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「娘さん、あとちょっとで荷積みが終わるから待っててくれよな」
「……はい。あ、手伝うことはありますか?」
「お、気が利くねぇ。じゃあ、邪魔しないでそこで焚き火に当たって、大人しくしててくれや」
「あ、はい」
見た目は厳つい白髪交じりの男はユリシアににかっと笑みを向けると、地面に置かれている大小さまざまな荷物を荷馬車に詰め込み始めた。
ちなみにこの白髪交じり男性、なんと雪が舞っているのにも関わらず半袖姿である。逞しい腕には鳥肌一つ立っていない。
そんな北の男に釣られるように、ここら辺にいる男性達も腕まくりをして荷物を持ち上げる。
「おやっさん、これは奥っすか?」
「おうよ。ああ、お前は荷積みはいいから焚き火の薪を足してやってくれ。あと、お嬢さんにあったかいミルクでも出してやりな」
「うぃーす」
一番下っ端の青年は、おやっさんの指令を受けて、そそくさと倉庫の中に入って行った。
─── さて現在ユリシアは、倉庫街にいる。そして見ず知らずの人間と仲良く焚き火に当たっている。
ただどうしてそうなったかといえば、実のところ本人も良く分かっていない。
グレーゲルから脅迫まがいの捨て台詞を受け、冷たい風に当たって気持ちを落ち着かせようとして、ふらふら庭を歩いて……ふらふら……ふらふら……歩いていたら、気付いたらトオン領の街にいた。
虚ろな表情、しかもコートも羽織らず歩いているユリシアの姿は不審者にしか見えなかった。
その結果、街道を行きかう人々の冷たい視線を避けるように歩いていたら、いつしか倉庫街に辿り着き、白髪交じりの男から職務質問を受ける羽目になった。
馬鹿でしかない。あと一刻も早くリールストン邸に戻らなければ逃亡とみなされ極刑に処されてしまう。
とはいっても、帰り道がわからない。そしてもう一人の自分が悪魔の囁きをする。
『ねえ、もうこのままトンズラこいちゃえば??』と。
運が良いのかわからないが、事情を説明するのが憚られ、全ての質問に対して曖昧な返答をしていたら、ここにいる人達は自分のことを結婚するのが嫌で逃げてきたどっかの令嬢だと思い込んでくれた。
白髪交じりのおやっさんに至っては「可哀そうに」と泣いてくれた。そして港町に雑貨屋を営む知人がいるから、雇ってもらえるか掛け合うとも言ってくれた。
すんごく良い人だ。領主はあんな性格なのに。
(知らない場所で、お針子として生計を立てて生きていく……これもまた悪くない)
元針子の母親から鍛えられた裁縫の腕にだけは自信があるユリシアは、パチパチ跳ねる焚き火の火の粉を見つめながら真剣に悩む。
どうせ戻ったところでグレーゲルから超ド級のお叱りを受けるであろう。
無論、自業自得なのである。でも、部屋を去る前に彼があんなことを言わなければ、間違いなく寄り道なんかしないで別邸に直行していた。だからグレーゲルにだって、こうなった責任はある。
でもそれを主張したとて相手は大公閣下だ。そして自分は人としての権利を剝奪された貢物。公平なジャッジを求めるのは無理である。
「……はぁー、なんかもう面倒くさい」
しゃがんだ状態で焚き木に当たっているユリシアは、溜息を吐きながら膝に顔を埋めた。
(逃げたら追ってくるかな......ちゃんと逃げ切れるかな......いや、何としても逃げ切りたい!)
