83 北方の雄
(静かすぎる……)
セバスティアン・シーレは自室で頭から毛布をかぶり、目だけをせわしなく動かしていた。伯爵家の御曹司が使う部屋とは思えぬほど狭いのは、使用部屋を使っているからだ。元の自室は封鎖してある。ギモーブの生首が置かれた部屋など危なくて使えない。
かといって、この使用人部屋が絶対に安全であるともいえない。外へ通じるのは廊下への扉と明かり取り用の小窓一つのみ。小窓は子供がようやく通れるほどの大きさしかないが、それでも安心できないセバスティアンは内側から板を何重にも打ち付けていた。
(もう夜になったのか?)
あれ以来、授業にも出ず暗い部屋に一日中閉じこもるセバスティアンに昼夜はわからない。背中を壁につけ、襲撃に怯え限界がきたら気絶するように眠り、暗殺者に首を斬られる悪夢で目を覚ますことを繰り返していた。
(いや、先ほどのは違ったな)
大量の汗を拭い、先ほどまで見ていた悪夢を思い出す。首だけのギモーブが『ぼっちゃぁぁん』と恨めしそうに追ってくる夢だった。
そんな夢を見たのはあれのせいだろう。
セバスティアンは床に広げられて放置された手紙を見た。それはシーレ家の現当主ジョアン・シーレ――つまりセバスティアンの父からの手紙で、授業に出ず試験も受けていないこと、そしてギモーブを勝手にオルトメイアに呼び寄せたことに対する厳しい叱責だった。しかも、近日中に陛下への謁見のためにオルトメイアに訪れる。その際にギモーブを連れ帰ると記載されていた。
(戻せるわけない! あいつはもう死んでいるんだぞ!)
ギモーブはシーレ家の正騎士である。そこらの平民が死ぬのとはわけが違う。父やギモーブの血族、そして騎士団は事件の真相究明を要求してくるだろう。
(シーレの騎士が一学生に返り討ちにあったなど、口が裂けても言えるわけがない!)
仮にもし真相が知られたら、セバスティアンはギモーブの死の責任を厳しく問われる。
身分を剥奪され、家から追放もありえた。
(ああ! いやだ! 平民なんぞに身を落とすくらいなら死んだ方がましだ!)
片時も離さなかった剣を鞘から抜き、刃を震えながら首にあてた。
引けば、楽になれる。
そう思いつつも実行できない。
「ああ、死にたくない。死にたくない」
死を受け入れられるなら、暗殺者に怯え、こんなところに閉じこもっていない。
八方塞がり。どん詰まり。
涙を流して苦悩するセバスティアン。
どうしてこんなことになったのだろうか。
オルトメイア入学前の幸せな時期を回想する。
特に楽しかった取り巻き連中との平民狩り。
時折、父にその火遊びが露見しそうになり、そのたびにギモーブに火消しを頼んだ。
自分も楽しんでいたくせに『仕方ないですね、坊ちゃんは』と、さも困ったふうに言って、魔眼で生き残りの平民や取り巻きの裏切り者を始末してくれた。
あの幸せな時に戻りたい。誰か時間を巻き戻してくれ。そう願うも、決して叶うことはない。
絶望を続けるセバスティアンに声をかけるものがあった。
「よう少年。救いは必要かい?」
「ひぃ!?」
ビクリと震えるセバスティアン。鍔付き帽子を被った壮年の男が、いつの間にか部屋の中にいた。
「だ、誰だ!?」
「おいおい。そりゃないだろ」
「あ、あなたは!」
その特徴的な身なりから男の正体を察するセバスティアン。
「あ、ああ! 猊下! おれを! 私をお救いください!」
「ああ、救おうとも。ガラじゃないけどな。その代わり――」
壮年の男――シャルフ・レームブルックはセバスティアンの両目に手のひらを翳した。
「俺たちの――になってくれよ」
「え?」
(今なんて?)
