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ーー時は少し遡る。
グレーゲルは執務室で、アルダードに関するシャリスタンからの調査報告書と、自分が集めた情報を照らし合わせていた。
もう何度も読み返した書類をバサッと机に叩きつけたグレーゲルは、忌々し気に舌打ちした。
「気色悪ぃクズ野郎だ。やっぱあの時、始末しとけば良かった」
埋めるか、燃やすか、砕くか。どのやり方にするか悩ましいとこであるが、とにかく王城での夜会時にリンヒニア国からの迎賓ということで傷一つ付けずに強制送還したことが悔やまれる。
どうせだったら二度と減らず口を叩けぬよう口を縫い付けて、手足を切り落してからリンヒニア国との国境に放り込んでおけばよかった。
そう本気で思うグレーゲルの思考は、まさに血濡れの大公であるが、実際は惚れた女を救うために頑張る男の子だったりする。
アルダードがユリシアに恋慕の情を抱いているのは、おそらく真実なのだろう。
彼が王城の夜会時に姿を表わしたのは、リンヒニア国で人質となっている王女のからの手紙を届けるという名目だった。しかし、あわよくばユリシアを連れ戻そうとしていた。
その証拠に、マルグルス国王であるブラグストに謁見を申し入れており、王女からの手紙と共に一方的な要求を書いた書簡を置き土産にしやがった。
グレーゲルとユリシアがブラグストとエイダンの部屋に現れた時、既にアルダードと謁見を終えた後だった。
しかしユリシアにベタ惚れになっているグレーゲルを見て、ブラグストはあえて語ることをしなかった。
それが夜会時にアルダードと鉢合わせしてしまった経緯であり、その後、シャリスタンの調査で色々なことがわかった。
ダリヒ家の当主ノヴェルが事故死して、アルダードが異例の早さで処理を終えて家督を継いだこと。
ノヴェルとアルダードは表面上は仲の良い親子であったが、実は互いに憎み合っていたこと。
婚約者の元から逃げたいと助けを求めたフリーシアだが、実際にはアルダードとは正式に婚約していないこと。
フリーシアはやたらと自分に色目を使うが、その瞳の奥は常に侮蔑の色を湛えていること。アルダードに対して虐待を受けたはずなのに、彼を侮辱する発言をすれば食って掛かってくる。
おそらくアルダードとフリーシアは何かしらの取引をしている。おそらくユリシアをこの屋敷から追い出すために動いているのだろう。
一つ一つは不可解な動きをみせるアルダードとフリーシアだが、義妹であるユリシアを手に入れるためという見方をすると、これがムカつくことに全てが納得できてしまう。
「くそっ。忌々しい奴め。いっそシャリスタンを送って骨抜きにさせようか」
椅子の背もたれに身体を預けてグレーゲルは、独り言つ。
悪くない……いや自画自賛したくなるほど妙案だし、ある意味、血生臭い展開にはならない平和的解決方法だ。
女性にしか興味のないシャリスタンに依頼するのは気が引けるが、その際にかかる費用は全額負担するし、報奨金を要求するなら言い値で払おう。
雪解けと同時に、グレーゲルはユリシアと結婚式を挙げる予定だ。
その時、親族としてどうしたってシャリスタンを呼ばなけばならない。純白のドレスを纏ったユリシアはさぞや奇麗だろう。まちがいなく口説かれる。
なら、いっそ彼女が式に参列しなければ……などと身勝手な思考に酔ってしまったのが悪かったのだろうか。
にわかに廊下が騒がしくなったかと思えば、何の断りもなく扉が乱暴に開いた。
飛び込んできたのは、今まさに都合よく動いてもらおうと思っていたシャリスタンだった。
「おい、約束も無くここに来るなんてーー」
「うるさいわねっ。急用だから来たのよ!」
眉間に皺を寄せるグレーゲルに噛みついたシャリスタンは、つかつかとこちらに近付いて来たかと思えば、勢いよく執務机を叩いた。
「ゲル、ちょっとあんた今すぐ結婚して!!」
「はぁ!?」
真顔で世迷いごとをぬかすシャリスタンに、グレーゲルは素っ頓狂な声を上げてしまった。
それからちょっと考えてみたけれど、あまりに理不尽な要求にグレーゲルはやっぱり怒鳴り付ける。
「おい、誰がお前なんかと結婚しなきゃいけないんだっ」
すぐさまシャリスタンは露骨に心外だと顔に出し再び机を叩いた。
「馬鹿っ、勘違いしないで!私とじゃなくて、結婚するのはあんたとシアよ!!」
「するに決まってるだろ!?」
「そうじゃなくって、今すぐ結婚して!エイダン殿下が司祭を連れてきてくれるから。そうすれば、私とエイダン殿下が立会人になって略式だけど婚姻届にサインできるわっ。とにかく今すぐシアを呼んで来て!」
