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「嘘?ふふっ、なにを言ってるの?わたくしは真実のみしか言ってないわ。それよりシャリスタンより、わたくしのどこが劣るか言ってみなさいよっ」
グイっと髪を力任せに引っ張られて、フリーシアと嫌々ながらも目が合う。
彼女の目は憎悪を滾らせてはいたけれど、意識はしっかりしている。とどのつまり、戯言を口にしているようではない。
「あの……フリーシアさん……私は」
ーーバチンッ。
何か言わないといけないと口を開いた途端、頬を叩かれた。
「おだまりなさい。誰が好き勝手に喋りなさいと言ったの?」
質問してきたくせに、喋るなと憤怒するフリーシアはやっぱりどこかおかしい。
そう思いたかった。けれど、そうじゃないのはわかっている。フリーシアは、ここがマルグルス国であっても、優劣をはっきりしたがるリンヒニア国の中で生きているのだ。
「あぁーら、すごい間抜け面。まったく理解できないって顔をしているわね。一から十まで説明をしないといけないなんて、これだから出自の悪い人間は嫌になるわ。でも教えて差し上げるわ。感謝しなさい。……わたくしずっと演じていただけですの。アルダード様に依頼されて、ね」
「……え?依頼??」
「ご当主になられたアルダード様は、それはそれは素晴らしい方だわ。国王陛下の覚えもめでたくて、わたくしの技量をたくさん評価してくださったの。『近い将来、あなたを王妃に推薦しましょう』とまで言ってくださったわ。だからわたくしは、アルダード様と手を組んで、ここに来たのよ。円満にあなたをアルダード様の元に返却するために」
「……返却?な、なんであの人が当主に……だって」
「だからおだまりなさい。わたくしの話に口を挟むなんて、本当に無礼ね。死んだのよ、前当主は。だからアルダード様が爵位を継いだの。それだけ。いちいちそんなことを言わせないで。……それにしても、わたくしの演技は非の打ち所がないはずなのに、あの男……グレーゲルったら、意固地になってあなたを追放しないんですもの。嫌になっちゃうわ」
ムスッと、子供が小さなワガママを認めてくれなかった時のように拗ねた顔をするフリーシアに、ユリシアは思わず睨み付けてしまう。
この人は自分がどれだけ身勝手な理由で、この屋敷の人達を傷付けたのか自覚していない。
おかしくなりそうだ。もう彼女の言葉を何一つ理解できない。
理不尽なことを言われるのは、初めてではない。胸を張りたくはないが、慣れたものだ。でも、こんなにも理解が追いついてこないのは初めてだった。
いつの間にか義父ノヴェルは死んでいた。そしてアルダードが当主になっていた。あれほどピンピンしていたはずなのに、どうして?
それにユリシアは覚えている。自分を貢ぎ物にと提案したのは他の誰でもないアルダードのはずだ。
なのに今度はトオン領から追放させるためにフリーシアを不幸な婚約者に仕立てあげて、こちらに招くようにした。
どうして?アルダードは一体何をしたいのだろうか。
夢のような穏やかな時間を過ごす自分が気に入らないのだろうか。それとも他に何か目的があるのだろうか。
もうとっくに記憶から消したはずのアルダードの顔が鮮明に蘇る。不快でたまらない。
「私、リンヒニア国になんて戻らない!」
脳裏に浮かぶアルダードを消し飛ばすようにユリシアは叫ぶ。
嫌だ嫌だ。絶対にあそこには戻らない。そんな気持ちを伝える為に、力任せにユリシアはフリーシアを突き飛ばした。
よろめくフリーシアは疲れたような笑みを浮かべていた。でもとても自然だった。
ああ、この表情は彼女の素の表情なんだと気付いたけれど、至極どうでも良い。とにかくこの事実をグレーゲルに伝えなければ。
