日常
≪親愛なる葬儀屋 マギー
“オオカミ”の頭を取ってこい。上手く事が進んだ暁には、五百万の支払いを約束しよう。悪い話ではあるまい?期限は三日後の夕暮れ、失敗すれば報酬は出さない。吉報を待つ。≫
「ふむ!」
手紙を読み終えると、マンフレッドは仰々しく言った。それは、今からこの手紙に文句をつけるという合図になりつつあった。もちろん、本人にその自覚はない。
「第一に、五百万というのは我々を雇う場合に、特に賊の頭を取りに行かせるような場合に支払われる相場の半分にも満たない。第二に、失敗した場合、我々は初めから支払いを求めることはない。第三に、吉報を待つというのは……ふむ、これは良かろう。えー、第三に、差出人を書かないのは、我々に対する侮辱である」
「暗殺の依頼を出すのに、わざわざ名乗るわけがないじゃないの、団長」
キャットがその長い脚を優美に揺らしながら言った。マンフレッドは鼻を鳴らした。
「どうせ、差出人の正体については調べがついている。問題はない」
物陰からレオが言うと、その双子の弟アーウィンが顔を輝かせた。
「俺が突き止めたんだぜ!」
「いや、俺だ」
と、すかさずレオ。また些細な口論が始まったが、団員の誰も今更そのことに注意を払わない。
「オオカミって、最近ターバを荒らしてるあのちっちゃい悪党集団だよね?」
アストリッドは双子の言い争いに負けじと声を張って尋ねた。すると、途端に彼らは口論を止めた。あまり長く続けると、詳細を話す前に皆が解散してしまうことを思い出したらしい。レオは咳払いをした。
「ああ。頭……つまり、今回の標的はマドックという男で、噂によりゃ、どういうわけか火を吹くらしい。本当かどうか知らないけどな」
「オオカミなのに?鎖も引きちぎるのかしらね」
キャットが適当な横やりを入れると、アーウィンはぽかんとして彼女を見た。
「奴は人間だぜ、キャット」
彼は言った。キャットはアストリッドに向かってぐるりと目玉を回してみせた。これだから!
「殺さないで、うちの曲芸師にしたほうが良いかも。そのほうが儲かるんじゃない?」
ハーレイはそう言って、健気に微笑した。彼は長い髪を編み下ろし、目元を彩るのが標準装備であった。その姿は女性と見紛うほど華やかだが、素行のほうはどちらかというと粗野である。アストリッドは彼を振り返った。
「駄目だよ。私たち、もう一人雇う余裕なんかないでしょ。支払いだって待ってられないのにさ」
彼は考え込むように口元を引き結び、愛猫である虎のマヨを撫でた。
「差出人がわかってるなら、マギーはそんなに安い女じゃないって言ってやったら?」
「悪くないわね」
キャットはにやりと笑って同調した。
「その差出人って誰なの?」
アストリッドはアーウィンに尋ねた。彼にも花を持たせてやろうとしたのである。突然の指名に、彼は戸惑ったように頬を掻いた。
「えっ?えーと、誰だったっけ、兄貴……あー!待った、思い出したぜ!差出人は、カラスのグウェンドリンだ。カラスの幹部で、最高の女さ」
恍惚と言うアーウィンに白い目を送ってから、アストリッドは真偽を問うようにレオを見た。彼は頷いた。どうやら、彼の弟が出した情報は正しいらしい。それにしても、レオは一体どこまでを肯定したのやら。キャットががっかりしてため息をついた。
「女の価値を一番よくわかってるのは女よね。―それで、団長?どうするのかしら?」
「何だ?」
マンフレッドは仏頂面をして、目も上げずに言った。その目線の先では、例の手紙の流麗なる筆跡が躍っている。
「やるの、やらないの?」
キャットは呆れたように尋ね、ゆっくりと腰を反らした。その動き一つ取っても、彼女が世に二人といない踊り子であることに疑いの余地はない。マンフレッドは彼女を気にも留めず、手紙に皺を作った。
「五百万!五百万だと!?」
「ねえ、フレッド。確かに舐められてる額だけど、これは久々の仕事で、私たちのお金は底を尽きそうなんだよ。うだうだ言ってられないんじゃないの?」
アストリッドにそう言われてもなお、マンフレッドは小声で文句を並べ、神経質そうに杖を打ち鳴らしている。マギーが軽んじられることは、彼にとって我慢ならないのである。
「虫を潰すくらい簡単な依頼だ。むしろ、五百も貰えるほうが驚きじゃないのか?」
そう言って、レオは欠伸を噛み殺した。目の前で眠そうにされることを、マンフレッドがひどく嫌うからだ。代わりにマヨが欠伸をした。案の定、団長はきっとしてその虎を睨みつける。
「その猫の目を覚まさせろ、ハーレイ」
「うーん……あ、そうだ。カッパーさんにやらせようよ。俺たちは、あの人がいつ戻ってくるか、賭けをして待つの」
彼はマンフレッドの小言などまるで聞いていなかった。
「戻ってこないのに賭けるぜ、俺は!」
アーウィンが嬉々として言うと、キャットが笑った。
「私も」
「どうかな、あの人なら秘密兵器くらい持ってそうなもんだけど」
アストリッドは謎めいた発明品の山を思い浮かべながら言った。レオが頷く。
