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後に語られる【夜会事件】は、グレーゲルとユリシアがよりにもよってというタイミングで意気投合したため、不完全燃焼で幕を下ろした。
それから再び淡々と平和な日々が続いている。
ただしそれは、表面上だけの話。己の立場を誤認識したままのユリシアはグレーゲルとはもちろん、モネリとアネリーすらからも距離を取り、自分の殻に閉じこもっている。
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親愛なるユリシア嬢
ーーというわけで、しばらくの間
私を匿ってください。
もうアルダードの傍にいられません。
貴方なら、きっと私のこの苦しみを
理解してくれると信じてます。
お願いです。助けてください。
もう貴方しか頼れる人がいないのです。
フリーシア・ヴァオル
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ユリシアは悲痛な叫びが聞こえてきそうな文面を何度も読み返し、溜息を吐いた。
手紙の送り主はフリーシア・ヴァオル。義兄アルダードの婚約者。
リンヒニア国の貴族令嬢は嫡男と婚約すると、次期女主人の教育を受けるため相手の邸宅で挙式まで過ごすのが習わしだ。
ダリヒ家は侯爵位でアルダードは嫡男。例にもれず、フリーシアも慣例に従いダリヒ邸に入った。
その結果、女主人としての教育を受けさせてもらえるどころか、かつての自分と同じように彼に虐げられる日々を過ごしている……らしい。
知らない間に起きた、赤の他人と一生関わり合いたくない人間との出来事を切々と語られたところで、ユリシアはただただ困惑するばかり。
そりゃあフリーシアに同情する気持ちはある。とんだ不幸だと思うし、今すぐ彼の手の届かないところに逃げて欲しい。
でも自分が手助けするとなると話は別だ。
だってユリシアには、なんの力もない。マルグルス国の大公爵の婚約者という立ち位置でいるが、それは期間限定。近い将来、この席は別の人に明け渡すことが決まっている。
なにより自分が貢ぎ物としてマルグルス国に送られたのは、リンヒニア国の貴族なら誰もが知っていること。
(……そんな私に、助けを求めるなんてよっぽど追い詰められているのかなぁ)
貴族令嬢は親に従うもの。娘の結婚は、家門を繁栄させる駒の一つに過ぎない。嫌だとか辛いという娘の感情は無視される。
これがリンヒニア国の貴族社会の常識で、不幸な結婚をする令嬢はフリーシアだけじゃない。
そんなことを考えながら、ユリシアは手紙をもう一度読み返して溜息を吐く。手紙を受け取ってかれこれ数日。この動作を繰り返しているが、名案なんて浮かぶわけもない。
ちょっと前ならモネリとアネリーに相談することもできた。
でもどうやって罪を償えば良いのかわからない今、二人に助言を求めるのは自分勝手な気がして、ユリシアは自分の胸の内で悩み続けている。
ちなみにここはリールストン邸の本邸のユリシアの私室。一日の大半を過ごしていた別邸には、夜会以降足を向けていない。快適に過ごすことが申し訳なくて。
「見なかったことにするのは……ーーさすがに駄目だよね。うん、駄目だ」
いっそ無情になりきることができれば気が楽になるのだが、残念ながらユリシアは無駄に情が厚い。
ついでに言うと、ユリシアが引きこもりになった最大の原因であるエイダンは、中途半端な話で終わったくせに、一仕事終えた気分で今日も元気に王政に励んでいる。
……という事情で、ユリシアが悩みの海に沈みそうになっていた。
でもここで私室の扉がノックされ、入室を促せば顔馴染みの侍女二人が顔を出した。
「……あの、何かご用がありましたか?」
夜会前なら「ん?どうしたの?」と笑って、おいでおいでとモネリとアネリーを手招きをした。
なのに、今日は初日に戻ったような他人行儀な口調になってしまったユリシアを見て、二人はちょっとムッとしたような、それでいて悲しそうな表情をした。
くしゃりと顔を歪ませた二人を見て、ユリシアはギシリと胸が痛む。
傷付けるつもりなんてこれっぽっちもなかった。だから慌てて二人の元に駆け寄ろうとしたーーが、その前にモネリとアネリーにタックルをかまされてしまった。
「ぅわぁああああーーーーん!ユリシア様、もうっ、もうっ、酷いです!!」
