103 NOBODY 2
「それでは戦場に参りましょうか。龍封寺慶一郎坊っちゃん」
西の転移門に向かって飛んでいくヤン達。それを見送るアルベールに、シャルフが恭しくそう呼びかけた。アルベールは苦々しい表情で「その名前で僕を呼ぶな。ボトム」と吐き捨てる。
聖国の王太子アルベール・デュカス・オクタヴィオ。
彼には前世の記憶がある。現代の日本で生まれ、幼少期、ボトムと呼ばれた二流の殺し屋に育てられた。子供殺し専門の殺し屋の共犯者として。
そして、育ての親のボトムもまた前世の記憶を持ってこの世界に転生していた。
聖国の枢機卿、三文聖の一人、"聖人"シャルフとして。
アルベールにとって、シャルフに前世の正体を見破られたことは手痛い失敗だった。アルベールがシャルフに初めて対面した時、彼は白のシャツに黒のズボンと上着に鍔付き帽子という前世とまったく同じ格好をしていた。それで思わず呟いてしまった。『ボトム?』と。
耳聡いシャルフは、驚きで不意に発してしまったアルベールの言葉を聞き逃さなかった。
『……ジロウ? いや、イチロウか。まさかサブロウってことはないよな』
そう日本語で話しかけられ顔色を変えたアルベールに、もはや誤魔化す術はなかった。だが、シャルフはアルベールの前世を見破っただけで満足したようで、以後、過度に接触することはなく、枢機卿と王太子という立ち位置を決して崩すことはなかった。
今日までは。
「おいおい。そんなに警戒するなよ。別に今までの立場を崩そうってわけじゃないんだ。そもそもだ。お前の前世を知ってるからって何だ? 脅しに使えるわけでもなしに。まあ、お前が恩義を感じてくれてるなら、それはそれでやぶさかではないがな」
「恩義だと? どの口で」
「そうだろう? 龍封寺慶一郎」
シャルフは再びその名前を口にする。
「……」
「お前は知らんだろうが、お前のスキルにも多少は関わってるんだぜ、勇者様。いわば前世でも今世でも、俺はお前に大きなものを与えた"恩人"ってわけだ。持たざる者に施す。まさに"聖人"の名に相応しい徳高き行為だ」
アルベールはシャルフの自画自賛に顔を顰めた。
歪んでいる。
信じられないことだが、ボトムは社会貢献を本気で考えていた。
ただ、彼は手段を選ばない。
例えそれがどれほど醜悪であったとしても。
「まあいいさ。理解を得られないのはいつものこと。それよりも仕事の話だ。
殿下にはここより北に大量発生したアンデッドどもの対処をお願いしたい」
魔物を生み出す瘴気が新たに発生した。それ自体は大した問題ではない。国まるごと聖結界で守る術を持つ聖国である。魔物が結界の外にいれば侵入を拒み、内にいれば弱体化させる。傭兵や領主の私兵、何なら村の自警団レベルでも充分対処可能だ。
「今回の瘴気は結界の外だ。だが、場所と魔物に問題がある」
瘴気から発生した魔物は"黒霊"と呼ばれる魔物だった。拳大のガス状の魔物は自力移動できず風に任せるしかなく、それも一週間もすれば霧散してしまう。黒霊はスライムよりも弱いといわれる魔物だった。しかし、黒霊は他の魔物にない大きな特性を持つ。
「瘴気の発生場所が聖国と蛮族どもが何度も盛大に殺りあった古戦場跡でな。最近も、シーレの旦那と蛮族が殺りあってる」
「それでアンデッドが大量に発生しているわけか」
黒霊の特性――それは人間の遺体に憑りつきアンデッド化することだった。ちなみにアンデッドの強さは生前の強さに比例する。聖国の首席宮廷魔術師が老齢で亡くなった際に、エルダーリッチとして魔物化し、聖国中枢に甚大な被害を齎した事件がある。もちろん首席宮廷魔術師の遺体は黒霊に憑りつかれないように聖別されていたが、弟子の一人が遺体の一部をフレッシュゴーレムの素材として使っていたのだ。そのフレッシュゴーレムに黒霊が憑りついた。以来、フレッシュゴーレムの製造は禁術となっている。
「多くはゾンビやスケルトンだが数が多い。ざっと三万。しかも首無し騎士もいる」
「っ!?」
いくら聖結果でも限度がある。雑魚ばかりとはいえ、その数では結界も破られかねない。首無し騎士も三十人以上の正騎士と魔術師が討伐には必要といわれている。もはや国が軍を出して対処すべき案件だった。
「国軍は何をしている!? タイバー・ロールは!?」
「そりゃ無理な相談だ。グレアム討伐を控えている。南部に集結中の軍は動かせねぇ」
「そんなことを言っている場合か! 国が亡ぶぞ!」
「だからこそ殿下に来てもらったのさ。勇者様のスキルとその聖剣がありゃ一発だろ?」
アルベールは自らの腰に下げた剣に指先で触れた。
聖剣デモンスレイ――魔物、特にアンデッド系に特効の破邪の剣だった。
「いや、無理だ」
アルベールは首を横に振る。
「魔物は広範囲に分散する。軍でもなければ殲滅は無理だ」
眼下に広がる広大な草原を見渡した。アンデッドどもは獲物となる人間を求めて、四方に三々五々散っているに違いない。
「そこは仕事がしやすいように整えておいたぜ」
「……」
シャルフの言葉に嫌な予感を覚えた。
シャルフは手段を選ばない。
「――まさか!?」
思えば違和感はあった。
眼下に点在する遊牧民達の白いゲル。
人の気配がしない。
そして、シャルフの後ろに控える人狩り部隊。
彼らが一仕事し終えた後だとしたら……
