない。任務遂行の手段は諸君に委ねる。健闘を祈る」


団員たちは程度の差はあれ、揃って意気揚々と頷いた。アストリッドは状況がわかっていなさそうなクララに微笑みかけた。


「さあ、案内は頼むよ、クララ」


彼女をじっと見つめ返してから、少女は機敏にアイニックを振り返った。


「おじさんも一緒に来て」


「何?いや、我輩は―」


博士は慌てて首を振った。が、苛立った様子のマンフレッドがすかさず横やりを入れる。


「たまには役に立て、カッパー」


「たまにはと言うが、前にも……ああ、行けば良いのであろう、行けば!」


アイニックはマンフレッドの鋭い睨みのおかげで余計なことを言わずに済んだ。偶然なる抑止力!マギーと博士は緩慢に小屋を抜け出し、永遠に続くかのような闇夜の中を、ほとんど見知らぬ少女の後をついて歩き始めた。



 キケ山は壁のようにレカンキチとキテスの間に屹立しており、目的地までの道のりはそれなりに険しいものであった。足繁く通っているらしい人々の残した痕跡がなければ、このような道の先に秘密の湯屋などないと決めつけ、とっとと踵を返していたところである。最初に弱音を吐いたのは、やはりハーレイだった。彼はマヨに押されるようにしながらふらふらと最後尾を歩いていた。


「何も、こんな夜中に出発することもなかったと思うけどな……」


「帰っても良いよ、代わりにアイニックがいるし」


アストリッドは特に嫌味というわけでもなく言った。本来、マギーは二人か三人で任務に臨むのが普通なのだ。団員が二人減ったことで、結局揃って出動することが多くなったというだけで。


「ここまでの道のりを辿り直すなんて、俺には到底できないよ。気が滅入るもん」


ハーレイは肩越しに振り返りながら言った。キャットがマヨに加勢して彼の腕を引く。


「だからって、こんなところで寝入るわけにもいかないじゃないの。ほら、さっさと歩いて」


「何でこうなるかなあ。あーあ……さっきの公演で突き指したところが痛むし」


すると、ふとクララが振り返って彼をじっと見つめた。それに合わせて立ち止まりながらアイニックが言う。


「我輩の作った痛み止めの軟膏でも塗ってみるかね?どこのどんな痛みにも効くはずだが」


「わあ、塗る塗る!すごいね、カッパーさん。変な装置だけじゃなくて、胡散臭い薬も作れるんだ」


「変な装置とは何だね、まったく……胡散臭いと言ったか?」


アイニックは深々とため息をつき、小さな缶のような入れ物を取り出してハーレイに手渡した。それを見て、クララは何も言わずに前に向き直り、ぱたぱたと足を動かして進み続けた。ハーレイは容器を開け、指に塗るには多すぎる量を取って、しっかりと患部に塗りつけた。


「変な副作用とかあるの?」


すっかり機嫌が直ったハーレイを横目に、アストリッドは尋ねた。博士は答えを少し躊躇った。


「ないはずだが」


「はずって……渡すなら、ちゃんと安全が保障されてるのだけにしてよね」


「とにかく、死にはしないとも」


アイニックはそう言って、誤魔化すように咳払いを付け加えた。


「はい、カッパーさん。ありがとう」


ハーレイはべとべとになった手で容器を返そうとし、案の定それを取り落とした。容器は弾むように坂を転がり落ち、やがてどこに行ったのやらわからなくなってしまった。


「あちゃあ……」


「ああ、ハーレイ!」


アイニックはやけに喜劇的な調子で叫んだ。彼にとっては、謎の薬も大事な我が子なのかもしれない。キャットは立ち止まった彼の横をさっさと通り過ぎた。


「大袈裟ね、博士。どうせ試作なんでしょ?秘密の日記でもなくしたみたいな顔して」


「……まあ、構わんがな。また作れば良いだけのことだ」


博士はぼそぼそと呟きながら足を速めた。そのとき、随分前方まで進んでいたクララの高い声が聞こえてきた。


「ほら、着いた!」


見ると、鬱蒼とした木々の帳が開け、何とも幻想的な湯屋がその姿を露わにしているではないか。一体どこの誰が建てたのか、その建物は見慣れぬ風情で、かつ山奥も山奥にあるにしては大層瀟洒なものであった。


「はー……随分立派なところだね」


高い屋根を仰ぎ、アストリッドは感嘆のため息を漏らした。キャットはくだらないと言いたげに鼻を鳴らした。


「金庫はあれのどこに置いてあるかしらね」


「マヨが見つけてくれるよ」


ハーレイは確信めいて言い、マヨも請け負うように鳴いた。アストリッドは思わず苦笑した。


「そのために連れてきたの?」


「ううん、マヨは水浴びが好きだから」


「……つくづく変な猫だな」


立ち止まってそんな会話を繰り広げる一同を顧みて、クララはもどかしそうに唇を噛みしめた。


「急がないと」


と、ほとんど走り出しそうなのを、アストリッドは慌てて引き留めた。


「勝手に行かないの!物事には手順ってものがあるんだからね。第一、そのまま戻ったりしたら、あんた悪い奴らにまた捕まっちゃうんじゃないの?」


「……そう、かも」


「何とかしてあげたら、博士?」


無責任にキャットが尋ねた。アイニックは呆れたような顔をして懐をまさぐり、黒い錠剤の入った小瓶を取り出した。それをクララに手渡しながら言う。


「一錠飲みなさい」


「今度は何?」


次から次へと出てくる珍妙な発明品の数々を、利巧の賜物と言うべきか、無用の長物と言うべきかは、いつまでも判断のつかぬことであろう。


「少し年を取るだけだ。一日もすれば元に戻るがな。……もちろん、安全なものだぞ」


「そりゃ良かった」


アストリッドは疑り深く目を細めた。ハーレイが目を輝かせている。


「面白そうだね。俺にもくれる?」


「断る。大人が飲むものではない」


「ちぇっ。心は大人じゃないのに」


ハーレイは呟き、羨むようにクララを見つめた。彼女は不安げに大人たちを見上げていたが、やがて意を決し、目を瞑って薬を口に放り込んだ。アイニックはその様子を身じろぎもせずに見守った。すぐには何も起こらなかった。暗闇の中、一同は息を詰めて変化を待った。と、クララが小さく呻き出す。彼女は地面にへたり込み、肩で大きく息をしている。


「ちょっと……」


アストリッドは眉をひそめてアイニックに目をやったが、彼は案ずるなと言いたげな目線を返してきた。そこに、骨の鳴るような奇妙な音が響いてくる。どうも、クララの体内かた発せられている音のようだが。


「俺、大人で良かったよ」


痛々しい音に怖気づき、ハーレイはキャットに囁いた。音は次第に激しくなり、クララの呼吸も荒くなった。そして、はたと静かになった。立ち上がったクララは見るからに背が高くなり、十歳ほど年を取ったように見えた。


「あんた、大丈夫?」


仕組みを訝りながら、アストリッドは彼女に声をかけた。


「うーん……変な感じがするけど、平気。行こう」


クララは今にも倒れそうな足取りで湯屋を目指し始め、一同は当惑しながらそれに続いた。


……神秘の里。それは慈しみ、守る天使か。はたまた、踏みにじり、壊す妖か。知る者はおらず、語るべくもあらず。

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