06 遠い現実(前編)
胸ポケットから取り出した小さなサイコロに似た黒い物体をカリウスはテーブルの上に放り投げる。綺麗にテーブルの中央に止まった物体はその表面から空中に光を放ち始めた。
光はテーブルの上の空間に複数のモニターのようなものを映し出す。魔術とはまた一味違う近未来的な光景に雨京は感嘆し、口が開いたままになってしまう。
モニターの中から必要なものを指で操作しながらカリウスは選別していく。手慣れた手つきは鮮やかであり、素直に凄いとも思えた。その表情も真剣そのもので緊張感を助長している。
最後にモニターの端に表示されたパネルへ手早く入力を終えれば、全員の目の前にとある教会内部の光景が表示される。祭壇の奥にある巨大なステンドグラスは異様な雰囲気を醸し出していた。
「まず1つ目。『詠巫女』に関して。『創造主』と称される存在の言葉、『言伝』を世に伝達する力を備えた女性。『言伝』が発せられるのは4月10日、8月10日、12月10日の年に3回。そのどれもが発してから4か月先までの未来を正確に予測したものであり、順守されるべき最重要の事柄とされている」
その説明に合わせるようにしてモニターには純白のローブを身に纏った女性が映し出される。祭壇で祈りをささげる彼女も、マリーと同じふさふさとした大きい『狐の耳』だった。
「理由は不明で解明もされていないが、選ばれた女性は必ず『狐の耳』を持って生まれてくる。5~10年の周期で『詠巫女』は任に就き、役目を終えた後は『魔同連合』からの支援を受けながら安らかな生活を送ることができる。『創造主』を崇める『北米魔同連合』が中核であるため、この決まりが破られることはないだろう」
「『魔同連合』……? 北米……?」
「雨京君は知らなくて当然の存在だ。しかしながらこれ以降の生活では必ず接する機会がある。手早く且つ、簡潔に説明してあげよう。ラウルたちも復習がてらに聞いてほしい」
端に最小化して待機させていたモニターを操作で引っ張り出し、それを各々が見えるように拡大していく。
「西暦が始まると同時に世界中に点々と存在していた魔術師たちが結託して生まれたのが『魔導連合』だ。英名は『MU(Magical Union)』。それぞれの魔術を持ち寄ってさらなる高みを目指すという目的を持つ、厄介者の多い魔術師たちにとって初めての大型の組織となった。現在の本拠地はイギリス。それに続いて世界各地に支部が存在しており、『北米魔同連合』は北米大陸を任されている」
カリウスの話に合わせてモニターの情報は次々に切り替わっていく様は、不思議と美しくも見えた。
世界全体が映し出され、各魔同連合が存在している場所をそれぞれの別の色で分かり易く示している。そうしたものを見ていた雨京はまだ少し混乱しながらもカリウスに問いを投げかけた。
「……日本に支部はあるんですか?」
「良い質問だ雨京君。日本単体の支部はなく、『東アジア魔同連合』の内にあるといった状態だ。しかしながら一つの国としての魔術、又は呪術の技術や性能は世界においても秀でている。現在使用されている魔術や『術式』の大半が日本と『北米魔同連合』の協力によって生み出されたのがそれを裏付けている。何を隠そう、この私と『清明』も――」
「あー、すまん、カリウス。話が脱線してどこかに行ってしまう気がするのだが」
「おおっと、これは失敬。自慢話は楽しくなってしまってな。話を戻そう」
知らず知らずの内とはいえかなり高揚していたカリウスはラウルの指摘によって我に返る。目の前のモニターは自慢の過去話を一から披露するための準備がされ始めているところだった。
短く咳ばらいをして気分を整え、本来の道筋へと戻っていく。世界全体を映していたモニターは赤く輝いている北米へと近づいていき、中西部にある街へと急接近していった。
近代的な風景が広がる中心部と、住宅街や古典的な建物が立ち並ぶ外延部。北西には山があり、その少し手前にひっそりといくつかの建物と教会がある。一体ここがどんなところなのかと雨京が疑問に思っていれば、モニターに教会のステンドグラスを外側から撮ったものが映された。
神々しくも、禍々しくも見える人型の異様な存在が中心に存在している。少なくとも神様的な存在には見えないそれに雨京は思わず息を飲んでしまった。
