129 三番目の師 23
「そうか。ティーセが」
銀色の人型ドラゴンをティーセ達が倒したことをユリヤから聞いて、グレアムは安堵の息を吐いた。グレアムの元から逃げ出したローリーは、自分をネイサンアルメイル=ロードビルダーと言っていた。創造魔法でロードリサーチャーから銀色の人型ドラゴンに変身したのだろう。そして、試験中のAクラス生を襲い、返り討ちにあったのだ。
「……それで、どれだけ犠牲者が?」
ローリーは広範囲に重力魔法を使ったという。脱出が間に合わず、押し潰されて死んだ生徒はどれだけの数になったことか。
「いなかったわ。不思議なことに」
「いない?」
迷宮に持ち込んだ魔導人形や幻獣はほぼ全滅。だが、怪我はしたが死んだ生徒はいないとのことだった。アルベールが試験会場の外と通信して確認してみたところ、所在不明なのがレビイ・ゲベルとジオリム・クアップだけだという。
(さすがは精鋭ぞろいのAクラス生、ということか?)
潰される前に咄嗟に脱出した。少し疑問が残るが、そう考えるしかない。いずれにしろ人的被害がなくてよかった。可愛がって育てた幻獣、精魂込めて作り上げた魔導人形を失った彼らには申し訳ないが……
「ローリーの姿が見えないわね。もしかしてあの子も人型ドラゴンに?」
ローリーを召喚した際にユリヤもいて、この実技試験に使うこともユリヤは知っている。
「ええ、そんなところです」
自分の正体を知られたが、ローリーが銀色の人型ドラゴンであることまでは知られていないようだ。正体不明の人型ドラゴンがもたらしたすべての被害の原因は、謎である――謎としたい。グレアムは白カバ型魔導人形の背に設置された荷台で運ばれながら、そんな都合のよいことを考えていた。
「それで、ユリヤ殿下はどうして私の正体を?」
「あなたがマイク・レイナルドだと気づいたから」
「?」
"マイク・レイナルド"――それはグレアムが本来名乗るはずだった名前。だが、この世界ではレナ・ハワードが名付けてくれたグレアムが自分の名前であり、自分のことをマイクと呼ぶのは母のアイーシャだけだった。それがなぜ、自分の正体に繋がるのか。
「あなたはこの世界が何度か繰り返されていることに気づいてる?」
「……まさか、殿下は<世界線移動>によって改変される前の世界の記憶を引き継いでいるのですか?」
「<世界線移動>? それが世界が繰り返される原因?」
「どうやら、情報のすり合わせが必要なようですね」
そうして、グレアムとユリヤは迷宮の中で長い時間、話し合った。
「……まさか、そんな方法でスキルがバレるとは」
鑑定紙を使うには血液が必要だった。布についた乾いた血では用をなさないため、特に気にしていなかったのだ。
「私もまさかあんな冗談であっさり自白するとは思わなかったわ」
「……」
ユリヤの言う冗談とはグレアムが女性の服だけ溶かすスライムの研究をしているというものだ。
世間には強力な溶解液を吐く魔物がいる。それらと戦い溶解液を浴びれば、溶解液が肌に達する前に服を脱ぐ。そこから服だけ溶かす魔物がいるという話が冗句として広がり、いつのまにか"女の服だけ"という尾鰭がついた。
ユリヤは本当に軽い冗談のつもりで、その冗句とスライムを結びつけただけなのだが、あんなマジギレするとは思わなかったという。
「まさか本当に――」
「してません。……まさかそんなデマを広めている人間がいるのですか? いるのなら小一時間ほど密室で問い詰めたいのですが」
「……あなたにも聖国が戦争を仕掛けようとしている理由を知らないのね」
ユリヤはグレアムの本気の怒りを感じとり、多少強引に話題を変えることにした。グレアムも自らの精神衛生のため、それに乗ることにした。
「そうですね。むしろ知りたい。できることなら戦争なんてしたくないんです」
「……聖国側にもMルートの記憶を持つ者がいるのかしら?」
マイク・レイナルドに侵略を受けた怒りと恐怖を覚えていて、その恨みを晴らすために戦おうとしている。そう考えてみたが、いまいちピンとこない。
「そもそも何で私は聖国を侵略しようと思ったんでしょうか?」
全国統一なんて、そんな面倒なことグレアムならしたくない。統一する前も大変だが、統一後はその十倍ぐらい忙しくなりそうだから。それとも、そうしなくてはならない理由があったのだろうか?
