05 人生の分岐点
「どう思っている……、ですか」
突然の質問に戸惑いながらも、必死に脳内で考えをまとめ始める。下手に好きだとか本心をさらけ出すと怪しまれるかもしれないし、無難に可愛いだとか言えばいいかとも思ったが、そんな安直な答えを求めているようには感じられない。
目の前のカリウスはこちらの答えを待ちながらしっかり見つめ続けている。その視線によって心が揺らいでしまうので止めてほしいと心の中で切に願うが、止めてくれそうになかった。
満足させる答えを言う自身が持てずに雨京がしばらく黙っていると、カリウスはさらに付け加える。
「この答えが君のこれ以降の処遇を決めることになる。慎重に考えてくれ」
まさかの大きすぎる追い打ち。お年頃の中学生には重すぎる負担がさらに圧し掛かってきた。そんなことを言われたら尚更動揺してしまう。もし思惑に合わないことを言えばどうなるというのか。
言いようのない不安が自らの内側に広がっていくのがはっきりと分かる。延々と悩み続ければこの不安はさらに増大し、まともに思考することが出来なくなってしまうだろう。
こうなればままよ。怪しまれたりしても知ったことか。マリーを自分がどう思っているかは一目見た時から変わっていない。その思いを簡潔に、且つ分かり易く言い放つ。
「俺は、マリーが好きです」
「……ほお」
雨京の一言を聞き、カリウスは目を丸くさせていた。その様子から見るに悪印象ではなく、どちらかといえば好印象を与えることができたようだ。
興味深いといった表情で顎に手をやるカリウス。これは正解だったかもしれない。そう思った雨京は勢いを落とすことなく続けた。
「一目惚れです。怪しまれたり、下心があると思われても仕方ないと思います。でも、俺……、初めてだったんです。こんなに女の子に惹かれたの」
「君にとっての初恋ということか」
「はい。マリーの笑顔に心を奪われました。あの笑顔のそばにいたい。もっと色々なことを知りたい。そばにいられたらいいなって思ったんです」
自分でも驚くほどはっきりと赤面ものの思いを述べ続ける雨京。その様子からはマリーを思う真剣な気持ちがひしひしと感じられた。
そんな姿をしっかりと見定めるように見守るカリウス。対する雨京も少しでも口を止めれば緊張と恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。
ここで折れるわけにはいかない。男を見せろ俺。ここで頑張れば明るい未来があるはず。そう自らに言い聞かせ、何とか縮こまりそうになる心を奮い立たせる。
「最初からは無理なら友達から。少しずつでもマリーにとって大切な存在になりたい。満足させられるように努力もします。何度だって言います、俺は……」
「……俺は?」
「――俺はマリーが好きです。一緒にいたい、です」
最後にもう一度、自らの思いをはっきりと告げた。これで駄目だとしても、言い切ることができたのはよかった。
一瞬膨れ上がった満足感はその後しばらく続いた沈黙によって収束していく。照り付ける太陽と石畳からの熱がじりじりと肌で感じる中で、雨京はこちらを見つめるカリウスの返答をひたすら待った。
その耳に聞こえてくるのは時たま吹く生ぬるい風によって庭の草花や木の葉が揺れて生じる僅かな音と、近くの公園で遊ぶ子供たちの声。いつもなら気にならないほどのそれらの音が、雨京の耳には映画館の音響から発せられるほどの大音量のように感じられた。
早くも口にたまった唾を再び飲み込む。この無言の時間が苦痛で仕方がない。はち切れんばかりの鼓動からも分かる通り、先ほどまでの勢いに任せていた時の心の余裕は跡形もなく消え去ってしまっていた。
結論を言ってほしい。どういったものでもいいから、言ってくれればその結論を受け入れる覚悟を決めることができる。だから、早く。
「――決まりだな」
心苦しい沈黙を破り、カリウスは静かにつぶやく。それを聞いて思わず飛び出そうになってしまった心臓を喉元で抑え込んだために声が出せなくなってしまった。
真剣な眼差しが変わることはなく、その表情は冷ややかだ。呆れたといった感じの大きなため息をつきながら、カリウスはその右手を雨京の方へと伸ばしてくる。
これはもしかしなくても、駄目だったということか。ともなれば玄関で言っていた『記憶制御』なるものを行うはず。だが、マリーに関する記憶を一部でも失いたくはない。
