お気に召すまま
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
どうどう。ほーら、大人しくしなさいよ。
うーん、なかなかペットのしつけって難しいわよね。自分勝手しそうな子の、操縦桿を握ってあげないといけないって、すんごく骨が折れるわ。
勢いで買っちゃったけど、飼育できるのか、今から不安になってきちゃった。
――ん? 「どうどう」は馬に対するイメージで、犬にやるものじゃない?
まあ、たいていは馬とか牛とかに使うイメージよね。
この「どうどう」に関しては、一説だと、日本特有の呼び方らしいわね。英語圏とかだと「フォウ、フォウ」って発音らしいわ。そしてこの「どうどう」には元来、荒れている対象を鎮めるというよりは、自分の意のままに操る時に使う掛け声というニュアンスが強いのだとか。
御する、操る、服従させるって、あまり印象がいい響きとはいえない言葉よね? でも、相手に合わせるより、自分の言うことを聞かせる必要がある時も、この世にはあるみたい。
それに関する昔話、聞いてみないかしら?
平安時代に入ると、狩りの相棒としてだけでなく、愛玩用に犬を飼い始めることが貴族たちを中心に、流行り始めたそうよ。
犬は室外で放し飼い。猫は屋内に置かれることが一般的だったとか。
不審者に吠え猛ることを得手とする犬。室内のねずみを捕ることで道具を守る役割を持つ猫と、分担がされていたようね。その気ままな行動を観察する楽しみを持っている者も多く、その日も、ある貴族の男が新しく大陸由来の犬を購入し、愛でようとしていた。
ちょうど新しく寄進された土地から、名義を貸していることによる税が入ったところだったのも大きかった。
そのまま自分の土地として扱っていては、高い税を取られてしまう荘園。それを貴族に寄進することで名義を借り、重税を避けようとした人々。
「これからも土地を守ってください」という、名義貸しの代金で、懐が潤っていたのね。
翌日のこと。貴族が仕事を終えて家に戻ってくると、庭に放していた犬が、自分から足元まで走って来たわ。
誤って踏んづけてしまうかと思うほどの大きさのその犬は、ぺたんと自分の膝元に腰を下ろし、「はっ、はっ」と舌を出しながら、しっぽを左右に振っている。
――ずいぶんと人懐こい奴。なでてやろうか。
貴族がすっと屈み込みましたが、いざ頭に触ろうと手を伸ばすと、その下をくぐってしまった犬は、都大路へ飛び出していってしまったの。誰かに迷惑をかけたら大変と、貴族も犬の後を追いかける。
しばらくたって、貴族は気がついたわ。自分が置いてけぼりにならない程度に、犬が走る速さを緩めていることを。
貴族も犬の走りは何度も見ている。本気で逃げるつもりだったなら、とっくに引き離されて見失っているはずだった。
――もしかして、どこかに私を案内しようとしている?
その考えが確かである時間を得られたのは、走って走って、都の端にある廃屋のひとつにたどり着いた時。犬が、廃屋の脇に立っている樹の根元に鼻を近づけると、前足で懸命に地面をかき始めたの。
手首が入る程度まで穴を掘ると、いったん手を止めて、貴族の方を見る犬。先ほど家の門のところで見せた、腰を下ろして舌を出し、しっぽを振る動作。
その一回だけでは意味が図りかねた貴族だけど、二度、三度とわずかに土をかいてはこちらを見ることを繰り返す犬を見て、ようやく察する。
「ここの部分を掘れ」ということを。
一度、家に帰ってクワを持ってくると、そこの部分を一心不乱に掘り始める貴族。やがて固いものにあたる感覚がしました。
それは黒塗りの化粧箱で、中を開けてみると、こぶし大の紫水晶がたくさん入っていたそうよ。
当時、占いが隆盛だったこともあり、優れたまじないの道具は高値で買い取られるもの。彼は宮中に出入りしている易者たちに、紫水晶を提供。見返りとして、目が飛び出そうな額の報酬を手に入れたとか。
貴族といえども、格別に裕福というわけではなかった彼。自分の家の修繕箇所を思い、近々、久しぶりに大工を呼ぼうかと考え始めていたの。
けれども、かの犬の先導はこの一回におさまらない。更に二日連続で、貴族は同じような経緯で、紫水晶を入れた化粧箱を手にすることになり、有頂天になったわ。
いっぺんに渡すと、疑いの目で見られるかもしれない。売るのだったら、間を置いてから。
そして、この犬を手放さないように、縄でつなぐことにしたの。
この三回、犬は速さを押さえてくれたとはいえ、どこまで走ればいいか分からずに、だいぶ疲れてしまった。今後、同じようなことがあった時、距離が延びてしまったら、体力が追い付かないで、不本意に見失うことが起こるかもしれない。
