133 NOBODY 4
●アルベール・デュカス・オクタヴィオ
学生自治会の会長。聖国の王太子。金髪緑眼。【勇者】スキルを持つ。転生者。前世の名は龍封寺慶一郎?
●シャルフ・レームブルック
聖国の枢機卿。"三文聖"の一人"聖人"。白のシャツに黒のズボンと上着に鍔付き帽子。転生者。"ボトム"と呼ばれていた二流の暗殺者。
●エミリー
アルベールが救った北方遊牧民の少女。
●ヴァイセ・リンチ
聖国の枢機卿。"三文聖"の一人"聖賢"。白衣を纏っている。聖結界魔術の実質的作成者。
※アルベール視点
『きゃあ!』
屋敷に響き渡った悲鳴にアルベールは思わず部屋を飛び出していた。
(エミリー!?)
声のあった方に走ると廊下で蹲るエミリーの姿。そして、その傍らに立っているのは――
「ボトム!」
怒りで我を忘れ前世の名を叫んでしまう。シャルフ・レームブルック――現在は聖国の枢機卿。そして、前世では育ての親だった二流の暗殺者である。
「エミリーに何をしている!?」
シャルフの胸ぐらを掴む。
「おいおい。俺は何もしてねぇよ」
シャルフは抵抗せず飄々としていた。
「それよりいいのか? 紳士のご主人様イメージが崩れちまって」
シャルフの視線を追うと屋敷の使用人が数名、遠巻きに見ていた。
「っ! こっちに来い!」
シャルフを手近の空いている部屋に押し込むと、エミリーを使用人に託し、自らも部屋に入って鍵をかけた。
「ほんとうに何もしてねぇんだけどなぁ」
「黙れ! エミリーの内臓を破裂させておいてよくもそんなことを! 言え! なぜあんなマネをした!?」
シャルフが初対面のエミリーの腹を手加減なしで蹴った事件があった。可哀想なことにエミリーは苦悶の表情で涙を流し倒れた。治癒魔術がなければ死んでいたかもしれない。
「それだよ」
「何がだ!?」
「人を殺すのにデカい火の玉をぶつけたりカミナリのような電流を食らわせる必要はねえ。頭皮から1センチにも満たないところにある血管を、ほんの1ミリずらすだけで人は死ぬ」
そう言ってシャルフは自分の頭を指し示した。
「? 何の話をしている?」
「まあ聞けよ。昔、ヴァイセに聞いたことがあるんだ。そういう魔術はないのかと。結果は無理だとよ。そんな魔術ができあがる可能性は0.001%もないと。俺は反論した。治癒魔術は脳出血も癒す。開頭手術もせずにな。その逆をやればいいだけだろうと」
「……」
シャルフが何を言いたいのか、まだ見えてこない。だが、シャルフの言葉には常に一定の理があることをアルベールは知っていた。そうでなければ、戯言を吐き出したと思って、さっさと追い出している。
「魔術を使うには魔術スキルか魔術系スキルが必要となる。それはなぜかというとそれらのスキルが一種のフレームワークだからだ」
特定の目的や課題を解決するための「枠組み」や「構造」のことだと前世の知識を思い出す。プログラミングの場合、アプリケーション開発で必要となる機能や構造があらかじめ用意された枠組みや骨組みのことを指す。フレームワークが提供するルールや部品に沿ってコードを記述することで、開発効率を大幅に向上させることができる。
「魔術式はこの魔術スキルを土台にして作られる。その仕様は膨大で、それを読み解く試みは魔術研究の一分野として未だ続けられている」
今さら、そんなことを聞かされなくとも自らも魔術式を編むアルベールはよく知っている。
『魔法をもって魔術を為す』
昔の賢者の言葉は魔術に携わるものにとっては常識となっている。
「だが、フレームワークのせいで俺が望んだ魔術が実現する可能性は0.001%以下もないんだと」
実現可能性を見ただけで測れるヴァイセが言うからには、間違いなくそうなのだろう。
「魔術の主導権はフレームワークにあって魔術式はフレームワークによって最終的に制御される。要はフレームワークは便利な反面、ひどく制限があるということだな。体の中に直接魔術を作用させることはできない。ちなみにその制限をとっぱらえる【大魔導】というスキルがあるそうだ。<怪我治療>は体内で<念動>を発動するが、【大魔導】スキルの認証トークンを魔術式に――」
「待て! 話が脱線してないか!?」
アルベールにそう指摘されると、バツが悪そうにシャルフは帽子を脱いで頭を掻いた。
「こっからが面白いんだがな。制限を取っ払えても今度は体内を巡る魔力に<念動>が邪魔されないための古の賢者たちの創意工夫を某公共放送のドキュメンタリー番組のごとく、ヴァイセが語って――」
「話を進めろ! 僕も忙しいんだ! おまえの趣味に付き合う暇はない!」
「……まあ、何が言いたいかというとだな、体の中に直接影響を及ぼせるような魔術は現状、治癒魔術以外ないということだ。当然ながら体の中を探るような魔術もない」
「……まさか、エミリーの腹を蹴ったのは彼女が腹の中に何か入れていると疑ったからか?」
「慶一郎ぼっちゃんがオルトメイアに連れ込もうとしていたからな。念のためってやつだ。まあ、胃液しか出さなかったがな」
「当たり前だ!」
シャルフが初めてエミリーと会ったのは、サクリファイスゴーレムから助け出された直後だった。魔物達を引き寄せるための囮にされた当時のエミリーは身心共にボロボロだった。
「俺だってやりたくなかったんだ。だが、立場ある身としては悪意ある人間の侵入は防がなきゃならん」
