11 小さな影
2006年8月12日(土)
「……暑い」
眉を八の字に曲げた幼い少女は小さく、つぶやいた。日本の蒸し暑い夏に順応していないその幼い体からは汗がにじんでいる。
白い肌の上に纏うのは純白のワンピース。鮮やかな赤い瞳と燃えるような赤髪は腰の辺りまで伸び、まるで絵本の世界から出てきたかのような可愛らしさを醸し出していた。
多くの人が行きかう商店街の入り口付近にいる少女だが、誰も気にかけることはない。少女の姿が見えることはない。
彼らに遭う可能性が高いと判断した少女はここで待ち続けているのだが、一向にその機会が訪れることはないように感じられた。
これ以上ここにいても仕方がないと判断した少女は車通りの多い大通りに向かう。不安で仕方がない彼女の足取りはぎくしゃくしたものであり、八の字に曲がった眉毛と悲壮な表情を見ていると心配になってしまう。
上下からの熱に板挟み状態となる大通りに出たところで周囲を見渡す少女。その視線は、とある存在を捉えた。
「……あ」
自らが住む街にもあるコンビニエンスストアに似た店から出てきた1人の少年。外の暑さを鬱陶しく思いながらも歩き出した。
普通の少年となんら変わらない姿だが、『普通ではない』ものを少女は感じ取る。となれば結論はもう決まっていた。
「あ……、ま、待って……」
離れていく少年の後を追って少女も動き出す。しかしながら一気に距離を詰めることはなく、ゆっくり。本当にゆっくり、ひっそりと。
※※
「あぁっちい……」
午前10時を過ぎた田舎町で雨京は嘆く。その手に握られたビニール袋の中には、今日から発売になる夏季限定アイスが4個ほど入っている。
昨晩から続く隼人への埋め合わせで買いに行かされている雨京。ちなみにこのまま隼人の家に届けることはなく、後日遊びに来た時に食べるという。面倒な話だが、今回は自分に非があるためにしょうがないと割り切っていた。
この暑さの中ではマリーとの約束やカリウスの話の件を深く考える気にもなれない。早く冷房の効いた天国へと戻りたい。その一心で歩みを進めて行くのだが――
「……?」
ふと背後から気配を感じたので振り返る。隼人が冷やかしに来たのかとも思ったが、その予想はすぐに裏切られた。
「……」
大通りに間隔を開けて立ち並ぶ電信柱の後ろから身を乗りだし、可愛らしい少女がこちらの様子を窺っている。本人的には完璧に隠れているのだろうが、こちらからは完全に見えてしまっている。
こちらの様子に気づいた少女は薄っすらと頬を染めて電信柱に隠れる。しかしながら綺麗な赤毛はそこからはみ出していた。
かくれんぼが超絶下手な子が背後から忍び寄っている。それも恐らくマリーと同じで外人。もちろん少女に追跡される覚えは雨京にはない。一体なぜこんなことをしてくるのか。
分からないことだらけのままだが、とりあえず背後を気にしながら自宅に向けて歩き出す。大通りが終わり、住宅街に入っても少女は付いてきていた。
どうしたものか。振り切った方がいいのか。それとも何故ついてくるか問いただすべきか。脳内会議にて少女への対策を考えていれば、向こうからいつもの小学生ズが歩いてくるのが見えた。
「……それがいいか。お~い、お前ら~」
「おお? 雨京ー?」
「遊びに行く最中悪いなお前ら。ちょっとあそこに隠れてる子に話しかけてみてくれないか?」
同年代ぐらいの子であれば接しやすいかもしれない。そう判断して背後の少女を指さして小学生ズに指示を出したのだが、予想外の答えが返ってくる。
「え? 隠れてる子?」
「そう。あそこの電信柱の影に隠れてる子」
「……雨京大丈夫かー? 暑さにやられたんじゃない?」
「え? なんで?」
「雨京が指さしてるところに誰もいないよ。ほら」
「うん! 誰もいない!」
電信柱の後ろまで行った1人が、雨京たちに向かって誰もいないことをジェスチャーを交えながら伝えてくる。その大声に、少女は驚いて震えていた。
「い、いやいや冗談だろ。確かにあそこに――」
「早く水分ほきゅーしたほうがいいぞ雨京。きっとママとか学校が注意してる熱中症になりかけてるんじゃないか」
「昨日の子といちゃいちゃしすぎで熱くなりすぎてんのかー?」
「ラブラブ雨京ー! ぎゃはははは!!」
大笑いで冷やかしながら小学生ズはいつもの公園目がけて走り去っていってしまった。後に残されたのは冷や汗を流す雨京と、電信柱を移動しながら追跡してくる少女だけ。
自分だけに見えている。もしかしなくても少女はそういった類の存在なのか。ここに来て怖くなり始めた雨京は、足早に家へと向かい始めた。
魔法的なものが実在しているのであれば、霊的な存在がいてもおかしくはない。マリーたちと接触したことによってそういった存在を知覚できるようになってしまったのか。
膨れ上がる不安と恐怖を助長するかのように、少女は尾行を続けている。もじもじした様子すら今にも飛び出して迫ってくるのではと考えるようになったところで、自宅に到着した。
庭をあっという間に抜け、ただいまとも言わずに急いで中へと駆けこむ。間髪入れずに鍵をかけて迫る小さな脅威の進路を絶ってみせた。
「さあ……、どうくる?」
「あら、お帰り雨京。どうしたのそんなに慌てて」
「心配させてごめんばあちゃん。でも大丈夫。それとこのアイス冷凍庫に入れといてくれない?」
「分かったわ。手洗いうがい忘れちゃだめよ」
