98 三番目の師 7
「なるほど。レイバー・ロールと月末試験で対決することになった経緯は理解した」
壁によりかかり自分で淹れた紅茶を飲みながらグレアムの話を聞いていたグスタブ=ソーントーンは、やや呆れ気味にそう言った。
ユリヤ・シユエはリビングルームにはいない。汗を流したいと言って入浴中だった。ちなみに入浴の補助は必要か聞いた。もちろん、"奉仕人"と呼ばれる女性の奴隷を連れてくるつもりだったが、一人で入れるとユリヤに断られた。あの太りすぎた体で大丈夫かと、若干、不安ではあったが本人がそう言うならとグレアムは風呂の準備だけして引きさがった。
「いろいろ言いたいことはあるが、今は置いておこう。それで? どちらから訊いたほうがいい?」
「どちら?」
「公女殿下をなぜ自室に連れてきたのかと――」
ソーントーンは浴室のほうに目線を向ける。
「お前の顔の手形についてだ」
グレアムの左頬には叩かれた跡がくっきり赤く残っていた。
「……何でもない」
「殿下に粗相したか」
「……」
ソーントーンのこういう勘のいいところ、嫌いだなと思った。
グレアムはソファに寝かせたジョスリーヌの生体魔導人形に目線を向けた。
『……どうしました、殿下?』
タイバー・ロールによる対決宣言の後、ユリヤに近づくと持っていたジョスリーヌの上半身をひったくるように奪われた。
ユリヤは人形の首筋を触れるとホッと息を吐いた。
『殿下?』
『……この人形と私が一定距離近づくと自動リンクされて感覚が共有されるのよ』
『え?』
『リモートで切ることはできるんだけど、破壊されたせいか首筋のスイッチでしかリンクが切れなくて』
『だ、大丈夫だったんですか?』
(まさか、先ほどから様子がおかしいのは、その時の影響か!?)
ジョスリーヌの生体魔導人形はレイバーの暴君竜によって真っ二つにされた。感覚を共有していれば、切り裂かれた衝撃がユリヤを襲ってもおかしくない。
『痛覚は百分の一にしてて命拾いしたわ』
『ああ、それはよかった』
『でもね……』
『?』
『それ以外の感覚はフルにくるのよ』
ユリヤは恨みがましい眼でグレアムを睨んだ。
『ああ、それでさっきから悶えていたんですね』
くすぐったかったのだろう。タイバーと対峙している後ろで突然、ガハハッとか笑われたらフォローに困ったところだ。
『はあっ!? 別に気持ちよくて悶えてなんかないわよっ!』
『え? くすぐったくて悶えてたんでは?』
『っ!』
(…………)
一連のやり取りを思い出し、グレアムは自分の左頬をさすった。
「俺の頬のことはどうでもいい。それよりも殿下のことだ」
グレアムは先ほどユリヤに説明したことをソーントーンにも話すことにした。
「殿下が滞在している宿舎は公国が占有していて大使館みたいになっているんだ」
もちろん治外法権が聖国から認められている。聖国の法は宿舎内では適用されない。
「そうか。裏切り者か」
それだけでソーントーンは何が言いたいか分かったようだ。ソーントーンはブロランカで領主をやっていた時、政治音痴とみなされていたが必要な教育を施されていないだけで地頭は悪くないのだ。ついでに言うなら経験も足りてなかった。政治は才能よりも経験がものを言う。政治家が老人だらけになるのもある意味、仕方がない面もある。ソーントーンを補佐する家令も熟練のパトリクから若いジュリアへと引き継がれたばかり。狡猾なグレアムと老練なヒューストーム、商人として実績を積み重ねていたペル=エーリンクにとって、つけ込む隙があった。
そして、その隙はユリアにもあった。
「レイバーがどうして宿舎の一室に安置されていた生体魔導人形を持ち出せたのか。宿舎で働いている人間が手引きしたに違いない」
いくら高位貴族の令息でも治外法権がある他国の宿舎に無断で押し入って人形を持ち去るなんて暴挙ができるわけがない。
"ユリヤは既に詰んでいる"
グレアムがそう結論づけた理由だった。あのままユリヤとレイバーで口論を続けていれば、それならばとレイバーはドヤ顔で証人を出してきただろう。
"ユリヤがリンゼイ嬢を虐待しているのを見た"
"ユリヤは宿舎の一室でフレッシュ・ゴーレムの研究を行っている"
「これで死体の一部でも持ってきたら完璧だ」
「死体など、そう簡単に手に入るか?」
「実技試験のダンジョンにグールがいた。倒したら蔦が絡みついて地面に沈んだが、裏技みたいな方法で魔物の死体を確保する方法があるんじゃないか」
例えば、蔦を焼き払うとか、単純に蔦が絡みつく前に確保するとか、方法はいくらでもある気がする。当然、レイバーも何度も実技試験を受けているわけで裏技を知っていてもおかしくないし、三年目ともなれば慣れたものだろう。
「それでここか」
「宿舎内ではどこに目と耳があるか分からないからな」
「宿舎では聖国人も働いているな。"奉仕人"ならば、レイバーの命令には逆らえまい」
「いや、俺は公国人こそ怪しいと思ってる。人形を安置していた部屋には公国の人間しか入れないらしい」
「公国の者が王族を裏切る――でしょうか? あまりに恐れおおく、とても信じられません」
「? 金に困ってるとか、脅されているとか、滅多に外に出られないオルトメイアにうんざりしているとか、動機はいくらでも考えられる」
突然、口調が改まったソーントーンに疑問を感じながら人が人を裏切る理由を上げてみる。
「それに、殿下は初対面の人間にいきなり魔術をぶっ放すような人だからな。人望はないと思う」
「失礼ね!」
ガチャリと浴室へ続く扉が開いた。
「あんなこと、あなた以外にしたことないわよ。あなた、他国の高位貴族の息子を試験とはいえボコボコにするヤバい奴だと思われていたのよ。……いや、それは今もか。ともかく、あなたが危険な存在か早急に見極める必要があったのよ。王族の私にまで敵意を向けてくるような狂犬なら即座に帰国させるつもりだったわ。……聞いてる?」
「………………あの、誰ですか?」
扉の前には、細い肢体にバスローブを纏い、小さな頭にバスタオルを巻いた大理石のような白い肌と透明感のある整った顔立ちを持つ見知らぬ美女がいた。