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グレーゲルの言った”出来損ない令嬢”は、ユリシアにとって禁句だった。
なぜならユリシアは、出来損ない令嬢となるよう義理の兄アルダード・ダリヒに仕向けられたから。
両親を亡くしたユリシアは、国の定めによりリンヒニア国の王都にあるダリヒ家の本邸に引き取られた。
保護者になったノヴェル・ダリヒは亡き父の面影を受け継いだ容姿であったが、目つきは鋭く、あきらかにユリシアを歓迎していなかった。その隣に立つノヴェルの妻ミシェラに至っては、あからさまに顔を歪めていた。
といってもこちらとて、好き好んで来たわけじゃなかったし、亡き両親の代わりに愛情を求めていたわけでもない。
それに、これまで”平民出身の妾の子供”という扱いを多少は受けてきたから、この程度では傷付かないし、ぜんぜん想定内だ。
などと齢12でありながら、ユリシアはそんな達観したことを思った。
付け加えると、この程度の冷たい扱いなら余裕余裕。両親は個人財産だって残してくれたし、お針子の腕も授けてくれた。成人した暁には王都を離れて、中規模な街で店を開こうーーなぁーんていう未来予想図も立てていた。
でもその未来は打ち砕かれる。
ノヴェルがどんな手を使ったかわからないが個人財産はほどなくして、彼の手に渡ってしまった。しかもそれに気付いたのは、事後報告じゃない。保護者になったノヴェルとミシェラの生活が、やたらと派手になったから。
成人前の子供でも気付いてしまうというくらいだから、その派手な生活ぶりは察して欲しい。そしてどういうことかと詰め寄ったユリシアは、説明ではなく豪快な平手打ちをくらった。これがダリヒ家で受けた初の暴力だった。
それからノヴェル達は己が持つ罪悪感を誤魔化したかったのか、正当化したかったのかわからないが、ユリシアに対して口にするのも憚れるような虐待をした。
ただすぐにユリシアに死なれては困る理由があったのだろう。虐待の割合は、暴力3:悪言7といった感じだった。それが3年続いた。
よくもまあ性格がひねくれなかったと、ユリシアは自分自身を褒めてあげたい。
そんな自画自賛できるほどまだ心に余裕があったユリシアだが、その後、寄宿学校を卒業したアルダードがガラン邸に戻ってくると状況は更に悪化する。
立ち位置的には義理の兄となったアルダード・ダリヒは、ノヴェルを上回る嫌な奴だった。
丁度その頃、ユリシアは社交界にデビューする時期に差し掛かっていた。
ユリシアとしてはそんなもん興味など無いが、良き保護者を演じる必要があったノヴェルは強制的にデビューを命じた。エスコート役はアルダードと勝手に決められた。
ふてくされるユリシアを無視して社交界デビューの準備は質素倹約をモットーに進められた。
当然、ユリシアに専属の家庭教師など付ける気がなかったノヴェルは、アルダードに即席家庭教師になるよう命じた。……家庭教師となった彼は、悪魔と化した。
ダンスのレッスンや社交界マナーを教えている最中、彼は徹底してユリシアを傷付ける言葉を吐き続けた。まるで呪詛のように。
しかもデビュタントを飾る夜会直前に、ステップを間違えた罰としてユリシアの足の指の間に火のついた葉巻を押し当てたのだ。あろうことか両足に。
両足に火傷を負ったまま参加した夜会は、散々だった。歩くことすらままならないというのに、無理矢理ダンスを踊らされたユリシアは無様に転倒した。
もともと平民出身の妾の娘という目で見られていた上での失態は、出来損ない令嬢とレッテル張られるのには十分な出来事だった。
さすがに心が折れかけたユリシアは、もう二度と夜会になんぞ出ないと決めた。でも、アルダードは、それからもユリシアを夜会に強制連行した。毎回毎回、ユリシアの身体の一部を傷付けて。
だからユリシアは一度も五体満足な状態で夜会に参加したことは無い。そして参加すればするだけ”出来損ない令嬢”という基盤を固められてしまっていた。
ユリシアにとって”出来損ない令嬢”という言葉は、過去の屈辱を凝縮したものであり、二度と耳にしたくないもの。
それをまさか隣国マルグルスで聞くとは思いもよらなかったし、密かに応援している相手の口から放たれるなんて信じられなかった。
とはいえグレーゲルは自分の過去なんか知らない。こちらとて語りたくもない。
