義心
一斉攻撃の指示を受け、マギーはたちまち敵に襲撃を仕掛けた。左手側から来た敵をアストリッドが、右手側のをマンフレッドが同時に殴りつける。アストリッドは腰に備え付けた箱から毒針を取り出し、一番遠くの敵めがけて投げた。それは辛うじて腿に当たり、まもなくごろつきは倒れた。まずは一人。
続いて、掴みかかってこようとした男の胸を短剣で一突き。血が飛び散る前に蹴落とす。ごろつきの女が振り回している剣を短剣で受け流すと、血に濡れた刀身が陽光に眩く輝いた。アストリッドはその場でくるりと回転し、勢い任せに女の首を掻き斬った。次の敵が彼女の元に辿り着くまで数秒ある。
アストリッドはマンフレッドのほうを素早く見やった。彼はものの数秒で迫ってきていた敵を一掃してしまうと、追撃にきていた連中に向かって打って出て、すでに彼らを片付けてしまっていたのだった。しかも、あの杖一本で。彼は自身の後継の様子を確かめ、まだまだだと言いたげに口を曲げた。
早着替えを済ませ、正装に身を包んでいるキャットやハーレイは、もう少し苦戦しているようであった。ハーレイのほうは鉤縄を使った鮮やかな戦いぶりを披露しているのだが、キャットはほとんど乱闘騒ぎに近い。
何せ、周りに貴族たちがいることなどお構いなしで棍棒を振り回し、殴るわ蹴るわで奔放に暴れ回っているのだ。大方、積年の貴族階級に対する恨みをついでに晴らしてやろうとしているのだろう。ハーレイはハーレイで、マヨと弩に続く第三の相棒である拳を繰り出している。彼のほうは、恨みのない人間に間違って攻撃が当たるのが嫌なのだ。
何はともあれ、二人の実力も確かなのであり、すぐに敵を蹴散らしきってしまうのはよくわかっていた。そこで、マンフレッドはふと王女のほうを見た。彼女はアルヴァに庇われて立ちながら、今にも泣きだしそうな顔をしていた。消え入りそうな声で言う。
「ああ、マンフレッド……」
「案ずる必要はございませんぞ、王女殿下。万事、このマンフレッドに―」
そう言いかけた折、彼はティーナが襲撃に対する恐怖以外の何かを感じているのだと悟った。そして彼女も、彼が言外のことを汲み取ったと知った。そのことは、彼女に奇妙な勇気を与えた。彼女は兄の腕を取り、怯えた目を上げた。アルヴァはその目線に気付き、彼女の肩にそっと手を置いた。
「俺がついているよ」
彼は幸福な結末が待っているのを知りながら童話を読み聞かせる大人のような、達観した調子で言った。ティーナは沈黙し、ゆっくりと首を振った。まるで二人の間の秘密のやり取りを誰にも知られまいとするかのような、何とかそれとわかるほど微かな動きであった。
それであった、マンフレッドに王子を冷徹と知らしめたのは。国王の憤激と王女の戦慄の前では、それは誤魔化され、かつ際立っていた。日頃の能天気とはまったく異なるその態度は、何をするにせよ彼が本気であることを示すばかりであった。ふとマンフレッドは考えた。誰に味方するのが最良だろうか、と。
妹の異常を目の当たりにしたアルヴァは、はにかむような表情をした。
「……俺を信じてくれ。良いね?」
「けれど、こんな―」
「お前が恐れることなんて何もない。大丈夫だよ、ティーナ。上手くいくんだ、何もかも」
ティーナは困惑して周囲を見回した。とっくに見慣れた円形劇場に、飾りのような炎が上がっている。観客席で誰かと誰かが取っ組み合っているようだ。その横を何とか通り抜けて、劇場から逃げ出そうとする人々の姿。それを阻もうとする悪党に、誰かが武器を振り下ろした。絶えず動き回るその情景は、王女には静止画に見えた。
背後で、父王がラウルに怒鳴っている声がする。何とかしろ。随分前から、それは国王の口癖になっていた。彼女は振り返り、不思議と瞠目し、その瞳から光を失った。今では悲鳴のほうが大きく聞こえた。
王女は兄に目線を戻そうとして、マンフレッドの姿を目にした。アストリッドを、ひいては劇場全体を見守り、落ち着き払っているこの男。彼女の漆黒の瞳を受けてもなお、彼は泰然として、何一つ助言をくれるようには見えなかった。彼女はようやくアルヴァの眼差しの中に帰ってきた。
