143 NOBODY 6
●シャルフ・レームブルック
聖国の枢機卿。"三文聖"の一人"聖人"。白のシャツに黒のズボンと上着に鍔付き帽子。転生者。"ボトム"と呼ばれていた二流の暗殺者。
●ヨアヒム・クアップ
聖国の枢機卿。"三武聖"の一人"剣聖"。【変身】スキル持ち。
「邪魔するぞい――なんじゃ? 取り込み中か?」
ヨアヒムがシャルフの執務室に入ると、シャルフが妙齢の女性に詰め寄られていた。シャルフは座って悠然と流していたが、内心煩わしく感じていたのだろう。ヨアヒム訪問を好機ととらえて女性に退室を促す。
シッシッと犬を追い払うような仕草に女性は怒りで彫像のように顔を凍り付かせたが、結局何も言わず、だが、足音高く部屋を出ていった。
「美人の怒った顔ってのも、そそるね」
「趣味の悪い奴じゃな。さっきのは学院の? 何ぞトラブルか?」
「なに、たいしたことじゃねぇよ。それより爺さん、何の用だ? 以前、頼まれた"王国最強"とやらはまだ見つかってねえぞ」
ヨアヒムはゆったりとソファに腰を下ろした。
「構わんよ。随分、忙しいようじゃからな」
実際、シャルフは忙しかった。雑務の大半は魔工知性が肩代わりしてくれるとはいえ、それでも人が判断して処理しなくてはならない作業も多い。秘密を守るため幹部の数は必要最小限――その弊害が出ている。聖国で多分一番働いているのは自分ではないかとシャルフは思った。
「なんならワシの膝で少し眠るか?」
ヨアヒムがそう言うと、ヨアヒムの白髪混じりの黒髪は金髪に代わり、日焼けした髭面は白い肌の女性的な顔立ちに変化した。貫頭衣に包まれた体も二回り小さくなる。初老の男性姿だったヨアヒムが、三十代女性に変身した。
ヨアヒムは定期的に変身する。剣聖ヨアヒムは「天下万民のための剣」を謳う。それは聖都の治安を守り、ひいては聖国全体の秩序を保つという大義を持つが、もう一つ、「老若男女、誰もが扱える剣」という目的がある。多くの弟子を持つヨアヒムが、剣を教える側は教えられる側の身体的特徴を熟知せねばならぬという信念のもと、時に子供に、時に女性に、時に老人に変身するのだ。
「……」
もちろん、おためごかしだ。
その裏にはもっと醜悪で、気が遠くなるような崇高な目的がある。
「……遠慮しとく」
実際のところ、次から次へと舞い込んでくるトラブルのせいで寝込みたくなるほどだった。とはいえ、外見はよくても中身はあれの膝に頭を預けて眠れるほど神経は図太くない。しかも、声は老人だ。萎える。
「そうかの」
ヨアヒムはなぜかちょっと残念そうだった。
「"王国最強"は一年ほど前の北の街での目撃情報が最後だ。まるでゴーストのように消えちまった。オルトメイアのような閉鎖空間にでも逃げ込んだのかね」
「急ぐわけでもない。ゆっくりやってくれ」
「? いいのか?」
「うむ。ヤツはいずれワシの前に現れる。
そんな予感がするのじゃよ。
ワシ、この手のカンは外したことがなくてのう」
うっとりとした顔で語るヨアヒム。同時に貫頭衣の胸のあたりから白い液体に滲み出てきた。
「……乳が出てるぞ」
「おお。こりゃいかん。女の体も悪くないが、こういう欠点があるからの」
剣を愛しすぎて適齢期の女性に変身すると想像妊娠してしまうほどの剣狂い、それが剣聖ヨアヒムだった。
初老の男性の姿に戻ったヨアヒムに、内心のドン引きをおくびにも出さずシャルフは再度、用を問う。
「だったらまさかジオリムの件か?」
「それこそまさかじゃ」
「……だろうな」
ヨアヒムに人への情はない。ずっと大昔に剣以外への感情は斬り捨てたという。人へなんらかの感情を見せることはあっても、それはそう見せかけているだけに過ぎなかった。
「あれも玉か石かと問われれば玉だったのだろう。だが、叩きつければ所詮は割れる石。ならば、我が至高の頂を押し上げる礎石の一つに過ぎなかったということじゃ」
「……」
「いまさら、体だけ見つかってもどうしようもあるまいしな」
「爺さんはな。こっちはその体が見つからなくて頭を痛めているんだ」
いっそのことヴァイセを六階層に連れて行ってジオリムの体を探してもらおうかと本気で思案していた。
「レビイ・ゲベル」
「……」
ヨアヒムの口から突然出てきた学生の名に、シャルフは鋭い視線を向けた。
「あれはダメだ」
「そこを何とかできんかのぅ」
「公国人だぞ」
「やっぱダメかのぅ」
「勘弁してくれよ爺さん」
シャルフは帽子をとると頭を掻いた。
「ったく。爺さんまでレビイ・ゲベルかよ」
「何じゃ? ワシの他にやつを狙ってる者でも?」
「……ほら」
シャルフが一枚の紙をヨアヒムに渡す。そこにはこう書かれていた。
『借用書
貸主名称:スカチーニ商会