咄嗟にその場から逃げ出そうとしたサクだったが、何故か体が言うことを聞いてくれない。必死に動こうとしても、見えない何かに押さえつけられているために微動だにできなかった。
一体何が消される。あの耳を見たことか、それとも治癒術を使ってくれたことか。もしくはマリーに抱いた好意か。様々な予想が思い浮かぶが、もう無駄かもしれない。今ここで考えていることすら消えてしまうかもしれないのだ。
迫る右手。どうしようもできないと観念した雨京は諦めてゆっくりと目を閉じた。ほんの僅かだったが最高に興奮したマリーとのひと時が走馬燈のように脳裏をよぎっていく。
可愛かった。楽しかった。嬉しかった。もし記憶をいじられても、できれば、ほんの少しでも許されるのであればマリーの近くにいられる存在になりたい。そう願う雨京の頭部に、カリウスの大きな手が乗せられた。
「……!」
その手から伝わってきた何かが、頭部から体全身へと伝わっていく。全身へとまんべんなく行きわたった何かは、縦横無尽に体中を駆け巡り始めた。
びりびりとした電流のような刺激に驚くとともに意識が飛びそうになってしまった。痛みはないが、体と心が綺麗に分離してしまうような奇妙過ぎる感覚が継続的に襲い掛かってくる。
耐えることに集中しなければもたない。雨京は遺憾ながら自らの意識を繋ぎとめることに専念し、マリーのことを心の片隅へと退避させた。
すでに頭部にはカリウスの手の感触はない。いや、正確に言えば感じられない。自分のことで精いっぱいすぎて周囲のことが知覚できなくなってしまっていた。
暑さも、音も、何もかもから隔絶されたような状態に陥る。そんな中で必死に自らを繋ぎとめていると、
『念には念を。君に託すのは、そのための力だ』
突然脳内に声が響き渡った。男性とも、女性とも思える両性っぽい声。もちろん、その声に雨京は聞き覚えなどなかった。
今現在話しかけてきているようには感じられない。以前に投げかけられたと思われるものが再生されているようだ。
『それでも使うかどうかは自由。これは君の人生だ、君が選び、進んでいきたまえ』
顔などは見えないが、その声だけでもこちらを勇気づける熱意と慈愛に満ちた温かさが伝わってきた。それはまるで親が子に送る大切なメッセージのようにも思える。
気付けば体を襲う異変は治まっており、心なしかこれまで以上に体が軽くなったようにも感じられた。奇妙な感覚から解放された雨京は、自らの心の中で響き渡る声の発生源を探り始めた。
徹底的に意識を巡らせていくと、底ともいえる部分に輝きを発見できた。優しくも眩い光を放つその正体を確かめようとするが、進もうとする思いとは裏腹に何故か遠ざかって行ってしまう。
一体誰なのか。知りたい欲求を満たすために光に向かって手を伸ばす。そして徐々に離れていくそれに向け、雨京は叫んだ。『待ってくれ』、と。
しかしながら、その願いが実現することはなかった。遠い彼方へと光は消えていき、雨京は無意識のうちに閉じた瞼を開けていた。そこには、先ほどとは全く違う表情のカリウスが立っていた。
「すまないな驚かせて。雨京君。君は君の思うがままに過ごすといい」
「……というと?」
「君に『記憶制御』は使わない。マリーと付き合うチャンスが生まれたということだ」
「……いよっしゃあぁ!!」
こみ上げてきた喜びを抑えきれず、雨京は両手で力強いガッツポーズを決めた。覚めることのない興奮によって体がプルプルと震えてしまっていた。
正直に言ってこの姿を見られて引かれるとも思ったが、自分を止めることができなかった。それだけ、これからもマリーと制約なしでいられることが嬉しくてしょうがなかった。
全力で喜びを露わにする雨京をカリウスは満足そうに笑みを浮かべながら見守っていた。どうやら先ほどのあの真剣な表情は芝居だったようだ。
それに関してと自らの中で起きた事を問い詰めようと思ったが、それよりも早くカリウスが口を開いた。
「ということだ。後の事情は追って説明するから、今は良いだろう、ラウルよ?」
それは雨京に対して向けられているものではなかった。カリウスは、右手の甲に光り輝く小さな魔法陣のようなものに向けてしゃべっている。
目の前の光景を見た瞬間、喜び狂っていた雨京は凍り付いた。大体察してしまった。これまでのやり取りの全てがそれを通してマリーの父であるラウルに伝わっていたことを。
体中から冷や汗が流れ出始める。その様子をカリウスは心底楽しそうに見続けていた。
