30 一の村
大陸の東ーー沖合二十キロメイル(一メイル≒一メートル)にあるブロランカは大きく三つの要素で構成された島だ。
一つは北部。断崖絶壁と無数の岩礁に囲まれ、標高七百メイル程度の山地に鬱蒼とした森が生い茂っている。
一つは南部。離島の平野としては広い面積を持ち、北部の山地から流れる川の水を利用した大規模な穀物地帯が広がっている。
そして、北部と南部を繋ぐ隘路。中央に北部から続く山脈があり、西と東を分断している。
その西にある一の村にて、今、騒ぎが起こっていた。
「!?」
ティーセは息を飲んだ。
一人のまだ年若い獣人が木に首を吊って死んでいた。
「これはどうしたの!?」
「ああ、あなたか」
ティーセは近くにいた女の獣人に問いかける。
偶然にも彼女は最後まで留まり味方の撤退を援護していた狼獣人だった。
「確か、ミストリアさんだったかしら」
「ミストリアでいい。昨夜は世話になった」
頭を下げようとするミストリアをティーセは慌てて止めた。
「お礼はいいわよ。私はルイーセよ」
「……ああ、そうか。いや、それでも礼を言わせてくれ。貴方が来てくれなければ私は生きていなかった」
こうして礼を言われることは何度もあったが、慣れることはなく面映ゆい気持ちになるティーセ。
その気持ちを誤魔化すように訊いた。
「彼はどうしたの?」
「見ての通りだ。自分で首を括ったのさ」
「どうして?」
ティーセは痛ましそうに首を吊った獣人の若者を見る。酷く痩せ細り、あばらが浮き出ていた。
「昨夜の戦闘で彼の親が亡くなった。唯一の肉親だったんだ」
ティーセは息を飲んだ。
確かに村に到着する前に何人かディーグアントに殺されていた。彼の親が、犠牲者の中にいたということだろう。
「でも、だからといってーー」
"後を追わなくても"
そう続けようとして、言葉が途切れた。
どこからか飛んできた石がティーセの額を打ったからだ。
痛みと衝撃でたちくらみを起こすティーセ。
「よせ!」
ミストリアの制止する声の方向を見ると猫の耳を生やした幼い少年が石を握りしめていた。
「止めんな、ミストリア姉! こいつら人族のせいでジョウの兄ちゃんは!」
少年の腕を掴むミストリア。
「彼女にあたったところでどうしようもあるまい! お前も誇り高き獣人族ならば恥を知れ!」
ミストリアに叱られた少年は涙ぐむ眼でティーセを睨みつけると、腕を振りほどき村の外へ駆け出していった。
「すまない。ティ……、ルイーセ。私の監督不行届だ。いかなる罰も私が受けるからーー」
ミストリアの言葉はティーセに届いていなかった。
他の獣人たちがティーセを見つめている。痩せ細った体から放たれるその眼差しは、ミストリアのような謝意でも、石を投げた少年のような怒りでもない。
"おまえに何ができる"
"おまえが何をしてくれる"
"どうせ何もできやしない"
そう言わんばかりの虚無だった。
思えば騒いでいるのは傭兵だけで、獣人たちは静かだ。静かに首を吊った男を見つめていた。まるで、未来の自分を見つめるように。
一の村は絶望に支配されていた。