捨てられた醜い公女様と森の狼男
ハーゲン王国は深い森に囲まれた小国である。
周辺の森はワイバーンも飛ぶのを躊躇するという人跡未踏の【魔の森】と呼ばれる大森林であり、またこの国自体が鎖国政策を取っていることから(当事者の主観ではその気はないが、周辺国ではまれに使者を派遣しても這う這うの体で追い返されることから存在しないものとして放置している)、独自の政治、価値観、風習が根付いた特殊な土地柄だった。
その国にいる三人の公爵のひとり、若くして当主となったスキーンズ公爵に待望の第一子が生まれた時、立ち会った産婆は息を飲み。生まれたばかりの我が子――娘――を一目見た奥方は、ショックのあまり気絶したという。
豪胆と謳われたスキーンズ公爵でさえ、
「バケモノ……!」
と呻き、我が子を抱くこともせずに正気を保つためにボトル一本の酒を必要とした。
小一時間がどうにか気持ちの折り合いを付けたスキーンズ公爵は、産婆に大金を渡してこの醜聞を口外しないことを約束させ、立ち会ったメイドたちにも徹底的な緘口令を敷いて言い放った。
「我が子がこのような獣のような姿をした醜いバケモノであることは絶対の秘密である。もし口外する者がいれば――」
即座に首を刎ねるジェスチャーを示し、実際に口の軽いという噂のメイドと、その恋人であったパン屋の青年の生首を晒しものにして、誇張ではないことを喧伝する。
「「「「「――ひっ……!!」」」」」
「事もあろうにペラペラと部外者に秘密を洩らした愚か者の成れの果てだ。この姿をよく瞼に焼き付けて肝に銘じておくがいい!!」
一罰百戒――ひとりを見せしめに殺すことで、その他大勢の見せしめにすることを地で行ったスキーンズ公爵の苛烈さと本気度にそそけ立つ家人たち。
「それで、その……生まれたお嬢様はどのような対応をすれば……?」
公爵家に古くから使える家令の問いかけに、しばし煩悶してからスキーンズ公爵は答えた。
「……隠すしかないだろうな。幸い隠そうと思えば隠せる異形だ。奥に次の子か継嗣が生まれるまで秘中の秘として隠し通すしかあるまい」
本来ならすぐに「殺せ!」と言いたいところであるが、現在のスキーンズ公爵は前公爵の直系長女である妻に婿入りした親戚筋の血筋でしかない。
いわば借り物の公爵位についているだけである。結婚してからも一年程度しかないだけあって、古参の家臣や使用人には強く出られないところがあった。
バケモノのような姿をしているとはいえ、仮にもスキーンズ公爵家の直系血族。これを軽々として殺せ……とは言えない立場の現スキーンズ公爵。
そのため妥協点としてそう口に出したのだが、やはり後になって死産ということにしておいてさっさと始末してしまえばよかったと後悔することになったのであった……。
その後、産後の肥立ちが悪いところへ精神的なストレスが重なって、半年ほどで儚く逝ったスキーンズ公爵夫人。
一年と経たずに後妻を娶り、新たに五体満足な娘と息子に恵まれたスキーンズ公爵ではあったものの、これによってスキーンズ公爵家直系の血筋は忌まわしき長女にしか残らなくなり、やむなく別館に半ば幽閉しながら生存を許可することとなった。
「まあバケモノとは言え体は普通の娘と変わらん。適当な貴族の次男、三男あたりを婿という形であてがって、まともな子供が生まれれば由、そうでなければ今度こそ……」
古くからの使用人をシャーロットと適当に名付けた娘を軟禁してある別館勤めにさせ、すっかり公爵家の実権を握って愛する後妻とふたりの子供たちとの生活を満喫しながら、皮算用を弾いていたのだが、どっこい所詮は傍流の小倅。
公爵家に仕える古参の使用人の実力とお家に対する忠誠心、何より亡くなった前夫人の血脈と顔の広さを全く理解していなかった。
「なんでーっ!? なんでシャーロットが第一王子の婚約者に内定するんだ?! エミリエンヌの間違いじゃないのかっ!?!」
執務室で王宮からの使者が携えてきた書類を前に、しばし幽体離脱していたスキーンズ公爵が我に返って秘書官に喚き散らす。
使者が読み上げている最中に錯乱しなかったのは勿怪の幸いだったな、と内心で安堵しながら首を横に振る秘書官。
「いえ、間違いなくシャーロット嬢をご指名です。なんでも亡き前夫人と王妃陛下とは親友同士で、お互いの子供同士を結婚させようと約束していたそうでして」
「だったらエミリエンヌでいいじゃん! そっちに交換するように打診できないか?」
王命に対して無茶を言う主を必死に宥める秘書官。
「エミリエンヌ様は公爵閣下の御息女でありますが、前夫人の血をひかれたスキーンズ公爵家の御令嬢と言えばシャーロット嬢ただおひとりです。この場合は他に選択の余地はないかと……。それに例の件さえ隠し通せば、シャーロット嬢はなかなかの美貌ですし、王家に嫁入りするとなれば公爵閣下の地盤も固まりますし、何より彼女に婿を取らせてスキーンズ公爵の次代を担わせようという身内も文句を言えず、閣下の一粒種であるレオナルド様を後継者に指名する障害が消えるものかと愚考いたしますが」