『……まあ、いいだろう。早く連れてきたらどうだ』
「ああ。連れていく。あまり怖がらせるなよ」
『……善処はする』
魔法陣を通して聞こえてきたラウルの声は尋常ではない覇気に満ちていた。刃物のような鋭さも面と向かってないのに感じることができる。
先ほどとは全く違う震えに襲われている雨京に対し、カリウスは歩き出すと同時に手招きをしてきた。
「では行こうか雨京君」
「……はい」
絶対に楽しんでいるよこの人。前を行くカリウスを見て素直に心で吐き捨てた。
今日一番の緊張と恐怖が心を覆いつくす中、開かれた扉の中へと入っていく。暑い外とは違う涼しい内部はまるで自らの心の状態を反映しているかのようだった。
もうヤバい。入る前に顔を伏せておいて正解だった。凄まじい威圧感が玄関から向かられてる。怖すぎてちびりそうだ。
親としては大切な一人娘を赤の他人である異性から好きだと言われて黙っているわけがない。ましてや父親だ。愛情とかそういったことに関してはなみなみならないものがあるはず。
最初から全部聞こえていると教えてくれればよかったのに。カリウスに対する今更の後悔を心の中で嘆きながら、ゆっくりと雨京は青ざめた顔を上げた。
「むうう……」
「ええっと、その……」
体を貫いて穴を空けてもおかしくないほどの強烈な眼光。鬼神のような威圧感に圧倒されて、雨京はまともにしゃべることができなかった。
恐ろしいのだが、ここで視線を逸らせばさらに酷い事態になることは必至。へし折れそうになる心をギリギリで持ちこたえながら、何とかラウルと視線を交え続ける。
今まで相対したどの存在よりも怖い。そうはっきりと断言できるほどの迫力を維持するラウルは、震えあがる雨京にゆっくりと告げた。
「君のその思いに、迷いはないか?」
「……ないです」
「声が小さいぞ!」
「ないです!!」
一度目の返答に満足できなかったラウルの急に張り上げた声にビビり、涙目になりながらも大声で答えた。
そのやり取りを見て横でカリウスが声を殺して笑っている。本気で殴りたいという衝動に駆られるが、今は目の前に集中しなければ自分の命が危うい。
まだか。まだ続くか。男としてどうかとも思うが、これ以上続けば本格的に泣きそうな気がする。時間も少しだけとか言ってたのだから、そろそろいいのではないだろうか。
そう考える雨京にラウルは近づいてきた。その突然の行動によって胸骨とかそこらへん突き破って心臓が飛び出すほどに雨京の鼓動が大きく、そして速度を増した。
父親の強烈な一撃が来るかもしれない。混乱状態の雨京はそれを覚悟して歯を食いしばる。だが、
「まだ。まだ完全に認めてはいない。しかしながら、君のその思いが本物であると信じたい」
「……え?」
「どうした。私とは握手ができないというのか?」
「い、いや。とんでもないです」
頬に飛んでくると思った手は目の前に差し出された。戸惑いながらもそれに応え、雨京はラウルと握手を交わした。
大きく、頑丈な手。そこからは威厳だけでなく、優しさも感じられたような気がした。しかし、そこから少しでも視線を上げれば威圧感たっぷりの顔がある。
ともあれ殴られないでよかった。ほっと胸をなでおろしているうちに握手は終わり、ラウルはそそくさと玄関の近くにある扉へと向かっていく。
「先に部屋で待つ」
「では私も行こう。雨京君も話が終わったら来たまえ。君にとっても重要なことだ」
「あ、はい」
そういって足早に玄関へと上がっていったカリウスはラウルの後を追って部屋へと入っていった。残された3人と玄関には嵐が過ぎ去った後のような静けさに満ちていた。
ようやく集中を切ることができた雨京は安堵のため息をついた。しかし、マリーと付き合うとなればラウルとの接触は避けることは出来ない。どうにかして慣れていこうと心に誓ったところで、マリーが話しかけてきた。
「あの、雨京」
「ん。ああ、どうしたマリ――」
こちらを呼んだマリーの方を見た雨京の口が途中で止まってしまった。その視線の先には、真っ赤になっているマリーがいたからだ。
恥ずかしくてどうしようもないといった様子を見て、雨京の体温も急上昇し始めた。あの会話も、漏れることなくマリーも聞いていたというのを忘れていた。
それしかなかったとはいえ、言ってしまった。そんな後であるため、どんなことを言っていいか分からずお互いに赤くなって黙りこくる。
