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第七話

 レオナルドやミアカーナと鍛錬場で会ってから数日。あれから一度も王城内や鍛錬場ですれ違うことはなかった。そもそも生活区域が違うのだから当たり前の話ではあるし、二年前から王城で治癒魔法師をしていたのに会わなかったのだから、遭遇率はそれほど高くない。それでもエマは胸を撫でおろした。

 アネットとリターニャと話して心が軽くなったとはいえ、実際に会うのは勇気がいるからだ。恋心を持ったままでいることと、実際に会うことはまた別の話なのである。

 普段通りを装って仕事に取り組んでいると、診療室のドアを勝手に開いた。いつもならウィリアムが止めに入るところだが、背後に控えている気配が動かないことからして、エマの知り合いであることが高い。

 治癒魔法を施していた騎士の腕からそっと視線を上げる。そこにいたのはリアム国騎士団副団長のウィルフレッド・フォン・スペルクスだった。エマと同い年で副団長となったウィルフレッドの銀の短髪は綺麗に整えられており、兄であるレオナルドと同じ翡翠色の瞳をしていた。その瞳はエマの手元、つまりは騎士の傷部分を映しており、眉間には深い皺が刻み込まれている。

 ウィルフレッドが診療室に現れるなり、位もない一介の騎士であった男性は、治癒魔法が完全に終わる前に、エマの礼をしっかりとした後、ウィルフレッドへ騎士の礼をして退出してしまった。

 騎士と入れ替わるように我が物顔で、騎士が座っていた椅子に腰を下ろした。

(まあ、終わりがけだったし、残りの部分も二日くらいかければ治るだろうけど……)

 治癒魔法師という名を背負っている以上、治癒魔法の仕事を最後までやり遂げたい。不満を込めて深いため息を吐けば、素知らぬ顔をして声をかけられた。

「仕事熱心なことはいいが、そろそろ休んだらどうだ、義姉上」

 義姉上。五年前までそう呼ばれる度に嬉しかった。しかし今は違う。呼ばれる度に胸が苦しくて仕方なくなる。恋心を持ったままでいるとしても、義姉上と呼ばれるのはまた別問題だ。そう呼ばれるたびに、元の関係に戻れるのではないかと心が勘違いをしてしまうから。

「その呼び方は、すでに私にはふさわしくありません。どうかただのエマとお呼びください。スペルクス副団長」

「貴女からしては見ればそうかもしれないが、私からしてみれば私の義姉上は貴女ただ一人なのでな。いつも通りウィルと呼んでくれればいい」

「……そうですか。でも、私は治癒魔法師のただのエマ。スペルクス副団長のことを気安く呼ぶことはできかねます」

 しかしこの会話は、挨拶のようなものだ。いつもにように受け流し、用件を聞く。

「それで、何のご用でしょうか? 見たところ、怪我の類ではなさそうですが」

 頭のてっぺんから足のつま先までざっと確認するが、どこも怪我をしている様子はない。

(まあ二十歳という若さで副団長になったのだから、そうそう怪我をするはずないわよね)

「怪我をしたら、昨日帰還した時に真っすぐこの診療室へ足を踏み入れているだろうな」

「昨日……あの討伐隊にスペルクス副団長も同行していたのですか?」

 騎士団には何千人と所属しているが、戦争や大規模な魔物討伐がない限り、全員が外に出ることはまずない。団長の下に副団長、つまりウィルフレッドがおり、さらにその下には三十人の隊長がいる。

 主に国王から命令を受けるのは団長や副団長だが、その命令をこなすのは隊長やその下にいる一介の騎士たちだ。魔物の強さによって隊を編成し、その中で小隊長を決め、討伐に出向くことが基本的な流れである。先程まで治癒魔法をかけていた男性は、昨日討伐から帰ってきた騎士のうちの一人だ。夜間の治癒魔法師に診てもらえばよかったのだが、肉を抉られた怪我だというのに、軽い怪我だと朝まで放置していたのち、同室の同僚にばれ、連れられてきたというのが治療に至るまでの経緯だったりする。

 魔物の強さによって隊長クラスが複数、もしく団長や副団長が出向くこともあるが、それほどまでに凶悪な魔物だったのだろうか。言われてみれば、先程の男性の怪我も酷い怪我だった。

「そうだ。俺が行くほどの魔物ではなかったが、たまには現場に出ないと勘が鈍って仕方がない」

「なるほど、そのような経緯でしたか」

 副団長が出るほどの魔物が国内に出現したとしたら、それは最早脅威でしかない。ほっと安堵の息をつこうとするが、それはウィルフレッドの次の言葉で出せなくなってしまった。

