97 三番目の師 6
●グスタブ=ソーントーン
元王国八星騎士"剣鬼"。スキルは【転移】。妖精剣アドリアナを使用して呪いを受ける。精霊信仰者の師事で精霊魔法を習得。現在はレビイ・ゲベルの執事として学院に潜入。仮の名はパトリク。"世界樹"の復活を目的としている。
●エルートゥ
ハーフエルフの少女。妖精王オベロンの命によりソーントーンに協力。
「ここにあいつが?」
オルトメイア周辺に広がる森の一画。ソーントーンは隣に立つエルートゥにそう訊ねた。
「ああ、そこの洞穴で眠っていた」
エルートゥが指差した場所にソーントーンは近づいた。生き物の気配はしない。夕方近い時刻もあってオルトメイアの空が放つ光量は少ない。穴の中は真っ暗だった。ソーントーンは光の精霊"ウィル・オ・ウィスプ"を呼び出して穴の中を照らした。
奥行きは一メイルほど、広さはソーントーンの腰の高さほどしかない。洞穴というより巣穴といった感じだ。その壁や地面に黄色い液体が付着していた。ソーントーンが小枝で拭い取って鼻先に近づけてみると、腐った果実のような悪臭を放っていた。
「膿か」
「ああ、巻いてた包帯はすっかりとれて、左半身は腐敗が進んでいたな。腐った肉で倍くらいに膨れ上がってた」
ソーントーンとエルートゥが話題にしているのは、一月ほど前、グレアムとの稽古中に襲ってきたリザードマンだ。
エルートゥが森を散策中に偶然、リザードマンの痕跡を見つけ軽く探索したところ、この場所を見つけたのだという。
「近づくと、すぐに目を覚まして逃げていった」
「追わなかったのか?」
「追ってどうする? 殺すのか?」
そう逆に問われ、ソーントーンはリザードマンへの対応方針を保留していたことを思い出す。積極的に捜さなくてよいとも。
「可能なら捕まえてくれ。殺すのは厳禁だ。抵抗するなら――」
「殺すのか?」
「……逃がしてかまわない」
「ずいぶん消極的だな」
「逆にお前はなぜそんなに積極的なんだ?」
「半矢だ。楽にしてやったほうがいい」
「……長くないのか」
新しい命を生み出せる女エルフは生命の精霊魔法を使うことができる。もちろんエルートゥも使える。さらにエルートゥは人が持つ生命力の強弱がわかるという。生命力とは寿命みたいなものだと。
「ああ。最初に見た時から生命力がひどく目減りしていた。長くても二カ月だな」
「……そうか」
「あのリザードマンの命が長くないと知ってなぜ貴様が落ち込む?」
「別に落ち込んでない」
「嘘だな。明らかに元気がなくなった。あのリザードマンに何があるんだ?」
「推測に推測を重ねたひどく薄い可能性の話だ。妄想の類に近い。仮にその妄想が奇跡的に正しかったとしても世界樹には関係ない。お前が気にすることではない」
「むぅ。そう言われるとかえって気になるぞ。……おい、あれを見ろ。あのリザードマン、私の見立てよりもう少し長生きするかもしれないぞ」
エルートゥが指し示したのは焚火の跡だった。
「ここで暖をとって飯を食ったんだ」
綺麗に骨だけになった魚と果物の種、そして黒焦げになって串に刺したままの魚が焚火の周りに残されている。
「飯が食えるならまだ大丈夫だ」
エルートゥは黒焦げ魚の串を手に取るとソーントーンにかざして見せた。
「焦げた部分をそぎ落としくれ」
「?」
何のためかわからなかったが、とりえあえずソーントーンは言われた通りにする。
ヒュヒュヒュン!
