122 ジオリム 2
「剣聖は間違いなく当代一の剣術家だ。得るものは多いだろう」
グレアムが"上級剣術"の授業を初めて受ける日の朝のことである。稽古が終わり剣の手入れをしながらソーントーンはヨアヒム・クアップをそう評価した。
「剣聖に師事したことが?」タオルで体の汗を拭きながら尋ねる。聖都の郊外に剣術道場がある。剣士ならば誰でもそこで剣術を学べるようにとヨアヒムが開いたという。
「若いころにな。三日で帰国したが」
少し気になる言葉だった。ソーントーンがこだわり派であることは普段の家事を見ていればわかる。どんな物事に対しても深く掘り下げ、細部にまで気を配り妥協しない。そんな男がたった三日で切り上げるとは珍しいと思ったのだ。まさか修業が厳しくて逃げ出したというわけではあるまい。
「柔剛一体静動一致の剣聖の技は神業に近い。柳が風にたなびくように受け流し、荒れ狂う雷のごとく打ち砕く。流麗な剣の振りを見るだけでもタメになる」
「ベタ誉めだが、その割には三日しか学ばなかったのか?」
ブロランカで急用ができたとしても、用事を済ましてから戻ればいいだけのこと。【転移】スキル持ちなら移動は難しくないし、ソーントーンが家を継ぐ前の話なので自身も身軽だ。なので、本当に三日しかヨアヒムのもとで学ばなかったのだろう。
「……そりがあわなくてな」珍しくソーントーンが言葉を濁す。
「どんなところが?」
ソーントーンはあまり聞いてほしくないようだが、ヨアヒム・クアップといえば聖国の枢機卿であり政治的な意思決定を行う一人でもある。人となりは知っておきたい。
「……話半分に聞いてほしいのだが」
「うん」
「まず最初に"剣に心を乗せろ。剣に魂を宿せ"と教えられる」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……え? それだけ? それが気に入らなくてやめたの?」
「どんな名剣でも、どんなに大切に手入れをしても、どんなに優れた技術で扱ったとしても、実戦で使う以上、剣は歪み、曲がり、折れる。壊れて当然のものだ。もし、壊れない剣があったとして強い衝撃を――いや、それは兎も角、私は壊れるものに心や魂を乗せたくない」
「それはわかるが、単に心構えを説いただけじゃないのか?」
「そうかもしれん。だが、どうしてもその教えに忌避感を感じてな」
「ふーん」
教えに納得はいかなくても技術が確かなら、黙って従っとけばいいとグレアムは思う。分数のわり算の計算は割る方の分母と分子をひっくり返してかけ算にする。この例のように最初は意味がわからなくても後で分かることが多いのだから損はないと思う。時に若者は視野の狭さから自分の考えを絶対のものと考える。まあ、ソーントーンも若かったということだろう。
「剣聖の弟子を十人斬った。それで当時の私は正しかったと実感した」
「……どういうこと?」
「詳しい経緯は省くが――」
ある理由でソーントーンは聖国軍の部隊と何度か交戦した。その中に剣聖の弟子がいたという。
「剣を交え、私が勝った。その時は命まで取らなかった」
だか、そこから粘着されたという。弟子達は部隊から離れ、独自に追ってきた。
「よほど悔しかったのかね。再戦して汚辱を濯ごうと」
「違う。明確に実力差があった。百度戦っても百度、私が勝つ。奴らもそれがわかっていた。
奴らは私に斬られるために追ってきたのだ」
「……何のために?」
「私にも分からん。これから言うことは私の想像で、うまく言語化もできていない。だから、始めに言ったように話半分で聞いてほしい」
「……」
「人には人の数だけ目標や目的がある。夢や幸福がある。剣をそれを実現するための一つの手段であり、道具にしか過ぎない。大切にすべき道具ではあるがな」
ソーントーンは手入れを終えた剣を大事そうに仕舞った。
「剣聖の弟子どもは逆だ。剣そのものが目的なのだ。夢や幸福が手段なのだ。剣のために目標や目的がある。視野狭窄の若者が、ただの手段を目的とはき違え、そのためにあらゆるものを犠牲にできると考えるのはよくある。成長とともに自然と矯正されていくものだ。だが剣聖の弟子は、その勘違いを抱えたまま大人になったような連中だ。剣こそ己れの命であり人生だと考える。いい歳をした連中がそろいもそろってだ。こんな異常なことは剣聖が意図的にそう教え洗脳したとしか思えん」
「……」
語気荒く語るソーントーンに強い怒りを感じた。そこに疑問を感じる。ソーントーンなら『付き合ってられん』と逃げる気がする。だが、最終的にソーントーンは彼等を斬った。彼等の望み通りに。そこになぜ怒りを覚えるのか。
(親しい誰かを斬られたか)
ソーントーンを本気にさせるために。
グレアムはそう直感したが、深入りするのはやめた。既に終わったことだし、ソーントーンの事情にまで踏み込む余裕はない。それにソーントーンもそれを望んでいない気がした。
「奴らは私に斬られる時、笑っていたよ。そして、最後まで笑って死んでいった。気をつけろ。剣聖の弟子どもは全員剣狂いだ」
ソーントーンが最後にそう締め括って、朝の稽古は終わった。
◇
※ジオリム視点
上空正面から飛び込んできたテラーイーグルを斬り上げて真っ二つにする。続いて、横から飛び込んできたブラッドクーガーの首をスパッと斬った。