そう思って立ち上がろうとした途端、肩に鋭い痛みが走った。
瞬きを二つしてユリシアは気付いた。体勢を建て直したフリーシアに斬りつけられたことを。
へなへなと地面に膝を付いたユリシアを、フリーシアはナイフをもてあそびながら見下ろし、肩をすくめた。
その姿は人一人を傷付けたことなど忘れてしまったかのようだ。
「もう、ね……わたくし嫌になっちゃったわ。これ以上マルグルスにいたら、わたくしの名を汚すだけ。それにあの女に全部気付かれちゃったし。本当に失礼な女……わたくしの胸倉を掴むなんてどうかしてるわ」
誰の事を言っているのだろうか。該当する人物を探そうと思ったけれど、そんな気の強い女性なんて思い浮かばない。
無意識に痛む箇所を押さえれば、ぬるりと嫌な感触がした。生温いそれは自分の血だと気付いて、くらりと眩暈がする。痛みより、今はとてつもなくそこが熱い。
「あなたはね、たった今、この屋敷の使用人に斬られたの。そして心優しいわたくしは、あなたを救うためにリンヒニア国に連れ戻してあげた。なんて優しいわたくしなんでしょう。国母になるのに相応しい行いだわ。……ねえ、これが一番最善だと思わない?ふふっ、でもまさかこんなに簡単にあなたが引っ掛かってくれるなんて思ってもみなかったわ」
同意を求めるように微笑むフリーシアを見て、そっか全部罠だったんだとユリシアは遅ればせながら気付く。
きっとフリーシアは自分が執務室から去ったところを見ていたんだ。そして、わざと自分の視界に入る位置で虚ろな表情をして見せたんだ。勘違いをさせるように。
まんまと策にはまった自分は、笑えなくらい愚か者だ。
(でも、庶民のド根性を舐めないでくださいよーだ!)
頭が悪いことは自覚しているから、落ち込んだりはしない。痛めつけられた経験だってあるから、嘆き悲しむ前にやらねばならないことができる。
ユリシアはふんぬっと足に力を入れると、気合で立ち上がる。
そして肺一杯に空気を取り込むと、大声で叫んだ。
「フリーシアさん、痛いっ!やめてっ!!私のこと殺さないでーーーー!!」
「なっ」
すぐにバタバタと使用人達が駆けつけてくる。
ユリシアはよっしゃと心の中でガッツポーズをする。フリーシアは未だに血の付いた短剣を握ったままだ。加害者が誰なのか一目瞭然だ。
言い逃れできないほど目撃者をたくさん作れば、万が一グレーゲルに迷惑をかけることになった際に、使用人達の目撃証言は絶対に役立つはずだ。
出血と酸欠でクラクラする中で、フリーシアのことを「ざまあみろ」と笑ってやる。誰が思い通りにさせるもんか。
しかし、そのドヤ顔がいけなかったのだろうか。フリーシアは慌てた様子でユリシアの喉に短剣を突き付けた。
「動かないで」
駆け付けた使用人たちの足が、同じタイミングでピタッと止まる。
満足げに笑うフリーシアは、空いてる方の手で己の胸元に手を突っ込むと何かを取り出した。それは、もうすっかり見慣れたものーー魔法石だった。
「……ど、どうして」
ーーどうしてあなたがそれを持っているの?
震える声でユリシアが問うても、持ち主は何も答えない。
魔法石は希少で高価で、生粋のマルグルス国民でしか入手できないものだ。ユリシアとて個人的に購入することはできない。
なのに滞在一ケ月程度のフリーシアが当たり前のように手にしている。
信じられない出来事にユリシアは目を見開く。
そんな中、フリーシアは手にしている魔法石を床に叩きつけた。ガシャンとグラスが割れるような音がして、真っ黒な魔法陣が浮かび上がる。
すぐに、ぐにゃりと視界が歪む。
何度も経験したそれが転移魔法だとわかったユリシアはーー
「リンヒニア国民がそれを使うのは、ナシでしょーーー!?」とフリーシアの胸倉を掴んで思いっきり叫んだ。
しかし、あとの祭り。それは転移した後のことだった。




