第三十一話
機能が復活した聴覚が、女性陣の悲鳴と、医師たちの慌てた声を拾った。ぼやけた視界はかえって邪魔になると思って閉じていた瞼を上げてみる。するとそこには驚きの光景が広がっていた。
レオナルドがエマの手を握っていた手とは逆の手で、己の膝を短剣で刺していたのだ。
「レオ……!!」
先程よりはだいぶましになった、しかし元の声には程遠い声でレオナルドの名前を呼ぶ。その光景にあまりにも驚きすぎて、敬称もなにも忘れてしまった。
血を失ったレオナルドの顔色は薄っすらと青みがかっていて、その傷が本物であることを裏付けていた。
短剣は、身を守るためにいつも所持していたレオナルドのもの。しっかりとレオナルドがそれを握って刺しており、誰かが王太子を害したわけではないのは明らかだ。蒼白な顔で医師たちが治療するためにかけよろうとするが、それをレオナルドは首を振って拒否を示した。
「僕が怪我をし続ければ、エマの治癒魔法が止まることはない。そうだろう、エマ? ならエマの体が辛くなくなるまで、僕はこうして怪我をし続けるよ。それがエマの体を守るためなら、僕は傷を負い続けることを厭わない」
自身の体を傷つけたのは、一重にエマを守りたかったから。その顔に後悔は一切なく、むしろ嬉しそうに笑っていた。
王太子であるレオナルドの身は、エマよりもずっと大事なもの。心臓など大切な機能がある部位を避けたのは、王太子であることを重々承知しているからだろう。治癒魔法で治るとわかっていても、相当な覚悟がいるはずだ。
「エマが責任を感じる必要はない。これは僕がやりたくてやっていることだからね。それにエマがこうして治癒してくれている。何も心配することはないよ」
エマを安心させるように、手をさらに強く握りしめてくる。
「エマは魔物討伐に同行して、治癒魔法師として多くの騎士の命を守った。なら次は僕の番だ」
レオナルドの言葉に自然と涙が零れて止まらなくなる。
「泣かないで、エマ。僕はエマのためならなんだってやれるんだよ。だからこれくらい、どうってことはない」
手を握るレオナルドの温もりが、目元に移る。その長い人差し指が、瞳から流れる涙を拭った。血が足りないからなのか、その指は冷たい。
「ありがとう……、レオ」
ごめんなさい、というのはとても簡単なこと。でもレオナルドが求めているのはそんな言葉ではない。だから敢えて礼を口にすれば、レオナルドは涙を拭った指でエマの頬を撫でた。
王城にいる怪我人はレオナルドのみとなった。魔力を操作する関係上、すぐにそれはわかった。となるとレオナルドの怪我を治すためだけに治癒魔法を使用することになる。
レオナルドの膝には未だ短剣が突き刺さっており、怪我の部位が回復すると同時に、レオナルドが自身の傷を抉るように短剣を動かす。それはエマの想像を絶するような痛みのはずだ。現にレオナルドの額には汗がびっしりと浮かび上っていた。だというのに、レオナルドはそんな様子を表情に見せず、その表情は柔らかくずっとエマを心配していた。
そんなレオナルドの姿を見て、エマのためにと自身の傷つけるものがぽつり、ぽつりと現れる。エマの侍従であるウィリアムはレオナルドと同じように、懐から取り出した短剣でざっくりと腕を傷つけていた。ロゼッタやミアカーナも見習うように医師に刃物を求めたが、女性の肌を傷つけることを嫌がったハリーとリカルドによって阻止され、代わりに二人がロゼッタとミアカーナの分も自身の体に傷をつけていた。
レオナルドやウィリアムほどの大きな傷ではなくとも、傷であればエマの治癒魔法は発動し続ける。小さな線傷でも己を傷つけるのに抵抗はあるだろうし、痛みは必ず伴う。それでも痛みに負けずに、傷を増やしてくれる者たちに感謝の言葉しか浮かばなかった。
部屋の中にいる者たちのおかげで、時間がかかりはしたが、エマの魔力は順調に減っていった。三割をもうすぐ切る、といったところでエマが声をかける。
「もう、大丈夫です」
体の中で暴れていた魔力は量を減らしたことにより、治癒魔法がようやく効き始めた。己にかけている治癒魔法が、体を蝕む魔力のスピードを上回ったのだ。ただここで喜んで終わりではない。気を緩めてしまえば、いつまた魔力が体の中で暴走をしてもおかしくはないのだから。
魔力は少しずつ回復するため、三割ほどに減った今、すぐに魔力量が戻るわけではない。だから増えていく魔力を上手く操り、体を蝕む魔力よりも治癒魔法の精度を上げて、常に上回らせていくことが、これから先重要となってくる。
このまますぐに寝てしまいたい衝動に駆られたが、ようやく魔力が制御できる量になったのだ。このチャンスを逃すわけにはいかない。意識を魔力へ全集中させて、多くなった魔力の制御を必死に行った。
それからどれくらい経ったのかは、時間の経過に鈍感になってしまったせいでわからなかったが、ただ集中している間もレオナルドがずっと傍にいてくれたことだけは、体を包む温かさが伝えてくれた。




