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エイダンが一服を終えて部屋に戻って来たと同時に、従者が扉越しに夜会の開始時刻を告げる。
「よし、じゃあ俺らは先に行く」
「ああ、また後でな」
「ユリシア嬢、またね」
ひらひらと手を振ってくれる国王陛下ならびに王太子に、ユリシアはぎこちなくマルグルス国流の礼を取る。実は嫌だどうしようと思いつつ、ちゃんと覚えていたりする。
その後すぐ、グレーゲルに引っ張られる形でユリシアは廊下へと出た。
並んで歩く廊下は、華美を抑えながらも歴史と権威を感じる造りになっている。
ちなみにリンヒニア国では、細部まで装飾している建築物が優美とされている。その価値基準からすれば、ここはあまりに質素でみすぼらしい。
しかしユリシアは断然、マルグルス国の建築の方が好きだ。だって壊れにくいし、掃除がしやすい。
などとマルグルス国文化に触れて浮き足立っているように見えるユリシアだが、内心、冷や汗ダラダラものだ。
国王陛下と王太子との初謁見は超最悪だったし、グレーゲルとシャリスタンの関係は公認らしい。
なのにグレーゲルは自分のことを婚約者だと言った。お前馬鹿なのか!?と頭を引っ叩きたくなるくらい堂々と宣言してくれた。
(ああ……もう。シャリスタンさんが聞いたら、激怒するか軽蔑するか愛想をつかすかのどれかじゃん。一体、この人は何をしたいのだろう)
そんな気持ちから、並んで歩くグレーゲルをつい睨んでしまう。
「どうした?怒っているのか?」
「別に怒っているわけではありません」
どちらかといえば呆れている。
しかしそんなダメ出しはできないユリシアは、ふぅっと小さく溜息を吐く。
そうすればグレーゲルはピタッと足を止めた。
「わかっている。だからそんな顔をするな」
「あ、そうなんですか。申し訳ないです……私ったら」
「いや、気にするな。俺に非があるんだからな」
珍しく殊勝なことを言うグレーゲルに、ユリシアはきっと彼なりにちゃんとした理由があったんだと納得する。
でも、そうじゃなかった。
「胸元が寂しいのが、気に入らなかったんだろう?」
「……っ?……っ!?」
あまりに斜め上の発言すぎて、ユリシアは硬直してしまう。
それを都合よく解釈したグレーゲルは、ニヤリと笑って上着のポケットから宝石が散りばめられたネックレスを取り出した。
「肩が凝ると思って、会場に入る直前に贈ろうと思っていたんだ」
そう言いながら差し出されたネックレスを見て、ユリシアの頭は真っ白になった。
グレーゲルの大きな手のひらの上でも輝きを主張している宝石は、国宝と言っても過言ではない。まかり間違っても、雑にポケットに入れて良いものでもない。
そんな豪華を通り越して、眩しいだけの発光物を自分の胸元に飾るなんて、ユリシアは到底できなかった。
「む……無理です」
ひぃんと半泣きになってユリシアが後退すれば、グレーゲルはふっと笑って素早く背後に回る。
「これもわかっている。……おい、動くな。じっとしていろ」
一人で身に着けることができないのだと解釈したグレーゲルは、慎重にユリシアの細い首にそれを付けた。
太く長い指を器用に使って、留め金をパチンと閉じて最後に位置を整える為にネックレスと首の間に指を滑り込ませる。
異性の指が自分のうなじに触れるーー初めての感覚に、ユリシアは身体をぶるりと震わせた。
(違うっ、違う!違っうーーーーー!!)
そう叫びたい。叫ばないといけない。
なのに異常な喉の渇きを覚えて、ユリシアは一言も声を発することができなかった。
気持ちを落ち着かせるために深呼吸をした途端、宝石独特のずっしりとしさ重さを実感して、ユリシアは「これは私が身に着けるものじゃなぁーい!!」と今すぐ叫び外したい。
しかし片手はグレーゲルに掴まれている。ついでに言うと、手を繋いで歩いている。さっきよりスピードアップして。
「……あ、あのっ」
「悪いが、時間に間に合わないかもしれないから……急ぐ。悪い」
「い、いえ!」
二回も謝られてしまえば、止まれなど言えるわけがない。
手を繋いでいるのは、転ばないようにと彼なりに配慮してくれているのだろう。しかしこれでは見る人が見たら誤解を招いてしまう。
ユリシアは空いている方の手でスカートの裾をむんずと掴むと、歩く速度をあげてグレーゲルと肩を並べた。
「お気遣いいただきありがとうございます。でも、これくらいの速さなら大丈夫です」
「……」
気を悪くしないよう声音に気を付けて訴えたけれど、返って来たのは無視だった。
だが楽団の演奏や、人のざわめきが聞こえてきたため、ユリシアは更に言葉を重ねる。
「あの、このネックレスなんですが、やっぱり私には」
「うるさい」
「でも……これは」
「いいから、着けておけ」
「でもっ」
早足で歩きながら押し問答をしていたが、苛立ちが限界に来たグレーゲルは足を止めた。
「四の五の言わず黙っていろ。こんなの大したものじゃない。替えはいくらでもある」
「……っ!?……ひっ……は、はい」
さすがに怒鳴りつけられることはなかったけれど、久しぶりに苛立った彼を見てユリシアはもう首を縦に動かすことしかできなかった。
「……行くぞ」
「はい」
低い声で促され、ユリシアは歩き始める。
たださっきよりトボトボ歩きになってしまったユリシアを見て、グレーゲルは己の失態に気付き慌てて口を開く。
「お前は、大公爵である俺が連れて来た女だ。だから人の目なんて気にするな」
「……はい」
「好き勝手にすればいい。お前はそうできる地位にいる。もし誰かに何か言われたなら、その顔と名前をちゃんと覚えておけ。後で俺が適当に処理しておく」
「……」
「おい、わかったのか?わかったなら、返事をしろ」
「はい!」
被せ気味にユリシアが返事をすれば、グレーゲルは安堵した。
……しかし、悲しいかな。ユリシアにはグレーゲルの真意は伝わっていない。
(そっか、そっか。そういうことか!夜会で私がとんでもない女を演じれば良いってことか!なるほどー。閣下はちゃんと策を練っていたんだ)
なんでそんな思考回路になったのか不明だが、ユリシアはグレーゲルが今宵の夜会で自分のことを「大公爵に相応しくない女」だと参加した人達に見せつけるつもりなのだと誤解している。
ネックレスも身分不相応に強請る悪女に仕立て上げるための小道具で、シャリスタン用にはちゃぁーんと用意してあるんだと解釈した。
またグレーゲルが「後で俺が適当に処理しておく」と言った裏の意味は、「後で俺がちゃんとお飾り妻になる人物だと補足を入れておく」だと受け取った。
ご存知の通り、グレーゲルはそんなつもりで言ったわけじゃない。
しかし辻褄が合ってしまう。これはミラクルなのか、イケメン嫌いの神様の意地悪なのかわからない。
ま、兎にも角にも元々の誤解を解消していない以上、グレーゲルはユリシアが大いなる勘違いをしていることに気付けない。
「グレーゲル、私……私ね、頑張ります!!」
先陣切って敵の大群に突っ込むような勇ましい顔をしたユリシアに、グレーゲルは己が言った言葉が相手に届いてないことを何となく察した。
しかし会場は目前。ここで立ち止まって1から10まで説明する時間は無い。
「とにかく今日は、俺から離れるな」
「はい。もちろんです」
素直ににこっと笑うユリシアがあまりに愛らしくて、グレーゲルは今回もまた胸に感じた小さな違和感を見逃してしまった。




