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隣国の貢ぎ物にされた出来損ない令嬢は、北の最果てで大公様と甘美な夢を見る  作者: 当麻月菜
出来損ない令嬢のささやかな反撃 ※またの名を【ダンス事件】

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 葉巻一本であわや婚約破棄の危機を迎えたグレーゲルだったが、それ以降、ユリシアの前で葉巻の「は」の字も出さなかったおかげで、一ヶ月経った今でも何とか婚約中でいられている。


 満足のいく交渉ができたユリシアも文句一つ言わずに、本邸のグレーゲルの隣の部屋で寝起きしている。


 つまりグレーゲルの望む通り、着々と結婚に向けて準備が進められていた。……ま、表面上は。


 実際のところ二人の関係は、交渉した時から何ら変わっていない。


 隣同士の部屋にいるのに、顔を合わせることは皆無。食事だって、あれから一度も一緒に食べていない。


 そりゃあグレーゲルは大公爵であると共にトオン領の領主だ。忙しさならマルグルス国で三本の指に入る。


 とはいっても、本邸で食事を取る時間だってある。もっというとお茶を飲む時間だってあるし、庭を散策する時間だって作ろうと思えば作れるのだ。


 なのに未来の正妻で、現在は婚約者であるユリシアと一切接触できない。


 ……そう。しないのではなくて、できないのだ。


 なぜなら勘違いしたままのユリシアが、一生懸命グレーゲルと会わないよう全力を尽くしているからで。


 そんなかくれんぼのような生活にグレーゲルは、とうとう堪忍袋の緒が切れた。







 読みかけの本から視線を外して窓を見つめたユリシアは、遠くの真っ白な雪山と庭の緑と舞う雪のコントラストが美しくて、満ちたりた笑みを浮かべた。


(あー、平和で幸せ。ほんと夢のような毎日だなぁ。あ……大公閣下は、そろそろ仲直りできたかな?)


 ここはリールストン邸の別宅。


 本邸に私室を移したユリシアだけれど、一日のほとんどをここで過ごしている。無論、食事も全てここで。


 言っておくが別に本邸で嫌なことがあったわけじゃない。


 使用人達は皆、貢ぎ物としてやってきた自分に対して礼儀正しく、時には気さくに接してくれる。こっちが逆に申し訳ないと思うほどに。


 本邸の私室も、過ごしやすさに重点を置いた作りで文句を探したって見つからないくらい快適だ。


 ならなぜ別邸に引きこもっているかというと、それは全てグレーゲルとシャリスタンを思ってのこと。


 お飾り妻になる予定の自分は、徹底的に本邸から気配を殺したほうが良いと判断したのだ。

 

 そうすれば余計な誤解を産まなくて済むし、グレーゲル達だっていらん喧嘩をしなくて済む。


 他人の庭でアッツアツの抱擁を交わしていた二人には、幸せになってほしいとユリシアは本気で思っている。そうすれば自分がちょっとは誰かの役に立ったと思えるから。


 という打算もあって、ユリシアは陰ながらにグレーゲルを応援しているのだが、それが全く意味の無いことだということには気付いていない。

 

 加えてグレーゲルを応援するのはユリシアだけの秘密である。だから侍女のモネリとアネリーも知らないし、執事のブランだって気付けていない。


 そんなわけでユリシアが別宅で過ごすのは、ただ単にここが気に入っているだけと使用人一同は思い込んでいる。


「ユリシア様、お茶のお替りはいかがですか?」


 ポットを手にしてこちらに近付いたモネリに、ユリシアはにこっと微笑む。


「はい。お願いします。あ、モネリとアネリーも良かったら一緒にどうですか?」


 ユリシアは手のひらで向かいのソファを示して、二人に提案する。すぐに「はい!」と返事が来て、ユリシアは更に笑みを深めた。


 これまで親しい友人などいなかったユリシアにとって、モネリとアネリーが親しく接してくれることがとても嬉しい。二人にとっては、仕事の一環かもしれないけれど、それならそれで感謝する。ありがとう。


