126 傾国の美姫 8
●ユリヤ・シユエ
シユエ公国の第一公女。【完全記憶】スキルを持つ。第一回月末試験において総合第四位。グレアム曰く、『ヒューストームに匹敵する大魔術師』。醜い外見の着ぐるみ型生体魔導人形"ルビアス"を日常的に着用している。
※ユリヤ視点
第二回月末試験の前夜、研究室を兼ねた自室でユリヤ・シユエはある懸念を解消するための作業に没頭していた。
目の前に広げたのは白いハンカチーフ。その中ほどに赤い染みが一点。レビイ・ゲベルが自分で切った指の傷をこのハンカチーフで抑えた時に付いた血だった。
ユリヤは高級なハンカチーフに躊躇いなくハサミを入れて血の付いた箇所だけを小さく切り取る。それをピンセットで摘み試験管に入れて透明な溶液を注いだ。ユリヤが試験管を軽く振ると溶液が真っ赤に染まる。ユリヤは試験管内の溶液をスポイトで取ると、別の清潔な布に等間隔で一滴ずつ落としていった。
そして、その布に何かの魔術をかけると、染みの横に数字が刻まれていく。すべての染みの横に数字が出ると、そこでユリヤは魔術を止める。出揃った数字を見て、ユリヤはホッと安堵の息を吐いた。
『褒められた行為ではありませんよ。勝手に検査するなんて』
そう咎めるのは修理済みのジョスリーヌ型生体魔導人形だ。もちろん、ユリヤが言わせている。自省の意味を込めて。
「ええ、分かっているわ。でも、今回だけ見逃して。もちろん、ヒューストーム先生には内緒ね」
ユリヤが"Mルート"と呼ぶ時間軸でヒューストームの弟子となったユリヤは、医療魔術を伝授される際に医療倫理も教え込まれている。まあ、しっかり理解し守れているかは疑問の余地があるが。
『いつになったら殿下のお転婆は治るのでしょうか?』
「……なんだか、本当にジョスリーヌが言いそうなことを言うわね」
ユリヤは意識を分割して、その意識の一部を生体魔導人形の制御に使っている。拡張された意識はユリヤの意思が及ばぬ領域にまで広がっているため、たまにこうしてユリヤの無意識層の言葉が飛び出して、ユリヤを驚かせる。
『それで、<トゥーマーテスト>の結果はどうだったのです?』
<トゥーマーテスト>――これもまたヒューストームから伝授された。がん細胞は特殊なたんぱく質を生成する。血中からその量を測定して、がんの有無や進行度、発生部位を推定する魔術だ。
「まったく問題ない数値だったわ」
『それは良かったですね』
「ええ。……まあ、別にいいんだけど」
『はいはい』
「……」
なんだかジョスリーヌがレビイに似てきたような気がする。なぜだろう。
『それは当然――』
「ああ! いい、いい! 言わなくて!」
ユリヤはジョスリーヌの言葉を止めた。自覚してしまうと、ややこしくなりそうなので。そんな感情にかまけていられるほどユリヤは暇ではないのだ。
恋愛は諸々の問題を片付けてどこかに嫁いで跡取りを産んでからでも遅くない。だから、別にティーセ王妹殿下なんて羨ましくないのだ。
『語るに落ちてますよ』
「うるさいわね。そんなことよりも、あれは何だったのかしら?」
以前にちょっとした悪戯心でレビイに施した検知魔術。従来の魔力波を使った検知ではなく、放射線と超音波を併用したものだ。その結果、レビイの胸に何かがあると分かった。悪性腫瘍を疑い、意図せずレビイの血が手に入ったので調べてみることにしたのが<トゥーマーテスト>を使った経緯である。
ユリヤがソファに腰を下ろすと、自著の研究論文が目に入った。タイトルは『進化型魔物の攻撃行動と討伐戦略Ⅰ』。"マンハント・スーパースター"(魔物につける名前としてはふさわしくないとユリヤは思っている)に関する論文だが、心にあったのはレビイの論文だった。
タイトルは『ダイナミックレンジコンプレッサーの設計』。<聴力強化>の改善について研究したものだった。現行の<聴力強化>は欠陥魔術と言われている。周囲の音を拾いそれを単純に大きくする機能しかない。これでは突然大きな音が入ったときに、その音もそのまま大きく増幅されてしまって耳に過度な負担をかける。
レビイはその欠点を解消するため、設定したしきい値を超えた音だけを圧縮で小さくし、音が小さくなった分、全体の音量を持ち上げるという内容だった。もともと小さかった音も、大きな音との音量差が縮まった分、相対的に大きく聞こえるようになるという理屈だ。ダイナミクスレンジとは音量の大小の幅のことで、これを圧縮する機能をコンプレッサーとレビイは呼んでいた。
革新的な内容だが、実はユリヤはこの技術を既に知っており、実際に魔術式を構築し<聴力強化・改>として運用していた。これも偉大なる師ヒューストームからもたらされた知識である。
だが、医療魔術もダイナミックレンジコンプレッサーも元となる知識はヒューストームが発祥ではない。ヒューストームはバツが悪そうに弟子のマイク・レイナルドがもたらした知識を元にしていると告白した。
ユリヤは尊敬する師の言葉とはいえ、その言葉を素直に受け入れることはできなかった。マイク・レイナルドは自分よりも一つ年下の少年だ。年若い少年がそんな知識を持っているなど信じられなかったのだ。
『別の世界の記憶を持っておるのだよ。その世界で今とは別の人生を歩んでいたという。あやつは大学で様々な知識を学び医者になったとか。確か、その世界での名は――』
マイク・レイナルド――それは異世界からの転生者にして勇者でありながら世界を滅ぼした"心無き神の契約者"の名である。
グレアム・バーミリンガーが実はレイナルドの嫡男であり、ムルマンスクの孤児院に捨てられなければマイクという名であったとガイスト枢機卿から提供された資料を呼んで知った。
(グレアムがマイクならば、私はグレアムを撃ち滅ぼさなくてはならない。
だけど、なぜマイクが持っている知識をレビイも持っているの?)
