第三話
一人はこの国の王太子であるレオナルド・フォン・スペルクス。国王であるライアン・フォン・スペルクスと同じ色彩の金髪と鮮やかな翡翠の瞳を持つ、エマより一つ年上のリアム国王太子だ。その翡翠の瞳が視線を向ける先にはエマの実の妹であるミアカーナ・フォルモーサがいた。エマとは違い母親の血を色濃く受け継いだようで、桃色のふわっとしたくせ毛を腰辺りまで伸ばしており、夕陽のように温かみのある橙の瞳は誰が見てもわかるほど恋の色を滲ませ、レオナルドに向けていた。
ミアカーナはレオナルドの腕に両腕を巻き付けて、頬を染めながらも楽しそうに会話をしていた。レオナルドもそれに応えるように会話をしている。その姿を見たくなくて視線を逸らそうとするが、妹のミアカーナと運悪く目が合ってしまった。
「お姉様!!」
ミアカーナはエマの姿を見つけるなり、満面の笑みを浮かべて手を振ってきた。それに手を小さく振り返せば、ミアカーナがレオナルドを伴ってエマのいる屋根のついた区画へと歩み寄ってきた。ミアカーナに両腕を巻き付かれているレオナルドも、必然的にエマの元へやって来ることになる。
五年ぶりに見たレオナルドは、贔屓目無しにしても格好いいと思わずしていられなかった。少年から青年の狭間くらいの顔つきから、完全な大人な顔つきへと変化しているが、それでも元婚約者であるレオナルドの顔をエマがわからないはずがなかった。
瞳がレオナルドと交わる前に手元に視線を落とす。ミアカーナを見ていた瞳を見ていたくないと気持ちもあるが、何より金に染まってしまった自身の瞳を見られたくなかったからだ。
おそらく今のエマはひどい顔をしているだろう。お腹辺りでこぶしを握っていると、その手を大きな手が包み込んでくれた。小さい頃からよく知るウィリアムの手だ。
「お嬢様、手に傷がつきます」
「ウィリー……。大丈夫よ、ついてもどうせすぐに治ってしまうもの」
自嘲気味に笑えば、ウィリアムに小さくため息をつかれた。
「それでもお嬢様の手に傷がつくことを、見過ごすことができませんので。何かを握りたければ、私の手を握ってください。私の手ならばいくら傷ついてもかまいません」
「……それは、だめよ」
自身の手はいいとしても、ウィリアムの手を傷つけるわけにはいかない。握りたくなる気持ちを抑えて、ウィリアムと会話をしているうちに二人は目前まで歩いてきていた。
公爵令嬢時代とは違い、動きやすい作りになっている治癒魔法師の制服の裾を掴み、挨拶をする。リアム国王太子とその婚約者候補に対する最上級のお辞儀だ。
「……っ、頭を上げて。エマ、君がそのようなことをする必要はない」
久しぶりに聞く声は、最後に聞いたときよりも落ち着きがあって、若干低くなっていた。けれどエマを呼ぶ声音は全く変わらない。その声を直接聞いただけだというのに、嬉しくて仕方がなくなる。
(こんな感情、今の私が持っていいわけがない)
そう己に言い聞かせて、自身の心を宥めた。
「そうよ、お姉様。私たち姉妹なのよ? 堅苦しいことはやめましょう? 屋敷にいる時と同じように接してほしいわ」
ミアカーナの言葉に首を左右に振る。たとえ身内であったとしても、ここは王城の一角。フォルモーサの屋敷内ならともかくとして、外ではきちんとした線引きは必要だ。
父であるハリーからは、公爵家の一員としての恩恵を外で一切受けられないが、家名を名乗ることだけは許してもらっている。これは王城で働く以上どうしても必要なものだったからだ。他の家名を名乗ることも考えたが、これに関してはハリーが認めてくれなかったので仕方がない。
だからフォルモーサの名前を名乗ってこそいるが、フォルモーサの肩書きを捨ててしまったのは、他ならないエマなのだ。そんなエマが王太子とその婚約者候補であるミアカーナを王城内で身内に対する態度を取れるはずがない。
声が震えないように、しっかりと息を吸って頭の中に浮かべた定形文を声にした。
「ですが、レオナルド殿下はこの国の王太子、ミアカーナ様はその婚約者候補でございます。私はフォルモーサ公爵家の肩書きを自身の意思で捨てた、一介の治癒魔法師、エマですので」
何度も口にしてきた言葉。
「けど、エマ……僕は」
「レオナルド殿下!」
言葉を遮るのは本来絶対にやってはならないこと。しかしレオナルドの口から出てくる言葉を聞いてはならないと、本能が警鐘を発していた。ミアカーナもその続きを想像できたのだろう。一瞥すると、悔し気に唇を噛んでいた。
「……私は治癒魔法師です。レオナルド殿下の今の婚約者候補はミアカーナ様でしょう? もう……もう、私ではないのです。ミアカーナ様を大事にしてあげてください」
「候補、なだけだよ。……もう、その口から僕の愛称を呼ぶ声は聞けないの? 久しぶりだね、と気軽に声をかけることも、言葉を交わすことも許されないの? もう、元の関係には……」
戻れないのか。そう言おうとしたのだろう。しかし自身の隣にミアカーナがいたことを思い出したのか、ばつの悪い表情をしながら、その言葉を途中でやめてしまった。