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後にリールストン家の歴史に刻まれる【ダンス事件】は、ユリシアの完全勝利で幕を閉じた。
しかしその結果、ユリシアは夜会の参加を断わることができなくなってしまった。
これではシャリスタンに顔向けができないと、一人頭を抱えるユリシアをよそに、夜会への準備は着々と進んでいった。無論、金に糸目を付けぬスタイルで。
ーー夜会当日。
「ユリシア様、ほんっとぉーに奇麗です!!」
「ドレスもアクセサリーも良くお似合いです!!」
キラッキラ目で見つめられたユリシアは「ど……どうも」と、モジモジしながらペコリと頭を下げた。一拍遅れて宝石を散りばめられた簪がシャランと音を立てる。
姿見に映るユリシアは、贅の限りを尽くした衣装に身を包んでいた。
誰かの瞳の色とそっくりなワインレッドのドレスは、至って平凡なベルライン。
けれどウエストから下は大小のビーズ縫い付けられたチュールが上に重なって少し動くだけでキラキラと輝く。
これならお城のシャンデリアの下はもちろんのこと、月明かりにもきっと映える。
ちなみにビーズと思っているのはユリシアだけで、実際、キラッとしている全てがトオン領で採取した宝石だったりする。
原石を小石より小さく、かつ美しく削るためには、相当な技術とお金がかかる。だが愛妻家になる予定のグレーゲルとしたら、この出費は何ら痛くはない。
むしろ貯めに貯め過ぎて金庫に入りきらない金貨を使うことができて良かったと思うほど。
ただ夜会までドレスの生地を見ても、アクセサリーの見本を見せても、「もったいない!」としか言わなかったユリシアには、贈ったドレスがどれくらい価値があるのかは一生黙っておく所存だ。
まぁ、使用人達は知っている。……知っているが、わざわざユリシアに伝えるような愚か者はいない。
そんなわけでユリシアは、ただただ美しいドレスをぼんやりと見つめているだけ。
(なんか私じゃないみたい)
夜会に参加するのは今日が初めてというわけじゃない。盛装用のドレスだって何度も袖を通してきた。
ただアルダードから一方的に押し付けられるドレスは地味か派手かの両極端だった。そこに自分の好みはなかった。一度だってお世辞にも似合っているとは思えなかったし、アルダードの口から出る言葉もいつも否定的なものばかりだった。
そのせいでユリシアは自分の容姿に自信が持てなかった。
「ーーあの……本当に似合ってますか?」
姿見から視線を外してモネリとアネリーにおずおず問い掛ければ、二人は「もちろんです!」と声を揃えて頷いてくれた。
食い気味ですらあった二人の返答に、ユリシアはじんっと胸が熱くなる。本当にトオン領に貢ぎ物としてやってきて良かった。
思わず雪山に手を合わせて拝みたくなるが、どうしたって心の底からは喜べない。
だってお城で正式にグレーゲルの婚約者だと紹介されてしまうと、シャリスタンが傷付くだろうから。
そりゃあグレーゲルだって黙っておこうだなんて、せっこい真似はしないだろう。おそらく事前にシャリスタンに事情を話してあるはずだ。
しかし頭では理解できても、心で感じるそれは違うはずだ。
(ああ……シャリスタンさん……ごめんなさい。あの時私がムキになって閣下に名誉挽回しなければ、無駄な揉め事など起こらないはずなのに……)
まだ何も揉めていないし、そもそもグレーゲルとシャリスタンの間に恋慕の情は無い。
だがしかし亀のような速度でユリシアと距離を縮めようとしているグレーゲルは、未だにこの大いなる勘違いに気付けていなかった。
さて本日の夜会は、マルグルス国の王都エルダンデにある王城で開かれる。
ちなみにトオン領から馬車でエルダンデまで行くとなるとゆうに一ケ月はかかる。
だがしかしここは魔法大国マルグルス。移動魔法という便利な存在があるおかげで、瞬きする間に目的地に到着できるのだ。
そんなわけでユリシアは、別邸で仲良しのモネリとアネリーに着付けをしてもらうことができたのだ。
「ーーあ、閣下がお見えになられました!」
