105 三番目の師 11
「ちょっと、この本の作者に興味があってな」
『ミレニアム寓話第三集』を編纂したミレニアム・フォルトは優秀な研究者だ。
「個人的には天才と評価したい。その才能は文芸に音楽や彫刻、絵画に服飾デザイン、錬金術の研究と魔道具の開発、地図や建築、戦略論戦術論、魔術式の製造、人間や動物、魔物と幻獣、植物の研究など、目を見張るほどの多彩さだ」
グレアムがミレニアム・フォルトを知ったのは一月半ほど前。
最初の月末試験が迫り、そろそろ研究論文の執筆に取り掛かからなければならない時期だった。
グレアムは何を書こうか迷い、ヒントを得ようとオルトメイアの図書館に足を延ばした。そこで偶然、目にしたのがミレニアム・フォルト著『スライム大全』だった。
スライム研究をライフワークとするグレアムに借りない理由がない。数日かけて夢中になって読み進めた。
(なるほど、こういうのもあるのか)
(むむ、あいつにこんな能力が!)
(おお、やっぱりか!)
(えっ、違うのか!?)
未知との出会いに期待し、新たな発見に感銘を受け、自らの仮説が補強された喜びに震え、思い込みによる間違いを正され視野が広がった。「蒙を啓く」とは、まさにこのことかと実感する。
ミレニアム・フォルトにすっかり魅了されたグレアムは、さらに数日かけてミレニアムのことを調べた。百年前のオルトメイアの研究者でスキルこそ持っていないが、様々な分野で功績を残した才媛だったという。
「惜しいことに若くして亡くなってるんだよな。それでこの成果なんだから、どれだけ天才だったのか」
「……待て。数日かけてだと? まさか『スライム幻獣論』を書いたのは……」
「……ソーントーン。君は魔術師でも研究者でもないからわからないかもしれないが、論文というのはどうしても書かなきゃいけないタイミングというものがある。幸運の女神は前髪しかないと言われていてな。ずいぶんエキセントリックな髪型をした女神様だ。前だけフサフサで後ろがツルッとしてるなんて、罰か何かでやらされているのか? いや、俺が言いたいのは幸運やチャンスは一瞬のもので、通り過ぎた後に掴もうとしても掴めない、つまり、チャンスを逃したらもう手遅れだということを言っているわけで、いやいや、神様の髪を掴もうとはずいぶんと不敬なことをと思わなくもなく、顔なら撫でても三度までなら許されるという説もあるが、女性ということを考慮すれば一度でも許されることではなく、つまり決して"月末試験用に新たな研究をする時間がなかった"わけでもないこともなかったかもしれないから、やむを得ず書くしかなかったわけだ」
早口で捲し立てるグレアム。それに対してソーントーンは呆れたようにため息を吐いた。
「時間がないから頭にあるものを総動員して書いたものが、たまたま高得点を取ってしまったというわけか」
「まあ、そうとも言うな」
バツが悪そうに目を逸らすグレアム。
「俺もまさか『スライム幻獣論』があんなに高く評価されるとは夢にも思ってなかったんだ」
グレアムとて進んで目立ちたいわけではない。だが、初めての魔導学院の試験。加減がわからなかった。優秀さを見込まれて公国から留学してきたという設定上、あからさまに手を抜くわけにもいかなかったのだ。
「ちなみにその『スライム幻獣論』とやらはどんな内容なのだ? ミレニアム某の研究のフォローか?」
「いや、先生の著書をいくつか引用しているがメインは俺がジャンジャックホウルで研究していた内容だ。
ざっくり言えば、長く魔物と信じられていたスライムが実は幻獣である可能性を示した研究だな。
きっかけはティーセと戦った時だ」
"妖精王女"ティーセとは二度戦っている。最初は王都脱出直後、次はアリオン=ヘイデンスタムとのクサモ攻防戦だ。
「ティーセが強化されているようには見えなかった」
ティーセの【妖精飛行】は魔物と戦った際に、1.5倍のバフがかかる。しかも羽の数の乗数分だ。
「ティーセにバフがかかってたら俺は瞬殺されていた」
「殿下が戦ったのはスライムではなくお前だろう。バフがかからなくて当然ではないか?」
人間相手ならばティーセにバフはかからない。
「そうなんだが、まったくかからないというのもな」
ほとんどのスライムが亜空間にいたとはいえ、スライムネットワークシステムによる魔術で戦う以上、【妖精飛行】のバフ効果が出てもおかしくはないと思う。
「それで、もしかするとスライムは魔物ではなく幻獣ではないかという仮説を立てた。魔物と幻獣の違いを知ってるか?」
「両者とも特殊な能力を持っているが、魔物は疲労せず食事睡眠が不要、だったか?」
「そう。そして魔物か幻獣かを判別するには主にその方法が取られる」
「捕らえた対象を長時間、食事も睡眠もさせずにいて、弱れば幻獣、そうでなければ魔物だな」
「スライムは眠っているかわからないから、長期間の絶食による判定方法が使われた。半年以上、水すら与えない隔離状態でも生きたことからスライムは魔物と判定された。だけど、俺はスライムが絶食に耐えられたのは別の理由によるものではないかと思っている」
「別の理由?」
「仮説だがな。まあ、それは長くなるから別の機会に語るとして、ともかく、俺は別の方法でスライムが魔物かどうかを検証することにした」
「ふむ。睡眠、食事による判別が不可能ならば……疲労、か? 動かなくなるまでスライムを働かせる」
「鬼か貴様! そんな酷いことさせるわけないだろ!」
ガチ切れするグレアム。
「む。すまん」
その勢いに素直に謝ってしまうソーントーン。
