10 いつもの現実
――『高天望町』、夕刻
アークライト家での話も終わり、雨京はあまりにも多すぎる情報を頭の中で必死に整理しながら帰路についていた。
送り出しの際のマリーがとても可愛いかったが、思い出してにやけるだけの余裕は雨京には残されていない。ゆっくりと進んでいく雨京の視線はカリウスから手渡された資料に釘付けになっている。
マリーの役割。『喰者』という化け物。世界の崩壊。信じ難い事柄の数々。暑い夏が見せる幻かといえばそんなこともなく、恐らく、現実のこと。
それらを信じてもらうため、カリウスは資料にこれから8年の間に発生するであろう事象について簡潔にまとめていた。その中には予測不可能ともいえる自然災害なども含まれており、世界と交信できるからこそ知り得るものばかりだった。
いつもの現実から逸脱した領域。マリーとこの一ヵ月だけでなく、それ以降も一緒にいるためにはどうすればいいか。様々なことで頭が一杯になりながらも、雨京は気づけば家にたどり着いていた。
疲れによるため息をつきながら、変わることのない我が家の玄関の扉を開けようとしたが、びくともしない。疑問に思った雨京は駐車場の方へと視線を映した。
ほとんど乗らなくなった祖父の車はあったが、愛用の自転車が見当たらない。これは悪いタイミングで帰ってきてしまったかと苦笑いする雨京は、ポケットなどを一応探ってみたが家の鍵は見つからない。
出かけるとは予想していなかったし、それによる油断で部屋に家の合鍵を置いてきてしまった。自らの考えの浅はかさに再びため息をつきながら、これからどうするかを検討することにした。
写真も必要なところは取り終えているから、町を散歩する必要もないしできれば涼みたい。この暑さから逃れるとしたら隼人の家に行くのが無難な選択肢だろう。
明後日一緒に行けないことを伝えるのにちょうどいいし、もしかしたらカップアイスがもらえる可能性がある。それ以外にも隼人を通して頼んでおきたいことを少し前に思い出した気がするが、何故か今になってそれを忘れてしまった。
気付けばそれなりに傾いていた太陽からの熱を浴びながら、歩いて数分の隼人の住む木梨家へと移動を開始しようとした。だが、そんな雨京を予想外の場所から誰かが呼び止めた。
「雨京にい?」
「ん? 『進』?」
聞き慣れた従弟の声が頭上から聞こえてきた。上方を見れば、雨京の部屋の窓から顔を出している短く切りそろえられた清潔感に溢れる黒髪が特徴的な進の姿があった。
予定よりもかなり早く来ていたことと、何より自らの部屋にいることに驚く雨京。こちらに向かって笑みを浮かべながら手を振ってくる進に、とりあえず問いかけてみた。
「もう来てたんだな」
「はい! 30分ほど前に到着しました! 今玄関の扉を開けに行きますね!」
「おう。頼む」
相も変わらず丁寧な口調の進は窓を閉めるとすぐに姿が見えなくなった。家の内部からは慌ただしく廊下を駆け、階段を下りていく音が聞こえてくる。
雨京の父の妹の息子にあたる存在である進。まだ小学3年生なのにも関わらず、驚くほどにしっかりとしている。東京の方で今も残る剣術道場の師範を進の父が務めており、それの影響を強く受けているようだ。
ときたまの休暇を使って旅行へ行った帰りに余裕があればこの『高天望町』にやってきていて、その度に一緒に遊んでいるので雨京のことを本当の兄のように慕ってくれていた。
少し待っていれば、玄関の扉が勢いよく開く。その向こうには、雨京を待ちわびていた進の姿があった。
「お待たせしました」
「ありがとう。ちなみに皆はどこに行ったんだ?」
「お爺ちゃんの自転車が調子が悪いとのことだったので、車に積んで商店街の自転車屋に向かいました。帰りに夕飯の買い物も一気に済ませてくるとのことです」
「ほうほう。なるほどね。そんじゃ、俺たちは気長にお留守番だな」
「はい。ささ、部屋の方は冷房を点けておいたので涼しいですよ」
「おお。流石進。抜かりないねえ」
「それほどでも、です」
嬉しそうに手を組んで決め顔をする進。しっかりとしていても、こういった面では年相応の幼さが垣間見えている。
アークライト家と違って玄関と廊下には冷房は使われていないが、それでも日差しがないだけでも遥かにマシだった。日陰の涼しさを堪能しつつも手早く靴を脱ぎ、進と一緒に2階の自室へと向かう。
1階よりもさらに気温が高くなっている2階。ほぼサウナ状態になっている中を顔をしかめながら進んでいき、素晴らしい涼しさに満たされた自室へとたどり着いた雨京は歓喜の声を上げた。
