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01 ようこそ『高天望町』へ

 いつもとは違う鼓動の高鳴りが邪魔して考えがまとまらなくなっている。この状態で無理に出せば間違いなく上ずった声になってしまうだろう。落ち着くために深呼吸などをしたいが、マリーの目の前で不審がられる行動はできればしたくない。

 どうしたものかと悩み続る雨京は、とりあえず可能な限り笑顔は絶やさないようにしてみた。しかしながら、入り混じる複雑な心境が影響して少しひきつった笑顔になっていることに雨京本人は気づいていなかった。

 その表情を見て、戸惑っていたマリーは雨京もどうしていいか分からないのを感じ取ってくれたようだ。警戒を少し緩めたマリーは、静かに話しかけてきてくれた。



「この耳のこと、他の人には内緒にしてもらえますか? 色々と事情があって……」


「あ、ああ。口に関しては結構堅い方だから、安心して」



 その返答を聞いた後、マリーは真っ直ぐこちらを見つめてきた。綺麗な碧色の瞳に、思わず吸い込まれそうになってしまう。

 ここで向けられた視線を逸らしてはいけない気がする。少し赤面しつつ、はち切れそうになる鼓動を何とか押さえつけながらこちらをのぞき込んでくる瞳を直視し続けた。

 無意識のうちに呼吸を止めてしまったようで、酸素を求め始めた肺に呼応して体がぷるぷると震え始めてしまう。それでも目を逸らさない雨京を見て、マリーは口を開いた。

 


「……ありがとうございます。あなたなら、大丈夫そうですね」



 硬かった表情が可愛らしい笑顔へと変わった。天使のようなそれを見て自らの心がドストライクで射抜かれたのを感じながら、ただただマリーに見惚れてしまう。

 こんな子が特にこれといって面白みもない田舎町に来てくれた。心の底からまたとない機会に喜ぶ雨京。14年続いた人生の中でも今この瞬間が最も高揚しているとはっきりと自覚出来ていた。

 勝手にテンションを上げつつも、ようやく呼吸が整ってきた。これで鼓動の高鳴りも治まってくれればよかったが、そううまくいきそうにない。マリーが目の前にいる限り、これは続くのだろう。

 そう考える雨京の目の前でマリーは安心した様子でかぶっていた帽子を一旦外した。狭いところから自由の身となった大きな狐の耳はとてもふさふさで、触ってみたいという衝動に駆られそうだった。

 


「えっと、雨京さん、ですよね」


「呼び捨てでもいいんじゃないかな。これからこの町に住むならもう友達になったも同然だし、気楽に話しかけてくれてokだよ」


「分かりまし……、分かった。慣れないけど、頑張りま、る!」



 丁寧な言葉遣いを何とか路線変更しつつマリーはしゃべってくれた。慣れないながらも頑張っているその姿を見て、また可愛いと思ってしまう。

 これまでの態度から、見知らぬ存在に対する礼儀作法はとてもよくできていると一般中学生の雨京でも判断できた。ともなればやはりあの豪勢な家に越してきたのはマリーなのだろうとも予測できる。

 変な言葉遣いになってしまったことを恥じらい、少し頬を染めながらマリーは軽く咳払いした。その時に頭にある大きな耳がピンと立つ。どうやら感情が伝わりやすく、かつ無意識のうちに動いてしまうようだ。



「私は初めての散歩でここまで来たけど、雨京はどうしてここに来たんで、の?」



 最後の最後で少しつっかえたが、何とか言い切った。こちらへの気遣いに感謝しながら、雨京は素直に答える。



「町を撮って回ってる最中だったんだ。この後は学校の方に行って、役所方面から商店街を通り抜けて行く予定かな」


「町を……、撮ってる……」



 雨京の答えを聞いたマリーの瞳が輝き始めた。それだけでなく、耳が左右にパタパタとせわしなく動き続けている。パッと見だけで興奮しているということがすぐに理解できた。

 その様子とここへとやってきていることから、マリーがこの町に興味を示しているのは明白。であれば少しでもマリーのことが知りたい雨京のとる行動は一つだ。



「よかったら一緒に行く? ちょっとした案内もできると思うよ」


「本当に!? 行きます! 行く!」



 元気な返事とともにマリーはベンチから勢いよく立ち上がる。喜びに満ちたその笑顔は小動物のような愛らしさが感じられた。

 立ったことではっきりと分かったのが、マリーは耳の分を除けば身長が低いということ。165cmある雨京の胸と腹の中間あたりに顔があるので、見下ろすかたちとなっている。

