114 男爵令嬢リンゼイの野望
※リンゼイ視点
シュン!
(……相変わらず陰気臭いところね)
転移された場所を見て、リンゼイの気分は沈んだ。リンゼイがオルトメイア大迷宮に入るのは二回目だ。天井が高いので息苦しい感じはしないが、光る花がわずかな光源の陰鬱な感じを好きになれそうになかった。
連れきた二頭のホワイトファングのうちの一頭がリンゼイに付いてこいと言わんばかりに歩き出す。実はこのホワイトファングはリンゼイが使役している眷属ではない。二頭同時に使役できるほどの実力をリンゼイは持っていなかった。
各々の使役獣を駆使して魔物と戦うクラスメイトを尻目にリンゼイは"曲芸団の教練場"の奥深く進んでいく。
「リンゼイ」
十分ほど歩いたところで薄暗がりから声がかけられる。
「おじいさま!」
リンゼイは喜色をあげて声をかけた人物に駆け寄った。目立たぬよう使用人の服に身を包んでいるがシユエ公国の立派な貴族でありリンゼイの母方の祖父だ。
祖父はリンゼイを軽く抱きしめると、リンゼイの顔に手を添えて「しばらくみないうちに、また少し綺麗になったな」とどこか誇らしげに言った。
「いやですわおじいさま。この前、会ったばかりじゃないですの。それよりも私のお願いをきいてくださり、ありがとうございました」
「うむ。だが、すまない。結局、あの豚を貶めることはできなかった」
「それは仕方ありませんわ。田舎猿に邪魔されるなんて、さすがに予想できませんもの」
リンゼイがオルトメイア魔導学院に初めて足を踏み入れたその日、『殺し合え』とか質の悪い冗談をのたまうロナルド・レームブルックを窘めるアルベールにリンゼイは一目惚れした。
だが、アルベールは雲上人。祖父のおかげでなんとかAクラス入りできたが、アルベールの周りは常に高位貴族の令息令嬢で固められ、しがない男爵令嬢が立ち入る隙はなかった。
なんとかお近づきになれないかと日々を過ごす中、アルベールが会長を務める学生自治会の役員レイバー・ロールが婚約者のユリヤ・シユエに不満を持っているという噂を耳にした。
さもありなん。
歓迎式典でユリヤを見たが、その容姿はまるで"豚蛙"だ。あれを妻にするレイバーに同情する。同時にこれを利用できないかと考えた。
もし、リンゼイのおかげで、ユリヤに完全に非がある形で婚約破棄となれば、レイバーはリンゼイに感謝することだろう。ブルーガーデンへの入会は指名制だ。ブルーガーデンの現行メンバーが、生徒の中から新たな役員を選出する。うまくやればレイバーから指名を勝ち取れるかもしれない。
祖父のグラウス・シャマランに相談してみると、グラウスはリンゼイ以上にこの企みに乗り気になった。グラウスは醜い上に何かと奇行の多い仮初の主に嫌気がさし本国に帰りたがっていた。名誉あるオルトメイア駐留魔術師として公国から派遣されて二十年。任期を終えて帰国しようとしたところで、ユリヤが留学してくるということで宿舎の管理責任者という雑用係なんぞに任命されてしまったと祖父がボヤいていたのを思い出した。
『よし、では何度かユリヤに会った後、虐待されたとブルーガーデンに訴えろ』
『でもアルベール様は信じるかしら? 体に痣の一つでも作っとく?』
『おお、可愛いお前の体にそんな傷をつけられるか。なに、そんなことをしなくとも、そのレイバーとやらは婚約を解消したがっているのだろう? 証言に多少アラがあっても信じるだろうさ』
『さすがはおじいさま! わかりましたわ! まずレイバー様に訴えてみます!』
『うむ。ついでに禁術とされているフレッシュゴーレムの製造をユリヤはしているかもしれないと訴えるのだ』
『まあ、あのぶ……姫様はそんなことを?』
『さあな。だが、精巧な人間ゴーレムを作って操っていることは事実だ。ユリヤが身の潔白を証明するために宿舎の捜索を許可するかもしれん。その時、死体の一つでも出てくれば……』
『ユリヤの言うことなんか、誰も信じなくなりますわね』
『うむ。そして、すごすごと豚のように尻尾を巻いて本国に帰ることだろう。ワシにも状況説明のために帰国命令が下る可能性が高い』