「むう……確かに、目障りなバケモノを放逐した上で、こちらはメリットしかないか」
立て板に水の説得を受けて、しばし呻吟するスキーンズ公爵。
王命な時点で反論の余地はないのだが――自分を蔑ろにしていた(あくまで僻み)前妻と、その負の遺産とも言うべきバケモノ長女を形の上だけでも祝福しないわけにはいかない――心理的なところで納得できないのだろう。
ともあれシャーロット嬢七歳の時に第一王子との婚約が決定したのだった。
そしてシャーロット嬢の秘密はより入念に隠されたのだが……世の中、秘密というものは暴こうと思えば暴かれるものである。
「シャーロット嬢、よくも十年もの間余をたばかってくれたな! 貴様の正体が世にもおぞましい狼女であることは明白っ。証拠も証人も……何よりも身内であるエミリエンヌ嬢の証言がある! 貴様のようなバケモノとの婚約など即刻破棄して、美しくも聡明で勇気あるエミリエンヌ嬢を余の新たな婚約者とすることを、余はこの場で宣言するものである!!」
婚約から十年目のその日、王家主催のパーティ会場にマルデアホ第一王子の怒号が響き渡った。
聞こえてきたその内容に仰天しながら招待客たちが見つめるその先では、マルデアホ第一王子がスキーンズ公爵の次女エミリエンヌ嬢を抱きかかえるようにして、長年の婚約者である――であったシャーロット嬢を、蛇蝎を見るような目で糾弾している様子が目に入る。
おそらくは証拠と証人なのだろう。使い込まれたカミソリとハサミ、そして気味の悪い髪の毛の山が積まれ、
「ええ、間違いございません。シャーロット様は生まれつきの狼女でございます。
皺くちゃの老女――彼女を取り上げたという産婆――が悪びれることなく証言していた。
「…………」
蒼白な顔でわなわなと震えるシャーロット嬢。
思いがけない成り行きに相変わらず優柔不断に混乱するスキーンズ公爵だが、随員として同行してきた秘書官に、
「この際、あの老女と別館の使用人たちがグルということにしてトカゲの尻尾切りをしてはいかがですか? いずれにしてもエミリエンヌ様が将来の王妃となれば、閣下にとっても万々歳でしょうし」
そう囁かれて、なるほどそれこそがベストな解決方法だなと思い直して、後の処理を秘書官に任せて鷹揚に構えるのだった。
その後、騒ぎを収めた国王陛下の判断により、事実の確認のためにシャーロット嬢は拘束されて貴族専用の牢にいれられ――外出ができないのと刃物が使えない以外はなに不自由ない生活が送れる――一月の経過観察処分を言い渡された。
そして一月後――。
引き立てられて衆人環視の前に出てきたシャーロット嬢の姿は世にもおぞましい、まごうことない獣のような姿であり、気の弱い女性などはその場で気絶するほどであった。
これによってマルデアホ第一王子の主張は全面的に受け入れられ、エミリエンヌ嬢が次なる婚約者に決定したのである。
なお、この一月の間に事前に根回しをしていたスキーンズ公爵(の秘書官たち)によって、公爵家から籍を抜かれていたシャーロット嬢は平民の罪人として、粗末な麻のワンピースひとつに素足で【魔の森】へと放逐されることになった。
「狼女には相応しい処遇だな!」
「本当に。せいぜい狼男とつがいにでもなってお幸せにね、元お姉様」
下衆な笑いを湛えたマルデアホ第一王子の罵声と、嘲笑を隠しもしない元異母妹の別離の声を聞きながら、目隠しをされ手足を縛られ荷物のように屈強な騎士に担がれて森の奥へと捨てられに行くシャーロット。
項垂れ反論する気力もない。
そうしてどれくらい運ばれただろうか、深い森の崖の上からシャーロットを投げ捨てた騎士たちは、長居は無用と来た道を引き返すのだった。
そのシャーロットだが、思いのほか斜面がなだらかで柔らかな木や草が生えていたお陰で怪我らしい怪我もなく地面に落下し、しばらく呆然としていたが、はずみで手足を縛っていたロープが外れたのに気づいて目隠しを取った。
見上げれば比較的なだらかとはいえ、籠の鳥であった貴族令嬢に這い上がれるような崖と高さではない。
それに万一戻ったとしても、今度こそ念入りに殺されるだろう。
かと言って【魔の森】のどこかもわからないこの場にいても、魔物に襲われるか、飢えと渇きで苦しみ死ぬかの二択しかない。
「……どこで間違えたのだろう」
思わず自問するシャーロット。
せめてスキーンズ公爵家の名を辱めないよう、マルデアホ第一王子の足を引っ張らないように必死に貴族教育も王妃教育もこなしてきたはずである。
だがどれだけ努力しても、父も義母も異母妹弟も自分を忌々し気に視界に入れるのも嫌だとばかり無視をして、その上マルデアホ第一王子も、