 瞳からだけでなく、全身から活き活きとした感情が溢れ出しているのを見ると、なんだかこちらも嬉しくなってしまう。その期待に応えるため、雨京は先ほどまでとは異なる純粋な笑顔を浮かべた。



「じゃあ一緒に行こう。それと、改めてよろしく、マリー」



 そういって右手を差し伸べてみた。外人の挨拶と言えば握手だと思ったのだが、果たしてこの対応があっているのだろうか。

 少し不安に思っていた雨京だったが、それはマリーが小さな手で握り返してくれたことできれいさっぱりに解消できた。



「うん! よろしく!」



 優しく雨京の手を握り返しながら、マリーは満面の笑みを浮かべて大きくお辞儀をしてきた。迎えてくれた喜びとこれからの町巡りに興奮しっぱなしで、大きな耳はひっきりなしに動き続けている。

 両者は満足そうな表情で握手を終えたが、雨京は離れていく柔らかくて温かなその手を名残惜しく感じていた。他人から見れば気持ち悪いと思われるだろうが、後もう少しだけ触れていたかったと雨京は真剣に考えていた。

 しかし、いつまでもそんなことを考えているわけにもいかない。一目惚れした存在にいいところを見せるチャンスでもある町巡りに集中することを胸の中で誓い、自らを奮い立たせた。

 道中においてここへ引っ越してきた理由や耳に関しても聞けるだろう。集中しつつ心を弾ませながら早速頂上を後にすることを伝えようとした雨京。だが、ベンチのそばにある石碑をスマホのカメラで撮影することを忘れていた。マリーに理、手早く撮影するとぶれていないかを確認していく。

 その確認が終わったところで、石碑と雨京のことを交互に見ていたマリーが不思議そうに問いかけてくる。



「この山って、この町にとってどんなものなの?」


「ここは元々戦国時代あたりにお城が建てられる予定だったらしいんだ。戦国時代とかは分かる?」


「うん。500年ぐらい前にこの日本の中で長く続いた戦いの時代のことだよね」


「そうそう。その時のここらへんにはとある領主がいたんだけど、いざ城を建て始めるってときに周囲の強力な武将に領地を接収されちゃったんだって」


「その後はどうなったの?」


「武将に盾突いたとか、無礼をはたらいたとかの罪で打ち首。その領主の名前は文献とかにも残されてなくて、敢えて残さないように徹底されたらしいんだ。まともに名を上げる前に全てが高望みのまま終わってしまった。だからここは古くから農民にその領主にあやかって『高望山たかのぞみやま』って呼ばれ続けてるんだってさ」


「……ちょっと可哀想だね」


「確かに。名前は残っていないけど、この土地に住んでた人には愛されてたらしいってところが空しいところだよな」



 ちなみに雨京の説明したことは石碑に書かれていることであり、学校や図書館で知りえたことだ。恐らくここはこの田舎町の中で2番目に歴史的な存在である。逆に言えばこの山を含めた2つのことしか誇れるようなところがないのが悲しいところだが、仕方がない。

 もう1つは町の中を歩いて行けば必ず説明することになるだろうから、とりあえず2人は頂上から離れて山中の脇道の先にある神社へと向かうことにした。

 階段を下りればすぐにその道に到着し、人の足によって踏み固められたそこを移動速度に気を配りながら歩いていく。キャスケットをかぶり直したマリーは雨京の横にぴったりと付いてきていた。



「うわあ。結構大きいんだね」



 カーブの手前に建てられていた真っ赤な鳥居に到達し、マリーはそれを小さな手で触りながら驚きの声を漏らした。周囲の木々よりも少し低くても、十分すぎるほどの存在感を放っている。

 ところどころの朱色はかなりの年月が経っているために剥がれ落ち始めていた。最後に塗り直されたのは正直に言って分からない。それでも表面だけがぼろく見えるだけで、内部に関してはとてもしっかりしているようだった。



「俺も初めて目の前まで来た時には驚いたよ。写真を撮って……っと。さ、奥に行こう」


「うん」



 頷いたマリーはこの先にあるであろう神社にわくわくしながら雨京のそばを歩く。可愛らしいその姿に目を奪われてしまい、雨京は道中に飛び出している木の根に足を引っかけそうになってしまった。

 転んでしまうわぬように気を付けて進んでいけば、マリーが待ちかねた神社が姿を現した。京都などにある有名な稲荷神社とは違い、茶と黒が目立つ素朴な配色が採用されている。それなりの広さのあるそこでは、これまでの階段と道中とはまた違った空気が流れていた。