「あっは~。気持ちいい~。これでアイスがあれば――」
「あ。帰りの道中のスーパーで買って来たアイスがあります。冷蔵庫から持ってきますね」
「マジか。助かるわ~」
雨京の礼を背に聞きながら進はすぐに部屋を出ていった。先ほどから動きっぱなしなのだが、進自身は全く汗をかいていない。それも父から鍛えられている証拠なのだと思えた。
自分も鍛えればあんな風になれるのかと想像したが、すぐに今のままでも特に問題ないという結論に至った。この静かな田舎町で過ごす中でその必要性が感じられなかったからだ。
体中の汗が引いてきたところで写真の整理をするために机の上にあるパソコンをたちあげ、椅子に腰かけた。キーボードにいつものパスワードを入力し、デスクトップが表示されたところでスマホから抜き取ったSDカードを本体の挿入口へと押し込む。カリウスの資料はなくすことがないよう、重要書類を入れておくファイルに差し込んでおいた。
涼しい部屋の中で本体の背部のファンから唯一熱が発し続けている。ちょうどSDカードの内容が読み込めたところで、アイスを持った進が部屋に戻ってきた。
「お待たせです」
「お、さんきゅー」
手渡されたのはスプーンとバニラ味のカップアイス。定番の味だが、何度食べても何故か飽きない。隼人が食べていたこともあり、ちょうど食べたいとも思っていたからちょうどよかった。
蓋を開け、シートをはがす。そして2人は躊躇うことなくそこにわずかについていたアイスを舐める。行儀が悪いといえるが、勿体ないという風間家では当たり前の行為だった。
綺麗になったシートをゴミ箱へと捨てて、SDカードの中から重要な写真はパソコンの方へとコピーし、不要なものは消していく。このSDカードこそが、今回進に与える雨京特製の写真集となるのだ。
その作業をアイスを食べながら見ていた進。興味津々といった表情だったが、とある存在が映し出された写真を見つけて首を傾げた。
「女の子? 雨京にい、まさか……」
「ふっふっふ。そのまさかよ」
「……そうですか。大丈夫です。盗撮したことはお爺ちゃんたちには黙っておきま――」
「違う! 盗撮じゃない! 今日一緒に町を回ってたんだよ!」
「一緒に? となると……」
真剣な表情のままで進はゆっくりと右手の小指を立てて雨京に見せてきた。それに対し、自信たっぷりといった感じを醸し出しながらゆっくりと頷いた。
進の視線は画面に映し出されるキャスケットをかぶったマリーと雨京を交互に見続ける。何度も繰り返されてもその真剣な表情が変わることはない。
「……しかも外国人。やりますね、雨京にい。中学生で彼女とは」
「褒めてくれてるって捉えてok?」
「はい。流石です。並大抵の勇気がなければ女性を射止めるのは難しいですからね」
「……ありがとう。前々からそうだけど、俺は進が小学三年生だとは思えないわ。精神年齢なら俺を超えてるんじゃないか?」
「いえ、そんなことはありません。私は正真正銘の小学生。父に倣っているだけで、雨京にいには到底かないません。尊敬してます」
「お、おおう」
そういってキラキラと輝く瞳を向けてくる。落ち着いた雰囲気とは違うその眼差しのギャップに雨京は戸惑ってしまっていた。
逸れてしまった気をアイスを一口頬張って作業へと無理矢理戻す。柔らかく、優しい味が口の中に広がっていくのを感じながら、手早く進めて行く。
背後からの視線が少し気になりながらも順調に進み、写真集は形となっていった。終盤へと差し掛かったところで、ふと目に入った写真に雨京の目がいった。
学校へと向かう道中で撮った写真。丁重に保護をかけておいたそれには、可愛らしく笑うマリーが映っている。それに目を奪われて自らの手が止まっていることに、雨京は全く気付くことができなかった。
これから、その隣にいることができる。大変なことがあるはずだが、それが嬉しくて無意識のうちににやける雨京を進は不思議そうな目で見守り続けていた。
※※
「忘れ物はないか、進」
「大丈夫。雨京にいからもらったSDカードもちゃんと持ったよ」
「よし。それじゃあ元気でな。風邪ひくなよ」
「雨京にいもね」
そういった笑顔のやり取りの後、窓は閉められて車は発進していった。街灯の少ない夜の住宅街を走り、角を曲がってその姿はあっという間に見えなくなってしまった。
明日の予定があるために夕飯を食べてすぐに東京の家に帰ることになっており、たった今それの見送りをしたところだ。久しぶりに会えたのにすぐ別れるのは名残惜しいが、両親の事情があるのであれば仕方がない。
