7.賢者は龍の化身の過去を問い質す
「"隔音屏障"♪」
元・天龍号だったティエンと名乗る女性が印を結んで何やら呟いた瞬間、ユーティたちのテーブル周辺が全くの無音になってしまった。
「"静寂"? いや、私たちまで無音になったわけではないな」
風の精霊による"静寂"の魔法の場合、一定範囲内の音が完全になくなってしまう。しかし、彼女が使った術は、中と外は遮断しているが、中では普通に音が伝わっているように聞こえた。
「音だけを遮断する結界を張りましたぁ。音以外は妨害していないので、外から見ると私たちの音が聞こえないだけに見えると思いますよぉ?」
「これは、東方の仙術、なのかな?」
「はぁい、その通りですぅ」
その回答を聞いたシャテルがティエンに質問する。
「では、おんしは仙人……いや、仙女なのかの?」
「うーん、ちょっと違いますねぇ。私はぁ――」
ティエンの話によると、彼女は元々、極東の絹の国に住んでいた、龍の化身と言う事だった。
彼女曰く「ちょっとばかりぃ、やらかしちゃいましたぁ」の、結果、天帝の裁きにより、馬にその姿を変えられてしまったそうだ。
そしてまず、馬の姿の解除条件は、今日再現できた通り、馬としての彼女に口づけをする人間が出てくる事だった。
「お仕置きにはまだ、続きがあるんですぅ」
それは、彼女を解放した人間が天寿を全うするまで、その人間に仕える事。そして、その人間の魂を携えて初めて、天界への帰参が叶うとの事だった。
「何をやらかせば、それほど強烈な罰が与えられるのでしょう?」
「うふふ、乙女の秘密ですぅ」
「は、はぁ……」
ため息交じりに感想を述べたアマリエに対して、満面の笑みで誤魔化していた。
「そんな訳でぇ、私の唇を奪ったユーティ様を旦那様として、お仕えさせて頂きますねぇ?」
「え、ちょっ……」
「ユーティ様が、く、唇を、奪った……?」
アマリエの声に、ユーティはぎぎぎと言った感じで彼女の方に振り向いた。少しうつむき加減で前髪が邪魔をしていて、彼女の表情は見えないが、少しぷるぷるしているようだ。その姿を見たユーティは、狼狽えた声を上げる。
「ま、待て、アマリエくん。それはシャテルが提案した解除条件で……ティエン、詳しく説明してくれ!」
助けを求めたユーティは慌ててティエンの方を向いたのだが、彼女は完全に余所見をしていた。彼女の目に料理を持った給仕娘の姿が入ったのだろう。あっと言う間に結界を解除し、大声を上げて手をぶんぶん振りながら給仕娘に主張し始めていた。腕を振る度に彼女の胸までぶるんぶるんと揺れているが、流石にそれに気を取られるような状態ではないユーティである。
「あ、料理はぁ、こちらですぅ! 早く早くぅ」
「はぁい、お待たせしましたぁ。羊肉の串焼きに、子羊のシチュー、メスクランサラダにバゲットでぇす♪」
結界は解かれているし、給仕娘が配膳中なので、流石に騒ぎを起こすことはない。その代わり、アマリエはユーティの耳元で小さく低い声で囁いたのだった。
「後で、詳しく、聞かせてくださいね?」
「あ、あぁ」
ユーティは、小さくカクカクと肯くばかりだった。まずい、これは凄くまずい。
◇ ◇ ◇
「それでは、ごゆっくりぃ♪」
給仕が一礼して去って行くと、ユーティは慌ててティエンに助け船を求めた。
「ティ、ティエン。馬からの解除条件を、アマリエくんにもう少し詳しく説明して欲しいのだが……」
「えー、解除条件ですかぁ?」
と言いつつもティエンは、じ――――――――っと指をくわえて、串焼きを見詰めている。
「…………」
話し始めるのかと思ったら、ひたすら見詰めている。
「ティエン?」
「あ、はい? 何の話でしたっけぇ?」
(だめだこれは、話を聞いてない……)
先に説明してもらう事を諦めたユーティは、恐る恐る提案する。
「と、とりあえず、先にいただく事にしようか。冷めると勿体ない。あ、アマリエくんも、そういう事で良いかな?」
ユーティの声に、アマリエは少し考えたが、ティエンの様子を見て少し苦笑を漏らす。それと共に、彼女が身に纏っていた緊張感がほぐれ、和やかな気配に移り変わった。
「そうですね。せっかくの特産料理、美味しく頂きましょう」
どうやらとりあえず許して貰えたようだ。ユーティは内心胸をなで下ろすと、手を一つ叩いて食事の開始を宣言する。
「それでは、いただきます」
「うむ、いただきま「はぁい、いただきまぁすぅ!」
ティエンはシャテルの言葉を食う勢いで言ったかと思うと、すかさず羊肉の串焼きを手に取った。それはもううっとりとした表情で、まるで宝飾品を見るような目つきで肉を眺めている。
「うふふふふふ……お肉……お肉……何十年振りなんだろう……ずっとニンジンや牧草ばっかり……」
そして、ワイルドに串に刺さった羊肉に直接かぶりつき、口で咥えたまま串から抜いてしまう。もっきゅもっきゅと咀嚼した後にごくりと飲み込んで、目をつぶって頬に手をやり、官能的な声を上げる。
「あああああぁん……太くて大きくて、肉汁が口から溢れそうですぅ……感動の涙がこぼれ落ちますぅ」
色気たっぷりの食べ方は、周囲の視線を独り占めしているようだ。それに伴い、周囲のテーブルから串焼きを注文する声が上がり始めているようにも見えた。
一方、ユーティ達はと言うと――
「特産料理と言うだけに、なかなかの物ですね」
「この辺りは羊肉料理で有名じゃからのう」
「すまないシャテル、そこの塩を取ってくれないか?」
「うむ、これじゃな?」
ひたすら目立ちながら自分の世界に籠もって食べ続けるティエンを隠れ蓑に、目立つこと無く食事を取る事ができていた。
「さっきのキスの件じゃがな、あれはうちの提案でな、かくがくしかじか、と言う訳じゃ」
「まあ、そういう訳があったんですか。ユーティ様もおっしゃって頂ければ」
(私が説明しても、納得してくれていたかなぁ……?)
なお、シャテルの助けでアマリエの誤解も解けたようであり、ユーティは密かに胸をなで下ろしていたのだった。