「まったく。スライムを何だと思ってるんだ。――瘴気から発生する魔物の種類を調査させたんだよ」
魔物は瘴気から生まれる。瘴気の外で繁殖もするが、基本は瘴気からだ。つまり「瘴気から生まれる」=「魔物」という図式が成り立つ。では、なぜこの単純な判別法が使われないかというと危険すぎるからだ。瘴気の近くで生まれてくる魔物を確認しなくてはならないわけで、当然、魔物と戦いになる。ならば魔物が分散した後に捕獲し、設備の整った場所に持ち込んで判別した方がずっと安全だ。ちなみに「襲い掛かってくる」=「魔物」とも限らない。人間に敵対的な幻獣も多いからだ。一方で魔物も黒霊などの例外がいる。
「スライムも魔物なら瘴気から発生するはずだ。調査可能な86カ所でスライムが発生するか調査させた」
ジャンジャックホウルに拠点を定めてからしばらく経って、聖女マデリーネが瘴気浄化の旅に出た。その際、利用価値が高く危険性が比較的低い魔物が発生する瘴気は、なるべく残すようにした。そのためには発生する魔物の種類を特定しなくてはならない。
グレアムはマデリーネ一行に先んじて、調査隊を派遣した。目的は各地で発生する魔物の種類の特定。傭兵ギルドの人材も多数動員しての大規模調査だ。その際に、スライムが瘴気から発生するかを特に厳密に調査させた。
「結果は0だった。スライムの発生を確認できた場所は一つもなかった。調査隊にはスライムの数をカウントする装置も持たせたから、見落とした可能性もない。そりゃ確かに世界中の瘴気を調べたわけじゃないが、調べた箇所全てでスライムがまったく発生しないなんて偶然があると思うか?」
グレアムはこの調査結果と自らの考察を書いた手紙を偽名で複数の著名な研究者に送った。その返信がポツポツと戻ってきたところで聖国に潜入することになった。
そのような経緯からオルトメイアで書き上げたのが『スライム幻獣論』だった。よくよく考えれば、大金と多くの人員をかけて綿密に調査した内容をもとに専門家の査読と見識をもらった研究だ。高得点を取らない理由がない。
アルベールを抑えての一位の研究論文。どんなにすごいものかと、タイトルを見るとスライムが魔物か幻獣かのどうでもいいようなこと。そう嘲笑する生徒もいたが、笑いたいなら笑え。「分類を軽視する賢者はいない」とミレニアム先生もその著書で書かれていた。
「それで? 身バレする危険まで冒して『スライム幻獣論』を書いたかいはあったのか?」
ソーントーンの冷たい視線が突き刺さる。
『スライム幻獣論』を書いたからといって、即、グレアム・バーミリンガーと結びつくとは思えないが、気づかれる切っ掛けになるかもしれない。
言い訳するわけではないが、グレアムにとって身バレは「最悪」ではない。その半歩手前といった感じだ。
本当に最悪なのは……
「……まあ、かいがあったかと問われれば何ともいえないが、少なくともミレニアム先生を調べたかいはあったぞ」
グレアムは図書館から借りた『スライム大全』を手に取り、ある頁を示した。
「ここに危険を感じた時、転移で逃げるスライムについての記述がある」
グレアムがエスケープスライムと名付け、ケルスティン=アッテルベリから譲り受けたスライムだ。
「ケルスティンのやつがどうやってエスケープスライムを捕獲したのか疑問だったんだが、ここに特定の魔道具で転移を阻む方法が記載されていた」
「む。転移阻害か」
【転移】スキル持ちとして、転移阻害の結界魔術で痛い目にあったことがあるソーントーンはわずかに顔を歪めた。
旧イリアリノス連合王国の首都に坐する上級竜"スカイウォーカー"は空間転移を駆使する。逃がさずに仕留めるには転移阻害の結界魔術が必須で、グレアムが聖国に潜入した目的の一つであるが、結界魔術は聖国の機密扱いでオルトメイアのカリキュラムにはなかった。
「転移阻害の結界魔術は、どうやら転移阻害魔道具を発展させた技術みたいでな」
『スライム大全』には転移阻害魔道具の詳細はなかったが、魔道具の開発や魔術式の製造もしていたというミレニアムである。他の著書に記載があるかもしれないとミレニアムの著書を調べているのだが、ミレニアムの著書の結構な数が閲覧に制限がかかっていた。
「何とかして読みたいが、外国人の俺では難しいかもしれない。ケルスティンの持っていた魔道具を解析できれば、あるいは……。ケルスティンを捕まえる理由がまた一つ増えたな」
喋り疲れたグレアムはお茶を飲み、ポテトチップスに手を伸ばした。ソーントーンが作るポテトチップスは絶妙の薄さで揚げてあって美味い。この世界にもポテトチップスがあるとは知らなかったが、ユリヤが食べてるのを見てグレアムも食べたくなった。それでソーントーンに製法を教えてたまに作ってもらっている。
「ところで今回の月末試験はどうなのだ? レイバー・ロールに勝てそうか?」
ユリヤはリンゼイを虐待した疑惑がかけられ、その真偽を次の月末試験の結果でレイバーと争うことになった。いわば決闘の勝敗によって真実を決する神前決闘の代わりだ。仮とはいえ主の名誉がかかっている。
「前回の総合一位は偶然と幸運の産物だ。さすがに今回も一位は無理だろうがレイバーには勝たねばなるまい」
「……まあな」
流石に自分から勝負を挑んであっさり負けましたでは立つ瀬がない。最悪、公国に強制帰国命令だ。だが――
「歯切れが悪いな。どうした?」
「次の実技試験は使役魔術の使用が大きな要素になるんだがな」
「うむ」
「使役魔術の習得が遅れている」
グレアムは苦い顔でポテトチップスを嚙み砕いた。