レビイもまた別の世界の記憶を持っているというのだろうか。
それとも、まさか――
考えるユリヤの眼に試験管に残った溶液が写った。
『どうされました?』
「……ジョスリーヌ。鑑定紙って、あったかしら?」
『スキルを判定するための? 端材なら』
鑑定紙はイビルアイシープという魔物の皮から作る魔物素材魔道具だ。基本的な作り方は羊皮紙を作る方法と変わらない。皮を特殊な薬液に浸けてから毛と肉と脂を削ぎ落とし引き伸ばして乾燥させる。元は剥いだ生き物の皮なので出来上がった羊皮紙の縁はでこぼこだ。なので工程の最後に四辺を切り落として四角形にする。端材とはその切り落とした部分のことだ。
端材でも鑑定紙として機能し、比較的に安価に流通している。平民でもスキルの有無を調べられるのは端材のおかげだった。ただ、端材では紙面が足りずスキル名しかわからないという欠点があるが。
「端材でかまわないわ」
ジョスリーヌが持ってきた端材の鑑定紙にスポイトで取った溶液を一滴落とす。するとすぐに文字が浮かび上がってきた。
【スライム使役】
意味がわからない。
鑑定紙の結果にユリヤは混乱した。
(整理しよう)
ユリヤは紙に判明している情報を書き出していく。
Mルート
・マイク・レイナルド(【勇者】)
Gルート
・グレアム・バーミリンガー(【スライム使役】)=マイク・レイナルド?
・レビイ・ゲベル(【透視】※自称、【スライム使役】※鑑定紙)
ちなみにMルートのMはマイク、もしくは魔王の頭文字から取っている。現在の時間軸はグレアムの頭文字をとってGとした。
(レビイの【透視】は偽装? 学院入学時に鑑定するわけではない。要は魔術が使えればいいんだから。でも何のために?)
【スライム使役】は確かに珍しいスキルだが【勇者】のように唯一無二というわけではない。グレアムと同年代の少年が、偶然同じスキルを持っていたとしても――
(いえ、自分に嘘をつくのはやめましょう)
自分を誤魔化すのは外見だけで十分だ。
Mルート
・マイク・レイナルド(【勇者】)
→師ヒューストーム
Gルート
・グレアム・バーミリンガー(【スライム使役】)=マイク・レイナルド?
→師ヒューストーム
・レビイ・ゲベル(【透視】※自称、【スライム使役】※鑑定紙)
→師?
名前の下に魔術の師の名を記載していく。
『師が使役魔術を忌避していましたので。何でも長年使役したネコが寿命でなくなって、悲しみと喪失感で半年間何もできなかったとか』
先日、レビイが自分の師について語ったエピソード。ユリヤが知るヒューストームも同じ理由で使役魔術を忌避していた。
MルートとGルートにはいくつも違いある。だが、同じところも多い。Gルートでもヒューストームがファミリアロスに陥った可能性は高いのではないか。もちろん、偶然にもレビイの師もファミリアロスに陥った可能性もある。だが、使役獣まで一緒ということはあるだろうか。
どう考えても、レビイ=グレアムという図式しかないように思える。
では、どうするか?
『ガイスト枢機卿に報告しては?』
「ダメよ!」
ジョスリーヌの提案を即座に拒否する。
『なぜです?』
「なぜって、……そう、そうよ! レビイは公国の貴族として正式に留学しているのよ! 貴族名鑑にも名前がある! 公国の反逆と疑われかねない! ただでさえ婚約破棄の件でゴタゴタしてるんだから、これ以上、聖国との関係を悪化させるわけにはいかないわ!」
『なんだか必死に理由を捻り出したような気もしますが。それでは、どうします?』
「どうって?」
『マイク・レイナルドを、殺すのでしょう。
レビイ・ゲベルを殺しますか?』
「……」
そう問われ、ユリヤは考え込む。
結局、外が明るくなっても、結論を出すことはできなかった。
●ガイスト・インクヴァー
枢機卿の一人にして、"聖者"。長髪で僧衣姿の美丈夫。武闘派。グレアムを激しく敵視。