「本当にマイク・レイナルドは俺だったのですか?」
そう疑いたくなる。持っているスキルも違うようだし。
「亜麻色の髪に黒い瞳だったそうよ。今のあなたと同じように」
瞳を青くするコンタクトレンズはジオリムとの戦いの際に外れて失ってしまった。眼鏡は回収できたが、1センチに満たない魔物の鱗を薄暗い迷宮から探し出すのは無理だった。
「これをあげるわ」
ユリヤが押し付けてきたのは何かの書物だった。その表紙を左手で捲ってみる。
『〇月×日
今日から日記をつけることにした。ジョスリーヌは『【完全記憶】スキルを持つあなたに日記なんか必要ないじゃない』なんて笑うけど、『日記は今日の出来事や考えたことを忘れないようにするだけじゃなく、自分の心と思考を客観的に見つめて自己理解を深めるためのものでもある』と私が尊敬するヒューストーム先生が仰っていたわ。『後世への贈り物』でもあると――』
「日記ですか?」
「ええ。Mルートの出来事を記述したものよ。私もマイク・レイナルドに直接会ったことはないの。彼が何を考えていたか私にはわからない。でも、あなたなら何か気づくものがあるかもしれないわね」
「お借りします。……殿下は姉弟子だったのですね」
「私にとっては兄弟子なんだけどね。ねえ、異世界の記憶を持ってるって本当? 医療魔術のもととなった知識はその世界のものだってヒューストーム先生は仰っていたけど」
「師匠はそんなことまで殿下に話していたのですね。ええ。その通りです。ただ……」
「ただ?」
「医療魔術を作れるほど、医療の知識を私は持っていません」
「そうなの? 前世は医者だったそうだけど」
「いいえ。前世ではまったく別の職業です」
高校卒業後の進路に医師も選択肢にあったが、人の命を奪うような仕事をしていた自分にそれが相応しい職業とは思えず、別の進路を選んだのだ。
「師匠は前世の私について、他に何か言ってましたか?」
「名前ぐらいしか。その日記にも書いてあるけど、確か――」
「レビイ!」
ティーセがグレアム達を空から見つけて降りてくる。ボロボロになりながらも生きているグレアムを見て安心した顔をした後、肩掛けローブをきつく縛り付けた右腕を見て顔を強張らせた。
「み、右手……。あ、え? わ、私が、切った?」
変な事を言って顔を青くしている。
「ティーセ?」
「あ。いえ、とにかく、無事でよかった」
「悪い。心配かけた」
グレアムの左手をとって、すがりつく涙目のティーセ。それを見るユリヤはなぜか複雑そうだった。
「レビイ・ゲベル。無事で何より」
ティーセに続いて、アルベールとヤンも空から降りてくる。
「ジオリムを見ていないか? 上級剣術の模擬戦で君が戦った双剣使いの彼だ」
"マンハント・ザ・スーパースター"であるジオリム・クアップについて、ユリヤと既に口裏を合わせている。ちなみにユリヤが"マンハント・ザ・スーパースター"の正体を知ったのは、グレアムとジオリムの戦いを小鳥型魔導人形で観ていたからだそうだ。
銀色の人型ドラゴンを討伐後、ユリヤは静かにグレアムのもとに小鳥型魔導人形を飛ばした。その一方で、アルベールは実技試験の即時中止を学院に訴えたが、学院側は受け入れなかったという。試験で死者が出ることは珍しくない。イレギュラーが一体出たところで、しかも討伐済みである以上、中止する理由にはならないとのことだ。
ならば、せめて安否不明のレビイとジオリムの行方を確かめることにした。アルベールが学院と交渉中に、"マンハント・ザ・スーパースター"との戦いを観ていたユリヤは、その正体に驚き真偽を確かめるべく一人、グレアムのもとに向かった。そして、怪物に変身したジオリムに殺されかけたところを対"マンハント・ザ・スーパースター"用に開発していた魔導人形で撃退したのがグレアム救出までの経緯であった。
