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瞬き一つで瞬間移動という経験はユリシアにとって人生で二度目。でもある程度は覚悟をしていたから、寸時に景色が変わっても驚かないだろうと、高を括っていた。
でも現実はそうはいかなかった。
到着地は、どこぞの紳士二人の私室だった。
「……あの、お邪魔します」
「いや、驚いたが、邪魔にはなってない」
ソファに座ったまま穏やかなに微笑んでくれたのは、壮年の黒髪紳士だった。
「そうですか。お優しい言葉をかけていただきありがとうございます」
「いやいや。そんなに恐縮しないでくれ。ま、茶でも飲むかい?」
壮年紳士に深々と頭を下げたユリシアに、今度は向かいのソファに座っている青年紳士が声を掛ける。
彼も同じく黒髪で、顔立ちも似ているからおそらく壮年紳士と親子なのだろう。瞳の色もお揃いの碧眼だし。
急に乱入してきたというのに、この親子紳士はにこやかにもてなしてくれる。
なんて寛大な心の持ち主なだろうと、ユリシアの中でトオン領を飛び越えマルグルス国全土の株が爆上がりする。
そんな中、一緒に部屋に乱入した男ーーもといグレーゲルが至って平静に口を開いた。
「ユリシアには濃い目の茶で。ミルクは必須だ。あと俺は茶はいらない。軽めの酒にしてくれ」
場を凍らせる横柄なグレーゲルの発言に、紳士二人は眉と唇がものの見事に引きつった。
それから少し間を置いて、壮年紳士は呆れ顔になる。
「まったくゲル、お前は……一応、儂は国王だぞ。少しは態度を改めろ」
「ああ、そういえばそうだったな」
顔色一つ変えないグレーゲルに、ユリシアは「……ひぃ」と短く悲鳴を上げると、すぐその場で土下座した。
「おい馬鹿!!お前、何をやってるんだ!?」
「お、お嬢さんっ。そんなことは今すぐやめなさい!!」
「ちょっと、いいよ!やめて、やめて!!」
慌ててグレーゲルと黒髪親子達改め国王陛下と王太子は、ぎょっとした表情でユリシアを抱き起こした。三人がかりで。
──それから数分後。
「ま、まぁ……ゲルはいつもああだから、お嬢さんが気にすることはないんだよ。あーええっとー……お嬢さんは甘いものは好きかい?沢山あるからお食べなさい」
「そうそう。アイツの無礼なんか気にしちゃ駄目だよ。こっちのクッキーも食べてごらん。なかなか上手いよ」
国王陛下と王太子におもてなしを受けるユリシアは、もう何が正解なのかわからない。
ただ思考を放棄して言われるがまま、テーブルの前に並べられた菓子をモグモグ食べ始める。
向かいのソファに並んで座る親子はあからさまに安堵の息を吐く。どうやら正解だったようで一安心だ。
ちなみに悲しいほどに美味しい菓子を頬張るユリシアの隣には、グレーゲルが座っている。
彼は悪びれる様子も無く、いそいそとユリシアの為にお茶を淹れている。
「砂糖も入れるか?」
「……」
土下座をした元凶から気遣われて、ユリシアは微妙な顔つきになる。
「ん?いらないのか??」
「……はい、このままでお願いします」
せめて少しだけイラっとしてしまう自分に気付いてほしいと思ったけれど、ユリシアはぐっと言葉を飲み込んだ。
「ところで、ゲル。そろそろこちらの可愛らしいお嬢さんを紹介していただけるかい?」
グレーゲルがユリシアの前に茶器を置いたと同時にマルグルス国王であるブラグスト・フォル・マルグルスは、ぐっと前のめりになる。
同じく息子の王太子エイダン・フォル・マルグルスも。
「見てわからんのか?彼女はーー」
どんな紹介の仕方をされるか不安を覚えたユリシアは、グレーゲルに目配せをして黙らせると、立ち上がった。
「お初にお目にかかります。国王陛下並びに王太子にご挨拶申し上げます。わたくしユリシア・ガランと申します。この度、ト」
ーートオン領に貢ぎ物としてやってきました。
と、身も蓋も無いことを言いかけて、ユリシアは慌てて口を噤んだ。
すぐにブラグストとエイダンは「ト??」と首を傾げる。
「嫁ぐために来たんだ。俺の元に」
「……っ?……!!」
何を血迷ったのかグレーゲルは、二人だけの仮設定を公言しやがった。
「ちょ、そんなこと、陛下の前で言うなんてっ」