膝を抱えて丸くなったまま思考の森をさ迷っていたら、どういうわけかユリシアの心は完全にトンズラする方向に傾いてしまった。
しかしここは魔法大国マルグルス。ユリシアがどんなに頑張って逃げたとて、この国にいる以上、完全に逃げ切ることは不可能だ。そしてユリシアは貢ぎ物としてグレーゲルに差し出された身。
逃げた場合、国家間で大問題になることは容易に想像がつく。
ってなことは薄々気づいているが、ユリシアは生まれ育った国にさほど愛着心は無い。両親が生きていれば話は違うが、もう二人はお空の遠い国に行ってしまっている。
家族と呼べるのは、家族なんて呼びたくない連中しかいないし、人を物扱いしたリンヒニア国の王族に対しては、むしろ滅びろという方向でいる。
それにグレーゲルが自分を連れ戻したいと思うのは、本命の恋人に捧げる正妻の座を守るため。いわば時間稼ぎ要因として欲しているだけだろう。
まぁ、飼い犬に手を噛まれる的な心境でプライドが傷つき腹を立てているかもしれないが、彼は熊でもゴリラでもないれっきとした人間だ。その辺は、大人になってぐっと抑えてほしい。侍女二人のことは狡いけれど、今は考えない。だって考えたら、今すぐ戻らないといけないから。
などという恐ろしいほどに自分都合の結論に達したユリシアは、今度はこの運をどこまで伸ばすか真剣に頭を悩ませる。
ガラン邸の本邸に引き取られてから、あまりの過酷な生活に嫌気がさして何度も逃げようとした。
しかしどうしたって逃げることができなかった。それこそ首に見えない首輪でもついているんじゃないかと疑うほどに。
なのに見えない何かがわんさかあるこの国で、こうも簡単に逃げることができた。
これは神様からのプレゼントに違いない。きっと死んでしまった両親が、神様か天使に掛け合ってくれたんだろう。さすが元侯爵家当主。ありがとうお父様、お母様。
......と、うっかり思考を他所に飛ばしていたら、ポンポンと肩を叩かれた。
びっくりして顔をあげれば、荷積みの青年が温かいミルクが入ったコップを差し出してくれる。
「寒いなら、後ろ向いて背中を暖めたほうが良いっすよ。あと、地べたに座っちゃだめっす。女の子は身体を冷やしちゃいけませんから」
「......ありがとうございます」
カップを受け取りながら礼を言えば、青年は鼻の下をこすりながら照れ臭そうに笑う。良い人だ。
ホットミルクには塩が入っていた。それが隠し味となって甘味を引き立ててくれる。美味しいし、そのひと手間が嬉しくて鼻の奥がツンと痛む。
(ああ......大公閣下に見付からないまま、細々とトオン領で一生暮らせたらどんなに良いだろう)
それはささやかな願いであるが、ユリシアにとったら難易度が高い願いで。
その身の丈を越えた願いがいけなかったのか、神様がそこまでサービスする気は無かったのか、ただ単にごく自然の成り行きなのかわからないが───
「はーい。ユリシア様、見付けましたよぉ。お散歩のお時間は終わりでーす」
そんな男の声が降ってきたと同時に、ミルクが入ったカップを瞬きする間に取り上げられてしまった。
ユリシアのミルクが入ったカップを取り上げたのは、黒づくめの男だった。フードを目深に被っていて顔は良く見えない。でも、声の感じからしてまだ若い。
「あ……ちょっと、まだ飲みかけだったんですが」
ユリシアは不満を隠すことなく、不届き者をジロリと睨む。
対して黒づくめの青年は、あからさまに溜息を吐くだけ。
「言うに事を欠いてそれですか?……じゃあ、まぁ、良いっすよ。飲み終わったら帰りましょうね」
奪ったカップをユリシアに返して、黒づくめの青年は「うぇー寒い」と呟きながら焚火に当たり始める。
でも隙だらけのように見えるが、しっかりユリシアを見張っている。横から感じる圧が半端ない。
