109 三番目の師 15
(もしも~~し~。だあれ~?)
この語尾を伸ばす特徴的な喋り方に、グレアムはひどく嫌な予感を覚えた。
『すみません。間違えました』
面倒事になる前に<眷属召喚>で伸ばした魔術の紐を強引に切ろうとする。
(待った待った~)
だが、切ろうした紐は向こうから送られた魔力によって強化されてしまった。
くそっ、これは容易に切れそうにない!
(グレアムでしょ~。久しぶり~。サウリュエルだよ~)
『サウリュエル! やっぱりお前か!』
"ロードビルダー"討伐戦の最中に出会い、その後、グレアムの居城アルビニオンに居ついた追憶の天使である。
(元気してた~?)
『元気だよ! だから、さっさと切れ!』
(え~、なんで~?)
『<眷属召喚>の行使中なんだよ! お前がここに来たら大騒ぎになるだろが!』
(ん~? ああ~、大丈夫だよ~。そこはオルトメイアでしょ~。オルトメイアは〜アルジニア魔導皇国の後宮に使われたこともあるほどの超閉鎖空間だから~、サウリュエルでも~そこに入るのは無〜理~)
アルジニア魔導皇国とは現在の三大国の元となった超大国だ。<白>の暴走によって滅び、その後、何度か復興と滅亡を繰り返して、現在は古代魔国と呼ばれている。
『本当だろうな? いきなり目の前にポンって現れたりしないだろうな?』
(そこに入れたら~、サウリュエルは何十年も”無限回廊”に囚われてないよ~)
『……』
サウリュエルは先々代の王国の王ジョセフによってサンドリア王宮にある”無限回廊”に監禁されていた過去を持つ。
(久しぶりなんだからさ~。ちょっとしゃべろうよ~)
正直、そんなことをしている場合ではない。実技試験は明日に迫っていた。今日中に使役魔術を成功させないとレイバーに負けてしまう。
(いろいろと知りたいんじゃない~? アルビニオンの今の状況とか~)
『……』
すごく知りたい。聖都に潜伏していた頃はアルビニオンと頻繁に連絡を取っていたが、オルトメイアに入ってからは断絶状態だ。こいつが仲介してくれれば――
(とはいえ~、サウリュエルも今、アルビニオンにいないんだけどね~)
と思ったらこれだ。オーソンが非SNS軍事ドクトリンをしっかり進めているかだけでも確認したかったのだが。
まあいいか。こいつはあまり信用できないし。
前世の養父母の影響で神仏に対する敬意は人並にあるつもりだが、この天使に関しては例外だ。この天使をあまり信用してはいけないと心のどこかで囁いている気がするのだ。
『はぁ、ちょっとだけだぞ』
どちらにしろ会話しないと離してくれそうにない。こうしている間にもグレアムとサウリュエルを結びつける魔術の紐はますます強化され、鋼鉄製のワイヤー並みになっていた。
『……この"紐"、思いっきり引いてみるとどうなるんだ?』
(やめて~。高層ビルの窓ガラスにぶつかった鳥みたいになっちゃう~)
『やっぱり、そうなるか』
いまいち信用できない相手とはいえ、そこまで酷いことをする気も理由もない。
(オルトメイアは~千塔エリュシオンを守るために~<復活>や<世界線移動>と同じ"奇蹟"で作られた異空間世界だよ~。サウリュエルの力じゃ~どうしようもないよ~)
『……』
ん? 何か変なことを言ったな?
『オルトメイアは古代魔国が後宮にするために作ったんだろ? 古代魔国は"奇蹟"が行使できるほど魔術が発達していたのか?』
(ちがうよ~。先にオルトメイアがあったの~。古代魔国は~それを利用していただけ~。”無限回廊”は魔術で<異界創造>の"奇蹟"を疑似的に再現しようと試みた成果物だよ~。もちろん、本物の百分の一にも及んでないんだけどね~)
偽物の”無限回廊”でさえどうしようもなかったサウリュエルが、本物をどうにかできるわけないというわけか。
『とはいえ、こうして通信はできるんだ。誰かに助けは求めなかったのか?』
(ちょっと事情があってね~)
サウリュエルはそう言うが、その"事情"を語る気はなさそうだった。
『また禁則事項か』
(そんなとこ~)
『まあいい。ところでもう一つ妙なことを言ったな?