何かに気付いて窓に視線を向けたモネリは、ぱぁああっと笑顔になる。同じく着付けに使た小物類を片づけているアネリーも同じ表情になる。
しかしユリシアだけはテンションだだ下がりの状態だ。
脳裏をよぎるのは、この後シャリスタンに罵られるグレーゲルの項垂れた姿。そして木の陰でオロオロする自分。笑ってしまうくらいリアルだ。
頭を抱えたくなるユリシアは、いっそ往生際悪く仮病でも使って夜会を欠席しようかと真剣に考える。
だがしかし、演技する間もなくグレーゲルが居間に入って来た。
「身支度は終わったか?……ああ、終わったようだな」
聞いたくせに一方的に会話を終わらせたグレーゲルは、じっとユリシアを見る。
本人としては愛しい女性が自分が贈ったドレスらを身に着けてくれることに感無量なのだが、如何せんグレーゲルの目つきは悪い。
「……申し訳ありません」
「は?」
強い視線に耐えられなくなったユリシアが、俯いて謝ればグレーゲルは間の抜けた声を出す。
「藪から棒にどうした?」
「……だって今日私と一緒に夜会に参加したら、この後、貴方がどう思われるかーー」
「くだらんことを考えるな」
肩を落としてぼそぼそ気遣う言葉を吐くユリシアを遮って、グレーゲルは乱暴にこちらに近付いて来る。
更に肩を縮こませるユリシアを見て眉間に皺を寄せるグレーゲルだが、モネリとアネリーから「そうじゃない!ここは歯の浮く台詞を吐け!!このポンコツ!!」という視線をがっつり受け、取り繕うように咳ばらいをした。
「……よ、良く似合っているじゃないか」
お前それでも大公か!?と突っ込みを入れたくなるほど、グレーゲルの歯の浮く台詞は弱々しいものだった。
侍女二人の視線が若干、残念な子を見る目になったが、幸いユリシアはへにゃっと笑う。
「あ……あの、ありがとうございます」
モジモジしながら礼の言葉を紡ぐユリシアの姿は、グレーゲルにとって堪らないもの。
だがしかし、しつこいけれど彼の目つきは控え目に言って悪い。そのせいでユリシアは威嚇されているようにしか見えない。
(わかってる。わかってますよぅ)
ちょっと褒められたくらいで、浮かれ上がったりなんかしない。
夜会では目立たぬようひっそりと過ごすつもりだし、何なら出来損ない令嬢を演じたって良い。
だって自分が出来損ない令嬢じゃないと知ってくれた人たちがいる。認めてくれた人がここにいる。なら自ら演じるのは全然嫌じゃない。
「グレーゲル、あのですね。今日は私、精一杯頑張ります!任せてください!!」
「っ……あ……ああ」
斜め上の方向で意気込むユリシアに気圧されたグレーゲルは、一先ず頷くことにした。よっしゃやるぞと気合を入れるユリシアの仕草があまりに可愛らしかったもので。
それからグレーゲルは僅かに心に引っ掛かりを覚えたけれど、それを無視して壁時計を見る。時刻は夕刻。夜会まであと1時間。
「それでは行くとするか。ユリシア、こっちに来い」
にゅっと両腕を突き出したグレーゲルのポーズは、ハグを求めるそれにしか見えない。
「そ、そんなっ。私なんかが……無理、出来ません!!」
黒を基調とした盛装は大公閣下に良く似合っている。眩いばかりに美男子だ。そんな彼に抱きつく権利があるのはこの世でシャリスタンだけなのだ。
そんな気持ちで髪が乱れるのも構わずユリシアは、首をブンブン横に振る。
なのにグレーゲルにはちっとも伝わってくれない。どんどん表情が険しくなっていく。
「黙れ。ラーシュは良くて俺は駄目なんて言わせないぞ」
「いえ、そうじゃなくって」
「いいから来い!」
堪忍袋の緒が切れたグレーゲルは、強引にユリシアを抱き寄せると踵を強く地面に打つ。
あっという間に描かれた金色の魔法陣に、ユリシアは「すごっ、きれー」と状況を忘れて目を輝かせる。
好きな人が己の魔法を喜んでくれたことにグレーゲルは、あっという間に機嫌を良くした。
「では、行ってくる。留守を頼むぞ」
「かしこまりました」
「行ってらっしゃいませ。お気を付けて」
侍女二人に出発を告げると、グレーゲルはぎゅっとユリシアを抱きしめて、一陣の風と共に姿を消した。