「ふぇえええーん。もうっ、殿下から聞きましたよ!なんで今更他人行儀になるんですかぁー」
尻もちをついたユリシアに、モネリとアネリーはぎゅーっとしがみつきながら思いの丈をぶつける。
「……っ……ご、ごめんなさい」
「もう、やだぁー」
「ひどいですよぅ」
思ってもみなかったリアクションに、ユリシアは目を白黒させながら謝るが、モネリとアネリーはいやいやと子供みたいに首を横に振る。
「ユリシア様を憎んでなんかいませんよぉー。そりゃ、初日はちょっと……ほんのちょっとだけどうして良いのかわからなかったけど、でもそんなの昔の話ですっ。あんなに一緒にお茶した仲なのにぃー」
「そうですよぅ。小説読みまわしした仲じゃないですかぁー」
本気でわんわん泣き始めた侍女二人は、感極まってユリシアをぎゅうぎゅう抱きしめる。
控え目に言って苦しい。窒息死しそうだ。でも、ユリシアはそれを甘んじて受け入れ、なんとか両手を伸ばして二人を抱き返した。
そうすれば、モネリとアネリーは同時にこう言った。
「だいたい憎んでいたら、逃亡するとき連れてってなんて言わないですよぅ!……あ」
「憎んでいる相手と、三人一緒にくっついて寝れば良いだなんて言いません!……あ」
言い方は違えど、逃亡事件の後に約束したことを語ったモネリとアネリーは顔を見合わせる。次いで、これまた同時に「ね!?」とユリシアに同意を求めた。
「……っう……ううっ」
そんな嬉しい事を言われてしまえば、今度はユリシアが泣く番だった。
そうだ、そうだった。ちょっと考えればわかることだった。
ここは大公爵の屋敷だ。使用人たちは、かつての主人を見殺しにした国の人間がやってくることを事前に知らされていたはずだ。
なのに小雪がチラつく中、使用人達は皆、温かく出迎えてくれた。
その後も、誰一人敵意を向けることなく親切に接してくれた。あの日の使用人達の笑顔を今でも鮮明に覚えている。答えなんて探す必要なかった。こんなすぐそばにあった。
でも、この胸にある罪の意識は消えることは無い。
「……私、どうしたら償えるのかな」
ずびっと鼻を啜りながら勇気を出して率直に問えば、モネリとアネリーは口を揃えて言った。
「償う必要なんてないです!もうっ、そんなふうに暗く考えないでください!」
「で、でも……」
「ないんですってば!」
癇癪を起こした子供のようにモネリがくわっと叫べば、アネリーが言葉を引き継ぐ。
「ユリシア様がリンヒニア国で過ごした時より、ここで幸せになればそれで良いんです!あーマルグルス最高って思ってもらえれば、私たちの心は救われます!お仕えして良かったって思えます!わかりましたか!!」
「は、はい!」
ものすごい剣幕で言い切られ、ユリシアは反射的に返事をしてしまった。
すぐに罪悪感でチクリと胸が痛むが、モネリとアネリーはキラッキラの笑顔でハイタッチを求めてくる。
……この流れで拒絶する勇気はなかった。
というわけでユリシアは仲直り(?)のハイタッチで、モネリとアネリーとの距離を戻した。
なんだか言いくるめられた感はあったけれど、やっぱり二人が傍に居てくれるのは嬉しい。
そして早速別邸でお茶を飲もうと移動しようとしたが、ここで開いたままのフリーシアの手紙にアネリーが気付いてしまい、急遽女子3人によるDV被害者の対処会議が始まった。
重い議題であったが、会議は5分で終了。
「ーーんじゃ、ユリシア様。閣下は今日も執務室にいますので」
「別邸でお茶を用意しときますね。もちろんお菓子も」
そう言いながらユリシアを廊下に押しだすモネリとアネリーは、いつぞやの【ダンス事件】の時と同じくグレーゲルに直接聞くことを勧めている。
多少は予期していたことではあるが、それでもユリシアは僅かばかりの抵抗で「……でも、こんなこと閣下に頼めるわけが」とごねてみる。
返って来た返事は、前回同様これだった。
「ユリシア様、万が一……いえ億が一、いいえ兆が一、閣下が取り合わなかったらこう仰って下さい。”じゃあ、もういいです”と」
「それか”そっか。残念ね”って、肩を竦めてみるのもアリです!とにかく大丈夫です!がんばです!!」
やっぱり、兆が一っていうフレーズはトオン領で流行ってるんだぁー。
と、思う自分は間違いなく現実逃避していると気付いたユリシアだが、その足は確実に執務室に向かっていた。