「ここが『北米魔同連合』の会長がいる街、『スティヌス』。そしてその現会長の名は『アダムス・フォン・ロンギヌス』。11年前に異例の若さでその座に立った秀才だ。恐らく世界中の魔術師が束になったところで彼には敵わない。素晴らしい素質を持つ男だが、私たちにとっての危険人物でもある」
そのカリウスの言葉の後、緊迫した空気が応接間に張り詰める。変容した雰囲気は、ここからの話がさらに重要なものであることを表していた。
「発せられた『言伝』を受け、その実現のために動く一族がいる。それが彼の属する『ロンギヌス家』。不確かながらも『魔同連合』発足以前から存在し、圧倒的な力をふるい続けてきた。『詠巫女』を補佐する『代行者』を頂点としてあらゆる脅威から守るのも彼らの仕事の1つだ。マリーも1ヶ月後には彼らの下へ行くことになっているんだよ」
「……え?」
「雨京君。君はこの夏が終わるまでの1ヵ月間だけ、マリーと一緒にいられる。これを短く捉えるか、長く捉えるかは君次第だ」
「……そうだったのか」
短くつぶやいた雨京が隣に座るマリーを見ると、その頭の耳を垂らして申し訳なさそうな表情でうつむいていた。これまでの明るさは感じられない様子を見れば、雨京も心が沈んでしまう。
「最後の1ヵ月を自由に過ごす機会を与えられ、マリーは好きなここ日本へ来ることを決めた。私は古くからの友人としてラウルたちを支援してここでの住居を提供したんだ。思う存分、静かな日本を堪能してほしい。それに、いい案内役もできたようだから安心だ」
「はい。精一杯、誠心誠意を込めてマリーを楽しませて見せます。だからさマリー、元気出してくれる?」
「……うん!」
雨京のやれる限りの心を込めた一言を聞き、マリーの表情は柔らかなものへと変わっていく。そんな娘の姿をサラは微笑んで見守り、父のラウルは複雑な思いを抱かずにはいられなかった。
目の前で青々しくも健全なやり取りを眺めながらカリウスは次の説明のための準備を進めて行く。それぞれの意思を確認し終えた雨京たちが前へと向き直ったころには、新しい情報がモニターに揃えられていた。
緩んでいた4人の表情はモニターを見たことで再び強張っていく。徐々に緊張感が高まっていく中、カリウスがゆっくりと口を開く。
「『詠巫女』だけでなく、『魔同連合(MU)』、『ロンギヌス家』を含めた説明は大まかだが終わった。次は2つ目。『北米魔導連合ほくべいまどうれんごう』を牛耳る『ロンギヌス家』が、封印されている『喰者』を利用した魔導兵器の開発に着手している件についてだ」
映し出されているのは白黒の写真の数々。中には風化によって保存状態の悪いものや何かしらの影響を受けて焼け焦げているものがある。
それらの写真には、銃や原始的な武器を手に戦う戦士や成す術もなく逃げ惑う人々が写されている。彼らの視線の先には、見たこともない異形の存在がいた。
真っ黒な巨人。白黒写真でもはっきりと分かるそれは、かなりの大きさがある。ある写真においては、巨人が伸ばした黒い何かに飲み込まれていく人の姿もあった。
直接見ていないのにも関わらず、強い嫌悪感と恐怖を覚える雨京。それはマリーたちも同様で、引きつった顔で写真を眺めていた。
「西部開拓時代、どこからともなく現れた怪物。名称も種族も不明。『言伝』にもこいつの襲来は予言されていなかった。生きとし生けるもの全てを無差別に飲み込んでいく様から『喰者』と呼称され、当時の『魔同連合(MU)』が総力結集し、全体の8割を犠牲にしてようやく『スティヌス』に追い込んで封印することに成功した。その存在は隠蔽術や欺瞞術を行使することでなかったことにされたのだが、驚異的なその力を『ロンギヌス家』は手中に収めようとしている」
「これに関しては私も初耳だカリウス。『詠巫女』の親族である私たちでも知り得ない情報だぞ」
「そうだろうな。これは『ロンギヌス家』の者とと彼らに深く関わる者だけが知る門外不出のネタだ。バレたら私の首が飛ぶだろうが、心配はしなくていい。この広間には特製の欺瞞術を行使しているし、今この瞬間も君たちに継続して効果を発揮する術を溶け込ませ始めている。何も問題はない」
「――分かった、信じよう。ならば聞かせてくれ。何故この話を私たちにするのかを」
「ならば単刀直入に言おう。世界を存続させるため、君の娘であり『詠巫女』であるマリーに『ロンギヌス家』の面々を欺く協力を要請するためだ」
ラウルの問いに素早く答えたカリウス。その言葉に偽りは全く感じられない。戸惑いを隠せない父の代わりに、マリーが静かに言った。
「私、ですか?」
