84 機械仕掛けの王冠
●ジョアン・シーレ
伯爵。北方の英雄。セバスティアンの父。仕事にかまけて子育てに失敗した。
●ガイスト
枢機卿の一人にして、"聖者"。長髪で僧衣姿の美丈夫。グレアムが大嫌い。
●シャルフ
枢機卿の一人にして、"聖人"。白のシャツに黒のズボンと上着に鍔付き帽子。別名"変人"。
●ヴァイセ
枢機卿の一人にして、"聖賢"。白衣を纏っている。
女王への説得の言葉を頭に浮かべジョアンは謁見の間の重厚な扉をくぐった。まず目に入ったのは正面の巨大な神像。唯一神にして創造神マーニの御姿を象ったものだった。
(……?)
聖教の一信徒として見慣れた姿であるはずなのに、どこか違和感を感じるジョアン。だが、謁見の緊張からくるものであろうと、その感覚を無視した。神像からわずかに視線を下ろすと女王不在の玉座がある。聖国での謁見は最高位の統治者――女王リュディヴィーヌが最後に入場する慣わしだ。
ジョアンは謁見の間の中央までゆっくりと歩を進める。一方、ジョアンを謁見の間まで誘導したガイストは速足で奥まで進み、空の玉座の右に立つ。そして、玉座の左には"聖人"シャルフが立っていた。他の枢機卿の姿は見えない。今回の謁見で立ち会う枢機卿はガイストとシャルフの二人だけのようだ。
"聖者"ガイストはグレアムとの戦争推進の急先鋒、シャルフは中立派と聞く。ガイストはともかく、変人シャルフが謁見でどう動くか読めない。だが、仮にシャルフがこちらと敵対したとしても勝算はあった。
ジョアンは謁見の間の左右に並ぶ貴族と聖職者に素早く視線を送った。ジョアンが女王への進言を始めればケラー侯爵とブノワ男爵、そしてマティユ大司教がそれに賛同する。いずれも影響力の大きい聖国の有力者だ。彼らと自分が揃ってグレアムとの戦争反対を訴えれば女王とて無視はできまい。
(……?)
まただ。また、何か違和感。
その正体が判明する前に文官が女王の来訪を告げる。ジョアンは気のせいだと言い聞かせ片膝をつき頭を下げた。
こっこっこっ
正面に足音と衣擦れの音が響き、わずかな椅子の軋みから女王が玉座に就いたことを察する。そして、ジョアンは女王の言葉を待った。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………?」
だが、女王は言葉を発しない。
「……陛下」
見かねたのかガイストが言葉をかけるも――
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
それでも沈黙を貫くリュディヴィーヌ。
「はあ。またですか」
ガタァーン!
呆れたようなガイストの言葉と、それに続いた大きな音でジョアンは思わず顔を上げてしまう。そして、目にしたのは玉座から転げ落ちたリュディヴィーヌと片足を上げているガイストの姿だった。
(まさか!? 蹴った!?)
ガイストが女王を蹴った。そうとしか思えぬ光景。何かの間違いか思ったが、それに続くガイストの行動が、それを裏付けた。床に倒れるリュディヴィーヌをガイストが蹴りつけたのだ。何度も。
「……」
「おいおい。古いテレビじゃねえんだから」
シャルフの言葉で我に返るジョアン。"テレビ"とやらが何のことか分からないが――
「やめよ! 気でも触れたかガイスト!?」
だが、ガイストが凶行を止めることはなかった。むしろジョアンの言葉で暴行が激しくなる。
「ガイストのやつ、イラついているな。何かあいつの気に障ることでも言ったか?」
「!?」
ジョアンの隣にいつの間にかシャルフがいた。
(な!?)
混乱する。【転移】スキルのような瞬間移動ではない。そんな既知の能力ならば百戦錬磨のジョアンはこれほど動揺しなかった。混乱したのはシャルフが謁見の間に入った時から、ずっとジョアンの隣にいたとジョアンが知っていたからだ。
意味がわからない。玉座の隣に立つシャルフとジョアンの隣に立つシャルフが並行して存在しており、後者をまるでさきほど思い出したかのような意味のわからない現象をジョアンは体験している。
「気は済んだか、ガイスト?」
王冠の脱げたリュディヴィーヌの髪をガイストが鷲掴みにしてリュディヴィーヌの頭を持ち上げていた。
「ふむ。王太子を産ませたのがまずかったのですかね?」
「寿命だろ。ガワだけ変えて何十年も使ってりゃガタくらいくるさ。オーバーホールもしてないんだろ?」
「できる者がいないのですよ。製造者は死んでますし」
「ヴァイセは?」
「彼は完成されたシステムに興味を持ちません」
「じゃあ仕方ねえな」
リュディヴィーヌを間に挟み、訳のわからない会話を続ける枢機卿の二人。リュディヴィーヌの美しい顔は無残にも腫れあがり、口と鼻から血を流していた。にもかかわらず、リュディヴィーヌは暴行を受けている間にも悲鳴一つ上げていない。
さらに異常なことに、謁見の間には多くの貴族と聖職者が詰めかけているにも関わらず、ガイストの凶行を止めるどころか言葉一つ発していない。ただ、何の感情も映さない無機質な顔でガイスト達を見つめている。それはケラー侯爵とブノワ男爵、マティユ大司教も一緒だった。
