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それからどれくらい経っただろうか。ティーカップに入っていたお茶も残り僅かになったころ、再びグレーゲルが口を開いた。
「ーーこの色が好きなのか?」
「は……い?」
この色とは何の色だろうかと、不思議そうな顔をするユリシアにグレーゲルは補足を入れる。
「お前のドレスの色だ。こういう地味……いや、控え目な色が好みなのか?」
「はぁ、まあ」
一先ずユリシアは頷いてみたものの、染みや汚れが目立たないという理由で選んでいるとはなんかちょっと言い難い。
ちなみに今日のドレスは、紫苑色と言えば聞こえは良いが要はくすんだ紫色。装飾も皆無でエプロンを付けたらメイド服でもイケる大変シンプルなデザインだ。
これは大っ嫌いな義兄アルダードがマルグルス国に貢ぎ物になると決まった際に用意したもの。おそらく中古品。年頃の娘が好むものではない。
だがユリシアの所有するドレスはこれに似たり寄ったり。
余談だがグレーゲルは、ユリシアの為にたぁーくさんドレスを用意してクローゼットに押し込んだのだが、それを着ろとなかなか言い出せない。
だって一ケ月前に片想いしている女性から「自分が不本意だと思っても、女性の意思を尊重しろ」と言われたから着て欲しい気持ちをぐっと堪えている。忠犬のように、着てくれるのをじっと待っている。
……ということを互いに口に出さないもので、また二人は衝突する羽目になった。
「お前が地味……いや、落ち着いた色を好むのはわかったが、夜会の時はそうはできない」
「や、夜会ですか?」
急に変わった話題に、ユリシアは目をぱちくりさせる。次いで、あわあわと狼狽える。
「ま、まさか私……夜会に」
「ああ、そうだ。来月王城で夜会がひらかれる。俺らの婚約披露も兼ねているから、欠席はあり得ない」
「そ、それはマズいです」
自分が大公様の婚約者だと世間に公表するのは超マズい。
だって彼には本命がいるのだ。近い将来、本命であるシャリスタンを妻に迎える時に絶対に面倒な事態になる。
そんな気遣いでユリシアは動揺を隠せないのだが、グレーゲルは全く違うものに捉えてしまった。
「安心しろ。そう気負うことは無い。お前がリンヒニア国で出来損ない令嬢と呼ばれていたのは知っている」
ーーだが、俺と一緒なら誰にも口出しさせないし、絶対に守る。
グレーゲルは、最後はカッコよく決め顔をしてユリシアの好感度を上げようと思っていた。
だがしかしキメ台詞を言う前に、ユリシアは乱暴にティーカップをソーサーに戻すと無言で立ち上がった。
「お話が終わったようなので、失礼させていただきます」
「……?」
話は終わるどころか、始まったばかり。それは誰の目にも明らかだったが、ユリシアは強引に扉へと向かう。
「おい、待てっ」
グレーゲルは、慌てて呼び止めるがユリシアの足は止まらない。
「ユリシア!」
強い口調で名を呼べば、ユリシアは振り返った。
「……っ……!?」
目が合った途端、グレーゲルは思わず息を呑む。普段、ある意味表情豊かなユリシアが完璧に無の表情でいたから。
ーーキィ、バタン!!
乱暴に扉が閉じられ、ユリシアが執務室から消えてしまってもグレーゲルはその場から動くことができなかった。
*
(ムカつく、ムカつく、ムカつく、ムーカーつーくー、ムカつくったらムカつく!!)
別邸に戻って来たユリシアは、荒れる狂う感情のままソファに置いてあったクッションを壁に投げつけた。
ちなみに別邸の居間には、ユリシアを含めて5人いる。
侍女のモネリとアネリーはデフォルトで。執事のブランと、グレーゲルの側近ラーシュは廊下でユリシアとすれ違った際に、彼女のただならぬ様子を見て後を追って来たのだ。
そんな4人は、荒れ狂うユリシアにどう言葉をかけて良いのか悩んでいる。
視線だけで使用人による使用人のための緊急会議が開かれているが、名案は浮かんでこない。
かれこれボスッボスッとクッションの悲鳴が続くこと十数分。醜い押し付け合いの末、最終的にラーシュが口火を切ることになった。
「ーーあ、あのう……ユリシア様」
「あ゛」
「い、いえ。なんでも」
秒速で心が折れたラーシュは、ブランに救いを求める。しかしブランは窓に目を向けて午後の天気を読むのに忙しい。
モネリとアネリーはユリシアが好むお菓子を並べるのに必死だ。
つまり誰もラーシュに手を貸す気は無い。だがしかし「再チャレンジしろ!」という圧は遠慮なしによこしてくる。
追い詰められたラーシュは、やけくそ気味にもう一度ユリシアに声を掛けた。
「ぅう……あーくそっ。……あ、あの!ユリシア様!!」
「なんですか?」
先ほどよりはまだマシな返答に、ラーシュは額の汗を拭いながらおずおずと問いかけた。
「あの……どうかなさったんですか?」
どうもこうもグレーゲルが何かしたのは間違い無い。どうせ空回って、変なことを言ったのだろう。
大公閣下は良く言えば不器用。身も蓋も無い言い方をするならデリカシーが無いお方だ。
そこそこ側近歴が長いラーシュは、グレーゲルの失態を見てもいないのに手に取るようにわかる。
ま、まぁ……わかるが、ここはユリシアの口から何があったのか聞きたい。後で大公閣下に苦言を呈するためにも。
「……閣下が」
「はい」
長い沈黙の後、蚊の鳴くような声で口を開いたユリシアに、ラーシュは慎重に相槌を打つ。
他の使用人3人も固唾をのんで聞き耳を立てている。
「あのね閣下が……」
「はい」
「……」
再び続きを促せば、ユリシアは何かを言いかけて口を噤んでしまった。
よほど言葉にできないことがあったのだろう。ぐっと唇を噛んだユリシアの目は涙で潤んでいる。
だからラーシュ他3名は息を殺して続きを待った。
その気遣いが功を成したのかわからないが、ずびっと鼻をすすったユリシアは小さな声でポツリと呟いた。
「閣下が私の事、出来損ない令嬢って言ったの」
そう言った後の空気をどう説明すればいいのだろうか。
使用人3は一斉に本邸に向けて「……うわぁ」という眼差しを向けた。
モネリとアネリーに至っては、更に虫でも見るような目つきに変わり、ブランは天の救いを求めるように、手を祈りの形に組んだ。
最後にラーシュは全員の気持ちを代弁するかのように「あの馬鹿」と吐き捨てた。その声は思いのほか大きくて、居間の隅々まで届いてしまった。
誰に向けてのものなのか明確にわかっていたにも関わらず、咎める者は誰もいない。
だって皆、同じ気持ちだったから。
ーーというわけで、ラーシュの不敬罪発言は闇に葬ることが即、決定した。