一緒に見送っていた祖父と祖母とともに家の中に入り、近所用のサンダルを脱いで玄関へと上がったところで着信音が鳴り響く。気の抜けるようなその音楽が鳴ったということは、かけてきたのはあいつだろう。
自室に向かうことを目くばせで2人に伝えた雨京は階段を上がりながら電話に出る。その向こうからは、夜なのにも関わらず元気な声が聞こえてきた。
『へーい雨京。暇だろ?』
「そうでもない」
『そりゃよかった。今俺んちの目の前を見覚えのある車が通ってさ。あれって進の家の車だよな?』
「ああ。ちょうど今帰ってった」
『やっぱりか。久しぶりに会えるかとも思ったけど、残念だわー』
「ま、この時間でお前が来てももう部屋で遊ぶことしかできないけどな」
『それな』
電話越しの隼人といつも通りの緩い会話を交わしていればあっという間に自室へとたどり着いた。冷房の効いた涼しいそこの電気を点け、スリープ状態だったパソコンを起動させる。
表示されるログイン画面を待っていると、テレビの前に無造作に置いてあるGCのコントローラーに目がいってしまう。出立の直前までここで進と遊んでいたので、まだ片付けもしていなかった。
今度会えるのは冬休みか。そう考えて少し寂しくなってしまうが、沈む気分を振り払うかのように隼人は問いかけてきた。
『それとちょっと確認したいことがあってな。明後日のお祭りどうするよ。どこ回る? 何を食う? 俺はいつも通り――』
「あ、すまん。俺お前と一緒に行けない」
『……ぱーどぅん?』
「一緒に行けない。後で埋め合わせはするから、今回はほかのやつと行ってくれ。『原田』とか、『高坂』辺りと――」
『待てえぇぇぇい雨京! どういうことだ! そんな話聞いてないぞ!』
「今言ったことだからな」
予想はしていたとはいえ凄まじい声量が放たれ、思わずスマホから耳を離してしまう。その発言の一文字一文字がくっきりと具現化しているように思えるほど大きい。
『いやまあそうだけども! そ・う・だ・け・ど・も! ちょいといきなり過ぎんだろうがよ。俺泣くぞ』
「悪かったよ。急な誘いが来て断れなくってさ。頼むから許してくれ」
そう弁明しながらも、雨京の脳内では明後日マリーと一緒にお祭りを回る自分の姿を想像してにやけてしまう。
目の前を行くマリー。瞳を輝かせる天使のようなその可愛らしい姿を自分は追い掛けていく。お祭りの輝きよりも、圧倒的にまぶしいものがマリーからは感じ取ることができた。
だらしなく妄想をする雨京は無意識のうちにその頬をさらに緩めていった。その姿をを隼人に見られたらしばらくの間いじられること間違いない。
椅子に座り、手早く操作して写真が保存されたフォルダを開く。そこには厳重に保護されたキャスケットをかぶってこちらに微笑むマリーの写真がある。ためらうことなくそれを画面に表示し、愛らしいその姿に見惚れていた。
他人から見れば気持ち悪いと思われる光景。しかし今の雨京は幸せの真っただ中にいた。その頭の中には大好きな存在と一緒にいられる喜びで埋め尽くされている。カリウスから語られた重要事項も片隅に追いやられてしまっている有様だった。
だが、そうしたことに気を取られていたことで電話の向こうにいる隼人が何かしらの物音を立てていることに全く気付くことができなかった。
『親友の俺を差し置いて優先する……、っはぁ! さては、彼女でもできたかお前! 中学生の分際で!』
「んなっ。お前だって中学生だろ!」
『ほほう。否定はしないということは本当にできた可能性大だな!』
「えっ、いや、それは……、その」
『決まったことを否定しないのはお前の癖だ。幼稚園から一緒の幼馴染を舐めるなよ』
「くっ……!」
上手い具合に誘導尋問されてしまった。隼人がこういった面での観察眼は昔から優れていることは分かっていたのに、つい油断した。
亜里沙と同レベルで口の軽い隼人。しかもかなり広範囲に繋がりを持っているために凄い勢いで情報が伝わってしまうかもしれない。何とか手を打たねば。
隼人に対する交渉案を練り上げる雨京。しかし、思案を続ける中であれだけうるさかった隼人がしゃべらなくなったことに違和感を感じた。スピーカーに耳を近づけてみると、硬いアスファルトの上を駆けるような音が聞こえてくる。
雨京がまさかと思った矢先、家のチャイムが鳴らされた。同じ音が遅れてスマホから聞こえてきたことで、それは確信へと変わる。
