91 傾国の美姫 3
●ユリヤ・シユエ
シユエ公国の第一公女。スキルは【完全記憶】。月末試験の実技において第四位。総合第四位。グレアム曰く、『ヒューストームに匹敵する大魔術師』。見た目はジャ〇・ザ・ハット。
●ジョスリーヌ・ペタン
ユリヤの付き人。侯爵令嬢でユリヤの年上の親友。
●ガイスト・インクヴァー
枢機卿の一人にして、"聖者"。長髪で僧衣姿の美丈夫。武闘派。
※ユリヤ視点
―― 現在(Gルート) オルトメイア魔導学院 ――
「それでは騎士100名、魔術師50名、兵士3000ということで」
「ええ、それでお願いします。公女殿下」
ガイストに昼食会に招かれたユリヤは、数ヶ月後に予定されているグレアム討伐戦に参加するシユエ公国軍の規模について話し合っていた。
ユリヤとしては先ほど述べた数の三倍を要求されると思っていたが、ガイストはシユエに負担が少ない内容で妥結した。これはユリヤの外交手腕によるものというより、聖国北方軍の参戦が理由だろう。噂では四万とも五万とも言われている聖国の精鋭部隊が北方の雄ジョアン・シーレに率いられてくる。今日のガイストは殊更、機嫌がよかった。
「しかし、まさか"シユエの女傑"と謳われた公女殿下にも参戦いただけるとは。殿下の献身に我らが神も深く喜びを湛えられていられることでしょう」
「私としてもこの正義の戦いに、充分な貢献ができないことを遺憾極まりなく感じておりました。せめて、この身をもって戦場に赴き、武運を神に委ねたい所存です」
「素晴らしい!
魔術の才とその崇高な精神!
まさに神は二物を与えられた!」
ガイストの賛辞にユリヤは内心で苦笑する。ユリヤの本心は"グレアム某との戦争など、どうでもいい"である。【スライム使役】持ちの元奴隷。その彼がなぜか聖国の逆鱗に触れた。おかげで公国から遥か遠い地に戦力を派遣する羽目になった。それだけならまだしもユリヤが崇敬するヒューストームがグレアムの庇護下にあるという。
あの素晴らしき頭脳がこんな戦争なんかで失われることなどあってはならない。だが、戦争の状況がどう転ぶか、ユリヤにも予測できなかった。聖国がこれほど大規模な攻勢にでるなど初めてのことである。だから、ユリヤ自らが参戦し現地で状況を確認する必要があると判断した。そして、ジャンジャックホウルのアルビニオンにいるというヒューストームに会い、あわよくばシユエに招聘する。
それがユリヤの目的だった。
「敵の情報については後ほど届けさせますが、恐れる必要はありませんよ。我々には敵の戦力の大半を無力化させる秘策がありますので」
「いかに敵が強大であろうとも私も公国軍も恐れることはありえませんが、なにぶん我が国は弱小国。その秘策に期待させていただきます。それでは次の授業がありますので」
「ええ。あなたような方を伴侶に持てるレイバー・ロールは果報者ですね」
レイバー・ロール。枢機卿の一人、”騎聖”タイバー・ロールの令息にしてユリヤの婚約者である。
ガイストの言葉に、ユリヤは微妙な顔をした。
◇
「果報者、ね。皮肉かしら?」
「本心でしょう。ガイスト枢機卿は人の美醜に興味がないように見受けられました」
自室に戻ったユリヤはジョスリーヌにそう答えさせた。ジョスリーヌとの会話はユリヤが独り言を呟いているに等しい。
ここにいるジョスリーヌはジョスリーヌであってジョスリーヌではない。ユリヤが精巧に作り上げた生体魔導人形で<遠隔制御>の魔術で操っている偽物だ。本物のジョスリーヌは病気の進行を遅らせるために本国で氷漬けになって眠っている。医療魔術の習得が不完全で終わったことがつくづく悔やまれた。
「流石は徳高き"聖者"様といったところかしら。……好きにはなれないけど」
「どうしてです?」
ユリヤはこの奇妙な独り言を続ける。魔導人形は五感を持っており、ユリヤはその五感を共有できる。だが、自分の意識を保ったままの状態では、ユリヤ自身の五感と魔導人形の五感を同時に得ることになり、頭の中がグチャグチャになって、時折、意識を失いそうになる。だから、日常的に訓練をする必要があった。
「……ガイスト枢機卿は人の美醜に興味がないのではなく、人そのものにあまり関心がない気がするのよ。まるで――」
「まるで?」
「"家畜の豚が可愛いか可愛くないか、あまり大した問題ではない"」
「ユリヤ、――様はそういう印象をガイスト枢機卿に持ったと?」
「ただの勘よ。<感情察知>を使えば枢機卿の心をもう少しわかったかもしれないけど、さすがに聖国のトップに使うのはね。自重せざるを得なかったわ」
ユリヤの知るヒューストームなら<感情察知>を使うユリヤを快く思わないだろう。だが、最悪の裏切りにあって以来、この魔術がユリヤの心のよすがとなっているのも事実である。
