現役作曲家の自分を最もレベルアップさせてくれたのは結局の所、「圧倒的〇〇」や「圧倒的〇〇」だった。
曲がりなりにも作曲家として生活をしてそろそろ10年になる自分だが、最初は出演者側としての成功を夢見ていた。
高校時代、いわゆるDTM(パソコンで音楽を作ること)にのめり込み、作った曲が友人達にとても好評だったのですっかり自信満々になり、たまたま知り合ったボーカリストとライブをすることになった。
自分なりにいい曲を作り、自分なりに練習を頑張って、心臓が飛び出るくらいに緊張しながらも迎えた本番、「よし、ここから自分の輝かしいアーティスト人生が始まるんだ!」と、信じて疑わなかった。
何せ、周囲の人たちからは一様に「お前の曲はいい!」と言われてるんだ、きっと大喝采が起こるに違いない。
そして無我夢中で1曲めを演奏をして、客席の反応を伺うと……。
シーン……。
水を打ったように静まり返っていた。
「がんばって……」
どこからか、心配する声まで聞こえてきた。
あれ、こんなはずはない、おかしいぞ?
その後、予定の5曲目までなんとか終えたが、終わった頃には頭が真っ白になっていた。
客席では自分が呼んだ知人たちが、居心地悪そうにこっちを見ていた。
出演に際しチケットノルマがあったが、ほとんど売れなかったので自腹を切って精算をして、さらにライブハウスの店長からアドバイス(ダメ出し)も貰ったが、ショックでほとんど耳に入ってこない。
さらに、当時片思いをしていた相手をライブに呼んだのだが、ライブ後に「実は最近彼氏ができた」と言われてフラれた。
冬の寒い夜、重い機材を抱えた駅からの帰り道、泣きながらとぼとぼ歩いたことを思い出す。
あまりにも悔しかったので、この日の売れ残りチケットは今でも取ってある。
思えば、これが自分の音楽人生の、本当のスタートだった気がする。
音楽を続けてきた中でこんな「圧倒的敗北」が時々起こり、そのたびに失意の底に突き落とされたが、今振り返ればそれらは全て「成長・飛躍の大チャンス」になり、「ラッキー」だったとすら思う。
まあ、失意にうなだれる当時の自分に対しては不謹慎だが......。
なぜかというと、これほどまでにボコボコにされると「自分に何が足りないのか」が明確になると同時に、「それまでの自信を消し飛ばすような大嵐でも吹き飛ばされない何か」、つまり自分の武器なりオリジナリティなりアイデンティティなり、今後自信とし大切にすべきものは何かが見つかるからだ。
例えば、先の初ライブの翌日にこう反省した。
人前で演奏するのは初めてだったとはいえ、衣装含めてステージングはお話にならないし、結局ボーカルと自分以外のメンバーがライブまでに見つからずに打ち込み(オケを流すこと)だったのもマズかった。
ボーカリストも緊張のせいかリズムも音程もめちゃくちゃだったし、自分も演奏に必死で手元ばかり見ていた。
つまり、「単なるカラオケ大会+へっぽこギター」だったのだ。
とてもお金を取れるレベルではない。
自分からしたら「初めてのライブだった」「忙しくてメンバーが見つからなかった」などと言い訳はあるが、観客からしてみたらそんなことはどうでもよくて、お金を払ってきてるんだから良いステージを見せろ、それだけなのだ。
自分が観客だったら同じように思うだろう。
いかに自分が甘ったれで井の中の蛙だったか、身に沁みてよくわかった。
だけど、曲はどうだっただろうか。
他のバンドはステージングもサウンドもカッコ良かったけど、正直曲は一曲も印象に残らなかった。
自分たちはライブとしての出来は残念すぎたし、フラれたし、本当悲惨な初ライブだったけど、曲だけは決して負けてなかったと思った。
(ヒヨッコの自分が抱いた何の根拠もない自信だが、それでもこの自信を持ち続けたことが結局今に繋がっている)
しかし、「曲を作る技術」をいくら磨いても、それを「見せる・伝える技術」も磨かなければ全く意味がない。
チューニング(調律)が出来ていないギターではどんなにカッコいい曲を弾いても、間抜けに聞こえてしまうように。
それくらい「見せる・伝える技術」というのは大事だし、曲を作るだけだった自分にはわからなかったことだ。
だから、まずは立ってギターを弾く練習を始め、メンバー探しに出た。
その後、紆余曲折を経て作曲の道でやっていくことになるのだが、上記のように課題を見つけては修正を繰り返したおかげで、一定のクオリティ(商業レベル)に達し作曲家事務所に入所することができたものの......。
結局どこへ行こうが何をしようが壁にはぶち当たるし敗北して打ちのめされる。
今度はプレゼンを勝ち抜く曲を書かなければいけない。