「そうだ。私と『世界』の予測が正しければ『言伝』は君の代で”終わる”。やってくる世界の終わりに抵抗する存在に対し、彼ら『ロンギヌス家』は躊躇うことなく『喰者』を利用した魔導兵器を投入するはずだ。それの投入を少しでも遅らせるために、君に頑張ってもらいたいんだ」
「そんな……。私は高度な魔術も術式も使えません。護身用の術式と治癒術がわずかに使える程度です。全ての魔術師たちの頂点に君臨する彼らを欺けるはずが――」
「騙す術に関しては天才である私に任せてほしい。それを受け、後は君は何食わぬ顔で偽りの『言伝』を伝えてこの地に帰ってきてほしいんだ。約8年という長期間になるが、どうか耐えてほしい。全ては世界存続のためなんだ。この通り、頼む」
すると立ち上がったカリウスはテーブルの横へと移動し、マリーたちに対して跪いて頭を床につける。本気の土下座、全力を捧げた願い。この頼みごとに自らの全てを賭けていることがうかがえた。
責任の重すぎる協力要請にマリーは悩む。サラとラウルも安易に言葉をかけることができず、ただ思い悩む大切な娘の姿をそばで見守ることしかできない。
しばらく続く重い沈黙。未発達の心が思いがけない重圧に悲鳴を上げ始めていた時、同じく未発達ながらも純真な思いがマリーに救いを与えてくれた。
「マリー。やってみる価値、あるんじゃないかな」
「……雨京?」
「世界の崩壊だとか、全然よく分からないけど、とんでもなく壮大で危ないことだと思う。それでも、マリーはそれを救うための力になれるんでしょう?」
「そうかもしれない。でも、出来るかどうか……」
「俺も全力で支援するよ。マリーがここを出た後も励ます手紙とか送る。やれるんだったら合いにも行く。マリーがして欲しいこともやって見せる。だから――」
少しでもしっかりと思いを伝えたい雨京は自らの手をマリーの左手に重ねる。お互いの温かさを感じつつ、真っ直ぐに目を見て告げた。
「やろうマリー。救世主になっちゃおう」
安心させるために雨京は微笑む。しかしながら当の本人は自らの手が震えていることに気づいていない。後押ししようと頑張っているものの、理解しがたい現状に体が恐怖を訴えていたのだ。
出会ったばかりの存在が、自分のことを真に思って勇気を振り絞っている。土下座を続けるカリウスと同様に雨京からも偽りを言っているようにもマリーは感じられなかった。
未発達な心を持つ少年少女はここにおいて明確に思いを通わせた。それは同時に大きくて強力な絆を生み出していく契機となる。純粋に惹かれあう心は、底から根拠のない自信を湧きあがらせていく。
震える雨京の手に空いていた右手をマリーは重ねる。それぞれの恐怖や戸惑いを理解しつつ、その思い共有することで一緒に立ち向かう勇気を奮い立たせた。
揺らぐ心を決意で固めたマリーは礼を言う代わりに雨京に微笑む。その輝かしい笑みを見て雨京は顔を赤くして硬直してしまい、その間にマリーはカリウスに答えを言い放った。
「分かりました。やってみます」
「本当かい!? ありがとう。これで計画は安心して進められるよ」
「でも、1つ条件があります」
「条件? それはどういったものかな?」
「『詠巫女』の役目が始まった後も、雨京と間接的にでもいいので交流できる機会をください。それが条件です」
「……お安い御用だ。全力で掛け合うことにするよ。さてと、それでは話に戻ろうか」
満足そうな表情を浮かべながらカリウスは席に戻った。すぐに真面目な顔つきになったが、そこからは喜びが滲み出ている。
微笑むマリーは名残惜しそうにしながら雨京の手を離した。小さくて柔らかい手に挟まれた感触を忘れることのできない雨京は体の火照りを抑えることができない。
励ます側が気づいたら励まされる側になっていた。男としてどうなんだと思いながらも、天使のようなマリーの笑みが脳内に焼き付いて離れなくなってしまい、心の中で悶絶していた。
落ち着けとひたすら言い聞かせるが一向に良くはならない。どうしたものかと焦り始めた雨京だったが、左側から察知した異様な気配で背筋を凍らせたことで正常な判断力を取り戻す。
感謝の思いと殺意が入り混じった複雑な眼光。ラウルが放つそれはサクを縮こまらせるのには十分すぎるものであった。
何とも言えない空気が漂う応接間だが、モニターが新たな情報を映し出したことで各々は気持ちを切り替え始める。そこに映し出されたのは、最後であり雨京が最も気になっている事柄だった。