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王族専用の入口から入場した途端、一斉に視線を浴びでユリシアは心の中で「ひょえぇぇーーー」と間抜けな悲鳴を上げる。
しかし不思議なことに身体は震えていないし、緊張すらしていない。
これまでユリシアにとって夜会は苦痛でしかなかった。絶え間なく投げつけられる侮蔑の視線と、心を抉る誹謗中傷の囁き。
何よりパートナー役のアルダードは悪魔の権化で、ユリシアが今日こそ名誉挽回しようと意気込めば意気込むほど、徹底的に邪魔してくれた。
だからユリシアは、夜会中ずっと胃がキリキリ痛かったし、自分の意思とは無関係にみっともないほど身体が震えていた。
でも今日は、震えなんかちっとも無い。それはきっと隣に立つパートナーが意味も無く自分を傷付ける人間じゃないとわかっているから。
(よし!やるぞ!!)
不躾な視線を浴びながらユリシアは、再び気合を入れる。
悪男と悪女と超悪男のおかげで、ユリシアは悪女って何?などと考えなくても演じることができる。
「ねえ、グレーゲル。なかなかの歓迎ね。わたくし楽しくなってきちゃったわ」
悪女の口調を真似てそこそこの声量でグレーゲルに笑い掛ければ、辺りは木々の騒めきように揺らいでくれる。
「ああ、それは光栄だ」
片方の口の端を持ち上げて、ニヒルに笑ったグレーゲルはわざとゆっくり会場中央まで歩く。ユリシアを伴って。
そうして二人は勘違いしたまま、片時も傍を離れることなく夜会を無事に乗り切った。
ーーーと、なれば良かったのだが。会場に足を踏み入れてものの数分で、グレーゲルとユリシアは別行動を取っている。
最初に二人に声をかけたのは、グレーゲルと顔見知りの青年貴族連中だった。
彼らはそこそこ身分のある男達で、かなり女癖が悪い。中には妻帯者でありながら、息をするように火遊びをするどうしようもない男もいる。
そんな輩に、ユリシアを引き合わせることなんてできない。
独占欲が暴れ出したグレーゲルは、遅れて到着したラーシュに任せて一人貴族青年達に挨拶へと行くことを選んだ。牽制と言った方が正しいけれど、まぁ、それは置いといて。
とにかくラーシュが傍には居てくれるが、パートナーを失ってしまったユリシアの元には貴族令嬢たちが意地の悪い笑みを浮かべて近付いてきた。
彼女達は、グレーゲルに相手にされなかった者。告白して撃沈した者。しつこく付きまとった挙句、涙を見る羽目になった者……身も蓋も無い言い方をするならユリシアに対して嫉妬しているご令嬢達である。
当然ラーシュはユリシアの前に立つ。身を盾にするために。
しかし守られる側のユリシアは、これは絶好の機会とばかりにすぅーっと氷の上を滑るようにラーシュの前に立ち、ご令嬢達を迎え撃つ。
「あら、見かけないお顔ですわね。今日が初めてのご参加かしら?」
最初に口を開いたのは、ご令嬢数名を率いるボス的な立ち位置の赤茶髪の令嬢。
彼女はにこやかな口調でいながら、底意地の悪い笑みを浮かべている。
すぐさま取り巻きの令嬢達が、ボスを援護する。
「あら、驚きですわ。アレンナ様が存じ上げない令嬢が王城にいるなんて」
「ほんと、そうね。貴方、失礼ですがちゃんと招待を受けられましたぁ?」
「そうそう、わたくし小耳に挟んだのですが、最近、令嬢に扮した平民が夜会に紛れ込むとか、こないとか」
「やだっ、怖いですわっ」
大公爵グレーゲルがエスコートしたのだから、ユリシアは正式に招待されていなくったって格上の招待客である。
だがらこんな発言をした時点で、令嬢達は相当な罰を受けても仕方がない。
「恐れながら、お言葉が過ぎます」
ラーシュは怒りを限界に押さえた口調で、ユリシアの前に再び立とうとする。しかしそれを、ユリシアが止めた。
ーーこんなの想定の範囲だから気にしないで。大丈夫。
そんな意味を込めてニコッとラーシュに笑いかけてみたが、生憎、悲し気な表情をされただけだった。
まぁ仕方が無い。だってラーシュの前でみっともなく泣いた過去があるから。きっと彼は自分のことを、この程度でまた泣く弱虫だと思っているのだろう。
守ってくれようとしていることには感謝している。くすぐったいし、心から有難いと思う。