「はーい」
居間からやってきた祖母は受け取った袋を手に台所へと向かう。目の前に集中するための環境を整えた雨京は、一旦深呼吸をして自身を落ち着かせた。
扉の向こうにいるようであれば裏口から出てマリーの家へ向かうしかない。霊であっても魔法的な何かを使えばどうにかなると踏んだからだ。
汗が引き始めたところでドアスコープ越しに見える外の状況を確認する。果たして、そこにいるのは――
「……んん?」
――今にも泣き出しそうな悲嘆にくれる顔でおろおろする少女の姿があった。八の字の眉毛はさらにつり上がり、悲しみで押しつぶされてしまいそうなのが理解できる。
扉をすり抜けてきたりといった様子もなく、ヒステリックに泣きわめくこともない。見ていたら何とも言えない罪悪感が芽生え始めてきた。
もしかしなくても自分は酷いことをしているのではないか。そう雨京が考えたところで、少女の大きな目から涙が零れ落ちた。
そのまま声を上げることなく泣く少女。必死に感情を抑制しようとしているのか、両手でワンピースの腰辺りをぎゅっと掴んでいる。そしてそのままゆっくりとした足取りで道路の方へと引き返していくのだった。
「……こんなの無理だろうよ」
いてもたってもいられなくなった雨京は迷うことなく扉を開けて少女の後を追う。道路に出ればすぐにその姿を確認することができた。
「おーい! 君! そこの君!」
「……うぇ?」
「そう、君! 君のこと!」
雨京の呼びかけに気づいた少女は振り返った。流れ出続ける涙でくしゃくしゃになった顔は雨京の良心を激しく揺さぶった。
急いで少女の下にまで駆け寄り、視線を合わせるために腰を落とす。勢いにまかせてここまできてしまった雨京だったが、とりあえずは頭を下げて見せた。
「ごめんな。付いてきてたの分かってたけど、どうすればいいか分からなかったんだ」
「……お兄ちゃんは悪くない。わ、悪いのは恥ずかしくて、すぐに声かけられなかったわだじ」
涙声で言葉をつっかえながらも少女は返答してくれた。頑張るその姿を見れば自分の行動が間違っていたことを思い知らされる。
少なくとも悪意を持って近づいてきたようには見えない。ともなればどんな目的で自分のあとについてきたのか。
「突き放すようなことして本当にごめん。でも強いんだね、声を出さないなんて」
「お母さんが声出して泣くと怒るの。他でも迷惑だから、しないようにって。だがら、がんばる゛」
「そっか。すごいね」
「……すごい?」
「ああ。俺が君ぐらいで怖かったり不安だったら泣いちゃってたと思う。俺なんかより君はずっとすごいよ」
「そう……、かな」
悲しみ一色だったその顔がわずかに笑顔へと変わる。眉毛は八の字に曲がったままだったが、十分に可愛く見える。
とりあえずもう泣き出すことがないと分かって雨京は安心しつつも、そのままの流れで問いかけてみた。
「俺は風間雨京。君の名前は何て言うの?」
「『ニア』、です」
「ニアちゃんか。となると日本人ではないよね」
「アメリカから来た。お母さんがここに明日までいるようにって」
「お母さんの……。他に一緒に来た人はいないの?」
その雨京の問いに、ニアは首を横に振って応えた。その答えを聞いた雨京の表情は一瞬曇ったが、不安にさせないためにすぐに笑顔に戻す。
こんな小さな子を他の援助もなくたった1人で送り出す母。それも国外へ。そんな話を聞いたこともない。というかどうやってここまでやってきたのか。
多くの疑問が脳内で生み出されていくが、これ以上ニアに負担をかけるのは駄目だと判断して雨京は考えるのを止めた。もうあんなに悲しそうな顔を見たくない。
決意を心で固める雨京。そんな彼に対し、ニアが恐る恐る口を開いた。
「雨京お兄ちゃんは、アークライトさんって知ってる?」
「アークライト? あ、マリーの家のことか」
「やっぱり知ってるんだ……! 良かった、そうだと思った」
くしゃくしゃの泣き顔は安堵の笑みへと変わる。圧倒的な破壊力を秘めたその笑顔は、雨京の心に凄まじい衝撃を与えた。
守らねば。一目惚れとかそういったものではない、大切な妹を思うかのような気持ち。湧きあがる感情はよく分からない使命感を雨京に抱かせるに至った。
だとしたらやることはただ一つ。やれる限りニアの力となること。まるで父のような一寸の迷いもない危険な決意を固めながら雨京は優しく話しかけた。
「それじゃあ後で会う約束してあるから、会わせてあげるよ」
「本当に?」
「うん。それまでの間ずっと外にいると暑いし、お昼にもなっちゃうから俺の家に来たらどうかな」
「……迷惑にならない?」
「絶対に大丈夫だと思う。爺ちゃんも婆ちゃんもいい人だからさ」
「そう……、なんだ。なら、もう姿隠さなくてもいいかも」
雨京の提案を了承したニアはその大きな目を閉じた。するとニアの全身を気づかぬうちに包んでいた薄っすらと青白い光が空気中に霧散していくのだった。
マリーが見せてくれた治癒術と同じ、魔法のようなものの類。一体どういった効力を持ったものなのかは分からないが、素直にそれは綺麗だと思えた。
お互いに向き合う2人。微笑む雨京に対し、付いてきた時と同じ可愛らしい恥じらいを見せながら、ニアは上目遣いでもごもごと話し始めた。
「雨京お兄ちゃんを……、信じます。短い間だと思うけど、よ、よろしくお願いします……」
「ああ。よろしく、ニア」