『さすがですわ、おじいさま! 公国に帰ってもリンゼイを忘れないでくださいね!』
『おお、もちろんだとも! お前が学業で苦労しないように、裏技もぜんぶ教えといてやろう』
グラウスは生徒として三年、駐留魔術師として二十年、オルトメイアに滞在している。公国の留学生を何人も指導した経験から月末試験で高い点数を取れるコツを熟知していた。魔術系スキルを持っていても魔術師の実力はたいしたことがないリンゼイがAクラスになれたのも、グラウスの裏技のおかげだった。
そして、その裏技の一つが、月末試験の受験生でもなく、ましてや学院の生徒でもない人間がオルトメイアの大迷宮に入る方法だった。グラウスはその方法を使って迷宮に入りリンゼイを待ち受けていた。可愛い孫のお願いを叶えるために。
「さあ、こっちだ。あのガキ、どういうわけか集団から離れて行動している」
「好都合ですわ!」
グラウスが操るブラックホークの眼を通して、レビイ・ゲベルが迷宮の奥を一人と一体で進んでいる姿を確認している。リンゼイのお願いとはこの実技試験でレビイの邪魔をすることだった。あんなすごい竜を操るレイバーが実技試験で負けることはないだろうが、"真実"をかけた勝負は総合試験の成績だった。レイバーが実技試験で勝っても研究論文と筆記試験で負ければ総合成績で負ける可能性がある。
そこでリンゼイはレビイを実技試験の早い段階でリタイアさせることを目論んだのだ。
「さっそく、ぶち殺しに行きましょう!」
リタイアさせることを目論んだ――最初は。
だが、リンゼイの与り知らないところでユリヤとレイバーの婚約は解消された。こうなってしまっては婚約の維持は難しいだろうということで極めて穏便な形での解消だ。おかげでリンゼイの功績が有耶無耶になってしまった。そのせいかレイバーも冷たい態度をとるようになった。それもこれもすべてレビイ・ゲベルのせいだ。あいつが余計な口を挟んだせいで……。
もはやあの田舎猿をただリタイアさせるだけでは気が済まない。少なくとも半殺しにしたい。
「う、うむ。まあ、事故は、よくあることだしな。――これを耳につけておけ」
グラウスが差し出したのはイヤリングだった。同じものをグラウスもつけている。
「なんですのこれ?」
(声を出さずとも思念だけで通話ができる魔道具だ。それともう一つ)
ヒュッ! ゴトッ!
風切り音がした後、重い物が落ちる音がリンゼイの背後で響いた。振り返るとブラックホークと首を失ったグールの体が床に倒れていた。
(腕輪を見ろ)
言われた通り見てみると、腕輪の宝石が光っていた。
(<眷属召喚>をシェアリングする。これでワシが使役する幻獣で魔物を倒してもお前が倒したとカウントされる)
(っ! 素敵ですわ! さすがおじいさま!)
グラウスは二体のホワイトファングと二羽のブラックホークを同時に操る凄腕の魔術師だ。このイヤリングを使えばリンゼイでもグラウスの幻獣を操ることができる。
("姿隠し"の魔術をかける。さすがにガキの襲撃を誰かに見られるわけにはいかないからな)
(ええ、わかりましたわ)
すると、すぐにグラウスの姿が消え、続いてリンゼイの姿が消える。残されたのはグラウスが操る二体のホワイトファングと一羽のブラックホーク、そしてリンゼイが操る一体のホワイトファングだけとなった。
(黒鷹を先行させる。その先にあのガキがいる)
(五体の幻獣で一気に襲い掛かりますの?)
(すばらしい。天才の発想だ。だが、ここはあえて慎重にいこう。まずはワシのストーンゴーレムで攻撃する。二羽の黒鷹は上で警戒、白狼の一頭はそれぞれワシらの近くに護衛のために置いておく。リンゼイは二頭の白狼でガキの使役獣を牽制してくれ)
(わかりましたわ)
襲撃の打ち合わせを終えたリンゼイとグラウスは黒鷹を追って走り出した。
(あの角を曲がった先にガキはいる。やるぞ)
グラウスの宣言の後、床に<物品召喚>の魔術陣が光って岩石魔導人形が現出した。
そして、祖父と孫がレビイ・ゲベルに戦いを仕掛ける。この時点で二人はこの戦いの顛末があんな酷い結果になるとは夢想だにしていなかった。