ものすごい剣幕で捲し立てたあと「あ、やっぱ私が呼びに行く」と呟き執務室を出ようとしたシャリスタンの襟首をグレーゲルは力任せに掴んだ。
「お前、だんだんやり方が姑息になってきたな」
「違うって。本当に急いだ方が良いのよっ」
真顔で訴えるシャリスタンは確固たる理由があるようだが、グレーゲルはてんでわからない。
「とにかく、もう少し詳しく話せ」
「もうっ。そんな呑気なこと言ってられない」
「話せ」
「……わかったわよ」
獣の唸り声にしか聞こえないグレーゲルの命令に、シャリスタンはしぶしぶ頷き身体の向きを変える。
でもすぐに語ることはしない。頭の中で言葉を組み立てているのだろうか、腕を組んでトントンと人差し指を叩いた後、ようやっとシャリスタンは口を開いた。
「アルダードはね、ガラン家の婚外子なの。シアとは血縁関係が無いわ」
「……そうか」
「それと、シアは個人名義で南方の土地を持ってるの。そこをリンヒニアの王室が欲しがってる」
「はっ、意地汚い連中だな」
「ええ。本当に。まったくアイツら……って、違う違う。とにかくシア名義の土地は、近々リンヒニアが同盟を結ぼうとしている南部のゲハラ国が欲しがっているの。それが同盟を結ぶ条件でもあるってことで、アルダードとリンヒニアの王室は結託してシアを呼び戻そうとしているわけ!」
「で、呼び戻したら力づくで土地の名義変更をした後、アルダードはユリシアを娶る、と?」
「まぁ、そうなるわね。もしかしたら、順番は逆になるかも……って睨まないでよ!」
八つ当たりをされ憤慨するシャリスタンだが、ぐっと感情を押し込めて話を続ける。
「陛下も殿下も頑張ってシアを守ろうとしてるけど、ちょっと限界みたい。それにあの女……一応、変な考えは持つなって軽く脅しておいたけど、シアの傍に置くのは超危険よ。あの女、シアをリンヒニアに連れ戻すための密者だし。ってことでグレーゲル、今すぐシアと結婚して!シアがマルグルス国民になっちゃえば、向こうはもう手出しができないからっ。お披露目とか初夜とかそういうのは、後回しでいいでしょ?!」
最後は机に手を置いて身を乗り出したシャリスタンをグレーゲルは片手で制す。
「あの女って、フリーシアのことか?」
「それ以外にいないでしょ」
「ちょっと、出てくる」
「は?」
足早に扉に向かうグレーゲルをシャリスタンは引き留める。
「ちょっとどこに行くの?」
「ユリシアが、今朝、あの女と話をすると俺に断りを入れてきたんだ」
「なっ」
「……嫌な予感がする。ユリシアの無事を確認したら、すぐに戻るからーー……っ!?」
足を止めることなく説明をして、ユリシアの元に向かおうとしたグレーゲルだが、廊下に出た途端、表情が険しくなる。シャリスタンも同様に。
「……転移魔法よね?」
「ああ。エイダンの魔力とは違う……これは魔法石か」
魔力を感知した二人は、ある可能性に気付き無言で走り出す。
しかし角を二つ曲がったところで、ブランに呼び止められた。
「閣下!ご報告したいことがっ」
「ユリシアに何があった!?」
青白い執事の顔を見て、己の予想が当たっていたことにグレーゲルは舌打ちした。
「フリーシア殿がユリシア様に怪我を負わせた挙句、魔法石を使ってどこかに」
「そうか」
理性を総動員して頷いたグレーゲルだが、その手は怒りで震えていた。
*
「ーーで、どうする?すぐに動かせる兵は魔法兵を入れてざっと1000。調教した魔獣を集めれば、10日でリンヒニアを潰せるよ」
執務室にて物騒この上ない台詞を吐いたのは、グレーゲルではなく司祭と共に遅れて現れたエイダンだった。
「落ち着け。陛下の胃に穴を開ける気か」
「父上の胃に穴が開いたなら、塞げば良いだけじゃん。でも、ユリシア嬢は一人しかいない」
「……血も涙もない正論だが、次期国王となる王太子の発言としてはいささか軽率だな。やっぱり落ち着け」
一番取り乱したいのはこの俺だと、グレーゲルは内心ぼやきつつエイダンを嗜める。
なのに返ってきたのは不満げな表情。ついでに言うと司祭は初老でありながら「儂も行く」と鼻息荒く腕捲りをしている。
シャリスタンに至っては、愛用の魔法武器をドレスの至るところに仕込んで殺やる気満々だ。
「とにかく全員落ち着け」
そう言ってみたものの、グレーゲルとて落ち着いてはいない。禁煙していたはずの葉巻を咥えて、足の爪先は絶え間なく床を叩いている。
グレーゲルは、誰よりも怒り狂っている。