「もちろん本物の"聖者"様だから、私とレイバー様を本気で祝福した可能性もあるわけだけど」
「そういえばレイバー様との面会の約束、また取り付けられませんでした」
「困ったわね。容姿を偽っている件、早めに弁明したいのだけど」
「<感情察知>を使うまでもなく、レイバー様に嫌われているのがわかりますからね。さすがにその姿はやり過ぎだったかと」
ユリヤはジョスリーヌの眼を通して今の自分の姿を見る。まるで潰れたヒキガエルようだ。でも、こうしなくては、あの三人の自分に対する興味を失わせることはできなかった。三人から向けられる愛欲とも情欲ともとれる感情を、ユリヤは感じるたびにパニック発作を起こしていた。
どうにかして三人の関心を自分から失わせることはできないか。
悩んだユリヤが思いついたのは三人がたびたび口にしていたフレーズ――『美しき姫』だった。
では、美しくなくなればいいのではないか。そう考えたユリヤは一切の運動を止め、食事の量を増やすことにした。ただ、これはうまくいかなかった。どんなに食べても吐いてしまう。ユリヤは太れない体質だった。
そこでユリヤはヒューストームから教わった幻影魔術を駆使して、常に何かを食べる姿を周囲に見せるようにした。容姿も少しずつ、違和感を抱かれないように変えていった。そうして長い年月をかけて、今のこの姿を作り上げたのだ。
「レイバー様との結婚後に本当の容姿が発覚して、夫婦仲が悪化するのは避けたいわ」
「公国と聖国との関係が悪化しかねませんからね。しかし、あとはレイバー様との面会さえ叶えばオルトメイアに来た目的はすべて果たせたことになります」
「目的か……。聖国にきた最大の目的。杞憂で済んだと考えていいのかしら?」
「アルベール殿下があの魔王である可能性は著しく低いかと」
「そうよね。彼とは似ても似つかないわ。でも、それはそれで別の疑問が出てしまう。【勇者】のスキルは唯一無二で【複写】も【強奪】も不可能だと聞いたわ。その情報が間違っていた? そもそも、アルベール殿下が【勇者】のスキルを持っているという情報自体が間違いだったのかしら?」
聖国のアルベール王太子が【勇者】スキルを持っているという情報をユリヤが得たのは、冬が終わる直前であった。その真偽を確かめるために、オルトメイア魔導学院への留学を急遽、決めた。
ユリヤの奇行に慣れきっていた父王は、ついでにと言わんばかりに外交任務と『おまえの婚約者を決めたから顔をみてこい』との言葉とともにユリヤを送り出したのだ。
「現時点の情報だけで判断するのは不可能かと」
「それもそうね。考えるだけ無駄か。
1.アルベールが魔王かどうかの確認
2.医療魔術の習得
3.聖国との外交
4.婚約者との顔合わせ」
ユリヤは指折り数えていく。2は失敗し、4はまだ果たせていないが、それは時間の問題だろう。いよいよとなれば、多少強引にでもレイバーと面会する気だった。
「では、レイバー様との面会後は帰国を?」
ジョスリーヌの口を使って自問し、ユリヤは考える。
学院の授業はレベルが高く興味深いカリキュラムも多い。このまま学院生を続けたい気持ちはあるが、そんな個人の望みなど国益と比ぶべくもない。
では、他にやり残したことはないか。レビイ・ゲベル――あの正体不明の少年の顔が思い浮かんだ。
(いっそのこと自分と一緒に帰国命令を出そうかしら)
そう考えすぐに否定した。ティーセを悲しませたくない。ティーセとレビイが偽の恋人関係であることはティーセから聞いている。だが、見ていればわかる。ティーセは明らかにレビイのことを――
(まあ、レビイのことはいいでしょう。剣聖様の孫に敗北して周囲のガス抜きになったはず。これ以上の問題はおきないでしょう)
次の月末試験はアルベールが総合一位を奪回することだろう。彼があの半ば反則的な【勇者】のスキルを持っているならば。
「……そうね。戦争の準備もあるし、帰国しましょう――」
そこでユリヤは思いつく。
この戦争を利用して、あの三人を始末する方法を。
ユリヤの瞳に、ほの暗い炎が灯る。
「ねえ、ジョスリーヌ。あなたは私のスキルを代償がなくて羨ましいと言ったけど、代償はあったのよ。どんなに酷い凄惨な記憶でも、決して忘れることができないという代償がね」
「…………」
ジョスリーヌは返事をしない。ユリヤがそれを望んでいないから当然だ。
ユリヤは思い浮かべる。三人の裏切りによって腑を切り裂かれて死んだ父の姿を、首を切られて死んだ母の姿を、胴体を真っ二つにされた幼い弟の姿を、燃える落ちる城を。
「復讐はやり遂げる。たとえ今の彼らに記憶がなくても」
暗い決意に、ユリヤの心は僅かに踊った。
◇
「ユリヤ・シユエ!
リンゼイへの悪逆非道の数々、断じて許し難し!
お前との婚約は破棄させてもらう!」
「……………………はい?」