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曇天の空に小雪がちらつく中、厳つい門が開き、趣向を凝らした馬車が邸宅の石畳を進む。
蹄の音を響かせる馬の足は次第に速度を下げ、とある大邸宅の玄関に横付けされた。
既に客人の到着を今か今かと待っていた使用人の一人が恭しく馬車の扉を開けたと同時に、こざっぱりとしたコートに身を包んだ女性がふわりと地面に降り立つ。
北風に舞うシャンパンピンクの髪。空を見上げる瞳は若草色で小さな唇は甘いベリーのよう。
靡いた髪を押さえる手はガラス細工のように繊細で、ドレスの袖からチラリと見えた手首は一度も日に当たったことが無いと思わせるほど白く、まるで春の到来を告げる妖精のようだった。
もちろん、わかっている。彼女は生きた人間で自分に差し出された貢物であることは。でも、それほどに現実感のない光景だった。
(……生まれて初めて、他人に感謝する気持ちが芽生えてしまった)
グレーゲルはそんなことを頭のすみで考えながらも、窓越しに映る女性に完璧に心を奪われてしまった。
たとえそれが出来損ない令嬢と呼ばれる女性であっても、彼の目には世界で一番美しいものだった。
.+゜*。:゜【隣国の貢ぎ物にされた出来損ない令嬢は、北の最果てで大公様と甘美な夢を見る】゜:。*゜+
「ようこそお越しくださいました。ユリシア様。使用人一同、皆、あなたを歓迎します」
馬車から降りた途端、揃いの制服に身を包んだ人達が一列に並んで、皆、同じ角度で腰を折った。
「……はぁ、あ、ありがとうございます」
まさかこんなにも手厚い歓迎を受けるとは思ってもみなかったユリシアは、引きつる顔を誤魔化すように「ははは」と愛想笑いをする。
(ちょっとコレ、どういうこと!?)
ここはユリシアが生まれた国じゃない。
魔法大国マルグルス。しかも北の最果て。一年の半分以上が雪に閉ざされた極寒の地。
ユリシアは三か月前に、ここトオン領の領主であり、マルグルスの国王陛下の甥であり、先の戦争で”血濡れの大公”という二つ名を貰ったグレーゲル・フォル・リールストンの貢物にされることが決定した。
もちろん侯爵令嬢であるユリシアが自らが望んだことではない。
政治的なアレコレのせいで決定したのだ。そして貴族令嬢には拒否権など無い。ついでに言うと義兄アルダードがこの話に一番ノリノリだった。
そんなわけで義父から事務的に告げられ、その一ケ月後にはマルグルス国行きの馬車に乗せられていた。
そして2ヶ月間、義務感満載の世話を受けながら馬車に揺られ、本日めでたく(?)リールストン大公様の元にやってきた。
まぁ……やってきたというよりは、輸送されたという表現のほうが正しいけれど。
兎にも角にも、ユリシアはグレーゲルの貢物になる為にやってきた。
相手は血濡れの大公様だ。貢物の末路は奴隷か下僕か、もしくは瞬殺か。少なくとも明るい未来はない。
ただ長い移動時間のおかげで、心の整理をすることはできた。覚悟も決めた。大公様の管理の下、自分が生き残るためにどう振舞うか幾度もシミュレーションした。
だが数十回以上した想像の中には、歓迎されるというケースは含まれていなかった。
したがってユリシアは歓迎ムード全開の中、ただ一人だけひっそりと混乱を極めていたりする。
*
ユリシアことユリシア・ガランはリンヒニア国の5本の指に入る名門貴族の令嬢である。
しかしその出自は母親は平民。父親は貴族であるが祖父と呼ぶべき年齢差がある。
端的に言えば、隠居間近だった侯爵家当主の父が出入りの針子見習いを見初めて妾にしたのだ。しかし、すでに父ローレムの妻は他界していた為、不倫関係ではない。
ちなみにローレムは再婚を望んだけれど、母シノエは大変弁えた性格で自分の意思で妾という立場を選び、ガラン邸ではなく別宅で過ごすことになった。
といっても二人は親子ほどの年の差がありながらも、オシドリがその座を譲るほど仲が良かった。
ローレムは足繫く別宅に通い、時には泊まったりして、イチャイチャしたりして。ほどなくして齢60になるローレムは、まだまだアッチの方が現役だったようでユリシアが誕生した。
……というエピソードを持つユリシアは、とにかく望まれて生まれた子供だった。
そしてお爺ちゃんのような父親とおっとりとした母親から沢山の愛情を貰いすくすくと生きてきた。
でも、人生楽あれば苦あり。神様はとんでもない意地悪をする。
まずユリシアが12歳になったと同時にローレムが他界した。後を追うようにシノエも。
幸いローレムは後に残される妻と娘の為に遺産を残してくれていたし、それらの面倒な手続きをしてくれる人間も手配済みだった。
そのおかげでユリシアは別宅と食うに困らない財産を相続することができた。……そう。できたのだが、未成年であるユリシアには後見人が必要で、その男がクズだった。
ユリシアの後見人は、ローレムの息子でありガラン家の当主ノヴェルだった。
ガラン家は名門貴族であるが、ローレムは当主の器ではないようで彼の代になってから財政は芳しくなかった。
そんなわけでノヴェルがユリシアが相続した財産に目を付けるのはある意味当然で、本宅に引き取るという名目でさっくり頂戴したのも、ある意味予想通りだった。
ガラン家の本宅に引き取られたユリシアは、大事にされているとは言い難い生活だった。
そんな生活が続くこと7年。
よくもまあ、あれだけの仕打ちを受けてグレることなく生きてきたとユリシアは自分を褒めてあげたい。
「─── ユリシア様、ここはお寒いでしょう。さぁどうぞ中に」
ぼぉーっと自分の半生を振り返っていたユリシアは、一番真ん中にいる壮年の男性から声を掛けられはっと我に返った。
「……は、はい」
にこにこと笑う壮年の男性はユリシアと目が合うと「執事のブランです」と自己紹介までしてくれた。
「ユリシアです」
「存じております」
間抜けな挨拶にもブランは、変わらず人の好い笑みを浮かべてくれる。
久しぶりに温もりのある対応を受け、ユリシアはじんと胸が熱くなる。
(良い人だ。うん、良い人……良い人そうなんだけどねぇ……うん)
7年もの間、そこまでする!?と、詰め寄りたくなるほどの扱いを受け続けたユリシアは、そう簡単に人を信じることができない。
ただ素直に好意を受け取れないのには、もう一つ理由がある。
それはこの屋敷の主がグレーゲル・フォル・リールストンであること。
彼はこう呼ばれている─── ”血濡れの大公閣下”と。