12 一言の助言
そんなこんなでニアと一緒に帰宅した雨京。見知らぬ子を連れ込んだことに戸惑う祖父母だったが、最近越してきたアークライト家の親戚であり昼に連れていく。ともっともらしい理由を聞き入れ、快くニアを受け入れてくれた。
昼までは少し時間があるため、とりあえず自室にニアを連れ込んだ。冷房の効いた部屋の中で椅子に座ってパソコンのスリープ状態を解除し、今一度ニアを安心させてあげるためにマリーの写真を表示するために操作していく。
雨京にとってはいつも通りの作業であってもニアにとっては新鮮なものであるらしく、クリックの度に開いていくフォルダー等の画面の変化を興味深く横から背伸びをしながら見守っていた。その眉毛は八の字のままだが、目だけはキラキラと輝いているのが可愛い。
「……あ」
「あった。一応再度確認するけど、ここに映ってるマリーの家を探してたんだよね?」
「うん。お家で何回か会ったことあるから間違いない」
「ニアの家に来たの?」
「お仕事のお話で来てた。マリーのお父さんとお母さんも。空いてる時間で一緒に遊んでくれて、とっても優しかった」
「へー。じゃあニアにとって良いお姉ちゃんの1人って感じか」
「そう。それに綺麗で可愛い。……そういえばどうして雨京お兄ちゃんはマリーと知り合いなの?」
「あ~っと、それはだな……」
不思議でしょうがないといった純粋な視線に応え、雨京はマリーと出会った経緯を手短に話してあげた。カリウスの話は隠しておいたが、自らがマリーをどう思っているかは包み隠さずに。
話を聞き終わり、ベッドの上にちょこんと座ったニアは何故か先ほど以上に目を輝かせていた。とても興奮している様子は年齢相応の可愛らしさをさらに引きたてる。
「マリーと……。雨京お兄ちゃん、恋してるんだね」
「そ、そうなるかな」
「ちゅーはしたの?」
「ちゅ、ちゅー!? いや、さ、流石に出会ってまだ一日しか経ってないし、それは早い。と、思うし、やってない、です」
「手をつないだことは?」
「それもまだ……。あ、だけど昨日引き寄せた時に……」
「握ったんだ。マリーの手。優しくて温かかった?」
「それは……、一瞬だったけど、柔らかかったです」
「……そう。いいね。とっても。と~ってもいいね」
恥じらいのためかぎくしゃくしながら敬語にもなってしまった雨京に対し、ニアは満足そうな満面の笑みを浮かべた。決して動じなかった八の字眉毛も、その時だけは楽しさを表すように変化した。
幼くも煌めく乙女心に気圧されてしまった雨京の恥じらいは簡単に収まりそうにない。涼しいはずなのに噴き出してきた汗がそれを物語っていた。
一旦落ち着かねば。とりあえずとても愛らしいニアから離れるのがベストか。ちょうどいいぐらいに便意もそれなりにある。慌てるふためく心にて情報をまとめた雨京は、輝くニアに切り出した。
「ちょ、ちょっとトイレに行ってくる。適当に休んでてね」
「分かった。待ってる」
自室を出て足早にトイレへと向かう雨京をニアは手を振って見送る。急ぐ雨京は余韻に浸るニアの視線が机の上にあるファイルへ移動したことに気づくことはなかった。
駆けこんだトイレで手早く用を足し、下着とズボンを履き直してそのまま便座に座り込んだ。小さな窓から入り込んでくる風と芳香剤の香りが雨京の精神を落ち着かせるようなそうでないような。
「お、落ち着け俺。照れるな。いや無理か。いやいや、無理でも頑張れよ……!」
少しでも年上の存在としてしっかりとしたい雨京は自らにそう言い聞かせた。下手に慌て続ければこれ以降における行動でも支障が出てしまうかもしれない。
額から落ちる汗が焦りからではなく、暑さによるものへと変わったところで最後に深呼吸をする。しかしながら多量に入り込んできた芳香剤の香りによって咳き込んでしまった。一体何をしているのかと下で過ごす祖父母が少し心配になったのは言うまでもない。
勝手に一人で四苦八苦しながらもトイレから出た雨京はサウナのような廊下を進んで自室を目指した。満身創痍といった感じにも見える足取りと醸し出す一杯一杯な雰囲気からは、悩める思春期の様相を表しているかのようだった。
倍以上の時間がかかったようにも思える道のりを制し、扉へとたどり着いた。揺らぐ心に気張れと言い放って開いた先で、ニアはとある資料を読み進めていた。
その表情は乙女心全開の輝きに満ちたものではなく、真剣そのもの。一字一句全てに目を通していく姿からは幼さが全く感じられなかった。
「……ニア?」
「ぅあ。ご、ごめんなさい。勝手に見ちゃって」
「いや、大丈夫だよ。というか、そこに書かれてること信じられる?」
「……ちょっと信じられない。初めて知ったことばかりだし、現実的じゃないから。でも、この2つ目の題は……」
「2つ目?」
「ああ、いや、ええっと、本当だったら怖いなぁ……って」
「怖い……。となるとニアは魔術みたいの使えるから、その『喰者』のことは知ってるんだね」
「うん。すごく昔に現れたっていう怪物。お父さんがよく……、ううん、ごめんなさい、何でもない」
「無理にしゃべらなくていいよ。ちなみにその資料、かなり重要なものらしいから誰にもしゃべらないでほしいんだ」
「雨京お兄ちゃんは……、ここに書かれてること信じるの?」
