54 オーソン5
眼下の戦場は、小国の軍勢が本格的に崩れ自軍は追討戦へと移行しようとしていた。
確定した勝利に浮き足立つ王子の護衛たち。
そこに黒い影が走った。
「殿下!!」
キン!
レイナルドの叫び声と、甲高い金属音はほぼ同時だった。
アシュター目掛けて放たれた毒矢は一人の騎士によって弾き落とされた。
「周囲を警戒せよ! 暗殺者が殿下を狙っているぞ!」
レイナルドが即座に命じる。
だが、王子の護衛たちは既に暗殺者たちとの死闘を繰り広げていた。
「こいつら、どこから!?」
「地面だ! 潜んでやがったんだ!」
「くそ! まんまと誘い込まれたわけか!」
もはや誰もが理解していた。この戦の真の目的はアシュター殿下を亡き者にするために仕組まれたのだと。
「ぐはっ!」
王子の護衛たちは王国でも屈指の実力者を揃えている。だが一瞬の隙を突かれ、既に何人かは物言わぬ骸と化していた。
「殿下!!」
暗殺者の一人がアシュターに迫る。いや、さらにもう一人。アシュターを挟むように迫る。
アシュターは腰の長剣を抜くと、ただ一振りした。
それだけで前後の敵は血を流して倒れた。一本の剣の一振りで違う場所の敵を同時に斬りふせる。
後に"双剣"の二つ名を冠するアシュターの固有スキル『ファム・ファタール』によるものだった。
短いが激しい攻防は王国側の勝利で終わる。
「殿下! ご無事で!?」
血を滴らせた剣を携えてレイナルドが駆け寄る。
レイナルドにも数人の暗殺者が襲いかかったが、残らず切り捨てていた。
「大事ない。彼が救ってくれた」
初撃の毒矢を防いだ騎士がこうべをたれて跪いている。小柄な騎士だった。護衛の者ではない。新たな警戒心がレイナルドの心にわき起こる。
「大儀である。兜を取って顔を見せよ」
「はっ!」
思いの外、高い声が返る。
その理由はすぐに判明する。
その騎士が若い女性であったからだ。
「アリダ・パースン。青鷲騎士団第四大隊所属、ネルマール隊長麾下の従騎士です」
「なぜここにいる? 君の部隊は予備軍として後方に待機しているはずだ」
「はっ! それは私の主人が殿下の周りで奇妙な気配を感知したからであります」
「ほぅ。『気配感知』スキル持ちか。かなり研鑽を積んでいるようだな」
生まれ持った力も対抗手段を持った相手には役には立たない。王子の護衛にも『気配感知』スキル持ちはいたが熟練の暗殺者相手には通じず、首から血を流して無残な姿を晒していた。
殿下の新たな護衛として抜擢するのも良いかもしれない。だがーー
「おまえの主人はどこにいる? まさかおまえだけをここに行かせたのではあるまいな」
「私は主人に命じられ、将軍に警告に参りました。そして主人はーー、ああ、ちょうど来たようです」
彼女の声と表情には、二人の関係を察するに充分な親愛が溢れていた。
こちらに歩みよって来る男は長年多くの若い騎士を見てきたレイナルドの目にも傑物とわかる偉丈夫だった。
鎧どころか武器らしい武器も持っていない。ただ鍛え抜いた肉と拳が彼の騎士の得物なのだ。
その右手には帝国の魔術師らしき男を捕まえていた。
「オーソン・ダグネル。殿下の陣所を狙っていた不届き者を退治致しました」
「……見事である。後に褒美をとらせよう。……殿下?」
アシュターはオーソンを見ていなかった。
熱にうかされたようにアリダだけを見ていた。
太陽が地平の果てに沈もうとしている。それがレイナルドに言い知れぬ不安をかき立てた。
◇
「王子の暗殺に失敗したけど、なかなか面白いものがみれたわ」
戦場より遥か遠く離れた地、オーソンの『気配感知』すら届かないその場所で、竜大陸出身の工作員ゼナスは人知れず笑うのだった。