2.賢者はメイドに睨まれる
盗賊団に囲まれたユーティとアマリエの前に、突如空から降り立ったハイエルフの少女。彼女は馬上のユーティにいきなり抱きついてきたのだった。
「おんし、ほんに変わらんのう! うちより変わらんとは驚きじゃ!」
「久しぶりだね、シャテル。君は少し大きくなったかな?」
ユーティにのしかかってきた肢体、それは記憶に残るそれより大きくなり、そして、女性特有の柔らかさを身につけ始めていた。ユーティはその柔らかさに一瞬動揺してしまったが、変に意識しても不味かろうと考え、あくまで邪気の無い笑顔を見せておく。それよりも、自身に投げかけられているアマリエの視線の方が怖かった。
アマリエはユーティと彼に抱きついている少女、シャテルの姿を見て、何か言いたげな視線を投げかけていた。しかしそれも一瞬で、まずは喫緊の課題である盗賊団の方に向き直り、彼らに対する警戒に戻って行く。
そして、ようやく衝撃から脱した盗賊団の親分が、シャテルを怒鳴りつけたのだった。
「な……な、な、なんだ、てめぇは!?」
シャテルもその声を聞いて、初めてその存在に気がついたように振り向き、周りの盗賊共を睨めつける。
「なんじゃ、おんしらは?」
「なんじゃ、おんしらは、だとぉ!? まあ、そう問われれば、答えてやるのが世の情けだぁな。――よく聞けぇ! 俺たちこそ泣く子も黙る"紅き鋼の盗賊団"よ!」
芝居がかった調子で口上を述べた親分は、びしっと人差し指をシャテルに向けて宣言した。
「あんたが何者か知らんが、飛んで火に入る夏の虫よ。おとなしく俺たちに捕まって売り飛ばされて貰おうか!」
「ほうほう、おんしら盗賊なんじゃの。――で、あれば。やる事はただ一つじゃ」
深々と頷いたシャテルは、おもむろに右手を挙げると、特徴のある節で詠唱を始めた。
「"汝、8本の脚を持つ者。オーディンが愛馬にして滑るが如く駆ける者。父祖と汝が契約により、ここに現れ我が命に従うべし"――いでよ、スレイプニル!」
言葉に応じて、シャテルの目前の空間がいきなり光ったかと思うと、そこには虚空から出現した巨大な馬が、周囲を睥睨するかのように雄々しく立っていた。
それは馬と言っていいのすら分からない。その普通の馬の3倍近い大きさを持ち、その脚は途中でそれぞれ2本ずつ枝分かれしており、合計8本も生えていた。黒光りする身体に、そのたてがみは銀色に神々しく光っている。
「なっ……!?」
盗賊共は突如現れた巨大な神馬に、あっけにとられている。そこへシャテルは容赦無く命令を下したのだった。
「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んでしまうと良いのじゃ! スレイプニルよ、この男共を蹴り飛ばしてしまえ!」
その後は一瞬だった。
巨大な神馬の突進に、盗賊共はなすすべ無く蹴倒され、蹂躙され、撥ね飛ばされていった。
すべて片付くと、スレイプニルはシャテルに近づき、褒めて欲しいかのように、首を屈めてすり寄せていった。
「ご苦労じゃった。もう帰って良いぞ」
シャテルがその首筋を何度かなでると、スレイプニルは嬉しそうにいなないた後、再び輝いて光の中に吸い込まれていったのだった。
◇ ◇ ◇
「あの、ユーティ様」
アマリエの声に、彼女と目を合わせたユーティは、内心冷や汗を垂らした。いや、別にやましい事は無いのだけれど、その切れ長の目でじっと見られていると、なぜか気圧されてしまう。
「あ、アマリエくん。なんだか、睨んでないかな?」
「可愛らしいお嬢様に抱きつかれて嬉しそうですね、とは思いますが、気のせいではないでしょうか? ――ところで、そちらの方は?」
ユーティは抱きついているシャテルに目を向けると、彼女の肩をポンポンと軽く叩いた。
「あ、ああ……シャテル。とりあえず一度降りてもらえるかな?」
「ふーむ、名残惜しいが、仕方ないのう」
シャテルは渋々離れて馬から下りる。ユーティもそれに続いて下り、アマリエと3人で向き合う形となった。
ユーティは一つ咳払いをするとアマリエに対して、シャテルを指し示した。
「あー、こちらの女性は、魔術師のシャテル・リンチさんだ」
「シャテルじゃ。以前、ユウのパーティメンバーをしておった」
スカートの端をつまんで正規の礼を取るシャテルに、アマリエも頭を下げて応じたが、聞いたことがある名前に驚いて顔を上げる。
「ご紹介ありがとうございます。――シャテルさま、というと、あの五英雄の?」
「ほう、知っておるのか?」
興味深そうな表情を見せるシャテルに、アマリエは微笑みを浮かべて返す。
「王国に住んでいて、五英雄を知らない人はおりませんよ。特に、先程の……神馬スレイプニル。シャテル様の他に、何人とがこの神馬を召喚できましょう?」
アマリエは節をつけて、幼い頃に聞かされていた一節を歌ってみた。
「"混沌の軍勢を破りし五英雄、一人は召喚術士にして魔術師。可憐な少女の身でありながら、数多の神の眷属を使役し、太古より伝わりし魔の秘術を行使するハイエルフ、その名はシャテル"」
それを聞いたシャテルは、少し恥ずかしそうに笑いながら首を振る。
「ほっほ、可憐な少女とな。うちが隠棲しとる間に、そんな詩までできとったんじゃのう。――ところで、おんしの名は?」
「アマリエ・フェイと申します。ユーティ様とは、生活を共にさせていただいております」
「なん……じゃと?」
にこやかに挨拶するアマリエだったが、その言葉を聞いたシャテルはびしっと固まってしまったのだった。