「だが、安心はできん。最近国内外問わずの魔物が活発化していてな。年々徐々に討伐する数も増え、強さも増している」

「そう、なんですか?」

 魔物が増えているという事実に目を丸くする。治癒魔法師の仕事は、この診療室にいるか、鍛錬場に出向くか、またはほぼないといってもいいが、討伐の編成について行くくらいしかない。そのため外の情報に疎くなりがちなのだ。

 エマ以外の治癒魔法師も例外ではなく、この前に浴室で一緒になったアネットやリターニャも同じことで、魔物の話題は上がってこなかった。

 それに騎士は何千人といるため、交代制で休暇をとっている。一人一人の休暇を把握していないため、数人いなくなったくらいでは、エマが気づくはずもなかった。

「ああ、その証拠にこれは機密事項だが、先程国内でA級の魔物が発見されたという報告があった。A級以上となれば俺か副団長のどちらかが大規模の討伐隊を引っ張っていくことになる。そこで俺が志願した」

 今回ウィルフレッドがエマの元を尋ねてきた要件は、このことを伝えるためだったのだろう。

 魔物はどこの国にもいる害獣のような存在だ。見かけは普通の野生動物と変わらないが、その力は恐ろしいものがある。

 魔物はS級、A級、B級、C級、D級と五つのクラスに分けられている。D級は小隊長率いる隊で討伐できるクラス。C級は小隊長率いる二~九隊で討伐できるクラス。B級は三十に分かれているうちの一つの隊全員で討伐できるクラス。A級は騎士団所属の騎士の半数を投入して討伐できるクラス。S級になると、騎士団総出で討伐するクラスとなってくる。

 S級はもはや災害級なので、総出だとしても勝てるかどうかも怪しくなってくるのが現状だ。最後にS級が国内で発見されたのは数百年前だといわれている。A級は約五十年に一度のペースで出現するが、前回出現したのはエマが物心つく前だったはずだ。こんなに早く出現するなど、異様でしかない。

 それに討伐できるクラスとはいっても、あくまでも目安でしかない。前回の討伐では八十七人の死者が出たと記述で見たことがある。

 自身と同じ歳であるウィルフレッドが命を賭けて戦う。騎士なのだから仕方ないことなのかもしれない。けれどエマはまだ身近な人を失ったことがないせいで、実感が全く沸かなかった。

「見間違いでは……ないのですか?」

「残念ながらな。現に出現した地域の一部の街は壊滅状態にある。進行方向はこの王都だ。なるべく被害は最小限に抑えなければならない。だから遅くとも三日後には出発することになるだろう」

「そんな……」

「心配するな。俺は死ぬ気はない」

「あったら困ります」

 冗談のように口にするウィルフレッドに、苛立ちを覚えながらも冷静に返した。ずっと本当の弟のように思っていた子なのだ。それはレオナルドとの婚約を解消した今も変わらない。

 ウィルフレッドの立場であれば、王位継承権を返上したといっても、最前線に行かずに国に留まることができるだろう。それでも志願したというということは、すでに覚悟を決めているからに違いない。魔物から国を守るために。

「そこでこれからが本題だ」

「本題? 先程までの話が本題ではなくて、ですか?」

「いや、これはただの前置きにしか過ぎない」

 A級の魔物が前置きとは一体どのようなことだろうか。怪訝そうに首を傾げれば、ウィルフレッドに両肩を掴まれてしまった。

 エマを見つめる瞳は真剣そのもので、逸らすことができない。

「義姉上は、騎士たちの間で呼ばれている自身の二つ名をご存知か」

「……はい。恐れ多くも『聖女』の二つ名を」

 最初からそう呼ばれていたわけではない。最初の頃はフォルモーサ公爵の娘というだけで敬われ、治癒魔法師の仕事についたのに、誰も診療室に来ないという日も続いた。鍛錬場に行っても、大怪我をしたというのに縁故採用だろうと侮りエマを信用せず来なかった人すらいる。同僚である治癒魔法師に嫌味を言われたこともあった。それでも聖女という名で呼んでもらっているのは、一重にエマが努力し、他の治癒魔法師にできなかった治癒魔法を施したことが発端だ。今でもあの時の達成感と高揚は忘れない。

「それの何か関係があるのですか?」

 その時の気持ちを思い出しながら、ウィルフレッドに尋ねる。

「関係大ありだ。今回のA級魔物の討伐を知った上位貴族の連中や、隊長格の連中から『聖女』を押す声が後を絶たない。父上も俺から打診するように頼んできた」

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