自信満々に送り出す曲たちが箸にも棒にもかからず全く進展のない日々が続く中、同じ事務所の友人がなかなか大きい採用を当てた。
友人のSNSにはいいねやリプが殺到し、何だか一気に違う世界に行ってしまったかのようだった。
友人の才能はもちろん認めていたが、正直自分もそれほど負けていないと思っていたのに......。
だが友人の採用曲を聴くと、「あ、これは決まるわ......」と素直に降参してしまった。
プレゼン先のアーティストの音楽性に合わせるだけではなく、彼の個性が活きつつも歌いやすいメロがみっちり計算されて作られていて、自分よりも何歩も深く研究しているのがよくわかった。
すると自分のそれまでの提出曲は、「こんな感じで作っておけばいいんでしょ」みたいな、プレゼン先アーティストの表面だけをなぞった「浅い」曲に聴こえてきたのだ。
これじゃ決まる訳がない。
そこで、その後はプレゼン先アーティストの曲を顕微鏡で見るかのごとく徹底的に分析し、さらには1曲制作する際に他の曲用に考えていたメロやアイデアを2〜3曲分、惜しみなくぶち込んで作るようにしていった。
人間の慣れというのは中々大したもので、今まで「これはすごいメロだ!」と大事に温めていたものが、出し惜しみなくつぎ込んでいくうちに、それくらいのレベルのものはサクッと作れるようになってしまう。
それを数回繰り返した結果、自分も初めての採用曲を頂けたのだった。
このように「圧倒的敗北」は自分を見つめ直し成長させてくれる大きな機会だったが、もう一つご紹介したいのは「圧倒的苦悩」だ。
これはどういうことかと言うと。
「さあ良い曲を作ろう!」と、最初は意気揚々と取り組むが、「このメロは自分だけが思いついた!」と喜んだら同じようなものはとっくに出ていたり、「これは最高だ!」と思って自信満々に送り出したら反応はからっきしでガッカリしたり。
それでも七転び八起きで、これでどうだ!これはどうだ!としつこく繰り出しては跳ね返され、考えすぎて夢の中でまで作曲するような苦悩状態になる。
もはや座っていられなくて、寝っ転がってギターを抱えて作曲する「寝ギター」なんてこともやったりする。
そしてしまいには「もうダメだ、もう万策尽きた、どうにでもしてくれ……」という状態に達するのだが......。
この状態まで来ると実は作曲能力がものすごく上がっていて、ここからもうひと頑張り、ふた頑張りして苦悩を超えて、もはや脳が麻痺して「不感症状態」になったくらいに、「ずば抜けた1曲」が生まれたりする。
後で振り返ると、「これ、自分が作ったんだ......」とちょっと感動できるような、名曲と呼べるものだ。
生み出すのはすごく苦しいが、苦悩に苦悩を重ねた先にそんな曲が生まれるあの瞬間はたまらない。
ちょっと、Mなのかもしれない......。
思えば、曲を作り始めた頃からそうやって「ずば抜けた1曲」を生み出せた時に喜んでいたし、実力が上がった今でも作る作品のクオリティが上がっただけで結局、やっていることの本質自体は同じなんだと思う。
その喜びを大事にし、求め続けたからこそ、今でも音楽から離れずにいるのだと感じる。
蛇足だが最後に、自分が良いメロを浮かびやすいシチュエーションBEST3を挙げてみたい。
個人的な意見なので、あくまでご参考程度に......。
・BEST3 起床時
これはベタだが、やはり起床後は脳がすっきりしていて、それまで悩んでいたことがふっと解決したりする。
夢の中でメロが浮かぶ時もある。
・BEST2 シャワーを浴びながら頭を洗っている時
今後のメロ展開どうしようかな、どう繋げようかな?などと煮詰まった時に、頭を下に向けて上からシャワーを浴びながら髪をワシャワシャと洗っていると良いアイデアが出やすい。
シャワーと指で頭皮(脳)を刺激するのが良いのかもしれない。
・BEST1 車の運転中
これは車の運転だけでなく自転車でも良いのだが、運転しながら口ずさむと不思議と良いメロが出やすい。
例えば通勤時などにいつもと違う道を行くとか、自転車を徒歩に変えてみたりすると右脳が刺激されるというのは、科学的にも立証されているらしい。
自分はまずサビから作るが、これまでの採用曲のサビも運転中に浮かんだメロはかなり多い。
なんとなくだが、運転など別のことをしている時にメロを口ずさむというのは、「無」になっている状態から生み出している気がする。
自分の潜在意識の中にあるものを無意識のまま紡ぎ、吐き出している感覚というか。
なので別に運転ではなくても良いのかもしれないが、自分の場合はどういうわけか、車の運転をしながら口ずさむと良いメロが生まれやすい。
もちろん、安全運転第一で!