 心なしかいつもより涼しく感じながらも写真を遠くから1枚撮る。それを確認しているときに雨京はマリーの態度の変化に気づくことができた。横に立つマリーは先ほどまでの興奮したような様子はなく、しっかりとした目で神社を見つめていた。

 出会ってからここまでの間でずっと可愛いと思っていたが、今の印象は全く違う。その幼い見た目からは考えられないほどに堂々とした風格だった。あまりの変化っぷりに雨京がたじろいでいると、マリーは静かにつぶやいた。



「あなたが……。楽しそうでよかった」



 何かを確認した後、その顔に慈愛に満ちた笑顔を浮かべる。これもまたこれで可愛いと雨京が考えていると、その雰囲気を一変させたマリーが少し慌てて話しかけてきた。



「あ、ご、ごめんなさい。ちょっと物思いにふけっちゃって」


「……もしかして何か見えた系?」


「ど、どうかなー。あはは……――」


 

 わざとらしく笑ってごまかそうとしたマリー。そのキャスケットの中の耳と同様に、普通ではない別の力をもっているとでもいうのだろうか。色々な憶測が脳内で膨らむが、それ以上に雨京は早めにここから立ち去りたいと思い始めていた。

 霊的な存在をあまり信じないタイプだった雨京だが、マリーのような存在がいるのであれば霊もいてもおかしくはないと結論に至ってしまった。何度か訪れたことのあるここに幽霊がいるかもしれない。害はなかったとしても、見えない異質の存在に雨京は怯えていた。

 しかもここはあの名が残されていない領主を祭っている神社だ。『高望山たかのぞみやま』の『名無し神社』。地元民であれば知らない人はいない程度の場所。もしかしてマリーが見たのは……



「……大丈夫? ちょっと顔が青くなってるように見えるけど……」


「も、問題なし。でも、ここよりも町の方が見たいと思わない? ここに関しては階段降りるときに教えてあげるから、早く行こうよ」


「うん。そうだね。特にかわったところはなさそうだし、それに邪魔しちゃ悪い……、いや、何でもない、ごめん」


「そ、そっか。邪魔しちゃ悪いもんな。そうだよな……」



 毎年初詣とかにも来ていた神社に幽霊がいたことに驚きを隠せないまま、雨京はマリーと一緒に来た道を引き返し始めた。信じたくはないがマリーのつぶやき以降、雨京はどこかにいる誰かに見られているような気がしてならなかった。

 幸先の悪いスタートとなってしまったが、気落ちし続けるのは駄目だ。ここからはきちんとエスコトートしていかねば。縮こまっている自らの心に渇を入れながらしっかりと前を見据えて進んでいく。

 そのすぐ横にいたマリーは考え事をしている雨京に気づかれないように一瞬だけ神社の方を振り返ると微笑みながら手を振った。もちろん、そこには誰もいない。この場において、マリーだけにしか『彼』は見えていなかった。

 神社の屋根に腰かけている『彼』は、久しぶりに自分に気づいてくれた存在に嬉しそうに手を振り返す。雨京とマリーが先に鳥居のあるカーブの向こうへと消えていったのを確認すると、『彼』は大きなため息をついた。



『……いい足してたわね、あの子。よし、付いて行ってみようかしら』



 美しく鍛え上げられた肉体。現代っぽいウェーブのかかった髪の毛。顔もイケメンと呼べるほどに整っているのだが、それを台無しにするかのような白化粧をしていた。そんな和服姿の『彼』はふわりと浮かび上がると、そのまま空高く昇っていく。街全体が見渡すことができるところで止まると、眼下の山の中を行く2人に目を向けた。

 雨京が自分のことが見えていなくとも、あの神社へと何度も足を運んでくれたいたので名前はかなり前から知っていた。自らの足跡が残るこの田舎町の未来を支えるかもしれない貴重な男児だと、『彼』は雨京を認識していた。

 奇妙としかいいようのない『彼』は、彼らに向けて楽しそうに言い放った。



『ようこそ『高天望町こうてんぼうちょう』へ、お嬢さん。しっかりと案内してあげなさいよ、雨京。そして射止めちゃいなさいな。そんでもって少子高齢化の波に逆らって将来子供を――』



 にやにやと笑いながら自らが望む展望を一人で語り続ける『彼』。その様子から、この何の変哲もない田舎町を愛しているというのがにじみ出ていた。

 そんなことを言われているなど知らずに山を下りていく2人。初めての一目惚れ。初めての恋を成就させるため、雨京の奮闘が静かに幕を上げた。

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