(あ~あ、時間をかけすぎたなあ)
レビイ・ゲベルとの楽しい時間に水を差された形になったジオリムは不満をこぼす。彼との激しい戦闘に魔物が引き寄せられてきたのだ。
(こいつらと戦ってもあんまり楽しくないんだよなあ)
それはなぜだろうと疑問に思っても頭に靄がかかって眠くなる。
そういう時は何も考えず剣を振るに限る。
なに、魔物はいずれいなくなる。
そうすれば楽しい楽しい時間の再開だ。
レビイを視界から外さないようにすることも忘れない。
それで気づいた。
レビイが極力、魔物と戦わず自分に押し付けるように振舞っていることを。
「ずるいぞ! あんたもちゃんと戦え!」
両手の剣を十字に振って、ミノタウロスを四等分にしながらジオリムは叫んだ。
「悪いな。剣がそろそろ限界なんだ。お前の剣はまだ大丈夫そうだな」
「おいらの<鋭利付与>は剣の硬度と耐久力も上げるんだ! あんたもそうすりゃいい! あ!? 使えないんだった!」
「使えても使わねえよ。うちの師匠が、どれだけの負荷をかければ剣が折れるか、体で覚えろってさ」
「ナンセンス! 師匠変えたら!?」
「大きなお世話だ! それよりも何で魔術が使えない!? お前だけ魔術を使える!?」
レビイや怪しい老人の魔術が使えなくなったカラクリは<魔術消去>だ。
「おいらの服は特殊な魔道具でおいらの周りの魔術をなくしちまうんだ! でも、おいらが使う魔術には<対魔術消去>っていうすごい魔術式が組み込んである! だから、おいらだけ魔術が使えるんだあ!」
「へえ、すごいな! その魔術式、俺にもくれよ!」
「トップシークレット! ていうか、おいら喋りすぎ!?」
「そんなことないと思うぞ! もっとしゃべれ!」
「残念! ここからはお喋りなしだ!」
「そうか。じゃあ死ね」
突然、変わったレビイの声音にジオリムはゾクリとした。
(……本気だ)
レビイ・ゲベルの意志と意識が、思考と精神が、ジオリムを殺すことにすべて切り替えられた。
眼鏡の奥で冷たく光るレビイの眼を見て、ジオリムはそう確信した。
自分に向けられる凍てつくような暗い情熱に、ジオリムは恐怖を感じ、それ以上に歓喜した。
(そうだよ、もっとおいらに注目して!
強い感情をぶつけて!
それでこそおいらは輝ける!
おいらはスーパースターなんだから!)
コマのように回転してグールの群れを片付けると、残るはコカトリスだけとなった。レビイはコカトリスを挟んだ向こう側にいる。
(この鶏を倒して再開だ!)
コカトリスに向かって走ると、コカトリスはジオリムに毒の息を吐いた。
――黒い息が、一瞬、レビイの姿を消す――
"フラッシュ・デス"
ジオリムの得意技で毒の息を躱し、鶏の頭と蛇の頭を同時に斬り飛ばしたところで――
ヒュッ!
ロングソードがジオリムの顔面に向かって飛んできた。
ジオリムは、失望した。
キンッ!
危なげなくロングソードを弾く。
そんな苦し紛れ、やぶれかぶれが通用すると思ったこと、思われたこと。何より――
(剣を失えば、戦えないじゃないか)
そんなことは望んでいない。
望みは剣折れるまで撃ち合い、せめぎ合い、しのぎを削る。その果てに、斬ること、斬られることだった。
空中で回転するロングソードをレビイの元に弾き返そうと一瞬、目を離す。
その隙にレビイが踏み込んできた。
(!? 剣もないのに何を!?)
否、左手で何かを握っている。飛び上がって大きく振りかぶり、それを力任せに叩きつけてくる。
(ミノタウロスの、両手斧!?)
最後のコカトリスを仕留めてから、この間、三秒。
"フラッシュ・デス"使用直後の硬直で躱わせない。剣で受けるしかなかった。
ガキン! グキッ!
魔術で強化された両手剣は折れずに両手斧を受け止めた。
だが、折れない剣の代わりかのように、ジオリムの右手首の骨が折れた。
激痛がジオリムを襲う。
「っ! なめるなあ!」
両手の剣を振り払って両手斧を弾き飛ばす。
これでレビイは武器を失った。
だが、油断しない。
こいつなら素手でも戦い続ける。
(ほら、左手で拳をつくって殴ってこようとしている)
(もういいや)
剣を手放したこと、両手斧を使ったこと、殴ってきたこと。
レビイ・ゲベルは剣士じゃない。
度重なるレビイへの失望が、ジオリムに終わらせる決断をさせた。
レビイの拳を左に躱す。
そして、左手の剣を振れば終わる。終わるはずだった。
それなのに、なぜか、予想もしない衝撃がジオリムの左頬を襲った。血飛沫が舞う。
(!?)
何か硬い棒のようなもので殴られた。
それはレビイの右腕だった。
(手を失った腕で、殴りつけてきた!?)
それは完全にジオリムの意識外の攻撃だった。
戦闘中もレビイは右腕を庇うようにしていたから。
怪我した腕で殴りつけてくるとは思いもしなかったから。
驚いた。だけど、ただ、それだけ。
ジオリムのダメージは軽微。
むしろ、レビイのほうがダメージは大きい。
レビイの苦悶の表情がそれを教えている。
ほら、止まっていた血が傷口から流れ出し――
「!? あああああ!?」
突然、ジオリムの眼に激痛が走った。
レビイの血が、わずかに入った眼に。
のけぞる体と首に、蛇のようにスルリと何かが巻き付き、後ろに強引に引き倒される。
体に巻き付いたのはレビイの両脚、そして、首に巻き付いた左腕がジオリムの頸部を圧迫した。