「……正直に言うと今でも信じ切れてない自分がいるんだ。でも、マリーの力になりたいし、そしてそばにいるなら信じるしかないって割り切ってる。ここで引き下がったら後悔するような気がしてならないんだ」
しっかりとした口調で話す雨京をニアはじっと見つめ続ける。こちらを見定めるかのような視線は真っ直ぐ向けられたまま動きそうにない。
冷えた室温と静まり返ったことで室内には異様な雰囲気が漂う。こうした中でニアがあの資料を見てしまったことが後々問題となるのではないかと雨京は思い至った。
たとえこれだけ小さくても、魔術的なものを扱うことができる。となればニアだけでなく、その家族も例の『魔同連合(MU)』と何かしらの繋がりがあるのではないだろうか。
様々な不安や焦りが心の底から湧き上がり、表情を歪ませようとする。それを必死に耐え、雨京はニアと向かい合い続けた。
長く、重い沈黙。いつまでも続くように思えたそれは、ニアが口を開いたことで破られた。
「大丈夫。誰にもしゃべらない」
「……そっか。よかった」
「でも、一言だけ雨京お兄ちゃんに言っておきたいことがあるの」
「一言だけ?」
「『自分を見失わないで』。それだけ」
「自分を……。ニア、それってどういう――」
「2人ともー! そろそろお昼にしましょうー!」
追及は一階から投げかけられた祖母の言葉にかき消された。場違いなそれによって重々しい空気も消え去り、雨京とニアは少し笑ってしまった。
分からないことだらけのことに、さらに分からないことが上書きされてしまった。しかしながら今はお昼が優先。何も知らない祖父母にその話題を持っていくことはもってのほかだ。
「今行くー! よし、ニア。とりあえずこの話は終わりにして、お昼ご飯食べようか」
「……うん。分かった」
頷いて聞き入れたニアはぴょんと飛んでベッドから立ち上がる。雨京は部屋の冷房を消し、再び八の字眉毛になったニアと一緒に一階の居間へと向かった。
涼しい居間の長方形のテーブルにはすでに人数分の食器等が並んでいた。それぞれの場所に腰かけたところで、上機嫌な祖母が話しかけてきた。
「来たわね。じゃあニアちゃんは雨京の隣に座って。お箸は使えるかしら」
「お箸……。こう?」
「うふふ。何とかいけそうね。雨京、もし駄目だったら食べさせてあげてね」
「了解ー」
まるで孫娘を可愛がるかのように接する祖母。その視線の先には箸をグーで持つニアがいる。不慣れながらも頑張る姿は応援したくなってしまう。
お昼ご飯は夏の風物詩ともいえるそうめん。中央に置かれた紫陽花の装飾が綺麗な大きめの鉢に、氷水と一緒に約4人前のそうめんが程よく冷やされている。味を変えて楽しむために擦りおろした生姜や山葵も他の小皿に完備。これでいくらでもいけるだろう。
「「いただきます」」
「食べてますー」
「い、いただきます……」
すでに我慢できなくて食べ始めている祖父に続いて雨京たちも食べ始める。麺つゆの入ったそれぞれの猪口を手に、思い思いの量のそうめんを口に運んでいった。
勢いよくすすって食べる風間家の面々。そんな中で1人だけ音を立てることなく、ゆっくりと食べる大変可愛らしいニアがいた。
大抵の日本人であればできる、すすりながらの食べ方。それができない、というかしたこともないニアは小さな口で頑張って食べ進める。擬音を付けるとしたら”もむもむ”といった感じで。
「……可愛いわねー」
「こんな孫娘がいればよかったな婆さん」
「俺もこんな妹が欲しかった……」
「ぅむ? ほほふぃふぁんふぇふか?」
「何でもないわよー。一杯食べてね~」
「ふぁい。ふぁふぃふぁほーほはいあふ」
もごもごさせながらしゃべるニア。何を言っているかほとんど分からないが、礼を言っているのはなんとなく理解できた。
つい先ほどまでの緊張感は何処かへ消え去った田舎の一軒家にて、和やかな昼食はしばらく続く。そんな彼らの近くでついたままのテレビでは不穏なニュースが報道されていた。
『現地時間23時30分頃。中西部の街スティヌスにおいて、日本の暴力団の激しい内部抗争があったとの情報が入ってきました。発生したこの抗争は――』
※※
「……もむもむしながら食べてますね」
「お前、もしかして可愛いとか思ってるのか?」
「い、いえ頭。そんなことは……」
高天望町の北東に位置する山の斜面から、町を双眼鏡で眺める怪しげな雰囲気の2人の男性がいた。
下っ端といえるスキンヘッドの男性は双眼鏡で今回の目標である『とある少女』を観察し続ける。決して見逃すことがないように。
「情報通りです。となれば動くのも予定通りですか、頭」
「明日の祭りで拉致する。死なない程度、ギリギリまでに痛めつけてあいつの『親』に報復するぞ」
「……成功しますかね」
「してもしなくてももう後はねえんだ。もう組織の者の大半が消されちまったんだからな」
「『極楽往生』がタブーに触れなけりゃこんなことにはならなかったんすよね。ああ、地獄行ったらもう一度あいつらぶっ殺してあげましょうよ」
「だな。それじゃ、お前は観察続けろ。他の連中に伝えてくる」
「了解っす。あ、ちなみに頭。ここ熊とか出ませんよね?」
「多分月の輪あたりが出るぞ」
「もし襲われた時は銃ぶっぱなしていいですか?」
「駄目だ。騒ぐな。逃げるか潔く死ね」
「きっついっすねー。了解っすー」
頭と呼ばれる髭面の男性は慣れた足取りで山を駆け下りていく。残された下っ端は頑張ってそうめんを食べ続けるニアを観察し続けるのだった。




