94 傾国の美姫 6
●ユリヤ・シユエ
シユエ公国の第一公女。スキルは【完全記憶】。月末試験の実技において第四位。総合第四位。グレアム曰く、『ヒューストームに匹敵する大魔術師』。見た目はジャ〇・ザ・ハットだが……
●レビイ・ゲベル
正体はグレアム・バーミリンガー。シユエ公国ゲベル男爵家四男として学院に潜入。茶髪碧眼(※瞳の色は偽装)、スキルは【透視シースルー】と思われている。仮の父はニルハム・ゲベル。ゲベルの寄親はネルマール伯爵。
●レイバー・ロール
学生自治会ブルーガーデンの役員。"騎聖"タイバーの令息。銀髪に浅黒い肌。下級竜の暴君竜を使役する。ユリヤの婚約者だったが婚約破棄を宣言した。
●アルベール・デュカス・オクタヴィオ
学生自治会ブルーガーデンの会長。聖国の王太子。金髪緑眼。ハイ・グリフォンを使役する。【勇者】スキルを持つ?
●リンゼイ
男爵令嬢。ユリヤの友人?
●ジョスリーヌ・ペタン
ユリヤの付き人。生体魔導人形。本体は公国で全身凍結中。
ユリヤに続いてレビイも石舞台に上がる。舞台の高さは二メイルほどもあったがレビイは階段を使わず一飛びで軽やかに着地した。意外にも絵になる優美な姿に数人の女子生徒から感嘆の息が漏れた。
(身体強化を使ってるだけでしょ。軽業師でもできるわ)
なぜかイラついたユリヤはレビイに告げた。
「同行は許したけど、あなたは何も喋らないで」
「しかし――」
「一言でも何か言ったら帰国命令を出すわよ」
「……」
レビイは口元を抑え、コクリと頷いた。よほど帰国したくないらしい。
「お待たせしました。アルベール殿下。レイバー様。そして――、リンゼイ様」
「ひっ」
先ほどの苛立ちをぶつけるようにユリヤはリンゼイを睨みつけた。
「よせ! リンゼイが怯えている!」
「ずいぶん仲がよろしいようで。いわれなき中傷を浴びせられ、少々冷静さを欠いていたようです。申し訳ありません、アルベール殿下」
「う、うん」
「あくまで白を切るか!」
「そう申されましても、事実でもないことを認めるわけにはいきませんわ」
「リンゼイ嬢への仕打ちに身に覚えはないと?」
「ええ、殿下。マーニに誓って」
「む」
聖国と公国は創造神にして唯一神マーニを信仰する宗教国家だ。その神の名を出してまで誓ったことの意味は大きい。
「騙されてはいけません、殿下。この悪女ならば神の名を出してなお虚言を弄することなど朝露を払うがごとし」
「しかしな、レイバー。君の言い方からすると、リンゼイ嬢への仕打ちを君も直接見たわけではないのだろう?」
「そ、それは……」
『どうだろう。ここにいる者たちでユリヤ殿下がリンゼイ嬢へ無体を働いていた姿を見た者はいるか?』
アルベールは周囲の生徒に呼びかけるが、声を上げる者はいなかった。
「で、殿下! リンゼイ嬢への仕打ちは常に公国の宿舎内で行われていたとのこと! 目撃者がいなくとも当然なのです!」
「そうなのか。では、何か証拠はないのか? 熱湯を被せたり階段から突き落とされたりしたそうだが」
「リンゼイは大事にはしたくないと、怪我も治癒魔術で自ら治していたそうなので……」
「証人も証拠もないのか……」
どうやら正義の天秤はユリヤに傾きつつあるようだ。証人も証拠もなく被害者の証言だけで他国の王族を断罪することにアルベールは難色を示している。
(アルベール殿下が冷静で助かったわ)
アルベールはレイバーに肩入れしようとせず、公平に判断しようとしてくれている。だが、これほど感情的にこじれれば婚約の継続は不可能だろう。ユリヤは婚約の解消を申し出ようとすると、レイバーはこちらを睨みつけた。
「いえ、殿下、証拠はあるのです! ――来い! シュトルム!」
ゴウッ!
ユリヤ達に豪風が襲う。
見上げると暴君竜が石舞台に降りようとしているところだった。
「っ!」
レビイの息を飲む声が聞こえた。声を出せないレビイは指を差してユリヤに伝える。
「?」
竜のかぎ爪が何かを掴んでいる。
「人? ――っ!?」
その正体を知り、心臓が止まるほどユリヤは驚いた。
「じょ、ジョスリーヌ!?」
竜が掴んでいたのは宿舎の一室に安置していたはずのジョスリーヌの姿を模した生体魔導人形だった。
「れ、レイバー! 気でも狂ったか!?」
「いいえ、殿下、ご安心を。これは人間ではありません」
「っ! やめっ――!」
ユリヤの制止の声が虚しく響く。竜の白銀の爪が煌き――
ザシュ!