「ガイスト! シャルフ! 貴様ら何をした!!!」
激昂するジョアン。何が起きているか分からない。だが、この異常な状況を引き起こしているのはガイストとシャルフの二人であることは間違いない。
「奴らを拘束しろ!」
ジョアンは護衛達に命じる。その命を受け、素早く動き出した四人の騎士は――
「「「ぐっ!?」」」
謁見の間の左右に並んでいた貴族と聖職者によって逆に拘束されてしまう。
「な!?」
熟練の騎士達が非力な老人と女性にすら抑え込まれている。もちろん騎士達がふざけているわけでないことは、彼らが必死で振りほどこうとしている様子から分かる。一方で騎士達を抑え込んでいる連中は無機質な表情のままだ。
「くっ!」
ジョアンにも貴族と聖職者が迫る。
ジョアンは素早く両手の指を組合せ複雑な形を作り上げると、ジョアンの周りに透明な壁が展開された。
「ほう。噂の【呪印】ですか」
ジョアンのスキル【呪印】は両手の指の組合せることで様々な効果を発揮する。透明な壁を展開したのは護身呪印と呼ばれるもので敵のあらゆる攻撃を防ぐ。ジョアンを拘束しようとした連中は壁に阻まれ近づくことができなくなっていた。
「厄介ですね。封じさせてもらいます」とガイスト。
「無駄だ! 護身呪印はあらゆる攻撃を――!?」
あらゆる攻撃を防ぐはずの護身呪印が唐突に消失した。
原因は――分かる。分かるが分からない。
護身呪印が消えたのは、ジョアンの左手の親指が消失して、呪印を刻めなくなったからだ。そして、ジョアンは自分が左手の親指を失っていることを認識していた。数年前のちょっとした事故で失ってしまったのだ。
(まただ! シャルフと同じだ! 異なる二つの現象を、俺は認識している!)
「殺す!」
混乱しつつも歴戦の戦士であるジョアンは戦士の本能に従いガイストとシャルフに殺意を向ける。左手の親指を失い護身呪印が組めなくとも、他の呪印は組める。右手人差し指と中指を伸ばし、薬指と小指を親指で押さえて刀印の形を作ると右手に光刃が生まれた。
「はぁ!」
裂帛の気合いと共に横に一閃すると、ジョアンに迫っていた貴族と聖職者が打ち払われる。
「死ね!」
そのまま一息に距離を詰めるとガイストとシャルフに光刃を振るった。
「父上」
だが、光刃が二人に届く前にジョアンはそれを止めてしまう。息子のセバスティアンがガイストとシャルフを庇うように飛び出してきたからだ。
「セバス! なぜ、ここに!? ――!?」
動きを止めた一瞬の隙を突かれ、セバスティアンに抱き付かれる。
「!? がぁ!」
そのまま凄まじい膂力で締め上げられた。
(振りほどけない! 何だこの力は?)
「何です、この少年?」とガイスト。
「伯爵のガキだよ。このままだと伯爵を殺しちまうから、未来を変えるために"処置"しといた」
「ああ、ヴァイセの助言でしたか。流石ですね」
(『処置』だと? セバスも侯爵と大司教と同じにされたというのか? いや、それよりも『未来を変える』だと? まさか、こいつらの能力は――)
「改変?」
ポツリと発した言葉にガイストとシャルフが反応する。
「ほう。さすがは伯爵。気づきましたか。ええ。私は過去を。シャルフは現在を。そしてヴァイセは確定した未来を改変する能力を、偉大なるあの方より授かっています」
「あの方だと? お前たちは一体?」
「ふふ。あなたもあの方の使徒となるのです。その栄誉を喜びなさい」
「や、やめ――」
ガイストの手のひらがジョアンの両目を覆う。そして、ジョアンの意識は息子と同じように闇に溶けて消えていった。
◇
「ふう。これで北方軍も投入できますね」
意識を失ったジョアンを見下ろしながらガイストが感慨深く呟いた。
「ああ、これで総兵力は十五万に達する。聖国史上最大の兵力だ。だがなぁ」
「何です?」
「そのために、けっこうな数の貴族や聖職者を"処置"しちまった。露見する危険が高くなったんじゃねぇか」
「今回、"処置"した連中はまとめて戦死してもらう予定です。問題ありませんよ」
「スライムを封じるんだろ。グレアムも蟻喰いの軍団とやらも、こいつらが戦死してくれるほど善戦してくれるかね?」
「事故はいくらでも起きるものですよ」
「まぁ、それもそうか。…………」
「どうしました? まだ何か懸念が?」
「……いや、気のせいだ」
シャルフは一瞬、"超一流の殺し屋"と同じような気配を感じたのだ。
(まさかな。本当にあいつなら、俺に気配すら感じさせない)
それともシャルフのカンが前世よりも冴えわたるようになったのか。
『お前の半分ぐらいのカンがあれば、俺も一流ぐらいにはなれたんじゃねぇか?』
『カンの問題ではない。お前は道楽がすぎる。感情を優先させるから二流なのだ』
前世の懐かしい記憶を思い出す。
この世界に来て数十年。もう前世のほとんどのことを忘れかけているが、それでも今なお鮮やかに焼き付いている記憶がある。
(なあ、お前達もこの世界に来ているのか? "ブリッジ"。"ジロウ")
彼らとの再会を、かつて"ボトム"と呼ばれた二流の殺し屋は心から望んだ。