エルートゥが風切り音が三度聞こえたと思った瞬間には、ソーントーンが純ミスリルの長剣を腰に戻したところだった。
エルートゥが手に持つ黒焦げ魚の串を軽く振ると、まず頭が胴体から離れ、続いて側面がペロリと剥がれ白い身が現れる。
焦げ部分がなくなった魚の身にエルートゥはかぶりついた。
「……待て」
「何だ? お前の分はないぞ」
「いや、この剣、人を斬ってるんだが」
「? だから何だ?」
「いや、何でもない。……また、ここに戻ってくると思うか?」
「あのリザードマンか? まあ、ないとは言えん」
「では後で毛布と保存食を渡すから、ここに置いてくれ。……保存食、食うなよ」
「誇りあるエルフがそんな盗人みたいな真似をするか!」
むしゃむしゃと食べていた魚の欠片を飛ばしながら、気分を害したようにエルートゥは反論した。
「それに保存食はあまり美味くない。甘すぎるんだ」
「そうか。減ってると思ったが、お前だったか」
「あ! ……あ~、うん。それにしても相変わらずたいした剣の腕だな。剣筋がまったく見えなかったぞ!」
「別に責める気はない。ただ、食う時は言ってくれ。計算があわなくなる」
食べないよりも食べたほうがいいに決まっている。特に若者は。
「ぐぅ」
話を逸らしたことをあっさり見破られ、バツが悪そうにするエルートゥ。
「剣の腕前を褒めたのは本心だぞ」
「あれぐらい十年も剣を振り続ければできる芸当だ」
「本当か? お前たちの稽古を見てると、とてもそう思えない。剣を振るには特別な才能が必要なんじゃないか?」
「確かに剣才を持つ者はいる。この国の"剣聖"と呼ばれる者のようにな。だが、私とアイツに剣の才能などないぞ」
「ウソだ! 特にアイツ! 一月前と動きが全然違うじゃないか!」
確かにエルートゥのいう通り、グレアムの剣の上達には凄まじいものがある。グレアムの謎の身体強化だけでは説明がつかない。
だが、ソーントーンの見立てではグレアムに剣の才能が無いのは明らかなのだ。あの上達は、まるで長年の鍛錬で培った剣技をある時すっかり忘れてしまい、それを今、思い出しつつあるかのようにも思える。
さらに不思議なことにソーントーン自身もグレアムに長年、剣の稽古をしていたような錯覚に陥ることがある。
「その錯覚はオルトメイアにきてからか?」
「……ああ、言われてみればそうだな」
「なるほど。お前とアイツはどこか別の世界で師弟関係だったのかもな。このオルトメイアではよくあることらしい。存在したかもしれない事象を幻視したりするのは」
グレアムは捨てられてなければレイナルドという高位貴族の御曹子だ。自分が剣を教える可能性もなくはない。
「アイツは存在したかもしれない事象世界とやらの経験を、今、得ようとしているのか? オルトメイアとは一体、何なのだ?」
「それを知りたければ早く世界樹を取り返すんだな。それと――」
エルートゥは木の枝に飛び上がった。
「お前は自分に剣の才能はないと言うが、少なくともお前の剣は美しいと思うぞ。まるで狼のようだ」
"ソーントーンの剣は美しい"
どういうわけか稀にそう言われることがある。それはソーントーンの本意ではない。自分が目指す剣は地味で無骨で面白味のカケラもなく実用を重視する。人斬り包丁の技術に美しさなど不要だ。ゆえに、それは何かの間違いだと思っている。
だが、狼に例えられたのは初めてだ。
それはどういう意味か。そうソーントーンが問う前に、エルートゥは暗くなった森の奥へと姿を消した。
◇
シュッ
【転移】で自室に戻ったソーントーンは部屋の外に人の気配を感じた。
(グレアムと、誰だ?)
ソーントーンはいつものように"チェンジリング"の精霊魔法でパトリクとなると、軽く身だしなみを整えてから部屋を出た。
「お待たせしました。レビイ様。……そちらの方は?」
「殿下。こちらは執事のパトリクです。身の回りの世話を任せています。
パトリク。こちらの方はユリヤ様だ」
「邪魔をするわ」
ヒキガエルを擬人化したような人間が、浮かぶ椅子に座っていた。