 などとユリシアが心の中で二人に向かって手を合わせている間に、侍女二人は、いそいそとお茶の準備をはじめる。モネリがお茶を入れて、アネリーがクッキーを皿に並べる。


「じゃ、飲もっうか」

「はい」

「いただきます」


 小さなローテーブルに3つのティーカップが置かれて一気にお茶会ムードになる。


 たったそれだけでウキウキするユリシアは、感情のままにへにゃりと笑ってティーカップを口元に運ぼうとした。


 しかしその時、場の空気を壊すような乱暴なノックの音が響いた。


(……なんか以前にもこんなようなことあったな)


 デジャヴを感じたユリシアは、そっとティーカップをソーサーに戻す。


 その動作がフラグだったのかわからないが、嫌な予感は的中した。


 今回も居間に入ってきたのは執事のブランだった。


 そして前回同様、随分と急いで来たのだろう。前髪の一部が額に流れているし、じんわり汗もかいている。


「お茶飲みま」

「お気持ちだけで」


 時間稼ぎをしようとしたユリシアに気付いたのか、ブランは被せ気味に頭を下げた。


 次いで顔を上げると共に、口を開く。耳を塞ぎたくなるような内容を。


「大公閣下がお呼びです。ユリシア様に至急話があるとのことで──」


 ブランが言い終える前に、ユリシアは強い目眩を覚えた。


「わ、私……何をしましたか?」

「……」


 こんなにも邪魔にならぬよう気配を殺しているというのに。一体、何がご不満なのだ!?


 なぁーんていう気持ちから、無言でいるブランを軽く睨めば彼はすっと顔をそらしやがった。


「閣下は、待たされるのがお好きではありません」


 何度も聞いたこのフレーズは、言外に四の五の言わずにとっとと付いてこいと訴えるもの。すぐにユリシアは、侍女二人に救いを求めてみた。


「いってらっしゃ~いませ」

「ごゆっくりどうぞ」


 二人は無情にも生温い笑みを浮かべ立ち上がると、扉の前に移動する。


 おそらく自分を見送るためだろう。でもユリシアはソファから立ち上がることができない。だって行きたくないから。


「……あの、モネリとアネリーも一緒に──」

「ふふっ、そんなことできません」

「わたくしたちはここでお待ちしておりまーす」 


 誘いの途中だというのに、侍女二人はにこやかに辞退を申し出た。


(……ま、まぁ……あんなことがあったから大公殿下に会いたくないよね)


 カーテン絡まり事件は、一ヶ月経っても侍女達の心を蝕んでいるのだろう。


 ユリシアとて逃亡未遂後の交渉は今でも夢に見る。言うまでもないが、ジャンルは悪夢系だ。


 だからユリシアはこれ以上二人に無理強いするのを諦め、よっしと気合を入れて立ち上がった。





 別邸を後にしたユリシアは、ブランを先頭にグレーゲルの執務室に向かう。細く長い溜息を吐きながら。


 3歩前を歩くブランは気付いているだろう。こちらとしても最後の悪あがきでやっているのだから是非とも気付いて欲しい。


 しかしブランは完全なるスルーをして、足を動かすだけ。そして心の準備ができていないユリシアを無視して執務室の扉を開けた。


 すぐにユリシアは、ひぃっと声にならない悲鳴を上げた。


 なぜなら「あのぉ、もしかして怒ってますぅ?」などと聞くのが野暮なほど、グレーゲルがとても不機嫌な顔をしていたから。


「遅かったな。入れ」


 太陽すら凍り付かせるような眼差しを受けたユリシアは、咄嗟に執務室から出ようとした。しかし出入口はブランが身を挺して塞いでいる。


「何をしている。早く座れ」


 顔色を失ったユリシアのことなどお構いなく、グレーゲルは机を指先で叩いて呼び寄せる。


「や」

(やだやだっ)  