「ああ。俺は一日もかけずに戻ってくるのに賭ける」
「一日はかかるよ。どう見たって運動不足だもん」
「アストとレオが不利だから、やっぱり戻ってくるかどうか、にしようか?」
ハーレイが言ったとき、彼らの背後から大きな咳払いが聞こえてきた。振り返ると、そこには件の博士、アイニックが立っていた。アストリッドは片手を上げた。
「やあ、アイニック」
「カッパー博士と呼びなさい、アストリッド。その名で呼ばれるのは好かんと、何度言ったらわかる?」
アイニックは顔をしかめて言った。ハーレイがマヨ越しに身を乗り出す。
「カッパーさん、火を吹く犬なら研究したいよね?」
「犬であればな。しかし、君たちの話しているのは、小細工を使った人間のことであろう」
彼の答えに、アーウィンは目に見えてがっかりしたようだった。本気で行ってもらうつもりでいたのだ。
「何だよ、じゃあ行ってきてくれないのか?」
「我輩にマギーにかまけている暇などない」
「かまけ方だって知らないでしょ」
キャットは意味深に言い、アストリッドに目配せした。頭の回るのが早いこと。アストリッドは笑いを押し殺した。そこへ、入り口の布をめくって、道化師ベッファが天幕に入って来た。
「もうお客が来てるんだァよ!」
キャットは素早く立ち上がった。
「あら、いけない!着替えてこなくちゃ。間に合うかしら?」
「フレッドがすっごい面白い前口上を披露してくれるから大丈夫でしょ」
アストリッドはからかうように言った。キャットは短く息を吐いて嘲笑の代わりにすると、慌ただしく幕の裏に飛び込んでいった。床に座ったままのハーレイが、依然としてぶつぶつ言っているマンフレッドを見上げる。
「見て、アスト。無理そうだよ」
「そんなら、俺たちに任せろよ!ついこの間、新しい芸を思いついたんだぜ!な、兄貴?」
アーウィンが興奮して言うのに、レオは冷めた目線を返す。
「お前が勝手に言っているだけだろ」
「それってどういうの?」
アストリッドは尋ねた。すると、待ってましたと言わんばかりにアーウィンはしたり顔をした。
「二人でキャットかハーレイの靴を履いて、で、いつも通り兄貴が俺の肩に乗って、二人で手玉をするんだ!大うけ間違いなしだろ?」
「随分高度なぼけだね」
アストリッドはろくに相手をする気もなく答えた。幕の後ろからキャットが大声を上げる。
「私はお断りよ!」
「俺も嫌」
ハーレイが呟き、レオはそれ見ろと言いたげに肩をすくめた。アストリッドは薄い笑みを浮かべて双子を見た。
「いいからいつも通りやってよね」
そう言われると、二人はおざなりな返事をしながら、準備のために裏に行こうと幕をくぐった。直後、キャットの怒声が聞こえ、投げつけられた小道具と共に二人は慌てて戻ってきた。
「何回やれば気が済むの?」
アストリッドは呆れ半分、愉快半分といった様子で言った。レオはマンフレッドに歩み寄り、納得がいかない様子で裏のほうを指さした。
「おい、団長!いい加減、キャットの個室を作るべきじゃないか?おちおち支度もできないぞ」
「聞いちゃいないぜ、兄貴!」
アーウィンはマンフレッドを横目に肩をすくめた。目の前に転がってきた大きな投げ輪を手に取り、ハーレイがにっこりと笑う。
「ついてるね」
自身の小道具を取りに行く手間が省けて満悦らしい。アストリッドはいつまでも動こうとしないマンフレッドを見てため息をつき、彼の肩を揺すった。
「フレッド、マギーのことは後で良いって。本業が始まりますよー」
「ふむ!本業か!私の本業は暗殺稼業のほうだが」
「知ったこっちゃないよ、そんなの」
むっとしたアストリッドは、やれやれと首を振りながら彼に背を向けた。入り口からベッファが顔だけを出して言う。
「もうお客を入れるんだァよ!」
「お前がもっと早く言ってくれていれば、いつもこんなに慌ただしくならないで済むんだがな」
レオが低く呟いたのに対し、ベッファは実に道化らしくとぼけてみせた。レオは悪態をつきながらも、口の端を持ち上げた。ようやく立ち上がったハーレイが裏に続く幕を見やる。
「でも俺たち、まだ入れないんじゃないの?」
「もう良いわよ」
幕をめくって顔を出しながらキャットが言った。
「間に合ったじゃん、キャット」
アストリッドが言うと、踊り子は下唇を突き出して肩をすくめた。
「そりゃ、着替えはね。まだやることは山ほどあるのよ」
「そのままでも良いのに」
何気なく言うアストリッドにキャットは微笑して目配せすると、再び裏に引っ込んだ。一同はぞろぞろと幕をくぐり、黙って立ち尽くしていたアイニックもそれに続いた。その様が団の一員のようだったので、アストリッドは彼をからかってやる気になった。いや、いつでもその気なのだが。
「アイニック、火吹き芸でもやったら?」
彼は眉をひそめ、彼とハーレイの間を大人しく歩いているマヨを指さした。
「断る。その猫にでもやらせれば良かろう」
「マヨは火が嫌いだもん。ね、マヨ」
ハーレイはつんとして言い、その調子に合わせるように、マヨが短く鳴いた。