でもこのままでは、酷い言葉を言ってしまいそうな予感がしてユリシアは無言で執務室を後にし、別邸の居間でソファに八つ当たりをしていた……というわけだった。
「ーー私……私……本当はダンスだって踊れるし淑女教育だって、亡き両親から実はちゃんと受けてるんです。そりゃあ、完璧とは言えませんがそれでも出来損ないとは言われないくらい頑張って来たんです。……なのに、なのに大公閣下は……うぅ」
感情が抑制できず嗚咽を漏らすユリシアに、モネリとアネリーはぎゅっーと慰めのハグをする。
年長者のブランは、年のせいか涙腺が緩くなっているようで、懐からハンカチを取り出し目尻を拭う。
そんな中、ラーシュは空気を読まない発言をした。
「でもさぁユリシア様、それ俺らに言っても何の解決にもならないんじゃないんすか?本人に言わなきゃ、ユリシア様はずっと閣下に出来損ない令嬢と思われたままっすよ」
ラーシュの言葉はまさに正論だった。
だがしかし彼以外の全員が思った。「え?それ、今言っちゃうぅ~?」と。
誰一人言葉に出さなかったけれど8個の目は雄弁に語っており、非難目線を一身に受けたラーシュは頬をポリポリ掻きながら視線を逸らした。
「ーー説明したって……皆さんと違って閣下は私の話なんか聞いてくれないもん」
しんとした部屋にユリシアの拗ねた声が響いた。
膝を抱えて肩を落とすその姿は、言葉では誤認識を改めてくれるわけがないと心の底から思い込んでいるそれ。
そんなわけない。たとえフクロウがホゥホゥではなくヘェヘェと鳴いたって、グレーゲルはユリシアの言葉を全面的に信じるだろう。と、使用人一同は声を大にして主張したい。
だが、たったこれだけの仕草でユリシアがグレーゲルのことをどう思っているのか察した使用人達は、再び目線だけで緊急会議を開く。
会議は1分で終了し、ユリシアへ提案する役は多数決でラーシュが選ばれた。
「ええっとユリシア様、閣下が聞いてくれないなら……あ、あのですね。ぅおほぉっん」
「ん?は、はい」
わざとらしい咳ばらいをしたラーシュに、ユリシアは首を傾げつつ聞く姿勢を取る。
「なら、行動で見返してやりましょうよっ。閣下と一緒にダンスを踊っちゃいましょうよ!」
「は……い?」
「屋敷にはボールルームがあります!音楽だって任せてくださいよ。その辺は俺らがちゃーんとセッティングするんで任せてください!ユリシア様は閣下を引っ張って来てください。ね?そうしましょう!それが良い!!そんで一曲チャチャっと踊って、閣下がぐうの音も出ない顔を一緒に拝みましょうや。よーし、これで決定!!んじゃ、俺、ちょっくら準備してきますわ」
「えー!!」
何を言い出すかと思えばとんでもない提案を押し付けられた。挙句、ラーシュは脱兎のごとく別邸を飛び出して行った。
ブランも「こりゃいかん。選曲はわたくしの担当だ!」と叫んで風のように消え去ってしまった。
残るはモネリとアネリー。二人は素早い動きで大きなトレーを持ってくると、テーブルに並べられていた菓子類をそこに移していく。
(こ、これは嫌と言えない流れだ)
ユリシアは冷や汗をかく。侍女二人に声をかけたくても、頑として目を合わせようとはしないし、どうか話しかけてくれるなと見えない壁を作っている。
人の良いユリシアは全力で嫌だとごねたいが、相手が困ると思うとどうしたって行動に移せない。
とはいえ泣き言を言うくらいは、どうか多めに見て欲しい。
「……引っ張って来いって言われても、閣下が付いてきてくれるわけな」
「いーえ大丈夫です!!」
「そうです!ユリシア様が来いと言ったら、殿下は地の果てでも付いていきます!」
被せ気味に強く言われてもグレーゲルは道ならぬ恋をしていると思い込んでいるユリシアは、「んな馬鹿な!!」と叫びたい。
だが途方に暮れた顔をしているユリシアを、モネリとアネリーには違う意味に受け止めてしまった。
「ユリシア様、万が一……いえ億が一、いいえ兆が一、閣下が嫌だと拒んだらこう仰って下さい。”来れば、わかる”と」
「あと”見もしないで何がわかるの?”とちょっと煽ってみるのもアリです!とにかく大丈夫です!がんばです!!」
兆が一ってフレーズは、トオン領で流行ってる?と思ったのは間違いなく現実逃避だ。
だが、そうやすやすと逃がす気は無いモネリとアネリーは、ニコニコ笑みを浮かべながらユリシアをソファから立ち上がらせると、背中を押して本邸に続く回廊に押し出した。