ジョスリーヌが肩から真っ二つに切り裂かれた。
経緯を見守っていた学院生達の間から悲鳴があがる。だが、すぐに戸惑いの声に取って代わった。血がほとんど流れておらず、わずかに流れた血の色もくすんだ青に近い。
「これは……魔精油」
液体を指先につけたアルベールがそう断じる。
「ええ、その通りです、殿下。これの体の中に流れているのは熱い血潮ではなく、摺動と魔力循環のための魔精油。つまり、これはあの悪女が精巧に作り上げた"フレッシュ・ゴーレム"なのです!」
「「「!?」」」
"フレッシュ・ゴーレム"――人間の死肉を素材としたゴーレムの一種だ。魔術師が作るゴーレムは通常、木や土石、金属を素材とするのが一般的だが、稀に死肉を素材としているゴーレムがある。だが、それは――
「禁術じゃないか!」
「ご、誤解です、殿下! 彼女は魔物の素材で作ったマテリアルギアの一種! 断じて人間の死肉を使ったフレッシュ・ゴーレムなんかではありません!」
「白々しい! これほど精巧なゴーレム、人間の死肉を一切、使っていないなど信じられぬ! 大方、この者の死体から皮をはいで被せたのであろう!」
「私の【完全記憶】スキルと、ムルマンスクの天才魔道具師ウルリーカの協力を得て作り上げたものです! 人と見分けがつかぬほど精巧であってもおかしくはありません!」
「語るに落ちたな! 公国の外に出るのは初めてと歓迎式典の際に言っていたではないか! さらに言えば、ムルマンスクは公国からでは竜すら飛び越えられぬ山の向こう側にある! どうやってその天才魔道具師とやらに会ったというのだ!」
「そ、それは……」
ユリヤは言葉に詰まる。
この世界ではない別の時間軸でウルリーカと出会い、その技術を伝授してもらったなど信じてもらえるわけがない。
「さらに言うなら治癒魔術と再生魔術の講義で、この女は人の体に尋常ならざる関心を示したとのこと。おそらく、フレッシュ・ゴーレムの研究に利用しようとしたのでしょう」
それこそまさに誤解だ。単に医療魔術の研究と開発がこのオルトメイアで行われているか確認しようとしただけだ。
だが、既に状況は最悪だった。
ユリヤは禁術のフレッシュ・ゴーレムを製造する狂気の悪女というレッテルが貼られつつある。
印象操作だ。こいつならば、リンゼイ嬢を虐待していてもおかしくない。そう認識されている。
「ユリヤ殿下」
アルベールの固い声。その眼にはユリヤへの疑惑の色が深く浮かんでいる。
一方、レイバーは勝利を確信したかのように笑みを浮かべていた。
(……)
ユリヤは考える。リンゼイへの虐待が本当にあったのかレイバーにはどうでもよかったのかもしれない。むしろ、彼の仕込みであった可能性すらある。
レイバーの真の狙いはユリヤに対して周囲に悪印象を与えること。そうすることで、まったく自分に非なく婚約を解消しようとしている。
そんな嫌な想像が脳裏をよぎった。
(そんな胡乱なことをせずとも、嫌ならいつでも婚約ぐらい解消してあげたのにね)
婚約破棄に関してはユリヤの自業自得なところもある。
だが、ユリヤはここで退くわけにはいかなかった。このままではシユエは狂った悪女を第一公女に持つ国というレッテルを貼られることになる。それが祖国にとってどれだけ悪影響を及ぼすか知れたものではない。弟の縁談にも影響してくるかもしれない。
このジョセフィーヌがフレッシュ・ゴーレムでないと証明する手段を考える。ユリヤが今、身に纏う衣も生体魔導人形だった。内部に人を収納できるかどうかの違いしかない。この衣がジョセフィーヌと同じものであると訴えればあるいは。
だが、それはユリヤの素顔を衆目に晒すことを意味する。もし、それで前の時間軸のような事態に陥れば――ユリヤは、狂ってしまうかもしれない。
「……」
苦悩するユリヤ。その時、背中に暖かいものが触れた。
灯火のようなそれはユリヤの胸に伝わり全身にじんわりと広がっていくようだった。
(……また、断りもなく私に触れて)
レビイがユリヤの背に手を添えていた。
疑いと非難と敵意の視線の中、自分だけは味方であると伝えるかのように。
ただ、それだけでユリヤは自分でも驚くほど勇気が湧いてくる。
(ええ、そうね。こんなところで折れていられないわ。
まだ、魔王が後に控えているかもしれないんだから)
ユリヤは覚悟を決め、言葉を発する――その前に
シュッ!
何か柔らかいものがユリヤの後から投げられた。
それはレイバーの胸に当たり、石床に転がる。
それが丸められたグローブだと認識した瞬間、ユリヤの顔は青くなった。
「……何のつもりだ? レビイ・ゲベル」
レビイは言葉を発さず、ただジェスチャーでグローブを拾うように促す。
「その意味が、わかっているのか?」
グローブを投げる。その意味は決闘の申し込みだった。
レビイ・ゲベルがレイバー・ロールに決闘を申し込んだのだ。
小国の零細貴族の息子が、大国の大将軍の息子に。
(はぁ!?
なにしてくれちゃってんの、あんたわぁ!!??
高位貴族の息子に喧嘩を売る趣味でもあるのかあ!!!???)