そう問う前に、セバスティアンの意識は闇に溶けて消えた。
永遠に……
◇◇◇
「オルトメイアにようこそ! 歓迎いたしますよ、シーレ伯爵」
そうにこやかに話す長髪僧衣姿の美丈夫にジョアン・シーレは内心で戸惑った。
美丈夫の名はガイスト・インクヴァー。枢機卿の一人にして三文聖の"聖者"の称号を持つ男である。
「陛下も首を長くしてお待ちしておりましたよ。早速、謁見を?」
「う、うむ。頼む」
ガイストは背後に控えていた文官の一人に合図を送って伝令に走らせる。
「四半刻もすれば場は整うでしょう。それまでは、どうぞここでお待ちを」
ジョアンとガイストがいる場所はオルトメイアにある離宮の一角に築かれた聖教会の応接室だった。ジョアンはオルトメイアに入界後、すぐにここに通された時、監禁されるのではないかと警戒していた。少なくとも何だかんだと理由をつけて待たされ、最終的には本日は都合が悪いと追い返されるのではないかと思っていた。
それならそれでよい。そのような姑息な手を使うならば押し通るだけだ。ジョアンと後ろに控えた護衛達はそれができるほどの実力者である。
ところが蓋を開けてみれば歓迎ムードで、わずか四半刻で女王との謁見が叶うという。破格の待遇に何かの罠かと疑いたくもなる。その思いが顔に出てしまったのだろう。
「意外ですか?」とガイスト。
「……正直にいえばな」
「ここに引き込んで秘密裏にあなたを殺そうと?」
ガイストの発言にジョアンの護衛達が色めき立つ。ジョアンはそれを身振りで制した。
「はは。まさか。長年、北方を苦しめた蛮族を打ち払った英雄のあなたを害すれば北方諸侯は黙っていない。それに私は何事も話し合えばわかると考えています」
「……それならば是非、グレアム・バーミリンガーとも話し合ってもらいたいな」
「おや、これは一本、取られましたね。やはり伯爵はグレアムとの戦争にあくまで反対で?」
「ああ、彼とは戦うべきではない」
ジョアンはそれを女王に進言するために遠い領地からわざわざやってきた。
「ふむ。理由をお伺いしても?」
「逆に戦争をしたがる理由を聞きたい。お前たち中央は何が何でも戦争を起こそうとしているようにしか思えん」
「理由は書状にしたためた通りです」
「『南方に見過ごせない脅威ができた』だけで納得できるか! よいか! グレアム・バーミリンガーはドラゴンキラー、イリアリノス連合王国を滅ぼした"ロードビルダー"を倒した男だ! そんな男に安易に戦を仕掛けるべきではない!」
ジョアンの言葉にガイストの眉がピクリと動いた。
「……そういえば伯爵は若いころ、イリアリノスのガイアメルン竜装騎士団に出向していた時期があったとか」
「ああ、そうだ。バカなガキでしかなかった自分をガイアメルンの方々は見捨てず鍛えてくださった。今の自分があるのは彼らのおかげだ」
「しかし、ガイアメルン竜装騎士団は」
「"ロードビルダー"を相手に見事な玉砕を遂げたと聞いている。確かに大恩ある方々の仇を討ってくれたグレアム・バーミリンガーに好印象を持っていることは否定しない。
だが、同時にガイアメルン竜装騎士団の強さを誰よりも知っている。
一人一人がまさに一騎当千の強者。
そんな彼らを一蹴した"ロードビルダー"。
そして、それを倒したグレアム・バーミリンガー。
彼を敵にすることは聖国のためにも避けるべきだ!」
そう熱く語るジョアンをどこか冷めた目で見つめるガイスト。
すると先ほどの文官が戻ってガイストに耳打ちした。
「……どうやら陛下の支度が整ったようです。謁見の間へどうぞ」
「……うむ」
ジョアンの熱弁もガイストには届かなかったようだ。当初のにこやかな表情は完全に消え失せ、ただ事務的に対応していく。
(理解は得られなかったか。やはり陛下に思い止まってもらうしかない)
西に帝国、東に上級竜という強大な敵に挟まれた状態でグレアムと戦うのはあまりに危険だ。それにグレアムと友好的に付き合えば得られるメリットは計り知れない。
例えばグレアムの本拠地であるジャンジャックホウルより、マジックバッグに入れられてもたらされた新しい肥料は、それを撒かなかった田畑に比べて数倍の収穫量が見込めた。来年はすべての田畑で新肥料を使う予定であった。だが、既にジャンジャックホウルとの関係は極限まで悪化し、人と物の流通はほぼなくなってしまった。魔物除けの結界というアドバンテージがある上で新肥料を使えば、数十年後には帝国すら上回る国力を得られるかもしれない。
なんとしても陛下を説得する。その決意を胸にジョアンは謁見に臨んだ。
●ジョアン・シーレ
伯爵。北方の英雄。セバスティアンの父。仕事にかまけて子育てに失敗した。