「事実を口にして何が悪い?」
青ざめるユリシアをどう受け止めたのかわからないが、グレーゲルはユリシアの隣に立つと細い肩を抱いた。
「そ、そうか。あの件で寄越してきた書簡が、こう転ぶとは……」
ブラグストは、独占欲を丸出しにするグレーゲルに目を丸くしつつ歯切れの悪い言葉をもにょもにょと紡ぐ。
「おい、言葉に気を付けろ」
「す、すまん」
一体どっちが国王陛下なのかわからないこの会話に、今度はエイダンが割り込む。
「いや、でも良かった良かった。一体いつ身を固めるのか心配してたけど、こんな素敵なお嬢さんを見染めるなんてさすがだね。おめでとうゲル。……よっしゃ、賭けに勝ったな」
最後に聞き捨てならない台詞を吐いたエイダンに、ユリシアは「おい、コラ!」と叫びたい。
だが賭けの対象になっていたグレーゲルは、上の句で満足してドヤ顔を決める。
しかしここで調子に乗ったエイダンが、余計なことを口にした。
「でもさぁ今日、シャリスタンが見たらさぁ」
「黙れ」
グレーゲルの地獄の番人よりもっと恐ろしい声が、エイダンの言葉を遮る。
すぐに泣きそうな声で「……ごめん」と呟いたが、それはむなしく壁に吸い込まれていった。
半泣きになるエイダンは、グレーゲルとシャリスタンが女性限定の協力関係を築いていることを知っている。
だからこう続けたかった。「シャリスタンが見たら、口説かれちゃうかもね」と。
けれどもユリシアは、違う意味に取ってしまい、オロオロとグレーゲルとエイダンを交互に見る。
その結果、グレーゲルが苦々しい顔で口を開いた。
「……ユリシア」
「はい」
「今、こいつが言ったことは忘れろ」
「?……あ、はい」
「いいな」
「はい!」
否と言ったら天変地異が起こりそうな迫力に気圧され、ユリシアは元気よく返事をした。
「それと、エイダン」
「な、なんだい」
「今、あんたが言ったことは」
「え?僕、何か言ったっけ??」
「よし」
小刻みに首を横に振りながらとぼける演技をしたエイダンに、グレーゲルが及第点を出す。
そんな3人のやり取りを最年長のブラグストは、じっと傍観していた。
だがあまりの空気の悪さに、無意識に懐から葉巻を出す。そして先端に触れ、己の魔力でジッと火を付けた途端、鋭い視線を感じた。
グレーゲルが鬼の形相で睨み付けていた。
「陛下、金輪際、ユリシアの前では葉巻は吸わないでいただきたい」
「へぇ!?」
間抜けな声を出すブラグストは、国王の威厳は無かった。だが取り乱すのは仕方がない。
だってこれまでのグレーゲルは、ヘビースモーカーだったから。しかも図々しくも国王陛下に向かって「1本よこせ」と強請ることもたびたび。
それに魔法大国原産の葉巻は、魔力を補うために吸うもの。嗜好品とはちょっと違うし、吸ったところで人体に悪影響は無い。
だから婚約者が部屋に煙が充満することや、独特の香りを嫌ったとしても、そこはちゃんとマルグルス国民として諭さなければならない。
……などと思ってみたものの、ブラグストは黙って葉巻の火を消した。
「すまんかったね、ユリシア嬢」
小さな反抗としてグレーゲルではなくユリシアに詫びの言葉をかければ、言われた側は涙目になる。
「……とんでもないです。あの……どうぞ、わたくしのことは気にせずお吸いになられて」
「やめろ、ユリシア。陛下だってそろそろ健康を考えた方が良い年だ。そうだろ?」
「ソウダネー。ソウダヨネー」
あまりのグレーゲルの変わりように、ブラグストは片言になりながらも同意する。
そんな中、エイダンがそそそっと気配を消してバルコニーに移動する。どうやらこっそり一服しに行くようだ。
ちゃっかり者の息子と、捕虜としてやってきた女性にベタ惚れの甥を見て、マルグルス国王は色々思うところがある。
しかし彼は国の頂点に立つ男。喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込んで、ユリシアににこりと笑いかける。
「出会い早々に、色々悪かったね。ま、気を取り直して、今日は楽しんでくれたまえ」
「……はい」
重ぐるしい空気を変えようとわざと明るく声をかけたというのに、その思いは届かず……ユリシアは涙目になりながら小さく頷いた。




