87 傾国の美姫 1
●ユリヤ・シユエ
シユエ公国の第一公女。月末試験の実技において第四位。総合第四位。グレアム曰く、『師匠に匹敵する大魔術師』。見た目はジャ〇・ザ・ハット。
※ユリヤ視点
―― Mルート シユエ公国 ――
〇月×日
今日から日記をつけることにした。ジョスリーヌは『【完全記憶】スキルを持つあなたに日記なんか必要ないじゃない』なんて笑うけど、『日記は今日の出来事や考えたことを忘れないようにするだけじゃなく、自分の心と思考を客観的に見つめて自己理解を深めるためのものでもある』と私が尊敬するヒューストーム先生が仰っていたわ。『後世への贈り物』でもあると。
日記は未来の人間にとって過去の出来事を知る貴重な資料。未来の誰かに読まれるとを思うと変なことは書けないわね。一応、自己紹介しておく。私の名はユリヤ・シユエ。シユエ公国の第一公女よ。ジョスリーヌはペタン侯爵令嬢で年上の親友。そして、ヒューストーム先生は【大魔導】スキルを持つ超一流の魔術師でジョスリーヌの命の恩人でもあるの。
ジョスリーヌはここ数カ月、胃痛と吐き気、嘔吐に悩まされて原因不明の発熱も続いていたわ。本人はデオの"神霊術"とポーションを定期的に服用しているから大丈夫だと言っていたけど、先日、とうとう血を吐いて倒れてしまったの。
ヒューストーム先生が近くに居合わせ診てくださったところ、ジョスリーヌは体内の細胞が異常な増殖を繰り返す病気とのこと。この異常な細胞の塊を腫瘍と呼び、体にさまざまな悪い影響をもたらすうえに腫瘍が体中に広がってしまうので早急に治療が必要なのだという。
私はその時、目の前が真っ暗になった。その病気は私も知っている。悪性腫瘍――「がん」と呼ばれるもので、神霊術や治癒魔術はほとんど効果がない。<再生>は、むしろ悪化するという。そんな不治の病に親友が侵されていると知って私は絶望した。
でも、ヒューストーム先生は治癒可能だという。体を切り開いて腫瘍を切除すれば助かる可能性が高いとのことだ。デオはこれに激しく反発した。体を治すために体を傷つけるなどありえないと。ちなみにデオは大司教様の甥だ。私の昔馴染みでジョスリーヌの主治療術師でもある。
結局、ジョスリーヌ本人と侯爵様の意向でヒューストーム先生による"手術"が実施されることになった。手術は清浄な空間で患者の体を完全にコントールする必要がある。それを成すためにヒューストーム先生が作り上げた"医療魔術"。既存の神霊術や治癒魔術では対応できない病に対応するための新たな魔術だという。
全身を白い清潔な服に身を包んだヒューストーム先生が繰り出す手技と魔術は衝撃の一言だった。検知魔術といえば魔力波を使うのが常識だが、体の中を検知する場合、人体に流れる魔力によって魔力波が乱され検知魔術は無効化されてしまう。ヒューストーム先生は放射線と超音波を使った新しい方式の検知魔術で腫瘍の正確な位置を割り出すと、これまた超音波と光の魔術ナイフで瞬く間に腫瘍を摘出してしまったのだ。
手術終了後、感動した私はその場でヒューストーム先生に弟子入りを志願した。賞賛を受ける先生は、なぜか複雑な表情をされていたが、最後まで手術を見ていた私を『肝がすわっている』と気に入ってくださり弟子入りを快諾してくださった。
そうしてヒューストーム先生に師事して数カ月、私の魔術の腕は以前とは比べものにならないくらい上達した。私の知らない魔術もたくさん教えていただき、私が知っている魔術もハイレベルなものを教えていただいた。ただ、使役魔術だけは教えられないという。なんでも十七年間、眷属として使役した黒猫のピュアを思い出して悲しくなるからと。ヒューストーム先生は超一流の魔術師でありながらも、こういう人間臭さを失わないのがとても素敵なところだと思う。
まあ、使役魔術は仕方がない。そちらは独学か、それが無理なら他の師を見つけよう。それよりも明日からはいよいよ医療魔術を教えてもらう予定だ。実はもっとも身につけたいと思っていた魔術。今夜は寝つけるか心配だ。
◇◇◇◇◇◇
―― 現在(Gルート) オルトメイア魔導学院 ――
再生魔術の講義が終わった。講義計画を読んだ時から期待はしていなかったが、やはり医療魔術に関するものはなかった。先月、受けた"上級治癒魔術"の講義にもなかったので、オルトメイアに医療魔術は存在しないのだろう。
(やはり、ヒューストーム先生に会わないと。この世界でも先生が医療魔術を開発していることを期待するしかない)
だがもし、ヒューストーム先生が医療魔術を開発していなければ……
(いえ、まだ最悪を考える事態ではない。ようやく先生の居場所がわかったんですもの。まだ時間はあ――!?)