「……それは正しいの、お兄様?」
決まっていた答えを吟味し直すような間があった。このとき初めて、アルヴァは当惑した。
「わからない。お前だってきっと正しいんだろうから。ただ、今は俺の傍にいてくれ。どこにも行かず、ただ兄の傍に……俺の言うことがわかるかい?」
ティーナはじっと彼を見つめ、躊躇いがちに頷いた。
何食わぬ足取りで劇場を離れるポメルドット卿の後を、アイニックは同じく何気ない風を装って追っていた。任務の上ではかなり重要な役割を果たしているのは間違いなかったが、彼は大した事情はわかっていなかった。いや、しかし、状況を余すことなく理解していたところで、やることは変わらないのである。結局、彼はマギーの一員ではなく、助っ人に過ぎないのだ。
目標とアイニックは、囁き合いながら劇場から上がる炎を見守っている人々の脇を素通りしていった。ふと、目標が道を折れ、人気のない細い路地に入っていった。博士は数秒後に同じところで曲がった。しかし、見通す限り、その路地に目標はいなかった。
「よもや、撒かれたか……」
アイニックは唸るように呟き、足早に道を進んだ。彼らに追跡すらできないと思われては堪らない。すぐにまた折れるところがあり、そこを勢いのまま曲がろうとして、彼は首筋に何かを突きつけられるのを感じた。足を止め、目だけ動かして確かめると、その物陰には灰色の顔をしたポメルドット卿が立っていた。
「お初にお目にかかります……それとも、顔見知りでしたか?」
彼は小馬鹿にするような調子で言った。アイニックは何も答えなかった。
「貴殿が私をつけ回す理由には、まったく心当たりがないのですがね」
「そうであるなら、我輩が刃を突きつけられなければならない理由にも説明がつかないが」
目標はわざとらしい嘲笑を盾に、なおのこと刃をアイニックに近づけた。後退りたいのはやまやまだったが、そんなことをすれば余計に身を危険に晒すことになるということはわかっていた。目標は丸腰らしい相手に、すでに勝ったつもりでいた。
「私は身の危険を感じているのですよ!明らかではありませんか!」
「結構。であれば、我輩もそちらに倣うとしよう」
アイニックははめていた腕輪を回した。それはかちっと音を立て、次の瞬間、ポメルドット卿めがけて細い糸を放出した。それは網目状に広がり、瞬く間に目標を手中に収めてしまった。目標は慌ててそこから抜け出そうとしたが、その意図は粘っこく身体に纏わりつき、動くほど自由を奪っていくようであった。
「貴様……!私が誰かわかっているのか!?」
慌ててそう喚くポメルドット卿は、物陰にいることも相まって、案外若々しくもないように見えた。
「無論、我輩の標的だ。……うーむ、やはりこれでは動きにくいか」
アイニックはついでに囚われの身となった自身の片手を困ったように見下ろし、目標をほとんど相手にしていないような調子で答えた。学びのない獲物はまだじたばたと暴れている。
「何が目的なんですか!」
「む?ああ、そうであったな。さて、洗いざらい話してもらおう。我輩は君の計画に、この上なく興味をそそられているのだよ」
「計画?何のことです!」
「白を切るか。構わん、我輩は忍耐強くてな」
情報を聞き出すようには言われていなかったものの、アイニックは独断で目標に対する尋問を始めることにした。断片的に知っているマギーの苦境が、彼にも何かしら関係のあることのように思えたのだ。
「彼は君を裏切る気だぞ」
ふとそんな気になって、アイニックはでたらめに言った。ネコとやらのうちの誰かにでも思い当ってくれれば良いと思ったのである。案の定、ポメルドット卿はさっと青ざめた。
「なっ……!」
正しい手札を切ったらしい。それに、この男はどうも悪事には向かない。そういうことをするには、すべてが正直に顔に出過ぎる。大方、金が巡る構造もよく知らずに多額の金を有している、嘆かわしい人間の一人なのだろう。アイニックは残った手札を悠々とかざした。上がりだ。