 

 うっかり本音を漏らしてしまいそうになったユリシアは慌てて両手を口で塞ぐ。


「遊んでないで早く座れ。早急に伝えたいことがあるんだ」


 無論、遊んでなんかいない。むしろこの状況で遊べる奴が居たら、そいつはとんでもない神経の持ち主だ。


 などと憎まれ口を叩きたいのはやまやまだけれど、あまりにグレーゲルが苛立っているのでユリシアはヘロヘロとおぼつかない足取りで執務机の前に用意された椅子に着席した。


 すぐにグレーゲルの眉間に皺が寄る。


「顔色が悪いが、風邪でもひいたのか?」

「……いえ」


 何を言うかと思えば斜め上の気遣いに、ユリシアは小さな声で返答する。ただこの状況に一周回って笑い出しそうな自分がいる。


「話をする前に、温かいものを飲んだ方が良い。酒はいけるか?」

「わかりません。飲んだことないですので」

「そうか。……なら、茶の方が良いな」

「……」


 緊張のせいで喉はカラカラだが、できることなら別邸で茶を嗜みたい。


 そんなことが言えるわけもなく、ユリシアは無言を貫く。ほどなくしてブランの手によって二人分のお茶が執務机に並べられた。


「ーー最近は、どう……だ?」

「っ!?……ぅぐぅ、ごほごほっ」


 ティーカップをプルプルさせながら何とか一口啜った途端、グレーゲルから問いかけられ、ユリシアは咽た。


「やはり風邪か」

「ごほっ……違います」

「こんなに咳をしているのにか?」

「……」


 貴方が急に声を掛けるから咽たんです、などとどうして言えようか。


 ユリシアはこれからも平穏な生活を望んでいるため、これもまた無言で応えることにする。


 と、思ったけれどやはり気になる点は早々に解決しておきたい。


「あのう……閣下」

「グレーゲルだ」

「グレーゲル閣下、あの」

「閣下はいらん。グレーゲルだ」

「……グ、グレーゲルさま」

「お前喧嘩を売ってるのか?」

「まさかっ」


 咄嗟に首を振ってみたが、因縁付けているのは彼の方だとユリシアは反論したくなる。


 だがしかしそんなユリシアの気持ちになんてまったく気付かない様子で、グレーゲルは「早く言え」と圧をかけてくる。眼力が強すぎて、お茶が凍り付きそうだ。


「……グ、グ、グレ、グレ、グレーゲル」

「おちょくってるのか?ちゃんと呼べ」

「グッ、グレーゲルンッ」

「無駄に力むな。もう一度」

「……グレーゲル」

「声が小さい。聞こえん。羽虫か?お前は」

「グレーゲル」

「もう一度」

「グレーゲル!」

「よし」


 何度もやり直しをした結果、ようやく及第点が貰えた。

 

 ユリシアはほっと胸をなでおろすと共に、お茶を一口飲む。もう喉がカラカラを超えてカスカスだ。


 喉を潤したユリシアはそれにしても、と首を傾げる。名前を呼んだ途端、彼は笑ったのだ。満ち足りたように。


 今のグレーゲルは不機嫌ではない。口元が弧を描いているからご機嫌な部類に入るだろう。


 そんな彼を見て、ユリシアはこう思った。


(きっとまだシャリスタンさんと、喧嘩の途中なんだぁ)


 だから自分を恋人代わりに見立てて、名を呼ばせたに違いない。ったくそんな愚かなことをする暇があったら、さっさと謝ればいいのにさ。


 などと思ったけれど、二人には二人の事情があるのだろう。


「……早く、ちゃんと名前を呼んでもらえるよう頑張ってください」

「は?頑張るのはお前……いや、俺が頑張らなければならないな」

「そうです」

「そうだな」


 互いに頷き合った後、無言で茶を啜る。


 不運にもブランは気を利かせて退室していたため、この馬鹿馬鹿しいすれ違いは誰にも止められることはなかった。

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