下の階から聞こえたのは祖母が出迎える声。そして開かれた玄関の扉から入ってきた元気な声は手早く事情を説明すると凄まじい速度で階段を駆け上がり始めた。
行動力に関してもずば抜けているとはいえ、この時間帯にやってくるとは普通予想何てできない。慌てて画像を閉じてフォルダも閉じようとしたが、その足音は自室の目前までに迫っていた。
「そぉら止まれい! 家宅捜索令状だ!」
「安っぽいな! ていうか手書きじゃねーか!」
「ええい黙れい! さもないと彼女ができたことを皆にばらすぞ!」
「なっ、き、汚ねえぞ」
「ふっふっふ。勝てばよかろうなのだ。さあ、どいたどいた!」
スーパーのチラシの裏に雑な手書きで書かれた礼状(?)を手渡し、渋々どいた雨京に代わって隼人が椅子に深々と腰かけた。
まるで自分のパソコンかのようにその証拠となる物がある場所へとクリックで進んでいく隼人。何故そこまで的確に進めるのかと、雨京はすぐ横で苦笑いしながら見守ることしかできなかった。
瞬く間に写真が保存されたフォルダへとたどり着き、今日の日付に近い写真を探し始める。そして表示されたその中にそれっぽいものを発見した隼人はにんまりと腹立たしい笑顔を向けた後、画面へと向き直った。
「見~つけた~って、んん!? 外人?」
映し出された人物を見て隼人は目を丸くさせていた。完全に予想外だったようで、そのままの状態で止まってしまっている。
当然ともいえるその反応に雨京は思わず吹き出してしまった。信じられないといった感じで硬直する姿を笑いをこらえながらそばで見ていると、何かが脳内で繋がった隼人が両手を合わせる。
「あそこの豪勢な家の子か?」
「おおっと。マジかよ」
言い当てられたことに素直に驚いてしまった。それを見て隼人はどや顔を決めながら雨京を見た。憎たらしいそれに若干の苛立ちを覚えたところで隼人は勝ち誇ったような様子で続ける。
「だよな。俺の記憶にはこの子はいない。だとしたら今日越して来たっていう家の子としか思えねえ」
「……その記憶力を何で勉強に活かせないんだ隼人」
「お互い様だろ。お前もある程度やればもっと出来んだろうが」
「まあな」
「否定しろや」
「うっせー」
その後お互いに笑って握った拳を合わせる。気づけば幼いころからやっていた行為であり、2人の息が合ったりしたときにやっている何気ないことだ。
画面に映し出された見たこともない可愛らしい存在を今一度観察し直す。細部までその目でしっかりと確認した後、満足そうにため息をついて画像を閉じた。
おもむろに立ち上がった隼人はふらふらとした足取りでテレビの目の前まで移動すると、勢いよく一つしかない座椅子に座ってしまった。
「おいロリコン」
「ロリコンじゃねえ」
「すまん、ロリ京」
「混ぜるな。早く要件を言え」
「お前の恋路に口出しはしない。だが、埋め合わせはしてもらう」
「まあ、電話でも言ったからな。んで、どうするんだ」
「決まってんだろそりゃ。それすなわち――」
途中で言葉を切った隼人は決め顔で人差し指を立て、天井を指さす。痛々しいその状態のまま一呼吸置いた後、その指を勢いよくとある場所へと下ろしていく。
「――これからその分ここで遊ぶ!」
「……だろうと思ったよ」
その指は、GCの電源ボタンに触れていた。腹立たしい雰囲気を醸し出し続ける隼人にため息をつきながら雨京はテレビの電源を点けてあげた。
今年の冬に次世代機が発売されるが、風間家や木梨家においてはまだまだ現役。何だかんだで楽しいソフトもたくさんあるのでよくこれで遊んでいた。
ちなみに入っていたディスクは『大乱闘DX』。かなり初期のソフトだが、もはや定番だと言えるほどの楽しさを雨京たちに提供してくれていた。
「雨京。お前リンク使うなよ」
「別にいいじゃねえか」
「あってめ、使うなって言ったのに。嫌なんだよお前が使うとやけに強いから。いいよちくしょう俺はピーチだ」
「またか。好きだなお前」
「うるせー。美女のヒップアタックくらわしてやんよー!」
他愛もない話をしながらもゲームを楽しむ2人。友情破壊ゲーとも呼ばれたりしているが、この2人で問題が発生することはまずない。何だかんだでお互い信頼しており、何だかんだでお互いを認めているからだ。
埋め合わせだということを忘れて熱中する賑やかな声は、下の階でテレビを見ている祖父と祖母にも聞こえていた。大切な孫であり、この町を支えるかもしれない若者たちの戯れを邪魔することなく、涼しい部屋の中で淹れたお茶をゆっくりとすするのだった。