しかし先の戦争で沢山の仲間を失った現実が、感情に任せて動きたい欲望を押し止めている。
仲間を失いたくない。だがしかし、一刻も早くユリシアを取り戻したい。
(なら、考えるしかない)
グレーゲルは最善で最短でもっとも被害を少なくさせる策を考える。
「......ユリシアが、マルグルスの国民だと証明できれば......」
同盟国同士とはいえ他国の人間に危害を及ぼしたとなれば、それは国際問題だ。こちらが自由に動ける大義名分を得ることができる。
何かないか。
グレーゲルは思考をめぐらせーーある一枚の書簡にたどり着いた。
「まさかこれが役に立つ日が来るなんて、皮肉だもんだ」
苦々しい思いで執務机の引き出しを開ければ、そこにはいつか破り捨ててやろうと思っていたユリシアとの結婚に関する契約書が目に入る。
摘まみ出せば、しっかり日付と互いの署名が目に入る。
「エイダン、悪いが今だけ特例を認めてもらうぞ。陛下には事後承諾になるが、良いか?」
「いいよ、いいよー」
ユリシアを取り戻す突破口であると瞬時に悟ったエイダンは二つ返事で頷く。
「よし、あとは......ブラン。そこにいるんだろう。入れ」
ドアに向けて声をかければ、執事は静かに執務室に入室した。
「後は任せる。これからやることは個人的な制裁だ。万が一のことがあれば、適当に遠縁から養子を取って後継者にしてくれ」
グレーゲルはリールストン家の当主で、大公爵で、トオン領の領主だ。守るべきものはユリシアだけじゃない。
己の個人的な感情で、残された使用人や領民に危害が及ぶことは絶対に避けなければならない。
そんな気持ちから淡々と言い切ったグレーゲルは、懐から当主だけが持てる宝物庫の鍵を取りだしブランに放り投げた。
しかしブランは受け取らず、鍵は床にポスッと落ちる。
「その命には従えません」
「おい」
「閣下、恐れながら、本日の夕食はユリシア様の大好物の頬肉のワイン煮でございます」
「は?」
一体それの何が関係するのかと首をかしげるグレーゲルだが、一先ず続きを促す。
「シェフは今日、食卓に出すために一週間も前から肉を熟成させ、ワインを吟味してました。それがおじゃんになってしまえば、シェフは嘆き悲しみ厨房を破壊してしまうやもしれません。またユリシア様の侍女のモネリとアネリーが取り乱してまた別邸をメチャクチャにしてしまうかもしれません。そうなった時の修繕費は考えたくもありません」
「......」
その発言こそがメチャクチャだ。
しかし長年仕えてくれている執事は、暗にこう言いたかったのだ。「ちゃんと二人で戻ってこい」と。
執事の訴えを無下にできるほど、グレーゲルは子供ではなかった。
「わかった。訂正しよう」
そう言ってグレーゲルは自ら落ちた鍵を拾って、ブランに手渡す。
「異国で無くしたとなると末代までの恥だから、これはお前が預かっておいてくれ」
「かしこまりました」
恭しく鍵を受け取ったブランの肩を軽く叩いたグレーゲルは、執務机に戻り契約書を手に取る。
そこで今にも出発しそうな気配を感じて、シャリスタンは慌ててグレーゲルの元に近付いた。
「ねえ、ゲル。行き先わかってるの?」
「ああ。あの魔法石は粗悪品だ。雑な術式のおかげで痕跡を辿るのは簡単だ」
「あ、そう」
気のない返事をしたシャリスタンだが、転移魔法を使おうと踵を床に打ち付けたグレーゲルの腕をがしっと掴んだ。一拍遅れてエイダンまで腰にしがみ付いてくる。
「何やってるんだ二人とも。邪魔だ、どけ」
「はぁ!?シアの危機に私が行かなくてどうするのよ」
「いやだ。僕も一緒に行くー」
「おい」
一刻も早くユリシアの元に向かいたいグレーゲルは、額に青筋を浮かべてシャリスタンとエイダンを振り払おうとする。
しかし、二人はヒルのようにしがみ付いて離れない。
「僕ね、ゲルのお父さんの時には何もできなかったから、今度は絶対に付いていく!だって僕は王太子だから。きっと役に立つから!」
無言で睨むシャリスタンと、意味不明な自己主張をするエイダン。そして儂もと魔法陣に入り込もうとする司祭。
気持ちは大変有難いが、心底邪魔でしかない。
でも長い付き合いであるシャリスタンとエイダンが、自分の為に危険を顧みず共に行こうとしてくれる強い意思は嫌というほど伝わってくる。
だからグレーゲルは、ちっと舌打ちすると執事に目を向けた。
「ブラン、司祭を捕まえろ。あと陛下に献上する最高の胃薬も用意しておけ」
「御意に」
一つ頷いた執事は、今まさに魔法陣に入ろうとした司祭を羽交い絞めにして敬愛する当主を見送った。