「ネコを出し抜いてやりたいと、そう思わないかね?」
「これで、終わり……?」
敵襲がぱたりと途絶えた。アストリッドは釈然とせず、思わずアルヴァを顧みようとした。と、雲が太陽を隠し、薄暗くなった劇場が収まりつつある炎に照らされるような形になった。どこか遠くから、低く唸るような音が聞こえる。そして、彼女は一人の声に空を仰ぎ見る。
「おい、何だ、あれ!?」
太陽の特等席を奪ったのは、雲などではなかった。それは飛空艇……それも、このレカンキチではついぞ見ることもできないほどの大きさである。そこから、複数の影が降りてくる。彼ら”ネコ”は舞台を囲うような形で着地した。そして最後に、もう一人分の小さな影が姿を現す。着地の間際、その人影は鞭を振るい、蛇のように俊敏なその尾が、身をかわしたアストリッドの足元を打った。軽く床に降り立った青年は快活に笑った。
「先鋒は全滅?分け前が増えたね、皆」
「何者だ、貴様!」
国王が英雄さながらに怒鳴った。青年はぽかんとして国王に向かって首を傾げる。
「僕?フェリクス。ネコの特攻隊長ってとこかな」
「ネコ……」
鸚鵡返しに呟いたアストリッドに、フェリクスは不満げな顔を向けた。
「何?ネコだって空を飛ぶよ。お月さんだって浮かんでるでしょ?てか君、誰?王族じゃないね。この二人が王子サマと王女サマで、あっちのおっさんがレカンキチ国王だし。兵士でもないし」
彼は一人一人を指さして確認しながら言った。途中でマンフレッドの姿に気付き、人数違いにうんざりしたような顔をする。が、彼の中ではそれも誤差に過ぎない。足りないよりはましである。
「貴様……身の程を弁えろ!」
不遜な迷い猫に、国王は耳まで赤くして怒号を上げた。
「うん、後でね。えーっと、何だっけ。……あ、そうか。王女サマ?ちょっと一緒に来てもらっても良いかな」
フェリクスは無造作にティーナの腕を掴んだ。王女はぞっとしたように腕を引っ込めようとするが、彼の見た目にしては大きい手は力強く、びくともしない。
「やめて……離してちょうだい」
「歩いてくれるんだったら、僕はそれで良いんだけれども。せっかくなんだ、そんな顔してないで楽しみなよ。見世物にされる機会なんて、君みたいな人には滅多に訪れないでしょ?」
「お兄様……!」
ティーナは絶望的に兄を顧みたが、彼は深く息を吸い込んだきり、何の反応も示さなかった。
「さあ、お兄サマもご一緒に。でなきゃ、痛い目見るのはこの子だよ」
フェリクスは空いているほうの手でアルヴァに手招きした。彼の意識がティーナたちに向いている隙に、アストリッドはそっと左手を動かし、毒針の入った箱を探り開けようとした。が、爪が箱に当たった微かな音でフェリクスは振り返り、目にも止まらぬ速さで鞭を振った。二の腕が切れる。
「話、聞いてた?今度はほんとに王女サマを打つからね」
フェリクスはにこやかに言うと、王女の腕を引き、動き出さない王子に怪訝そうな目を向けた。アルヴァはおもむろに歩き始めたが、その凍てつくような眼差しは、この部外者を貫かんとするかのようであった。
「……俺の妹に傷一つでもつけてみろ。無事では済まさないぞ」
「おー、怖。さあ、行きますよっと。あ、君はそこで待機ね。出番はまだだから」
フェリクスは国王に眉を動かしてみせると、楽しげに舞台へと降りていった。アルヴァは無抵抗に後に続いた。そしてアストリッドの前を通り過ぎようとしたとき、低く囁いたのだ。
「火だ」
その意味を問うことなどできない。アストリッドはマンフレッドを見た。彼もまたこちらを見て、小指で小刻みに杖を叩いている。一本指、つまりこれも「待機せよ」という合図である。フェリクスが危害を及ぼせないところまで離れたのを確かめると、国王は猛然と動き出してマンフレッドに詰め寄った。
「マンフレッド、どういうことだ!何のためにお前がいると思っている!?」