ちなみに白髪交じりのおやっさんは荷積みで忙しいようで、黒づくめの男に気付いていない。……いや、気付いている。3秒に一回、チラッとこっちを見てくるその眼は、結婚式で娘を送り出す父親みたいだった。
明らかにこの不審者をユリシアの結婚相手だと勘違いしている。
(違うっ。ここは「何だてめえ」的な感じで、私の時みたいに職務質問っぽいことをして!お願い!その間に、私、ダッシュで逃げさせてもらうからっ)
人はこれを他力本願と言う。
しかしトオン領の人達が優しい人ばかりだとはいえ、都合良く動く人達ばかりではない。むしろ、これまでとんとん拍子に進んでいたのが奇跡だ。
だからユリシアは、すっとぼけることにした。
「あのう、あなたのお探しの方……私じゃないです。人違いだと思うんです。だから別のお方を」
「いや、ドンピシャで貴方様でございますよ」
「でも、私、あなたのこと知らないですし」
「ああ、そっか。さーせん、俺ちょっと野暮用で出掛けてたんで自己紹介まだでしたね。俺、ラーシュ・インヒっす。閣下の───」
「あーあーあーあー」
ぴしゃっと黒づくめの青年ことラーシュの口を両手で押さえてユリシアは大声で叫んだ。
今、この領地でその名は絶対に出して欲しくない。
そしてユリシアは、すっとぼけるという姑息な手段は諦め、ラーシュに向かって深く頭を下げた。
「後生ですから見逃して下さい」
「はははっ、俺、女の子のお願いは基本的に無条件に聞いてあげるのがモットーなんです。が」
「……が?」
「こればっかりは聞けませんねぇ。───……んじゃ、ま、帰りましょ」
にこっと笑みを浮かべて立ち上がったラーシュは、ユリシアからカップを奪って床に置く。次いで華奢な身体をひょいと持ち上げる。
そしてそのまま、踵をトンと鳴らす。
すぐさまラーシュを中心として青白く光る魔法陣が浮かび上がった。
「ちょっと待って、これって魔法ですか!?」
「そっすよ。俺、こう見えて魔法剣士なんで。で、これは転移魔法。すぐにお家に戻れる優れものなんすよ」
「なんですって!?それズルい!!」
ぎょっと目を剝くユリシアに、ラーシュは「いやぁー、そのリアクションは初めてっすねぇ」と呑気な声を出した後すぐに視界がぐにゃりと歪んだ。
***
歪んだ視界が鮮明になったと思った途端、ユリシアの目が死んだ。
なぜなら、びろんとラーシュに持ち上げられた状態で別邸の玄関前に居たから。
「……降ろしてください」
「へい。お疲れっす」
あれほど強引に自分を連れ戻したとは思えないほど、ラーシュは従順にユリシアを地面に下ろした。
(ああ……戻りたくない)
処刑台に向かう囚人のように肩を落としたユリシアを不憫に思ったのか、ラーシュはここでこそっと耳打ちする。
「安心してください。閣下は怒ってないですよ。お叱りなんぞ受けませんから。「あー散歩楽しかったぁ」っていう顔をして、お部屋にお戻りください」
「……本当?」
もはやこうなった以上、ラーシュの言葉に縋りたい。
そんな気持ちでラーシュを見上げれば、彼はしっかりと頷いてくれた。
ちなみに、彼はもうフードを外して顔をさらしている。赤髪と琥珀色の瞳は、夕焼けみたいで奇麗だった。
「本当です。お約束します───騎士の名に懸けて」
なんかちょっとカッコよく言ったぜ俺的な顔をするラーシュに、どうリアクションして良いのか悩んだユリシアだが結局無視することを選び別邸の扉を開ける。
そして居間に入った途端、引きつった顔でラーシュにこう言った。
「ラーシュさん、お約束を破ったようですので、今すぐ騎士の名を返上してください」
ユリシアの視界に映るのは、侍女二人が互いに泣きながら抱き合う姿と、倒れた調度品の数々に無残に切り裂かれたカーテン。
そして─── 剣を手にして仁王立ちをしているグレーゲルだった。