だがしかし本っ当に申し訳ないが、計画を実行するにあたりラーシュの気遣いは邪魔だった。
(ラーシュさん、ありがとう。前に嘘つかれたこと、チャラにするからっ)
心の中で謝ったユリシアは、凛とした表情を浮かべ今にも剣を抜きそうなラーシュを片手で制す。
次いで涼し気な表情に変え、こう言った。
「このわたくしが、貴方達程度に名乗る必要あります?」
訳:私はお飾り妻になる者なので、名前なんか覚えなくて良いですよ。
義母の嫌味口調で伝えてみたところ、案の定ご令嬢たちは激怒した。
「なんっ……っ……なんていう口の利き方なんですの!?アレンナ様のお父様は、この国の英雄グレーゲル様と共に先の戦争で武功を上げた武人で、爵位はーー」
延々と続きそうなアレンナ自慢に、ユリシアはくすっと小馬鹿にしたように笑った。ちなみにこの笑い方は、義父の得意技だった。
「それ、わたくしが知る必要ありますこと?そんな話、聞きたくもありませんわ」
訳:私なんかと張り合う必要なんてないんです。不快にさせてごめんなさい。
今回もまた義母口調で伝えてしまった結果、ご令嬢達は真っ赤な顔から真っ青になった。
しまった。やりすぎた。
皆々様のご協力の下、悪女というレッテルを貼ってもらおうと思っていたが、ご令嬢達を傷付けるつもりはなかった。
「あら、わたくし何か失礼なことを言ったかしら?そうでしたら、ごめんなさいね」
訳:失礼なことばっかり言ってごめんなさい。どうかこのことは忘れて下さい。
嫌がらせした直後の義兄のすっとぼけた顔を真似しながら、首をちょっと横に倒して言ってみた結果、令嬢達を貧血間近の顔にさせるだけだった。
(もう本当にごめんなさい!!)
ユリシアは心の中で半泣きになる。如何せん参考にしている三人が極悪過ぎて手加減ができないのだ。
なんとこさユリシアは、つんと澄ました表情を作ってはいるが、内心アワアワ状態。なのにラーシュはグッと親指を立ててくる。違う、そうじゃない。ここはやり過ぎの自分を止めて欲しい。
しかしユリシアがラーシュに目で訴える前に、令嬢達は「あ、ちょっと急ぎの用がありまして」と口々に言い出しこの元を去ろうとする。
しかしユリシアは、グレーゲルの言いつけを思い出し引き留めた。
「お待ちくださいな。皆さんのお名前をまだ伺っていないわ」
先ほどより柔らかい口調で言ったのにも関わらず、令嬢達は涙目になっている。
でも心を鬼にして「お名前は?」とユリシアは繰り返す。だってグレーゲルから、ちゃんと名前を聞いてこいと言われているから。
あと無事に自分が婚約を破棄できたあかつきには、この人達に迷惑をかけたと詫び状を送りたいから。
そんな気持ちで三度目の問いを重ねたが、令嬢達は結局、ユリシアに名を告げることなく去っていった。
「ーーああ……グレーゲルに怒られるぅ」
約束を守れなかったユリシアは、しゅんと肩を落とす。
「いや、なんで落ち込むんですか?上出来でしたよー」
人の気も知らないでラーシュは、呑気な声を出す。でも少し気持ちが救われた。
「そう言ってもらえると嬉しいです。でもまだまだ頑張ります」
「ん?閣下がいるんだから、ユリシア様は頑張る必要なんてないと思いますけど?」
心底理解できないといった感じで首を傾げるラーシュに、ユリシアはどう伝えれば良いか悩んでしまう。
ただ国王陛下と王太子がグレーゲルとシャリスタンの関係を知っているなら、もっと彼の身近にいるラーシュなら二人のことは既に知っているのかもしれない可能性に気付く。
そして知っているなら、今日の夜会で悪女になる協力をしてほしいと頼もうと思った。
「あのですね、ラーシュさん。もう知っているかもしれませんがーー」
ユリシアがちょっと背伸びをしてラーシュに耳打ちをし始めたその時、絶対に聞き間違える事が出来ない大っ嫌いな声が耳朶に響いた。
「相変わらずお前はどこにいても出来損ないだな。遠くにいたって直ぐにわかった。なんていう見苦しい格好をしているんだ。はっ」
心の底から嘲笑うその口調、最後に鼻で笑う癖。
背後から声をかけてきた相手を振り返って確認などしなくてもわかる。
人生で二度と関わり合いたくないランキングで堂々一位の男ーー義兄アルダードだった。