千塔エリュシオンと。
尖塔エリュシオンじゃないのか?』
(ちがうよ~。本当は千の塔のエリュシオンだよ~)
ふぅん、そうなのか。どういう由来なんだろう。
世界中のどこからでも見れるほど、たくさんあるように見えたから千の塔とか?
(まあ、それも偽りで~本当は千のたい――っ!)
突然、サウリュエルが苦しそうにして言葉を噤んだ。
『どうした!?』
(……いや~、ちょっとお餅を喉につまらせて~)
『……』
子供でも嘘だとわかる嘘だった。
『天使が嘘を言ってもいいのか?』
(サウリュエルはいいんだよ~)と悪びれもしない。こういうところが信用できない理由なのかもしれない。
『はあ、まあいいさ。ところでアルビニオンに、いつまでいたんだ?』
グレアムがオルトメイアに入って断絶状態になった後もしばらくいたなら、当時の状況を知りたいと思ったのだ。
非SNS軍事ドクトリンの基本方針を初めて説明した時の幹部達の反応は好ましいものではなかった。オーソンでさえ異議を挟んだほどだ。ちゃんと進めているか不安だ。
(うんとね〜、ケルスティンがやってきたタイミングで離れちゃった~)
そういえば俺、マデリーネに告白されたけど返事してないんだよな。俺がティーセの婚約者とか変な噂も……えっ?
『今なんつった?
ケルスティンが?
アルビニオンに来たのか!?』
(そうだよ~。アマデウスが~ムルマンスクで捕まえて~、アルビニオンに移送されてきた~)
『それを早く言え!
超重要事項じゃねえか!
レナさんは!?
保護したのか!?』
(さあ~、そこまでは知らない~)
『頼む! 今すぐアルビニオンに戻って状況を確認してくれ!』
(無~理~。サウリュエルは~今、動けない~。それに~今、繋がってるのはほとんど奇跡で~、これを切ったら~、もう繋がらないと思う~)
『ちくしょう!』
グレアムは頭を抱えた。どうする? オルトメイアから出るか? だが、オルトメイアは後宮並みに出入りが厳しく管理されている。一度出たらすぐに入ることも難しい。
(落ち着いて~)
『……』
悔しいがサウリュエルの言う通りだ。
少し落ち着こう。
……ムルマンスクで捕まえた?
随分、あっさり捕まったような印象を受けるが……。
(実際、ほぼ無抵抗だったそうだよ~)
足代わりに使っていた【転移】持ちのソーントーンがいなくなって逃げきれないと判断したか。
『タイミングが悪いな。あと少し早く捕まえられていたら』
(いや~、それはどうかな~。捕まえたのは君がオルトメイアに入った直後だから~。ほとんど彼女の計画通りなんじゃないかな~)
『計画? 俺をオルトメイアに閉じ込めることがケルスティンの計画だと?』
レナさんを餌に俺は嵌められた?
(魔女百年の執念を~甘くみたね~。前世と合わせて半世紀も生きていない君じゃ〜太刀打ちできないのは当たり前だよ~)
『待て待て。百歩譲って俺をオルトメイアに閉じ込めたのがケルスティンの計画通りだとして、何のために自ら捕まったんだ? あいつだってアルビニオンの牢に厳重に監禁されているはずだ』
(いや~自由に出歩いていたけど~)
『オーソンとアリオンは何してるんだ!?』
指名手配の凶悪誘拐犯を野放しにしてるのか!?
アルビニオンの治安はどうなってるんだ!?