「来い、シリウス!」
アルベールが呼びかけると、獅子の下半身と鷲の翼と上半身を持つ幻獣が空から大地に降りてくる。
アルベールは愛騎のハイ・グリフォンに跨るとすぐに飛び立たせた。
「ここから北東に15キロほどだ」
シャルフの言葉を背に、アルベールは戦場へシリウスを急がせた。
◇
ハイ・グリフォンの背から見下ろした地上には無数のアンデッドが犇めいている。そのアンデッド達は何かを追って東に移動していた。
アルベールもシリウスを操って東に向かう。すぐにアンデッド集団の先頭が見えてきた。
「!? やはりか!」
アンデッドが追っているのは数体のゴーレムだった。本来、魔物はゴーレムのような無機物は襲わない。魔術師が壁としてゴーレムを利用しようとしても魔物は迂回して魔術師を狙う。魔物を引きつけなければタンクとして十分な役割をなさない。
そこで考えられたのが生きた人間をゴーレムの中に組み込む<クリエイト・サクリファイスゴーレム>だった。囮となる人間の頭だけ出して体を土で覆うゴーレム製造魔術だ。
アンデッド集団の先頭を走るゴーレムの体はいずれも三メイル近い巨体に、アンバランスに小さな頭が乗っている。<視力増加>を使わなくとも、それが生きた人間――おそらく遊牧民――であることがわかった。
アルベールが見ているうちに、一頭の首無し馬に乗った黒衣の首無し騎士がゴーレムに近づいていく。首無し馬が大きく跳躍したと思った瞬間、騎士の錆びついたロングソードが遊牧民の首を刈り取っていた。
ゴーレムの制御は術者にしかできない。犠牲となった遊牧民はゴーレムの腕で自らを守ることもできず、頭は草原に転がり――
ぐしゃっ
大量のアンデッドに踏み潰され地面の染みとなって消えていった。
「くっ!」
核となる遊牧民を失ったゴーレムは崩れ落ちて土に戻った。ゴーレムを追っていたゾンビとスケルトンは別のゴーレムを追って方向を変える。首無し騎士もまた、馬首(?)をめぐらした。
「シャルフめ! なんてことを!」
遊牧民のゲルの規模から考えると、遊牧民は十数人はいたはずだ。そのすべてがゴーレムにされ、魔物が分散しないための囮とされたのであれば全滅に近い。残るゴーレムはたったの一体となっている。
シャルフの非道に怒りを覚えるアルベールであったが、シャルフが最高の下ごしらえをした事実は否めない。アンデッドの集団は最後のゴーレムを追い、一ヵ所に集結しつつある。そこはアルベールがアンデッドを一気に殲滅できる条件が整った場所だった。
アルベールはシリウスにそのまま直進するように命じて鞍の上に立ち上がる。
そして、聖剣を抜くと空中に身を踊らせた。
「"シャイン!!! クロス!!!”」
光の奔流が聖剣デモンスレイから発し、地上に激突すると光が広範囲に四散する。
「「「――――っ!!!」」」
その光を浴びたアンデッド達は塵となって消えていく。
アルベールが地上に降り立った頃には首無し騎士を含む三万のアンデッドは影も形も無くなっていた。
アルベールは周囲を警戒しつつ、生き残ったゴーレムに近づいていく。ゴーレムの魔力は限界だったのだろう。既に土塊に戻っていた。その土塊の中に半ば埋もれるように遊牧民の衣装をまとった人間がいた。
「きみ! しっかりしろ!」
土を払いのけて上半身を抱き起す。容姿の整った小さな少女だった。
「み、みずを」
「水だな!」
アルベールが水筒を渡すと少女は勢いよく飲んでいく。どうやら命に別条はなさそうだった。
「あ、ありがとうございます。あの……わたしの家族は?」
「……すまない。おそらくもう君以外は」
「ああっ!」
アルベールが悲痛な顔をそう告げると、少女は顔を伏せて嘆いた。
その哀れな姿にアルベールは罪悪感を覚える。
「他に家族は?」
「いいえ」
天涯孤独の身となった少女。
このままでは体を売るしかなくなるだろう。
「わかった。君の身は僕が預かろう。悪いようにはしない」
アルベールはそう申し出た。
「あの、あなたは?」
「アルベール・デュカス・オクタヴィオ」
「っ!? 王太子殿下!?」
少女はすぐに地面に這い蹲った。
恭順したばかりの遊牧民の子供が王太子の名前を知っている。
頭の良い子だと思った。
彼女を見て、前世の妹分であったハナコを思い出した。あの子はどうなったのだろう?
シャルフが言っていたサブロウとは、ハナコの後に引き取った弟分だろうか。
自分がボトムの下から去った後、彼らはどうなったのだろう。ジロウは――
「殿下?」
少女の呼びかけにアルベールは雑念を振り払うかのように頭を振った。
「さあ、立ち上がって。お腹は空いてない?」
「は、はい。……あの、私はこれからどうなるのでしょう」
「言ったろう。悪いようにはしないと。そうだな。しばらくは僕の身の回りの世話をしてもらおうか」
「殿下の!? それは畏れ多くあります。礼儀を知らない田舎者ゆえ殿下のご迷惑にしかならないかと」
「大丈夫。熟練の侍女の下につける。そこで学ぶといい。そういえば、君の名前は?」
「これは失礼しました。
エミリーと申します。
アルベール殿下」
そう言ってエミリーは朗らかに笑う。
家族を失ったばかりとは思えないほどに。
アルベールはエミリーの笑顔に魅了され、不覚にもそれに気付くことはなかった。