「いえ。見てません」
「そうか」
アルベールは本気でジオリムを心配しているようだった。
「ジオリムは使役魔術を苦手としている。無茶をしていなければいいのだが」
「彼には剣があります。もしかすると既に脱出して遅い夕食をとっているのでは?」
二人はジオリムの正体を知らないように見える。
そう見えるだけかもしれないが。
「いずれにしろ、そろそろ時間です」
「……わかった。ジオリムの捜索はひとまず打ち切ることにして帰還する。君たちは――」
「申し訳ありません。脱出用の腕輪を壊されてしまって」とグレアム。
「私がこのまま帰還用の魔術陣まで連れていきます」
「あ、ああ」
ユリヤがそう言うとアルベールは戸惑ったように返事した。そういえば、ユリヤの本当の姿を晒しているが、よかったのだろうか。
「私もこのままレビイに付き添うわ。まだ魔物が出るんだから護衛は必要でしょ」
「いや、ティーセ――殿下は先にお戻りください。遅くなると配下の者が心配します」
グレアムはそう言って断る。アルベール達の前なので、いつもの砕けた口調は控えた。
「でも」
「帰還用魔術陣まで、もうすぐです。大事ありません」
「……わかったわ」
ティーセが腕輪の宝石を押し込んで迷宮から脱出すると、アルベールとヤンもそれに続いた。グレアムとユリヤの二人が、その場に残される。
「……ジオリムの件は、今ので?」
「ええ。問題ないわ」
ジオリムはその装備も含めて聖国の裏切りの証拠となる。遺体を公国に持ち帰って、ジオリムは行方不明になってもらうつもりだった。
「しかし、どうするつもりです? オルトメイアの外に持ち出すあてでも?」
ジオリムの遺体は魔術で凍結し白ゾウ型魔導人形の腹の中に格納してある。だが、試験会場から持ち出せても、オルトメイアの外に持ち出すのは難しい。荷物は厳しくチェックされるからだ。
「それについては考えがあるの。たった一度だけ、今だけ使える方法がね。それよりも、本当にオルトメイアに残るつもり?」
「ええ。自分にはまだやることがあります。ご心配をおかけしますが」
ユリヤは公国への帰還に合わせて、グレアムを一緒に連れて行きたかったようだった。だが、グレアムは拒否し、オルトメイア内部で掴んだ聖国の情報を提供することを条件に、オルトメイアに留まることを了承させた。
なぜ、聖国が公国に"マンハント・ザ・スーパースター"を差し向けたのか。国の命運を預かる者として、その理由を知る必要がある。もしかすると聖国は公国を併合しようとしているのかもしれない。聖国と同盟を継続するのか、それとも敵対するのか。それを判断するための情報が必要で、ユリヤにとっては苦渋の決断だった。
「……わかったわ。なら、せめて私が安全にオルトメイアから出れるように協力しなさい」
「それは吝かではありませんが、どうすれば?」
「あるものを預かって欲しいの」
「?」
何をするのかよくわからないが、それだけでいいのなら。
「っ!? だれか倒れてる!」
ユリヤがクリームから飛び降りて走り出した。グレアムも上体を起こし、ユリヤが走る先を見ると確かに誰かが倒れていた。
BクラスかCクラスの生徒だろうか。彼等はここより下の階層で試験を受けているはずで、階層の移動は禁止されているはずだった。
「え?」
ユリヤが"彼女"を抱えて戻ってくると、グレアムは愕然とした。彼女は裸で、それ以上に驚いたのはグレアムが見知った存在だったから。
「なぜ彼女がここに!?」
「知り合いなの?」
「……いえ、似ているけど違う人物かと」
意識を失っている少女――天使の輪も翼もなく肌の色も違うが、その姿は追憶の天使サウリュエルにそっくりだった。