「返す言葉もございません、陛下。しかし、あの場で下手に動けば……いえ、我々の過失と認めざるを得ませぬ」
「あの小僧を止められぬなら、わかっているだろうな?」
もちろん、馘だという意味である。マンフレッドは見るからに上の空で頷いた。
「ええ、ええ。必ずや止めてみせましょう。何、どうとでもなりますとも。ネコも空を飛ぶ時代なら……」
最早、彼の心は離れている。国王が知らなかったのは、高い忠誠心を持つこの男がレカンキチ王家に対して跪いているのであり、決してこの国王ばかりを特別に思っているわけではないということだった。そのことに気付いたとしても、今となっては手遅れか。フェリクスの声が下から響いてくる。
「ちょっと、誰が小僧だって?次そうやってうるさく喚いたら、この二人を打っちゃうよ。……あーあ。ほんと、耳障りだ。ね、皆?」
と、彼は唖然としている民衆に向かって問いかけた。この異常事態にも、彼らはどこか冷静だった。それが嵐の過ぎる前なのか後なのかは、とても判断できることではない。確かなのは、彼らがこの場はすべて収まると信じていることだった。何故なら、ここは気高き父の統べるレカンキチ王家なのだから。彼らは息を殺して舞台を見守る。怯えているのは、ティーナただ一人だった。
「さて、レカンキチ国民の皆、どうも初めまして。僕はフェリクス。どうぞよろしく。君たちより低い場所にいるから、頭は下げなくて良いよね?じゃ、本題に入ろう」
フェリクスは二人の王族の後ろに回った。身をすくめて振り返るティーナを、彼は前を向いているようにと手であしらう。ティーナは兄の横顔を見つめた。アルヴァは横目で彼女の目線に応え、小さく頷いた。それが何の意味を持つというのだろう?せめて突き放してしまえば良いものを。
「僕、王族ってのは嫌いなんだよ。偶然生まれただけのくせに、偉そうでしょ?」
その問いかけには、非難するようなざわめきが起こった。フェリクスは眉をひそめて鞭を地面に打ちつけた。鋭いその音に、人々は一斉に黙り込む。
「やりづらいな。で、何だっけ……そうだ、僕、気に食わないんだよ。さっきも言ったっけ?ま、だから、ちょっと反抗してみたくてさ。ここに二人調達したってわけ」
彼は背後から二人の肩に手を置いた。ティーナは跳ね上がる勢いで反応した。アルヴァのほうはほとんど動かなかったが、数秒をかけて何か邪悪なものを感じ取ったかのように、小さく身を震わせた。フェリクスが持っていた鞭が身体に触れたからかもしれない。
「この人たちが泣くまで鞭で虐めても良いんだけど、それじゃちょっと面白くなくてさ。飽きたんだよね、そういうの。だから、こうしようと思うんだ」
フェリクスは腰に下げていた二本の短刀を抜き取ると、先ほどまで手を置いていた二人の肩に、目にも止まらぬ速さでそれを突き刺した。二人の息の詰まったような呻きが響き、それに呼応するように人々ははっと息を呑んだ。
「毒を塗っておいたんだ。これで手っ取り早く済むから」
その言葉を聞いて初めて、アルヴァは愕然と秘密の共謀者を振り返った。
「貴様!」
そう唸るように言ったとき、隣でティーナが膝から崩れ落ちる。彼女は荒い呼吸をして、青い顔で兄を見上げた。
「お兄様……?」
このことも知っていたのかと、彼女は暗に問うた。何か否定しようとして、アルヴァもまた立っているのもままならなくなり、膝をついた。湧き上がるような悲鳴が巻き起こり、その中に国王の怒号が混じる。フェリクスはもう一度鞭を振るわなくてはならなかった。
「ま、聞きなよ。ここに解毒剤がある。ちょっとこぼしちゃってさ、一人分くらいにしかならないんだけど。僕としては、これを二人のうちのどっちかにあげても良い。と、いうわけだから……」
フェリクスは満面の笑みで振り返り、毒を呑んで死にかけているかのような顔つきの国王を仰ぎ見た。
「決めてもらおうと思うんだ、あのおっさんにさ」
ありがちな展開で甚だスマンサタバサ