くわえて、家の外の者に、犬を奪われないようにするため。これまでの動向を影で盗み見ていたものがいれば、犬を自分のものにしようとする恐れがある。
犬を保護し、自分の利益を守るために、貴族は犬を庭の目立たない位置へと移動させ、鉄の鎖でつなぐ。使用人たちにも、今まで以上に気を配るように言いつけて、いよいよボロ稼ぎの時が来たと、内心でほくそ笑んでいたらしいわ。
それから10日あまり。貴族はつないだ鎖の端を持ち、毎日のように都を練り歩くようになったけれど、あの時の案内するような動きは見られなくなってしまったの。
「まあ、三日続けてだったし、そうそう見つかるわけもないか」と、ゆったり構えていた貴族。
たとえ直接、利益につながらないとしても、こうして散歩に連れ出している姿を周囲に認知させるのも大事なこと。いざ「本番」という時に、怪しまれることも少なかろう、という考えもあったとか。
――いずれまた、こいつが走り出そうとする時があるだろう。その時にたんまりと世話になるさ。
貴族はその時を、じっくりと待っていたの。
それから数日後。いつも通り正午には仕事が終わり、宮中から屋敷へと引き上げていく貴族。その日は宮中での占いで、家までの最短の経路はよくない道であるという結果が出ていたわ。
彼は遠回りを強いられていた。大路を外れたこの道は出店の類はなく、人通りもさほど多くなかったの。
ふと、彼の鼻に何かが焦げ付いた臭いが、かすかに漂ってくる。調理中に魚を焼き過ぎた時に感じる、目にもしみてくるような刺激。どこかの誰かがへまをしたのかもしれない。
それだけだったなら、さほど足を止める理由にはならなかった。問題だったのは、自分の股の下を、ひもをつけた犬が駆け抜けていったこと。
「あっ」と一瞬転げそうになったものの、何とか踏ん張る。そうしているうちに、犬は脇道にそれていってしまったわ。すぐに小さな男の子がやってきたけど、息が続かないようで、貴族の隣で足を止めてしまう。
「あれはお前の犬か?」と貴族が問うと、男の子は小さくうなずいただけで、自分も追って脇道へ入っていき、それっきりだったとか。
気づくと、焦げた臭いも消えうせている。あれから犬の鳴き声も聞こえず、貴族は少し気味の悪さを覚えたそうね。
その翌日のこと。
朝早くに目覚めた貴族は、出勤まで時間があるのをいいことに、犬の様子を見に行ったの。
木に鎖で縛られていた犬は、主人の姿を見かけると、また腰を下ろして尻尾を振る姿勢を見せたそうよ。
――たまには、朝早くに散歩もいいだろ。
貴族は鎖を木から外して、その端を持つ。とたん、犬は貴族の身体を引っ張らんばかりに、強い力で走り出し、家の外へ。
すでにちらほらと人の姿が見えたが、それ以上に犬の走りが速く、迷いがない。貴族はまるで引きずられるままだったけど、「ひょっとして」という期待もわずかに浮かんでくる。
――またあの、紫水晶なりが入った、化粧箱のもとへ導いてくれるのか?
けれど、大路の途中を左に曲がったとたん、貴族の期待は一気に不安へ変わったの。
フタでも開けられたかのように、昨日、嗅いだ「焦げ」の臭いが飛び込んできた。それと同時に、家の影の中へと踏み込んだ子犬が、頭からどんどん消えていってしまうの。
走る勢いのまま、首も胴体も尻尾も、そして鎖も……。
「このままではまずい」と、貴族は引かれるままの立場から一転。足に力を入れて、歩みを食い止めようとする。
姿は消えてしまっても、幸い、抵抗の強さはさほど変わっていない。本気で力を入れると鎖はどんどん戻ってきて、先ほどとは逆に、尻尾からどんどん姿を現していく子犬。
完全に子犬の身体を引き出すことができた貴族。だけど、子犬自身は変わらず、自分が消えていった家の影へ入り込もうと、走るのを止めようとしなかったらしいわ。
引きずるようにして自宅へ戻った貴族は、使用人たちに言いつけて、今日一日、室内に入れてもいいから、閉じ込めて、いかなる暴れ方をしても外に出さないよう、厳命したとのこと。
出勤した宮中では、昨日、貴族が通った道の近くで、犬が突然、姿を消してしまったという話が持ち上がっていたわ。すぐに貴族は、今朝のことを思い出した。
嗅覚の鋭い犬が、「焦げ」の臭いにひるまず、突っこんでいって、そのまま影の中へ取り込まれてしまう現象。あの子供が追いつけなかったならば、止めることはできなかったろうな、と貴族は思ったわ。
――もしかしたら、あれは人だからこそ嗅げる臭いであり、危険の証だったのだろう。犬たちもそれを知り、我々が番犬を飼うように、我々を「番人」としてあてにしていた。
紫水晶も、その番人として扱うにあたっての、手付金だったのかもしれないな。
飼うものの、お気に召すままに泳がすばかりでなく、我々がしっかり手綱をとることも必要だ。
貴族は後にそう語ったそうな。