第二十八話
(レオ)
レオナルドは翡翠の瞳を涙で潤ませながら、エマが寝ているベッドの傍までやってくると、その場に膝をつけ、エマの手を握りしめた。
王太子であるレオナルドは、軽々しく膝をついてはいけない立場にある。それでもエマのために、ためらいもなく膝をついた姿に鼻の奥がツンと痛んだ。
「君の侍従とウィルに聞いたよ。魔物討伐の治癒魔法師にエマが選ばれていたこと。そしてエマが再発してしまった魔力過多症に苦しんでいることも」
瞳を潤ませている涙を拭ってあげたい。
けれど体がいうことを聞かなくて、腕をあげることすらできなかった。
ならばと声をかけたかったが、それも叶わない。
(どうしてこんな時に、私ってこうなのかしら)
思えば魔力過多症を発症したのも、レオナルドがエマの誕生日をわざわざ祝いにやって来た日だ。まるで運命に呪われているみたいである。
「僕に黙っている理由もウィルから聞いたよ。どうしてエマは僕を置いて先に行ってしまうんだい?」
(置いて行ってなんかいないわ。遠くにいるのはレオの方なんだもの。私はレオの隣には立てないから、せめて役に立ちたかっただけ)
「僕は君が傍にいてくれるだけで……ただ、それだけでよかったのに」
(……こんな体では傍にはいられないわ。レオもそれは知っているでしょう?)
レオナルドの独白に、心の中で言葉を返していく。
レオナルドの言葉は正直嬉しいものばかりだった。今はミアカーナにしか向けてはならない言葉だったとしても。
レオナルドの翡翠の瞳から涙が零れ落ちる。その瞳の視線の先が、ふとエマの瞳から耳へと変わった。そしてエマの手を握っていた手が片方だけ離れ、その耳につけていたピアスに軽く触れる。
「エマ、これをまだつけていてくれたんだね。僕もお揃いのピアスを実はずっと持ち歩いていたんだよ。これを持っていると、エマが近くにいるような気がして……ほら」
上着の内ポケットから、ハンカチにくるまれた物を見せてくれた。ハンカチに鎮座していたのは、エマが今身に着けているピアスと揃いのピアスだった。
(婚約を解消しても、まだ持ち歩いてくれていたの? 私の存在を近くに感じられるから?)
レオナルドはエマに見せたあと、再びハンカチにくるみ、上着の内ポケットにしまった。そして再びエマの手を両手で握りしめる。
「ねぇエマ。僕はもう君を失いたくないんだ。エマはこの言葉を聞きたくないって言ったから僕は言わないと約束をした。でもね、もうミアには承諾を得ているし……それに何より言わずに後悔はやっぱり嫌なんだよ」
(ミアに承諾ってどういうこと? それに私が聞きたくない言葉って……)
「僕はエマが好きだよ。この気持ちは五年前から変わっていない。むしろ大きくなっていくばかりだ」
(レオ……)
私も、と言えたらどんなによかったことだろう。
しかし神がエマに与えたのは無情にも言葉ではなく、赤い水だった。
胃からせりあがる血を抑え切れず、レオナルドの前で吐いてしまう。統制が取れていない魔力が、体内で暴走をしたのだろう。治癒魔法をそこへ回してみるものの、まるで手ごたえがない。
「エマ……!」
意識はあるが、体はまだ満足に動かすことができない。仰向けの状態から体を動かすこともできず、吐いた血が逆流をし始めた。それにすぐに気づいたレオナルドが医師を呼び、判断を仰ぎながら体を傾けてくれた。
口の中から全ての血は無事に吐き出せたものの、鉄の嫌な味が残る。
(心配かけてごめんなさい、レオ)
これでレオナルドに吐血する姿を見られてしまったのは二度目になる。医師から介抱の仕方を聞き、王太子であるにも関わらず、エマの介抱を必死にしてくれた。
「エマ、僕はエマが好きだ。今の君の姿を見ても、変わらない」
ただただ、好きという言葉を呪文のように繰り返す。まるでその言葉でエマをこの世に引き留めようとしているみたいだ。
嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちが心の中で反発し合う。
そんな気持ちを持ちながら、レオナルドの姿を見ていると、再び部屋の扉が開いた。