進展することなく時が流れ、にやにやしつつも痺れを切らしたサラが2人に向けてわざとらしく言い放った。
「あ! そうだ! お茶用意しなくちゃ! それじゃあ私は台所にいくわね~」
「え、ちょ、お母さん――」
マリーの呼び止めを無視してサラは素早く台所へと向かってしまった。残されたのは雨京とマリーの2人だけ。
2人っきりの状況を作ってくれたのはありがたい。しかしながらチャンスだとしても声を出せるかと言えば話は別だ。
連戦によって心が疲れ始めていることもあり、中々言葉が思いつかない雨京。好きだからこそ、その一言一言も大切にしたいという思いがさらに邪魔をしていた。
続く沈黙。お互いに必死に思いを巡らせる。そして、ようやくそれを破ったのは、雨京だった。
「なあ、マリー」
「ひゃ、ひゃい!」
名を呼んだだけで体をびくつかせて反応したマリー。恥じらいの中で見せるその姿に可愛いと思いつつ、雨京は続けた。
「明日、今日ゆっくり回れなかったところにもう一度行ってみないか? 昼過ぎの一時半に、待ち合わせ場所は目の前の公園で……どう?」
「……うん! 分かった!」
その提案にマリーは笑顔で答えてくれた。それを見て、雨京は安心するとともに確信した。やっぱり、マリーは一番笑顔が可愛い。
これで明日も会うことができる。マリーがいいのであればもっと一緒にいたいが、今はこれで満足だ。
喜びを噛みしめる雨京だったが、その後は再び沈黙の時が流れる。互いに視線を逸らす中でこうなればもう上がらせてもらいカリウスたちが待つ部屋へと向かった方がいいと考えた雨京。それを伝えるために視線を上げた時、ちょうどマリーが口を開いた。
「あ、あのね雨京。私、嬉しかったよ」
「えっと、どんなことが?」
「まだ会ったばかりだけど、こんなにも思ってくれたこと、だよ。私の秘密を知った上でちゃんと友達になれたのは雨京が初めて。ああ、えっと、友達よりも先の関係だったかな……?」
自分でもじもじしながら訂正するマリー。その言動と態度から雨京を拒絶するような感じは全くない。純粋な思いに対し、マリーも純粋な思いで応えようとしていた。
「まだ分からないことばっかりだけど、これからよろしくね雨京。私も、雨京を満足させられるように頑張るから」
「うん。よろしく、マリー」
「……ん!」
「終わったみたいね~」
お互いの思いを確認しあったところで、お盆の上に人数分のコップと冷えた麦茶を乗せたサラが台所から戻ってきた。隠すことのないにやにやとした顔を見ると、2人の恥じらう心が全開になってしまった。
無言のままぎこちない動きでマリーに促され、靴を脱いで家に上がる。履いたまま過ごすという海外によくあるの習慣ではないことを今の雨京では問いかけることができなかった。
初々しい2人とにやにやが止まらない妻が応接間に入ってきたのを見て、椅子に座るラウルの表情がさらに険しいものとなっていく。その対面側ではカリウスが微笑みながら待っていた。
何とも言えない空気のまま、ラウルと同じ奥側の椅子に雨京たちは腰かけた。長方形のテーブルに置かれたそれぞれのコップに麦茶が注がれたところで、カリウスは全員を見渡す。
「当初の予定とは違い雨京君が追加されたが、そのまま説明を始めたいと思う。異論はあるかな、ラウル?」
「ない。さあ、始めてくれ」
「分かった。では」
懐に手を突っ込んだカリウスは、そこから人数分の資料をそれぞれに手渡した。その表紙に書かれた内容の目次を見て、4人の顔が強張っていく。
カリウスにとって予想通りともいえる反応。だが無理もない。4人だけでなく、あらゆる人がみるだけで驚くほどの内容が、ここには描かれているからだ。
ただの一般中学生として過ごしてきた雨京は、丁寧に日本語で書かれた資料の表紙を見て驚きを隠せない。あまりにも現実離れしすぎている未知の領域の情報をすぐさま受け入れることができなかった。
もしかしなくてもとんでもないことに関わってしまったのか。そう考えながら混乱しそうになる脳内を落ち着かせようと雨京が四苦八苦していると、カリウスが説明を始めた。
「今回お話するのは3点。1つ目が約一ヶ月後にマリーが就任するの『詠巫女』に関して、2つ目が『北米魔導連合』が封印されている『喰者』を利用した魔導兵器の開発に着手している件について。そして――」
3つ目にして最大級の問題。絶対に避けることのできない最重要問題をカリウスははっきりと告げる。
「最後の3つ目は、8年後に迫った世界の崩壊についてだ」