「女の分際で余を立てようという気がないのか!?」
と教師陣が彼女を褒め、引き合いに王子の成績を引き合いに出せば癇癪を起こす始末であった。
「……つまるところ、生まれてきたのが間違いなのね」
おぞましい狼女。
そうであるなら確かにこのまま森で朽ち果てるのが道理であろう。
そう諦観とともに生に対する執着を捨てて、無駄な抵抗を諦めかけたシャーロットの背後に広がる森の藪がにわかに騒々しく音を立てて、何かが這い出してきた。
森の魔物が獲物を見つけてやってきたのだろう。
そうぼんやりと思って振り返ったシャーロットの青い目が大きく開いた。
「お……狼男っ!!!」
その場にいたのはまさしく伝聞に聞く狼男――毛皮の服を着て、目まで隠れる長い髪、顔いっぱいを覆う髭を蓄えた獣人である。
自分のような半端な姿ではない。正真正銘の怪物を前にして、捨てたはずの命ではあるものの、本能的な恐怖から震えるシャーロットであった。
と、両手に弓矢を構え、腰には意外なほど流麗な剣を佩いた狼男が、シャーロットをまじまじと見据えて、ややあってから感に堪えないとばかり、意外と若い男性の声で独り言ちた。
「……なんとまあ。あの国の兵士が動き回っているという報告を受けて偵察に来てみれば、まさかこんなところで麗しい森の妖精……いや、姫君に出くわすとは」
「――は?」
この姿の自分を見て『おぞましい』『バケモノ』『醜い』などといった罵倒語以外を聞いたことのないシャーロットは思わず目を丸くする。
『麗しい』とは、やっぱり狼男の感性って違うのね……と、しみじみ思うシャーロットの腕を取って、狼男が意外なほど気品に満ちた態度で騎士の礼を取った。
「初めまして麗しの乙女。私はアウストラリス王国エーベルリン辺境伯家が継嗣テオドールと申します。ぜひ貴女様のお名前をお聞かせください」
その挨拶にシャーロットは呆然としながらも、習い覚えた礼儀作法として粗末なワンピースでカーテシーしながら自己紹介をするのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
「へぇー。お父様とお母様の出会いってそうだったんだ。すごいロマンチック! 素敵~!」
今年六歳になる娘が、おましゃな仕草で感動しているのを眺めながら、現エーベルリン辺境伯夫人シャーロットは苦笑いをした。
まさかあのむさ苦しい青年(当時まだ20歳だった)が、本当に次期辺境伯だったとは。そしてその場でプロポーズされるとは、本当に人生は何が転ぶかわからない。
「ねえねえ、お母様の故郷の国ってどんなところだったの?」
と、何の気なしに訊かれたその質問に、シャーロットの苦笑に別な色が差した。
「小さな小さな国よ。この辺境伯領の半分もない土地で、自分たちだけは特別だと思い込んでいる……男も女も生まれつき ツ ル ッ パ ゲ の変な国なの。まれに生まれつき髪が生えてる人を『狼男』とか『狼女』とか呼んで、殺したり捨てたりするの」
吐き捨てるようにそう口にしたシャーロットの美しい金髪を眺めながら、「ふ~~ん、変なの~」と分かったようなわからないような顔で頷く娘。
それから生まれたばかりのおくるみに包まれた弟を眺めて、首を傾げた。
「じゃあフリッツに髪が生えてないのもそのせいなの?」
「赤ちゃんなんてそんなものよ。それにたとえ髪があろうとなかろうと、二人とも私とテオドールの可愛い子供ですもの。ママは世界一大切よ」
そう言い聞かせてシャーロットは幸せそうに微笑むのだった。
なお、その数年後、風の噂にマルデアホ王子が国王に、エミリエンヌが王妃になったとの話が伝わってきたが、当然のように周辺国へ招待状のようなものはなく、相変わらず無視を決め込んでいたが、さらに数年後――。
突如として発生した流行り病が国中を席巻し、小さな国はあっという間に病に侵され……それでも頑なに周りの『狼男に支配されている魔物の国』へ救助を要請することなく(仮にあったとしても風土病を恐れて逆により一層門戸を閉ざすか、日頃の怨みつらみを込めて過激な国なら火を放ったかもしれない)、ひっそりと滅び。
十年後に調査のために訪れたエーベルリン辺境伯領の探索隊が見つけたのは、誰もいなくなり森に浸食された廃墟だけだったという。
昔中国のある村で豚が真っ白い子を産んだ。
豚と言えば黒豚ばかりだった村は騒然となり、村長が「これは吉祥だ。この豚を皇帝陛下に献上せねばならない!」ということで、村人たちが金を出し合って選ばれた一人の男が仔豚を連れて、村からはるばると都まで行ったのだった。
始めてみる都――だが、そこで男は都で売り買いされている豚がすべて白豚であるのを目の当たりにした。
男は仔豚を連れて、そそくさと都をあとにしたのだった……。
という昔話を元にしましたw