「――か、殿下!」
「ふぁ!?」
ボサボサの髪と大きな眼鏡をかけた少年の顔が、目と鼻の先にあった。
「殿下! 講義、終わりましたよ!」
「……」
思索に耽っていた自分をレビイ・ゲベルが呼びかけていた。
「ええ、わかったわ」
魔道椅子を浮かせ出口まで移動する。
(び、びっくりした)
レビイ・ゲベル――<破壊不可>を付与した魔鋼製の的を破壊できる魔術師で、異常な速さと単身でミノタウロスを倒せる強さを持つ剣士、そして謎の問題児でもある。
我が国の貴族の子弟がクラス分け試験でシーレ伯爵家の嫡男を半殺しにしたと聞いた時は、一瞬、気を失いかけた。ジョアン・シーレは北の蛮族を討伐した大功労者にして大英雄だ。
その息子を半殺し?
シーレ伯爵領とシユエ公国が地理的にもっと近ければ戦争になっていてもおかしくない。最悪、シーレはゲベル男爵家全員の首を要求してくるだろう。そう覚悟していたが、ジョアンは『すべては学院内でのこと。あれもいい薬になったでしょう』と大事にはしないことを確約してくれた。
ジョアンの心の広さに胸をなでおろす一方で、レビイ・ゲベルというまったく記憶にない人間に疑問を抱いた。それでも、地方貴族の子弟にいつまでも拘う暇はない。当の本人も反省したのか、平民と交流を深めるぐらいで、それ以上、目立った動きをしなかった。なので、医療魔術の研究と平行して"魔王"の対策も行う。
ところがである。
レビイはティーセ様の恋人となり、聖国の王太子を抑え総合一位になった。
……なるほど。忙しいからと放置していた結果がこの有り様だ。
いや、これらについて本人が悪いわけではない。だが、今、明らかにレビイ・ゲベルは悪目立ちしている。今後、彼を中心に何らかのトラブルが起きることは容易に想像できた。
(彼から目を離してはいけない)
そう教訓を得た。
「次は剣聖様の授業ですが殿下はどうされますか?」
「……宿舎に戻るわ」
剣など握ったこともない。そもそも、今のこの体では剣など振れないので剣聖様の授業に出る気はない。だが、レビイが学院で活動中に目を離す気にもなれない。だから、レビイの監視は別の手段を取る。
「そうですか。それではまた午後に」
「ええ」
ふと、悪戯心が涌いた。背中を向けたこの正体不明の少年に検知魔術をかけてみた。それは一般に使われる魔力波によるものではなく、放射線と超音波を使用したものだ。その結果――
「っ!?」
「?」
自分の息を飲む声が聞こえたのだろう。レビイが振り返る。
「……何でもないわ。ポテトチップスの材料が切れていたことを思い出しただけよ」
しっしっと手を振って、さっさと行くように促す。
再び背中を向けたレビイに、今度は同情の視線を向けた。
なぜなら、彼の胸の中心に大きな腫瘍があったから。