(オーソンとアリオンだからだよ~。ケルスティンはオーソンの祖父の恩人だし〜アリオンにいたってはケルスティンがオムツを変えたこともある〜。しかもアリオンの初恋相手だよ~)
少年アリオンが送った拙い恋文をネタに脅されている今のアリオンを想像して、グレアムは頭が痛くなった。自分の恥部を知ってる相手だ。そりゃ逆らえない。
もしかすると、アルビニオンの中枢はケルスティンに掌握されてしまっているのかもしれない。
(ケルスティンは~、この百年で作った『貸し』と『恩』と『弱み』と『コネ』と『資産』~、それこそありとあらゆるものを~今回の計画に~オールインしてる~。自分の命さえも~)
『……そこまでしてケルスティンは何をしようとしてるんだ?』
最初の印象は掴みどころのない言動の軽い女騎士だった。ベイセル=アクセルソンとの戦いにおいて、彼女はグレアムの勝利を予測し、エスケープスライムを渡す代わりに負けた王国軍に対し寛容な取り扱いを求めてきた。それでグレアムは彼女を聡明な頭脳を持つ油断ならない相手と評価した。ところが、その後、彼女は理由も言わずに王国を出奔し、民間人のレナ・ハワードを誘拐して姿を消すという意味不明な行動を起こす。
『ケルスティンの過去の言動から、どうやら聖国に対して何かあるようだが』
(それは――っ!)
サウリュエルが再び苦しそうにして言葉を止めた。
『おい。さっきから本当に大丈夫か?』
(…………)
『……サウリュエル。お前、今、どこにいる?
本当は今すぐにでも助けが必要な状況じゃ――』
(あん)
『あん?』
(ああん~。彼に聞こえちゃう~。動かないで~。彼に~彼に~聞かれちゃうの~)
『…………』
(あぁん〜、彼のよりすごい〜)
よごれだ。汚れ天使だ。こいつ堕天して悪魔になったりしないよな?
(ギシギシ、ギシギシ)
『それはベッドが揺れる擬音のつもりか?』
自分でも驚くほど冷たい声音だった。
(パンパ――)
『取り込み中のようだな。そろそろ失礼する』
(そうだね~。名残惜しいけど~そろそろお別れだね~)
はあ。何だか得るものがあったようで、結局、何も無い時間だったな。無駄に疲れただけだった。
(むむ~。それは心外だな~。慈愛と献身のサウリュエルといわれた身としては~このまま終えるのは不本意だよ~)
サウリュエルは何かの数値を大量に送りつけてくる。
『これは、パラメータ?』
(サウリュエルとの通話が切れた後~、そこに紐を伸ばしてみるといいよ~。運がよければ~大物がかかるかもしれない~)
このパラメータの値に従えば、大物の幻獣を召喚できるのだろうか。それは確かに助かるが――
『かなり遠いな。距離に応じて紐は細く弱くなる。これじゃ、大物がかかったとしてもすぐに切れるぞ。それにその大物はオルトメイアに入れるのか?』
考えてみれば閉鎖空間のオルトメイアに外から幻獣は引き込めないのではないかと今更ながら気づいた。そういえば、ユリヤから何度かパラメータ値の補正を指示されたが、捜索のパラメータだけは変えたことがない。オルトメイアの外に捜索の糸を伸ばしても意味がないとわかっていたからなのかもしれない。
(それは大丈夫だと思うよ~。まあ、騙されたと思ってやってみて~)
その言葉を最後にプツリとサウリュエルとの繋がりが切れた。後には魔力で鎖のように強化された魔術の紐が残った。
『……』
グレアムは言われた通りにしてみる。実際、このまま幻獣を召喚できなければ詰むのだ。試してみて損はないだろう。
『……』
サウリュエルが指定した座標まで紐が長く伸びていく。だが、懸念していたほど紐は細くならなかった。サウリュエルが強化してくれたおかげだろう。そして指定座標に紐が届き――
(――!?)
反応があった。サウリュエルの言っていた"大物"だろうか。
(―――――っ!)
"大物"が激しく抵抗するが、紐は切れることはなかった。だが、このままでは引き寄せられそうにない。グレアムは紐をコントロールして"大物"を雁字搦めにしていく。それでも"大物"は抵抗を止めなかった。
『大人しくしろ!』
(っ!?)
グレアムが一喝すると、なぜか途端に大人しくなる。あれほど暴れていたのにと、不思議に思ったが、これ幸いと引き寄せることにした。
そして――
◇
カッ!
「「!?」」
グレアムの正面五メイル先の床に描かれた複雑な幾何学模様が光り輝いた後、そこに馬ほどのサイズの生き物が現れた。
それは長く伸びた嘴と、大きな皮膜を持つ翼竜。
「"ロードリサーチャー"?」
グレアムはその生き物の名前を呟いた。それはイリアリノス連合王国を滅ぼした上級竜"ロードビルダー"の眷属だった。