借入金額:聖国金貨七〇枚
――』
「スカチーニ商会?」
「俺が先日潰した金貸しだよ。見せしめにな」
基本、戦争というものは商人に莫大な利益を齎すものだが、聖国の商人達はグレアム・バーミリンガーとの戦争に消極的・非協力的だった。聖結界で魔物は弱体化するとはいえ処分には人の手が必要だ。その人の手を戦争のために抽出しているので人手が足りなくなり、結果、魔物被害が増加傾向にあるのが大きな理由だった。
「だからワシが最初、単身でアルビニオンに出向きグレアムの首を取ると主張したではないか」
「爺さんが生きて戻れる確率は一割もなかったじゃねぇか」
「一割もあれば十分試すに足るとおもうのじゃがなぁ」
「生きて戻れても首が取れなきゃ意味がねえよ」
実際、少人数による暗殺も検討されたが、薬裡衆の存在と、方法は不明だが他人の害意や悪意を見抜く確実な手段がグレアムにはあること、そして何よりガイストの激しい反対で暗殺計画は断念した。ガイストは"坊主憎けりゃ袈裟まで憎い"ようで、グレアム一人の首だけでは足りないというのが反対の理由だった。
次に軍による奇襲が提案されたが、今度はタイバーが反対した。相手に気づかれずに軍を動かせる限界は五百人程度。この数で攻めても簡単にすり潰される。待ち伏せなら成功するかもしれないが、グレアムの行動を把握しようにも薬裡衆によって阻まれる。しかも、グレアム自身が強力な魔術を操る強者だ。成功の可能性は低い。
結局、ヴァイセが提案するグレアム・バーミリンガーを殺せる可能性がもっとも高い手段を取ることにした。それが、大陸中の現存するスライムを強化した聖結界で殺し尽くした後、大軍で攻めるという案だった。大規模に準備する以上、こちらの敵意に気づかれることは織り込み済みだ。ただ、それは予想以上に速かった。やはり敵は侮れない。
「それよりも続きを読んでみてくれ」
そう促されヨアヒムが再び書類に目を通す。借入日や返済期日、利息と遅延損害金について細かい記載が続き、最後に――
『借主氏名:レビイ・ゲベル』
「ふむ。金貨七十枚ということは、例のアレか?」
「ああ。ったく。こいつが借金の肩代わりをしたせいで余計な仕事が増えたぜ」
「? スカチーニ商会とやらは潰したのじゃろ?」
「ああ、だが、別の手段で金を工面したようでな」
「ほう。なかなかの甲斐性じゃな。ますます気に入ったわい」
「……ダメだからな」
「残念じゃわい。それにしても妙じゃのぅ」
「何がだ?」
「この借用書じゃよ」
「……普通の借用書のように見えるがな」
「レビイ・ゲベルとやらは本当にこんな紙切れ一枚で金を貸してもらえると思っていたのか?」
「……」
「数撃てば当たると複数の商会に借り入れを申し込んだのかのぅ?」
「……いや、借用書はこの一枚だけだった」
言われてみれば確かにおかしい。小金貨でも銀貨でもなく金貨で七十枚。現代日本の価値に無理矢理換算すると七千万円ほどだろうか。そんな大金をいきなり貸せと言われて貸すバカがいるか? 公国の留学生と聖国の金貸しにどんな繋がりがあったのいうのか?
「スカチーニの商会長は?」
「……逃がした」
表向きは拷問死を匂わせる形で不審死としたが。
「ふぅむ。ますます妙じゃな。一介の商人を逃がすほどヤワな鍛え方はしとるまい。お前さんの部下は」
「……まあな」
「なんかキナ臭いのぅ」
そう言われてシャルフは考え込んだ。
スカチーニ商会を選んだのは偶然だ。
商会員は全員、現地採用の平民。
新興で有力貴族の後ろ盾がなく、あと腐れがない商会を選んだだけ。
叩けばホコリくらいは出るだろうと、潰した後、調べてみたが怪しいところはまったくなかった。
むしろ、かなりクリーンに活動していた。
だが、確かに匂う。
しかし、この妙な匂いは何だ?
「ああ、そうそう。本題じゃ」
「ん?」
「ゲハクトから連絡があった。帝国での仕込みは終えた。遅くとも三カ月以内に始まると」
「そうか。ではこちらの開戦も三カ月だな」
「うむ」
「ゲハクトの帰還はいつだ?」
「それがのう。少し遅れるらしい」
「ん?」
「手土産を持って帰るそうじゃ」
そんなものよりも山積する仕事を手伝ってもらいたいと、シャルフは切に願った。
●ヴァイセ・リンチ
聖国の枢機卿。"三文聖"の一人"聖賢"。白衣を纏っている。聖結界や<対魔術消去>の開発に携わる。
●ガイスト・インクヴァー
聖国の枢機卿。"三文聖"の一人"聖者"。長髪で僧衣姿の美丈夫。武闘派。グレアムを激しく敵視。
●タイバー・ロール
聖国の枢機卿。"三武聖"の一人"騎聖"。ビア樽体形の丸眼鏡。中級竜を使役する猛将。
●ゲハクト
聖国の枢機卿。"三武聖"の一人"刻聖"。帝国に出張中。