「頭がおかしくなったのか!? エミリーと彼女の家族を捕まえて、サクリファイスゴーレムにしたのはお前だろう! どうして、そんな発想が出てくる!? オルトメイアに侵入するために、彼女はわざと捕まったとでも言うのか!?」
それこそありえない。アルベールが助けなければ、まず間違いなくエミリーは首無し騎士に殺されていた。博打を打ったとしても、あまりにも分が悪い賭けだ。
「おいおい、忘れたのか。俺は娯楽のために麻雀を教えたわけじゃないぞ」
「……本気で言っていたのか? 運を、コントロールするための訓練だと」
「麻雀はある程度、技量を身につければあとは運ゲーだ。あれは運の訓練に適している」
「運なんて、そんな曖昧なもの、制御できるわけがない」
「できる。少なくともそう見えるヤツを俺は二人知っている」
その「二人」に見当がついた。前世で常々、ボトムが口にしていた"ブリッジ"、そして"ジロウ"だ。ブリッジについての話が本当なら「運を支配している」としか思えない。だが、ジロウはちょっと違う気がした。あの少年の場合は「運が味方している」。まるで、ご都合主義の神にでも愛されているかのような……
「……エミリーも運を制御していると?」
「さてな。運をコントロールするような化け物なら俺なんぞ簡単に出し抜くだろうしな。正直、よくわからねえ。まあ、"疑わしきは殺せ"が俺のポリシーなんだが」
「僕がそれを許すとでも?」
「……ずいぶんとあのガキにご執心のようだな」
「……そんなことはない」
そう否定しつつも自覚はあった。
ハイグリフォンのシリウス。
そして、迷宮で行方不明になったジオリム。
二人の友の喪失に気落ちする中、寄り添うようなエミリーの優しい振る舞いには随分と助けられた。
「あまり心を許すなよ。裏切られるとつらいぜ」
「エミリーが裏切るわけがない」
「命の危機を救ったからか? 気をつけろよ。そいつは善意の罠だぜ。恩があっても裏切るヤツは裏切る」
「……」
「なるほど。
前世ではそういう裏切りに遭わなかったか。
嬉しいぜ。
そこそこ幸せな人生を送れたようで。
甲斐があったってもんだ」
シャルフの言葉に、アルベールはひどく傷ついたような顔をした。
幸せだった。長生きはできなかったが、確かにそう言える人生だったと思う。だが、その幸せはボトムが演出したジロウの犠牲の上で成り立っていた。
■■■
※エミリー視点
―― オルトメイア初日夜 アルベールの屋敷 ――
「それじゃしばらくは安静にね」
「はい。殿下」
灯りが落とされると、エミリーはすぐに眠りについた。
無邪気に。
無抵抗に。
恐れを知らぬ子供のように、
疑うことなく、意識を落とす。
…………。
深夜、エミリーは覚醒した。だが、目は瞑ったままだ。
その状態のまま周囲の気配を探る。
(…………)
小人族の鋭敏な感覚は周囲に誰もいないことを伝えてくる。
エミリーは枕の下に隠したナイフを取り出した。
夕食の時に失敬したものだ。
それを服の下に隠すと、起き上がって使用人用のトイレに向かった。
個室に入り、鍵をかける。
そして、服をすべて脱いだ。
念のため、もう一度周囲の気配を探る。
「……」
人がいないことを確認すると、エミリーは歯を食いしばって素早く自分の下腹部にナイフを突き立てた。
「っ!」
激痛がエミリーを襲う。脂汗を流しながら、切れ味の悪いナイフを横に動かしていった。
血が溢れ、エミリーの体と便座を汚していく。
充分な長さの傷口ができるとエミリーはそこに指を突っ込んで血塗れの何かを取り出した。
それはマジックポーチだった。腎臓の一つと腸の三分の一と子宮を摘出して、空いたスペースに押し込んでいたものだった。
(飲み込まなくって正解だったわ)
最適化能力を持つ小人族の自分ならば、喉から胃に納めることはできた。だが、それだとシャルフに蹴られた瞬間に腹に何か入っていると気づかれただろう。疑いを晴らすためにあえて腹に蹴りを受けて胃液を吐いて見せた。
マジックポーチから震える指でポーションを取り出すと、傷口に振りかける。蟻喰いの軍団謹製の高性能ヒーリング・ポーションは傷口を瞬く間に塞いだ。
「……」
エミリーはそっと安堵の息を吐いた。無事にマジックポーチを持ったまま、オルトメイアに入り込めた。
シャルフの人狩り部隊を利用することで、早くからオルトメイア侵入の目途を立てていた。だが、侵入後のマジックポーチをどうするかが問題だった。
いつまでも、体の中に納めたままでは食事も満足にできない。無力な少女を演じるため体力を落とすには最適だったが、侵入を果たした後ではポーチを取り出して体力の回復に努める必要がある。
だが、マジックポーチを持ち歩くのは危険だと感じていた。申告していないマジックバッグの類はオルトメイアに検知されるのではないか。ああ、ついでに、この血塗れのトイレもどうにかする必要がある。
解決は苦慮したが、彼らに出会ったことで目処がついた。
ドンドン
外からトイレのドアが叩かれる。
「エミリー! そこにいるのか!?」
ドアを開けると心配したした顔のアルベールが立っていた。エミリーの様子を見にきてベッドにいないことに気づいて探しにきたのだろう。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。家族のことを夢にみて」
「……そうか」
アルベールに肩を抱かれ、トイレから去るエミリー。
彼女が使っていた個室。
そこに血は跡形もなく、マジックポーチは影も形もなかった。