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「俺の耳がイカレてないなら、どうも君は離婚を前提としているように聞こえる。違うか?ははっ」
首を傾げたままでいるユリシアに、グレーゲルは愉快そうに問い掛けた。
ただしその目は、これっぽっちも笑っていない。
「……はいいえ」
「器用に誤魔化すな。で、どうなんだ?」
金縛りに合ったように首の角度を戻さずそう言ったユリシアに、グレーゲルは更に問い詰める。今度はギロっと睨み付けながら。
いっそ刃で脅された方がまだマシだとユリシアは心の中でぼやきつつ、ぼそぼそと答えることにした。
ただせめてもの時間稼ぎにと、首をゆっくり元に戻してから口を開いたのはご愛敬ということで。
「……えっと、するしないは別として一応取り決めをしておいたほうが良い案件かなぁっと思ったので勇気を出して聞いてみました。ちょっと言い方が悪かったですね……はい。ごめんなさい」
最終的にぺこっと頭を下げたユリシアであるが、道ならぬ恋を応援しているだけだというのに、なぜ謝らないといけないのか釈然としない。
対してグレーゲルはもっと釈然としない表情をしていた。
「俺は離婚をする気は無い。よって、この案件は無しにする」
「いや、待ってください。なら……そうですね。契約更新でいきましょう。一先ず初回契約は三ヶ月ってことで。あ、あと離婚した際の」
「くどい」
「……そんなぁ」
へにょりと眉を下げるユリシアだったが、ある可能性に気付いた。
(もしかして昨日か今日、シャリスタンさんと喧嘩でもしちゃったのかな?それとも、お飾り妻が見つかったから安心してくれなんて言っちゃって引かれちゃったのかなぁ)
ふと思いついただけだったが、考えれば考えるほど合点がいく。
きっとシャリスタンは、大公閣下の手を取るか取らないか悩んでいる時に外堀を固めるような発言をされて、自分の意思を無下にされたと傷付いたのだろう。
そのまま勢いで「嫌い」とか「別れる」とかタブー発言をしてしまったに違いない。
女心は複雑だ。道ならぬ恋をしているなら、尚のこと。
「……大公閣下は、ちょっとデリカシーに欠けているのかも」
「は?」
「あ、いえ」
うっかり思ったことを口にしてしまったユリシアは、へへへっと笑って両手を胸の前で振る。
しかしそんな程度で血濡れの大公の怒りを鎮めるなんて出来るわけが無い。
「俺がデリカシーに欠けているなら、具体的に言ってみろ」
半目になったグレーゲルにユリシアは一度は怯えてみたが殺さないという約束が背中を押し、勇気を出して彼に伝えることにする。
「ご自身が焦るあまり、相手の気持ちに寄り添うことができないところです」
言い切った後、やれやれといった感じで余裕のある大人の表情を作ってしまったユリシアに、グレーゲルは猫のように目を細める。
「ほぅ」
「女性は押し付けられたら引いてしまうんです。本音は嬉しいって思ってても」
「そうなのか?」
「そうなのです」
最終的に真顔になったグレーゲルに、ユリシアは出来の悪い弟を褒めるような姉の顔をする。
そうすればグレーゲルは、ちょっと迷ってからこんな問いを投げた。
「……なら、俺はどうすれば良い?」
「簡単です。たとえ自分が不本意だと思っても、女性の意思を尊重してあげるんです。だって、なんだかんだ言って大公閣下と同じ気持ちなんですもん。ねえ閣下、過程はどうあれ、結果的に自分の望む形になれば、それで良いって思いませんか?……まぁ、思わなくても、そう思えば万事解決です」
「……なるほど。一理あるな」
顎に手を当てて神妙な表情を作るグレーゲルは、ここには居ない恋人のことを考えているのだろう。別人のように目が柔らかい。
(うんうん、なんか仲直りできそうな予感がする。大公がんば)
美男美女が照れくさそうに「ごめんね」を言い合う光景を想像して、ユリシアは嬉しくなる。
だがしかし、二人の思考は笑ってしまうほどすれ違っていたりもする。
もう誰か止めてあげなよと思うが、残念ながらこの部屋には、ユリシアとグレーゲルの二人しかいなかった。
その後、ものっすごい勘違いが功を奏して、ユリシア主張の契約更新案はグレーゲル受け入れられた。
ただ三ヶ月更新を主張するユリシアに対し、グレーゲルは一年更新を主張した。それから押し問答の末、半年更新ということで決着がついた。
「──……よし、これで本当に終わりに」
「いえ、まだでございます」
今度こそまとめに入ろうとしたグレーゲルを、ユリシアは今度もまた挙手で遮った。
「他に何があるんだ」
ほとほとうんざりしたグレーゲルであるが、ユリシアとしてはこれからが最重要案件なのだ。
「離婚後の私の処遇についてきっちり取り決めをしたく存じます」
「しない」
たった3文字で終止符を打とうとする俺様大公に、ユリシアは待て待て待てと本気で焦る。
「いえ、そのようなことを仰ってはなりません!」
「俺は、そっくりそのままお前が今言った言葉を返したい」
「いりませんよっ」
「それは俺の台詞だ。そもそも、なぜ結婚もしていないのに、離婚の話なんかしないといけないんだ? まさかこれがリンヒニア国の流儀なのか?」
「そうです」
即答してみたけれど、実際のところ違う。
だが全く無いわけでもない。貴族同士の結婚は家と家の結びつきが重要視される。
だから極稀に、結婚前にありとあらゆる事態を想定して当人同士がこっそり契約書を作成するケースはある。つまり、嘘ではない。限りなく嘘に近い真実だ──などと、ユリシアは心の中で言い訳する。
しかし身体は正直だ。大公様を騙すような真似をしたせいで、キリキリする。
胃を庇うためにそっとお腹をさするユリシアに、グレーゲルは「飯は足りなかったか?」と馬鹿げたことをぬかす。
ユリシアが呆れ顔をしないよう気をつけながら首を横に振れば、なぜか大公も真似してくれた。
「……ほとほと理解ができん。お前の国はどうかしているな」
「ところ変われば常識も違いますので……」
心底うんざりした顔をするグレーゲルに、ユリシアは当たり障りのない返答をしてみる。胃の痛みが増した。
正直、もう自室に引っ込みたい。だが交渉の場は一度きりしか設けて貰えないはずだから、ここで逃げるわけにはいかない。
「まぁ、あの……閣下、これは万が一っていうことで聞いてもらえれば」
「万が一?ふざけるな。億が一だろう。いや、兆が一だな」
離婚する確率を下げていくグレーゲルに逆でしょ?と言いたいところ。
だけれど、ユリシアはそこに論議する体力も気力も無いので、さらりと無視して言いたいことだけを言わせてもらう。
「閣下のお言葉通り兆が一の確率で離婚した場合、私はリンヒニア国には戻りたくありません。ですので、ここトオン領にて小さなお屋敷をいただきとうございます。あと、できれば私の就職先の斡旋もしてもらえると助かります。あ、でも」
「トオン領が気に入ったのか?」
切々と訴えるユリシアの言葉を、グレーゲルは強い口調で遮った。
食い付くところが違うと思ったが、ひとまずユリシアは頷いた。……あまりにグレーゲルが真剣な表情だったもので。




